第一章/人の背には糸がある 7
昼下がりのカルヴァリアの一角。官公署が立ち並ぶ区画に置かれた国家保安院本部。公安部公安課の一室で、中年の男性が窓の外に広がる白い街を睥睨していた。その瞳に浮かぶのは、国家を憂う力強い光。男性は公安課の課長だった。
「近い内、事態を放置すればこの街は戦禍の真っ只中となる。この聖都カルヴァリアが、だ」
傍に立つ部下が答える。
「ゾルデ・クーパーの件ですね」
「この件は、長らく施術士特別査問法院が担当していた。“施術士による犯罪”であるとされているからだ。だが私はこれを否と断定する。これは国家的な犯罪だ。しかも他国と自国の行政機関が絡んだ政治的犯罪だと考えている。であれば、本事件の担当はどこになると考えるかね?」
「もちろん、我々国家保安院公安部です」
男性が重々しく頷く。
「そうだ。その通りだとも。この事件は少なくとも二つの機関が絡んでいると私は考えている。学術院王立研究所、国家保安院施術士特別査問法院。考えるに、ゾルデ・クーパーは一種のスケープゴートだ。真相はその先にある。だがこのパズルを完成させるにはまだ何かが足りない。ゾルデはその証人だ。おそらく、両者はゾルデ抹殺に向かうだろう。君は神天院が動いていることを知っているか?」
青年が記憶を探るように視線を外し、答える。
「情報部ですか?」
「否。福音伝達部だ」
青年の眉が上がった。答えが予想外なものだったからだ。
神天院は、その名が示す通り、アレラルの国教たる神天教の委細を決定する機関だ。今回のような公安事件において関わる場合は、神天院福音情報部が動くことが常だ。福音伝達者絡みの機関である福音伝達部が動くことはまずあり得ない。
「福音伝達者が介入していると?」
「特別班から先ほど報告が上がった。正確には、福音伝達部ローザンヌ修道騎士会が動いている。その先には、レセナ・グランジャが繋がっている。これは一体どういうことだろうな」
「神天院とレセナ・グランジャに繋がりがあることは知っています。定期的に交友会を開いているとか」
「だが彼女はただの研究者だ。元と天才が付くがな。本事件になんら因果関係が無い。だが、事実ローザンヌの会長ロザリロンドが彼女を守護している」
「あの炎の修道女自身が、ですか」
青年が驚愕する。ローザンヌ修道騎士会は、国の最重要職たる福音伝達者の護衛だ。その中で護衛らを束ねる会長ロザリロンドが一般人を守護するなどあり得ない。
「そうだ。あの炎の修道女が動いている。であるならば、かなり情報精度は高い。早晩、レセナ・グランジャは命を狙われる運命にあるということだろう」
「なぜ? 確かに彼女は施術災害の被害者であり、その重要参考人のひとりとして、かつて施術士特別査問法院に目をつけられていた過去がありますが、いまはただの一般人のはずです」
「あの娘は、施術士法に違反している」
青年はすぐに答えを弾き出す。
「施術管理室に公表していない施術の件ですか」
「新たな施術を開発した場合、アレラルでは施術管理室へ移譲することが義務となっている。これに違反した場合、施術士法に抵触し犯罪となる。あの娘は、自ら産み出した施術の一部を公開しておらず、施術士法違反の嫌疑がかけられている」
「それは我々公安部の範疇です。査問法院の管轄ではありません。それを成すのであれば越権行為に他なりません。そもそも、ゾルデ事件となんら関係がありません」
青年の声には苦々しさが混じっていた。昨今、査問法院はその施術管理室への介入が度々見かけられている。施術士特別査問法院は、公安部と同じく国家保安院に属しているが、施術士による重犯罪人の検挙を目的としており、国家体制を脅かす重大事件を担当とする公安部とは方向性が異なっている。新規開発施術の秘匿は、査問法院ではなく公安部の管轄だ。明らかに権力拡大を目的とした越権行為だった。
査問法院はその設立からして公安部とは違う。査問法院は、十二氏族による相互監視機関に端を発する。つまり、所属する院が同じであっても、国家機関として設立された公安部とは根本から異なるのだ。
「君も勘づいているだろうが、あの娘の件を公安部はいまも黙認している。上層部からの圧力で動けんといった方が正確か」
「確かに、以前レセナ・グランジャの件で捜査が途中で打ち切られたという話は聞いています。しかし上層部? 公安部部長、もしくは院長ですか?」
上司の顔色を見ていた青年が声を潜める。
「まさか、最高国務評議会ですか……?」
「恐らくはな。あの娘には我々の知らぬ何かがある。ひとつ面白いことを教えてやろう。我々公安部だけではない、アレラルに存在する情報機関は、あの娘の情報収集について著しく制限されている。仮に情報を取得集した場合は速やかに破棄されることにもなっている。しかし、少なくとも公安部ではと前置きするが、娘の所在については仔細な報告が求められている。専門の監視班を設置し、内部で情報規制を徹底するほど偏執に。まるで施術漏洩事件を担当するときと同等、いや、それ以上にな。これは何を意味するのだろうな」
それは異常だ。ただの一個人に、政府機関がここまで行動することがまずおかしい。
「課長。我々はどうように?」
「君はストラストへ飛べ。いましがた、レセナ・グランジャがロザリロンドと共に消息を絶った。同時、上層部から彼女の監視停止の命令が降りている。我々は通常通り、ゾルデを追う。その中でいずれ答えが判明しよう」
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