Oriental Dragoon

烏丸陰陽子

プロローグ

零、荒野の死闘

 三日三晩の激闘だった。


 赤銅色の岩山がそびえ立つ以外には何も無い、辺りには人気ひとけの一つも無い荒涼とした大地で、その二人は闘っていた。無論、例え余人があったとしても、それは誰も入り込む余地の無い、入り込めるはずも無い、正に双方の全身全霊を懸けた死闘だった。


 片一方は、辰神りゅうじんの加護を持つ男。もう一方は、神に仇なす人類の敵。始祖が築いた秩序に背き、『帝国』西域の民を苦しめていた、悪鬼。男は主神の命を受け、この大敵を鎮圧すべくこの地を訪れた。悪鬼はそれを迎え討つ。そして、今に至る。


 龍の加護を受けし男が杖をかざすと、天に雲が集まり、雷鳴が轟く。続く二振り目で、無数の閃光が大地へ落下した。悪鬼はそれを左右に跳躍しながらかわしていく。そして、自らの鋭い爪と牙で、忌々しい敵の喉笛を、心の臓を切り裂き抉らんと素早く迫る。その動きは、まるで野獣のようだった。


 大地を蹴り上げ、男が放つ雷撃を避けながら彼ははしる。そんな彼を前にして、男は白い衣の裾を翻し、強く杖を突き出した。途端、辺り一面を風の渦が包む。全てを薙ぎ倒し、吹き飛ばす、猛烈な風。あと一歩のところで男の命に届こうとした悪鬼の身体は、なす術も無く風に飛ばされ、遠く離れた背後の岩山に打ちつけられた。


 相手が『普通の生命』ならば、これで勝敗は決した――はずだった。けれど、岩山に磔られ、崩れ落ちた悪鬼は、まだ立ち上がり、光の無い眼で男を睨む。そんな彼の姿に、男は少しだけ、憐憫の表情を浮かべた。そして溜め息をひとつ吐いて、彼へと静かに語りかける。


「もう、いいでしょう。大人しく降伏してはくれませんか」


 あまりに優しげな、そして同時に哀しげな声。しかし、


「――思い上がるなよ、人間」


 悪鬼は憐れみを含んだ男の声に苛立ちを隠さず、刺々しい、それでいて地の底から響くような声音で呻いた。


「思い上がりではありません。貴方は確かに強い。強いからこそ、敬意を表して申し上げているのです。私は、貴方を殺したく無い」


 男の言葉を、悪鬼はせせら笑った。


「俺は必ずお前を殺す」


「いいえ、それは貴方自身の意思ではないはずだ。貴方は忌まわしい本能に、人への殺戮衝動に突き動かされているだけなのです。本当の貴方は優しい方だ。私には分かる」


 男はあくまでも諭すように彼に語りかけるが、最後の一言は、悪鬼の逆鱗に触れてしまった。


「……何が分かるというんだ」


 彼は一層低い声を上げ、底無しの憎悪を込めた眼差しを男に向ける。岩山に吹き飛ばされた時の、虚ろで焦点の合わない眼とは明らかに違う、射抜くような鋭い視線。それが、彼は何かに操られた傀儡などではなく、正しく彼自身の意思によって、男の言葉に心底からの嫌悪と憤怒を感じ、殺意を抱いた証であった。


「お前などに、一体何が分かるというんだ!」


 絶叫するなり、彼は再び大地を蹴って、男へ向かい突進する。男は静かに眼を閉じて、またひとつ小さな溜め息を吐いた。そして自らも杖を握り直し、振り翳し、天から猛烈な嵐を呼び寄せる。気象に干渉するその業は、風雨を司るかみから賜った力を持つ彼だからこそ成せる奇跡である。


 悪鬼はその嵐の中を、自身の身体が傷つくことも厭わずに、無理矢理にもがきながら突き進む。男は杖を握る手に一層強い力を込めた。木造りの粗末な杖に過ぎないものが、その瞬間に強く発光する。風は一段と激しくなり、悪鬼はまたしても遙か遠くへ飛ばされた。赤銅色の大地に叩きつけられ、口からは赤い血が溢れた。


「……お願いです。降伏して下さい」


 男はいっそ哀願するかのように、彼に問う。もうこれ以上、彼を傷つけたくは無いと、男は心から思っていた。しかし。


「――断る」


 彼はまたしても立ち上がる。その眼に、深い憎悪の火を灯したまま。


 最早、説得は不可能。そう悟った男は、弱々しく揺れ動きながら荒い息を吐く彼に向かって、再び杖を突き出した。もう、何も避けることは出来ない無力な彼へ。


 男の杖が光り、雷撃が、辺り一面に降り注ぐ。光の雨は容赦無く、叛徒を大地に打ちつける。


 そうして、忌まわしき二つ名で恐れられた人類の敵は――神の力を前にして、敢えなく膝を折ったのだった。

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