第二章/夜の指先が伸びる 2
緑溢れるストラストからやや北に位置する新緑に、ひっそりと立つ小屋があった。川のせせらぎすら失せる、深い森の息吹の中、外套のフードを深く被った人影が歩いている。
人影が小屋の扉を叩く。しばらくして開いた小屋の中には、虚ろな両眼を人影に向けるゾルデの姿があった。小屋の中に人影が素早く身を滑らせ、扉を閉める。
小屋の内部は、床が抜けて地面がむき出しだ。その上に廃棄寸前の椅子が二脚置かれているだけで、他は何もない。
「様子はどうだ?」
ゾルデの問いに、人影は軽く答える。
「うじゃうじゃいるね。面目躍如とばかりに大量動員しているみたいだ。ここもそろそろ引き払わないと見つかりそうだ」
「首尾は?」
「問題ないよ。想定通り神天院が来たから、支障はない」
人影が外套を脱ぐ。現れたのは、小屋には似つかわしくない子綺麗な顔立ちをした、まだ十代の少年の顔だ。
一見すると、どこかの資産家の子供のように目や鼻筋、輪郭にまで気品が溢れる見目麗しい少年だ。しかし、その表情は見る者が見れば、何とも知れない空恐ろしいものに感じられる。その微笑も薄い唇の両端を無理やり吊り上げ、どこか薄気味悪いものが混ぜられた笑みだ。全うな生き方をしていない、生命の根底から何か大切なものがズレたような貌だ。まるでお化けのようでもあり、業師の精巧さでもって作られた人形のようでもある。
ゾルデが少年の表情には目もくれず問いを投げる。
「予想通りローザンヌか。誰が来た?」
「炎の修道女。ロザリロンドだね」
ゾルデの顔付きが神妙になる。その名があまりにも不吉だったからだ。
「ロザリロンドだと? ツウェルベル連邦の非合法武装組織を殲滅した、あの炎の修道女か?」
少年が鷹揚にうなづく。
「何年前だったかな、情報部の情報を元に、当時の会長と二人で拠点を制圧。その後本部へ正面から戦いを挑んだらしいね。会長は途中で死んだけど、あの女が残る敵を単身で掃討したようだ。彼女が会長職に就いたのはその時だったかな」
ロザリロンド・ベタンクールの名は、表よりも裏社会の方が有名だ。炎の修道女と揶揄される彼女は、かつて、福音伝達者に危害を加えようとしたツウェルベル連邦の一組織を報復として殲滅したのだ。一個大隊にも相当する数の構成員をひとりも残さず焼き尽くしたその徹底ぶりは、ツウェルベルという国家をしてロザリロンドと対峙したくはないと思わせるほどの過激さだ。彼女を怒らせることは、まさに神の怒りを具現させるに等しい。
「怖いよねえ。超がつく高位施術士はひとりで戦局を変えるというけれど、彼女はそれを地で行く正真正銘、本物の超高位施術士だよ。まともに対峙したら、ボクらなんて消し炭だね」
少年の声には恐れよりも喜びが混じっていた。壊れたつまらない玩具を見下ろすような、薄ら寒い笑みだった。
ゾルデの表情は厳しい。初戦でしくじればストラスト研究所から酷死天使を奪取した意味がなくなり、目的が果たせなくなるからだ。何より、天命体系はロザリロンドの精霊体系と相性が最悪だ。天命体系は生命の中に世界を見出すから、命すら灰燼にする炎に非常に弱いのだ。その性質は、酷死天使にも受け継がれている。
「我々にとっては、悪夢の果てに立つ女ということか」
「酷死天使の弱点を真正面からついてくる施術体系だからね。君としては関わり合いになりたくないかな? だけど残念、そうはいかない。ボクらの計画は、彼女にかかってる。カルヴァリアは入るのが大変だからね。ましてやあのロザリロンドが出てくるというのなら、余計にね」
一体何が面白いのか、少年は笑みを重ねる。無邪気にも見える少年の感情に一瞥もくれず、ゾルデが問う。
「それで、何人だ。まさか奴もひとりで来たわけではあるまい?」
通常ローザンヌ修道騎士会は二人一組で動く。事実上ロザリロンドの副官ともくされるシャルルも同行している可能性が高いと、ゾルデは踏んでいた。シャルルではなく悪名高いイヴであれば、状況は最悪の一言に尽きる。殺戮の妖精と唱われるイヴもまた、天命体系が苦手とする熱を操る。
そもそもの話、ローザンヌ修道騎士会は化物揃いだ。それぞれが単独で一都市を滅ぼし、七人が集まれば小国を落とすまでと謳われる。アレラルの精鋭中の精鋭たちが集う最強集団。
敵として相対するゾルデは思う。彼らの逆鱗に挑まんとする自分達は確実に狂っている。
「彼女も含めて三人。残るふたりの詳細まではまだ分からないね。少なくとも、ローザンヌではないようだ。すぐに分かるよ。このために長い時間をかけて仕込んだらしいからね」
「構わん。もはや誰が来ようとも、私の歩みを止めることはできぬ」
すべてを呑み込む空虚な表情で、ゾルデが椅子にもたれかかる。十年前の災厄の日から、己の道程に未来がないことを彼は知っている。だから間違いなく、冷たい躯となり汚泥の暗闇へと落ちていくはずだ。そんな死への進撃を恐れることはない。
ゾルデの洞のような瞳が宙を見つめる。彼の目には、今まさに、死の天使により食い尽くされる未来の要人たちの姿が写っていた。それは、国にとっては悪夢であっても、彼にとっては善行だ。このとき、ゾルデは確かに悪に酔い、不謹慎な興奮で心を燃やす。
「やがて黄昏がすべてを燃やそうとも、運命が私を駆り立てた。何を怖れることがあろうか。舞台はこのとき、私の独擅場となる」
演劇が一世を風靡する昨今において、世界はひとつの劇場であり、人は人生の台本を持たされた役者だ。そして、神天教が広まるアレラルでは、この台本は神からの啓示だった。
「神よ、私を悪というのなら裁いてみせよ。それが叶わぬとき、御身は御座から引き摺り下ろされる。他ならぬ御身の不完全さによって」
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