第5話 微睡んだ中の

3年次の卒研を始めるゼミの希望提出が終わり、僕は新設された情報棟の最上階の食堂の奥の4人掛けの席で仮眠を取っていた。

勉強しようと思って英語のノートと教科書を広げているのだが、頭に入ってくる気配はない。ただ眠く、ただ苦しいと感じていた。何故なのだろう。


食堂の中は意外とがやがやしている。一般人も利用できるこの食堂のランチは安くておしゃれだ。他の友人たちは別の食堂を使っているから、僕はここにいる。どうして距離を取り始めたのか、と言われても何故だかわからない。肌が合わないと感じたからなのだろう。


「珍しい奴が居るな」


声がしたからその方を見たら、優貴の友人の坂井弘樹がそこにいた。今、井上君は一緒じゃないらしい。


「坂井君か。それは僕のセリフだよ。一人でどうしたんだ?」

「べつに?腹が減ったなあ、と思って。来ただけだよ」

「他の食堂は?」

「混んでた。それに、最近のあっちの食堂、嫌なんだよ。うるさいし」

「そんなにうるさかったっけ」

「ああ。マジで嫌。優貴も嫌だって使ってねえよ。今日は優貴は一緒じゃないのか?」

「一緒じゃないよ。優貴は優貴の友達と一緒にいると思っていた」

「そうなの?お前を探してると思ったのに」

「優貴は彼女が居るから」

「ああ……あの、紅茶好きの化粧が濃い女?コスプレ好きの」

「凄い言い様だ。かわいいのに」

「興味ねえんだもん」

「坂井君が女性に興味がないなんて。何かあったのか?」

「ああ、まあ。あったかな」


お前卒研の希望、齋藤研究室にしたじゃん、と言われ。


「ああ……うん。そうだね。第一希望はそうだった。それがどうした?」

「意外だった」

「意外だったか?」

「うん。かなり。誰にも相談しなかったのか?」

「うん、しなかったな」

「周り中、相談して決めてたのに。お前が何も言わなかったから、優貴が問い詰められてたぜ」

「優貴にも相談しなかったから」

「なんで?俺には、言ったじゃん?」

「聞かれたからね」

「聞かれたから?」

「うん」

「聞かなかったら、俺にも言わなかったの?」

「言わなかったと思う」

「どうして?」


彼はそれが聞きたくて僕が居るこの席まで来たらしい。何と答えたらいいものか、と僕が悩んでいると。


「優貴が、それでめっちゃ凹んでてさ」

「ああ……」


悪いことをしたなあ、とは思った。目の前の坂井君にうっかり喋ったので優貴に話さなければならないと思っていたのだが、そう思った日に優貴に彼女ができたと聞いた。だから、言わなかった。それだけだ。


「彼女が居ると聞いたから。優貴は彼女と同じ研究室に行くだろうと思った。紹介されたから」

「マジかよ」

「それで同じ研究室に希望を出すほど僕の頭は沸いてない」

「いや、まあ、そうだよなあ。優貴は全然違う予想してたぜ?」

「どんな予想?」

「彼女を紹介したら追いかけてくるだろうと思った、だってよ」

「見くびられたものだ。もしかして、祐奈だと思ったのかな」

「それはあるよ。俺もそう思ったから」

「君と話してるから?」

「うん。俺とふんわり話すのは祐奈だと優貴は思ってたから。でも、俺はお前を知ってるし。佐藤の家で会ったからさ」

「うん。祐奈は随分戻ってきていないよ。だから優貴も来ないのかな?」

「うん。優貴はさ、お前っぽい祐奈が理想なんだよ。こう、なんていうか。恋愛に興味があるお前。優貴に恋してくれるお前が理想なわけ。見た目がお前のままでね」

「そういわれてもね……」

「わかってんのに、なんで優貴の願いを叶えてやらないんだよ」

「できないんだよ。優貴は父親の嫌いなことを山ほどやってる。このままだと優貴が父親に潰されるんだ。これ以上優貴の父親の怒りを買うわけにはいかないよ」

「どういうことだ?」

「そのままの意味だ。優貴はお母さんを守ろうと動いて、それはお父さんは気に入らないわけ。金があるのはお父さんの方。特に優貴の父さんは医療関係者で、お母さんも医療関係者。そうするとパワーバランスで強いのは父親。お母さんが倒れたら優貴は父親に頼らなきゃならないんだ。優貴の母親は今体調が悪いと聞いている。優貴はそうなると、僕と関わっている状況じゃなくなるから」

「優貴が学生だから?」

「うん。あとさ、普通にシスコンは、モテないよね。マザコンとブラコンも」

「はっきり言うなよ」


飯食っていい?と急に坂井君は目の前で丼を食べだした。なんかすごい勢いで食べてる……と思っていると。


「大丈夫?喉につまんない?」

「いや、意外と平気……うっ」


ゲホゲホ、と咽ているので、お水、お水を飲もうよとお水をすすめるといらん、といわれ。心配しながら見ていると。


「お前、そういうとこだぞ。普通は元カレの心配はしない」

「元カレ?君が?」

「うん、俺」

「そうだったか?」

「一応、お前俺と飯食って、俺の部屋に来てんだけどな?マジでなんもなかったと思ってんのか?」

「いや、なんもなかったと思うが?」

「それ、優貴に言ったらガチギレするから言うなよ」

「優貴が?ガチギレ?なんで?」

「優貴の地雷だから。わざと俺が言ったけど。ムカついたから」

「はい?」

「優貴は自分のものに手を出されるのが嫌いなんだよ。一度自分のものだと思うと、手放した自覚がない。滅多にそういう、自分のものって言わないから、大体は大丈夫なはずなんだけど。最近はやけにカモフラージュが多いから、怪しいんだよな」

「カモフラージュ?」

「優貴がわざわざ彼女を周りに見せびらかすなんて、怪しいからさ。狙ってくださいと言っているようなもんだ。お前を従妹だと公言したあたりから怪しいんだよ。アイツ、なんか隠してるだろ」

「優貴が?別に何も隠してないと思うが」

「IQが下がったふりとかさあ。怪しいんだよ。わざとらしいって」

「僕に言われてもね……」


なんかこの状況は前にもあった気がする。優貴がいつも微妙に警戒しているのが、この坂井弘樹であることを僕は知っているのだが、なぜそうなのかまではよくわからない。


「うーん。はずれか?カマかけたら吐くと思ったんだけどな」

「それは残念だったね。僕は何も知らないよ」

「ホントに知らないらしい。昼飯を2回も食べるんじゃなかった。腹が苦しくて眠い」

「大丈夫か?寝るなら僕がどこう」

「いや別に。休んでりゃ消化できるし」

「でも、講義があるだろ?」

「今の時間は何も取ってない。12時40分まで講義だったから」

「そうなの?ああ……そうだね、午前の最後の講義は終了時間が12時半を過ぎる」

「ああ。ぎちぎちに講義取ると疲れるじゃん?1つ開けた方が楽じゃん。体的に」

「まあ、それはわかるよ。でも、午後の講義でうちの学科で残ってるのは特許法だけだ。君、その講義は教育実習を取る人間しか要らないじゃない?取ってるの?」

「よく覚えてんな。そんなこと。他のことはきれいさっぱり忘れてやがるのに」

「……物忘れが激しくて悪かったね」

「ホントにな」


話していると、坂井君が急に後ろを睨むので。


「どうしたんだよ」

「いや、後ろ」

「え?後ろ?なんもないけど」

「俺のじゃない。お前の」

「え?」


急に現れた何かの熱を察して僕はえ、と後ろを振りむいた。


「優貴」


笑っている従弟の圧が凄い。これは笑っているのか?


「弘樹。なんでここにいるの?」

「席が埋まってたから、座っていいかと聞いたんだよ」

「他の席が空いたのに?」

「別にいいだろ。こいつはお前のじゃない」

「僕のだよ。従妹なんだから」

「嘘つけ。ひとかけらもそんなこと思ってねえだろ」

「人聞きが悪いな。また君に余計なちょっかいをかけられたくないんだよ。僕の従妹が希望のゼミに入れなかったらどうしてくれるんだ」

「そしたらお前のいるゼミに配属になるだけだ。そういう手筈にしてるだろ」

「そんなことしてないよ?」

「いっつも、これ以上ないタイミングで出てくるお兄様やってるんだろ。普通の女ならお前を王子様だか何だかと勘違いしてくれるのに、お前の従妹様は王子様に興味はないらしいぞ」

「まあ、従妹だから当たり前じゃない?」


なんだ、この二人。怖いな、と思ってると。


「疎すぎんのも考えもんだと思う、俺は親切心で忠告したぞ。お前の従弟様が腹黒だという事にいい加減に気付いた方がいいぞ、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃん……お嬢ちゃん?」


ちょっと、坂井君どういうことだよ、というと。


「そのままだよ。お前、女だろ。お嬢ちゃんじゃねえか」

「いや、君ねえ……」

「諦めてとっとと女性らしく生きるんだな。男にはなれねえよ、お前」

「弘樹!」


(どういうことだ。坂井が、俺を女だと認識している)


女性の見た目でも、この話し方と性格ならごまかせると思った。髪も長くないし、スカートも履いていない。女性が持つような色柄物も持たず、化粧は最低限だ。使用している化粧品だって男性用なのに。どうして。


「そりゃ、わかるでしょ。男性ホルモンの量が違うんだから」

「……やっぱり、そこ?」

「まあ、うん。君が男性恐怖症を隠すのにわざわざそうしてるのを僕はわかるけどね」


座ったら、と従弟に促されて座り直す。やはり、従弟にそれをごまかすのは無理だったらしい。


「遙になっても、そこらへんは変化なし?」

「うん。悪化しないように必死だよ。でも、どこまで耐えられるかはわからない」

「ゼミ、平気なの?密室じゃん。拘束時間も長いし」

「できないと、就職が厳しいだろう」

「治してからでも遅くはないんじゃない?」

「無理だよ。介護費用がかさんでいるし、あと2年別居できなきゃ、母親の協議離婚が成立しない。家裁に持ち込まれたら、母さんが慰謝料を請求される可能性が高い。君の親族にね」

「なるほどね……」


どうにもならないね、君のお母さん。という従弟の顔を見ていると羞恥が出てくる。だから僕は女性でいたくないんだ、わかるだろと言外に訴えてみるが。


「別に?僕の家だってそうなんだから、恥ずかしくないじゃない?」

「いや、でもさ」

「僕の気持ち、わかるだろ?君なら」

「わかるさ」

「じゃあ、なんで僕と同じ研究室に配属希望、出してくれなかったの」

「だから、できなかったんだ。これから、離婚調停の準備に入る。多分今から5年以上かかるんだよ」

「そう、でもいいじゃん。そんなの勝手にさせておきなよ」

「だが……」

「大学を出たら、次は何処で会えるかわからないのに。君が実家を出たら、僕には探す方法がない」

「どっかにはあるよ。落ち着いたら連絡するだろうし」

「それは何年後?数年以内の話?」

「いや。10年後だ。時間がかかったら15年くらいかかる」

「遅いよ。時間をかけすぎだろ」

「穏便にするならそのくらい時間がかかる」

「穏便になんてしなきゃいい。どうせ穏便に済むことなんてないんだから」

「でも、努力はするべきだろ?」

「そんなの無駄だよ。そんなことする必要ないだろ。僕らを捨てたやつらになんて」

「捨てたって……」

「捨てたんだよ。自分たちの都合が悪くなったら、子供なんて存在しないんだ。あの人たちには」

「そんなことは」

「ないって言いきれるの?」

「……優貴、どうしたんだよ」

「君も僕を捨てるの?許さないよ」

「何を言ってる?」

「だって。実家を捨てるんだろ?次に行くところも、僕には教えてくれないんだろ?それは、僕を捨てていくのと何が違うの?」

「でも」

「実家に連絡先を残していってね。行方不明になったら警察に捜索願を出す。次に僕に見つかったら逃げられないと思ってよ」

「どうしてそんなこと言うんだ」

「捨てるから。出ていっちゃうから」

「でも、君がそういったんだろ?出て行った方が、幸せになれるって」

「じゃあ、僕も連れてってよ。君がいらない実家なんて僕もいらないに決まってるだろ。同じなんだから」

「同じ会社にいてもそんなこと言わないだろ?」

「言わないとは思うけど、思ってはいると思うよ」

「……どうして?」

「同じだからだよ」


怒ってる、従弟が。珍しくこの従弟が本当に怒っていて、僕はどうしたらいいのかわからない。どうして。


「弘樹としゃべってるから、僕は怒ってるよ」

「なんで?」

「君の男性恐怖症は弘樹が悪化させたからだ。僕だったら悪化させなかったのに」

「そんな、ことは」

「弘樹としゃべると、君はいつも僕を怖がる。僕もイライラする。なんで弘樹を座らせちゃうの?怖いくせに」

「だが、席に座るのを拒否するのは礼を欠く行為では?」


弘樹はそういうのわかっててやってるからね、と従弟がバッサリ切り捨てるので。


「怖いって言えばいい。そうすれば弘樹は座らない。言わないから座るんだよ。仏教的に礼を欠くかもしれないけど、弘樹が君の人生を助けてくれるの?君の人生に関わるのは従弟の僕の方だろ?」

「そう、なんだけど」

「今の僕にだってまともに言い返せないのに、結婚なんてできるの?結婚相手にきちんと説明できなきゃ相手に振り回されるだけなんだから。皆僕みたいに穏やかじゃないの。大体男は弘樹みたいなやつなんだと思ってよ。男は大体悪い奴、わかった?」

「う、ん」


ホントにわかってんの?という従弟の剣幕に押されて僕は若干パニックになっていた。どういう事なんだよ。


「あのねえ、普通の男は心理学だのモテ術だの山ほど使ってくるんだよ。勉強してないとほんとに痛い目見るんだよ?ちゃんとその辺フォローしてる?」

「一応は……」

「従妹があざとく生きるのが僕は好きなわけじゃないんだけど、そういうのも防衛の一つだからさ。男なんて大体馬鹿なんだから、そういうので逃げるんだよ。まともに相手してたら、変な奴に触られまくるんだぞ。痴漢されるのが趣味なわけじゃないんでしょ?」

「違います……」

「僕も痴漢は趣味じゃないから。変わってるかもしんないけど」

「いや、優貴はまともだよ……まともで……ほんとに……」

「遙がそういうさ、なんか性欲削ぎ落しました、みたいな事やってると僕がなんか相対的に絶倫みたいな期待をかけられるんだよ。早漏れだと思われるよりはいいんだけど、期待値が高くなりすぎて困るんだよね」


従弟のよくわからない主張にまた驚きながら僕はどうしたらいいんだと思って従弟のお説教を生真面目に聞いていた。


「僕の言ってる意味わかる?」

「優貴はなんか、性欲強いと誤解されてる?」

「男性ホルモンが!多いの!」

「は、はい」

「で、遙はドMだと思われている。相対的に、僕と比べられてるから」

「嘘でしょ?」

「割とマジで」

「それって、結構深刻にやばいよね?」

「やっとヤバさに気づいたの?」

「で、でも。それは相対的に君がだ、男性ホルモンの量が多いと思われているからなんだよね?」

「いや、だからね。僕が居たら君は男になんて見えないの。わかる?」

「そんなに優貴って男の人っぽくみえる?この前ゼミの見学で先輩の女性にかわいい~って言われてなかった?」

「だって、ドSの先輩に目を付けられたくないじゃん?」

「どういうこと?」

「いや、僕が攻めるのはいいんだけど。僕が攻められるの、僕、嫌いだから。付き合うならマゾの方がいいじゃん」

「何を言ってるんだ?」

「遙はさ、僕が攻め気質なのをわかってるじゃない?」

「うん。だって、優貴はずっとそうじゃん?4歳から見てるけど、君、高飛車な女嫌いって僕にずっと言ってるでしょ?でも、猫なで声も嫌いで、しなだれかかってくるのもあんま好きじゃないじゃん」

「うん」

「でも、僕、従妹でしょ?で、君とべたべたするわけにいかないので、こういう話し方なんだよ。でも、もうどうしていいか」

「だから、別にそれでいいから。捨てなきゃいいんだ」

「捨てなきゃいい?」

「うん。だから、僕を捨てなきゃいいんだ。僕が居るなら僕が優先になればいいだろ?親族なんだから」

「そういうものなのか」


とりあえず、君が言いたいことは僕は男性恐怖症を悪化させないようにしなければいけないのと、君が居る時は君を優先しなければならないという事か、と聞くと。


「うん」

「承知していいのか?君の人生は?」

「どうせさ、君の結婚は破談になるから。もう僕が一番でいいだろ?他の男連れてくるの面倒くさいから」

「正論だが、暴論だな……」

「他の奴と結婚も無駄だと思うよ、僕は」

「そこまで無駄を省かなくても」

「だって、無駄なんだもん。色々考えてみたんだけど、どういうルート辿っても無駄なんだよね。だって離婚するし、意味ないじゃん」

「まあ、そうなんだけどさ。でも21歳でそれ言っても、小僧が!で終わりじゃない?」

「小僧……寿司食べたい」

「急にテンション変わったな!?」

「いや、ほら、そこに小僧寿しあるじゃん?そういえばしばらく買ってなかったなって」

「小僧が優貴を止めた、流石だな、コメの力は……」

「寿司の力でしょ」

「そんなに好きだったか?寿司」

「いや、興味があるのは小僧寿しであって、すしの全てじゃない」

「いや、なんかもう……そのセンス光ってるわ。優貴は楽しいね、面白い」

「遙がもともとこうじゃん?」

「そうだっけ」

「うん。夜中に急にエビフライ作ったり、急にベーグル作ったりさ。急に光源氏聞き出したりするからだろ。僕も覚えちゃったじゃん、パラダイス銀河」

「ガラスの十代じゃなかったのか」

「高校野球で流れるから……パワプロにもあるし……パラダイス銀河」

「ああ、うん……よくわかるね」


いやもう、どこからツッコんでいいかわかんないけど謎の面白味を感じるよ、と思っていると。


「いや、笑い堪えてんのわかるんだけどさ。責任を取ってくれ。僕のこういうセンス、遙のせいだから」

「誠に申し訳ない」

「遙にずっと接してると謎のセンスになるからさ。全部エレキアレンジみたいなセンスになるから」

「全部エレキアレンジ……」

「わかりやすく言うと全部DTMになる的な」

「あ、うん、大分分かった」

「わかる?」

「シンセサイザーだね」

「うん。そういう感じ。遙を理解するならAXSのCosmic Runawayみたいな曲を聞けばいいって最近思うようになった」

「まあまあ、あってるよ。いずれ情報を更新してほしいんだけど」


もうこんな時間だ、と優貴がいうので僕も時計を見る。ああ、もう次の講義の教室に行かなければならない。


「僕、結構さ、遙の本当のところ、わかると思うよ?」

「うん」

「それでもだめなの?」

「ダメなわけじゃない」


君の名前が歌詞に入ってるでしょ、全部読んで見ればいいというと。


「え?」

「あの歌は、重いんだよ。わからない?好きな人が死ぬ前にそこから加速して、その現実を変えてしまう人間の歌だ。好きな人が死ぬ運命を変えるという歌なんだよ」


誰かの心臓に奇跡を起こしたい奴の作る歌だ。それが届いたら、そいつは生きる。そういう魔法にかかるのさ。


「え?」

「わかったら、僕にもう一度会えるよ。この、僕にね」


笑う。知らなかったのか?今君が見ている僕こそ、君が誘拐されそうになった時にあった僕さ。誘拐されそうになったお坊ちゃん、お久しぶりだね?と笑うと。


「そんな、君は。だって」

「うん。僕、君の親戚。従妹だよ。生きてたらまた会おう、優斗まさと


じゃあね、とひらひらと手を振ってリュックを担いで歩いていく。あと少し、あと少しで僕の時間は本当に終わる。


『もういい?』

「ああ。代ろう、祐奈」


もう僕が限界なんだ。まだ、倒れるわけには、行かないから。



















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る