第4話 花の行く末について
「最近何食べてるの?」
「え?」
結局カラオケをやめて、駅近くにある外食チェーン店の和風レストランに大人数で食事をすることになったのはいいのだが。
「え?じゃないよ。ごはん。食べてるの?」
「ああ……まあ……食べてはいるよ。ただ夏で食欲がないけど」
「ホントに?また吐いてるの?」
「僕がいつも戻してるみたいに言うなよ」
「でも、そうじゃない?例年」
「まあ、ほぼそうだけどね。流石に昔みたいにご飯と味噌汁だけで生きるとかやってないよ」
「それならいいけどね」
メニューを見ながらそういう話をしていると、周りがものすごいつばを飲み込むような緊張感でこちらを見てくるのに僕は気づいた。だが従弟様はまったく気にしていないようだ。
「ん?何食べるの?」
「え?いや、あんみつ食べようかなって」
「お菓子はダメだよ。ご飯を食べなさい」
「あ、ハイ……」
佐藤君が強気でしゃべってる!と謎の高揚感を持っている女性陣に比べ、複雑な顔の別の佐藤氏からは
「俺も佐藤なんだけど。俺も強気で言えばいいの?こいつに」
「いや、貴方はダメでしょ」
「なんで」
「親戚じゃないから」
「俺も親戚でよくない?」
「いや、あっちが親戚だから。従弟だから」
ざわざわっとした女性陣からの指摘にちょっと怖気づく。何なのだろう。優貴と僕が親類で、優貴の方が力関係的に強いのは前からだ。今更なんだというのか。一時的な仲直り感を出すと優貴はいつもこうなのだ。強気で自分の要求を全部叶えさせようとしてくるのがコレの僕に対する態度である。
「優貴。しゃべり方が君の父さんみたいなんだが」
「うん。そうしないと遙はご飯を食べないでしょ」
「いや、食べてるって」
「じゃあ早くメニューを決めなよ」
「悩んでるんだよ」
「じゃあお米ね」
「米?」
「うん。丼かご飯ものを食べなさい。麺はダメ。僕が居るんだから」
「君が居るときは麺を食べてはいけないのか?」
「うん。僕が食べてるときはいいよ?」
「どういう理屈なんだ」
「いいから。ご飯。選んで」
「じゃあ、この、鶏肉を揚げたものを出汁で煮たものの定食」
「それね。ゆで豚じゃなくていいの?」
「消化ができるかわからん」
「胃がガチで弱ってんじゃん」
「だから、腎盂炎だったと言ったろ」
「なんでさっさと別れなかったのかな?」
「そこは関係ないと思うんだが」
「だって、そいつのせいなんでしょ?腎盂炎になったの。潰そうかな」
周り中が物騒な従弟様の起こしているブリザードに対して怯え切っている。恐怖の食事会になってきているのを僕は感じていた。
「優貴。周りが怯えてんぞ」
「佐藤君はねえ、遙に甘いんだよ。一応ね、僕と遙がご飯を食べたいのであって。僕は結構、遙に色々聞かなきゃと思ってたのに、みんないるから聞けないわけ。それはね、僕ちょっと困るんだよね」
「そうだと思って来てんだよ。後、俺も佐藤だからな」
「うん。無粋だという事はわかってるんだよね?」
「だってお前、遙を泣かすじゃん。よく」
「祐奈はなくけど、遙はそんなに泣かないよ?」
「いや、そっちが泣くんだよ」
「過保護だなあ」
「お前、名前と違ってど攻めなんだよ。どうなってんの、お前のその従弟に対するオラオラ感」
遙はお前のそれでマゾなの?というヤバい会話の展開になってきたのを周りが察知して止めに入る。
「二人とも、ヤバいって。いきなりそんな話をここでしないでよ」
「ええ?いつももっとすごい話してんのに?」
「いや、だって、今日混んでるし」
「ええ?この前グラビアアイドルの話してたお前らが言うの?」
なんだよ、グラビアアイドルの話って。女性ってグラビアアイドルの話なんか興味あるの?と僕が目を白黒させていると。
「遙は見たことある?グラビアアイドル」
「グラドル?えっと、ジャンプの表紙の人?でもあれって女優さんも映ってるよね?」
「あんまり詳しくない?見ないの?そういうの」
「あんまりみない。ファッション雑誌は見るけど」
「anan?」
「いや、non-no」
「メンズエッグは?小悪魔agehaは?」
「何それ?」
「知らない?コンビニで売ってるだろ?」
「コンビニで本をあんまり買わないから。紀伊国屋か有隣堂、丸善とかに行くからさ。後はアニメイト」
「アニメイトは予想外だった」
「え?なんで?」
「虎の穴だとおもってた」
「遠いんだもん。池袋」
「まあ、ここからだと遠いよね」
「うん」
そのあたりで店員からオーダー聞きがあり、結局、従弟様は低カロリーなサラダのような飯を食べている。
「君の方が飯食べて無くない?」
「そう?僕いつもこんなんだよ」
「さっきハンバーガー食べたからだろ」
「佐藤君、余計なこと言わなくていいよ。遙が気にするから」
「事実を言ったまでだ」
あと、お前の方が変なとこ過保護だぞ、とまた謎の言い争いをしている。
「どうしたの?」
「ああ。佐藤君はね、僕が遙とご飯を食べるのが気に入らないんだよ。ずっと邪魔されてんの」
「なんで?そんなことないけど」
「だって。僕と遙がお酒一緒に飲んだ時だって邪魔してたでしょ?」
「そうだったか?」
「うん。せっかく遙が僕の隣で大人しくお酒飲んでうとうとしてたからそっとしておいたのにさあ」
「いや、僕は酒が弱いから。眠くなるから」
「だから席順をそうしてたんだけど、席替えにもってったじゃん?固定でよかったと思うんだよ」
「でもあれは、しょうがないんじゃ?酒宴というのは盛り上がらないとだめだろ?」
「でも、遙は酒が弱いから端でいいってずっといってたじゃん?」
「まあ。でも酒が入ったらそういうのは有って無きにしもあらずだよ。随分前の話だから、優貴も気にしなければいい。そうしないとまた酒を飲む機会が来ない」
「あー、まあ、そうだよねえ」
「飯食うでもこれだけ時間かかってるんだし。でもどうしたんだよ、いつもの君らしくない」
そういうと、別の佐藤氏が
「こいつね、喧嘩売られたの。フラ語の講義でさ。従妹に男として意識してもらえないのかって言われたんだって」
「は?」
「余計だよ、佐藤君」
「それで凹んでたんだろ?」
「関係ないよ」
「どうして僕が優貴を意識しなければならないんだ?そもそもコレはモテるじゃない?僕は従妹だ、僕が優貴に熱上げてたらおかしいだろ?」
「普通はそれでもちょっとぐらいさ、なんかあるもんなんだよ。男なんだから」
「優貴は男だ。それは当たり前なんだが?」
「だからさ。従弟様の為にちょっとは可愛くするとかあるわけだよ。言われたことないのか?そういうの」
「あー。なるほどね……」
確かに、昔に言われたことがある。優貴の為におしゃれをしろ、というのはあった。結局、見た目を頑張ったら従弟様が他の女に冷たくなったのでやめたが。
「優貴さんが他の女性にもお優しいなら頑張りますよ」
「そしたら僕の従妹が他の女性より見た目が悪いと言われるから嫌だ。そのくらいなら全部無視する。僕の顔が悪いと言われたくない」
「そこまで自己評価下がるのかよ、従妹で」
「いやだって、一応4親等だから。遺伝子的に近いし」
「普通そこまで近いと匂いとかで、受付けない部分出てくると思うんだが?」
「遙は養子だから」
「いや、4親等はどうした。遺伝子近いんだろ」
優貴、説明してもダメだと思うんだよと僕は言いたくなった。正確にいうと優貴の父さんは僕の本当の父さんの親族である。だから本当に4親等なのだ。そこを述べていないだけだ。
「優貴。言っても多分こんがらがるよ。4親等はあってる」
「あってるよね?」
「うん」
「よかった」
周りにどういうことなの?と言われて、端的に言うと、僕は優貴の父親の方の親族の娘だが、養子に行った先の親族は優貴の母親の方の親族だっただけだ、と言えば。
「え。優貴君のお父さんの親族から養子に出されて、結局、優貴君のお母さんの親族になったの?」
「うん。だから従弟なのは変わらない」
「なにそれえ」
シルバー巻きなよ、みたいな某アニメのキャラのセリフを聞いた気がしたが、そっとしておく。
「やっぱりお前、従妹様がいないと本当にポンコツだな」
「佐藤君、そのうち潰すよ?」
「やってみろ。俺に勝てたことないくせに」
何で今日に限ってこの二人、こんなに仲が悪いんだろう。いつもこんなんじゃないのに、と僕が思っていると。
「遙は僕と佐藤君が仲良しだと思ってたの?」
「え?いや、やけにこう、いつも皮肉言い合ってるなあとは思ったんだが。でも同じ講義にいるから、険悪だとは思っていなかった。険悪だったのか?」
「険悪っていうか……男は戦うもんだから」
「まあそうだな。僕も優貴と時々戦うし、それが男同士では常という事か」
「いや、ちょっと違う……」
「違うのか?」
でも、佐藤君は優貴に男としてみてもらえてないとは言ってないだろう、というと。
「俺?ずっと前に言ったよ。お前が優貴を男扱いしていないって。こいつ鼻で笑い飛ばしてやがったんだぜ?なのに別の奴から言われてガチ凹みしてやがるから。なのに、いきなりお前が男扱いして急に復活しやがってさ」
「だって、親戚が男扱いするのは気持ち悪いって言われたんだよ」
「なんだって?誰だよ、そんなこと言った奴」
「誰だったかな。トイレで聞いたからね」
「マジかよ。トイレでそんなこと言うのキャバ嬢みたいじゃん」
「佐藤君、ドラマのみ過ぎじゃない?OLさんだってそうだよ」
「でも俺達個室になんか入らないから、そんな話しないじゃん?優貴もそう思うだろ」
「いや、うーん……鏡の前で話すか、しながら話すかの違いだと思うよ?」
下世話すぎる。何だこの会話は……と思いながら運ばれてきた揚げ鳥の出汁煮を食べているが、一向に食べられない。それに気づいた優貴が僕に話しかけてきた。
「遙、やっぱり無理?」
「うん……ちょっと、無理」
「豆腐食べれる?」
「豆腐?」
「うん。この定食さ、豆腐があるから。どうにも食べられないなら豆腐を食べなよ」
「ごめん」
「いいよ」
豆腐の小鉢を優貴からもらってそのまま食べようとしたら、その揚げ鳥の出汁をかけたら、と言われたので。
「ああ。なるほど。そうしようかな」
そうやってご飯と豆腐を食べていると、後ろを会計が終わった3~4人の集団が通りががって優貴に話しかけてきた。
「優貴じゃん。やっと従妹と食事か?よかったな、俺のモテ術は役に立ったか?」
「弘樹、一個も役に立たなかったよ。おかげで余計な時間を食った」
「でも今、食事できてるんだったら、何かは刺さったんだろ?」
「お前のモテ術より井上の心理学の方が役に立ったよ」
「ええ?こいつの?ウソだろ?」
「いやホント、ありがとう」
「別に。よかったな、従妹と仲直りできて」
「うん」
「チっ、優貴がモテるなんて明日は雪か?」
「それは僕の従弟に失礼だろ。謝ってくれ」
僕が思わずそういうと、明日は雪だと言った男は驚いたように僕を見た。
「本当に仲直りしたのか?」
「え?」
「うそだろ?」
「え?」
「帰る!」
「え、ちょっと!弘樹、待ってよ」
「ごめん、俺も帰るよ。またな、優貴」
「うん」
バタバタと出ていくその集団を呆然と見送った後に、友人たちがやっと口を開く。
「何だったの、アレ」
「何って、罰ゲーム」
「罰ゲーム?」
「賭けたの。弘樹は僕と遙は仲直りできないって言ってて、僕は仲直りするって賭けた。僕が勝ったから、負け惜しみを言ってもらった」
「鬼畜……」
僕はちょっとニコニコしている従弟が少し心配になった。
「優貴、もしかしていじめられてたの?また?」
「ちょっとね。でも、もういいんだ。遙は僕の味方だったから、それでいい」
「そんな簡単に収まるわけねえだろ」
佐藤氏が急にずい、と言葉を発したのでみんな驚いていた。
「俺は負けてねえから、まだお前に平穏なんかねえよ」
「でも、弘樹に取られるよりマシだろ?」
「アイツは論外だ。チャラすぎて話にならない」
「井上は?」
「ダメに決まってんだろ」
「じゃあ僕だろ?」
「お前は従弟だ。別の奴を連れてこい」
「いったいどんな奴ならいいの?」
「どいつもこいつもダメなんだよ。そいつに恋愛はいらない。体弱いんだから」
「覚えてんの?」
「うん。お前もいい加減にしろ。そいつを疲れさせるな」
「過保護だね」
「お前がわかってねえからだよ。一番ひどかった時期も見てねえくせに、親戚マウント出すな。何にもしてねえくせに」
優貴が怒ったまま黙る。珍しい光景だった。
「……その節は、どうも」
「ああ。俺の実家がそいつ助けたんだぞ?もっと俺を敬ってもらいたいね。お前が弘樹を止められなかったから大変になったんじゃねえか」
「……その通りだよ」
「従妹様に言い返してもらって喜んでる場合じゃないだろ。早く弘樹にマウントとれるようになれよ。それから俺に挑んで来い。それでも俺に勝てると思うなよ」
「佐藤君。それは事実だが、僕の従弟を怒鳴らないでくれ」
見かねて僕がそれを言うと、目の前の彼はどこかで聞いたことがある言葉を言った。
「お前も従弟を甘やかすのをやめろ。弘樹を刺激するな。お前が優貴といちゃついてると弘樹がめんどくさくなるんだよ。俺が止めたのが意味なくなっちゃうだろ」
この言葉を前も聞いたと、思った。
『やめろって。俺が止めたのが意味なくなるだろ。弘樹がウロチョロしてても反応するな。無視しろ。受け流して、怯えんな。弘樹が別人だと思えるようにしろ。別人だと思えばさっさと出ていく』
あ、と思う。この人は、祐奈があった人だ。というか、祐奈が随分眠っていた僕を起こしたきっかけを作った人だと思い出す。それからだ、僕が優貴から親戚だと聞いたのは。
「あれ、君は……」
「遙。思い出さなくていい。僕だけ思い出せばいいんだ。他のことなんかいらない」
「優貴、何を言ってるんだ」
「いいから。ごはん、食べて」
「あ、ああ……」
周りの女性陣が息をのんでいる。何かに怯えているように。そして、従弟様の発言は佐藤氏をそれなりに怒らせたらしい。
「優貴。お前覚えてろよ」
「覚えてるよ。君がさ、自分にだけ喋ったり、自分にだけ興味がある子が好きなのを知ってるからね。でも、遙はダメだよ。僕の従妹なんだから」
「放っておいたお前に言われたくないね」
「それでもだめなんだ。僕の方が先に会ったんだから、遙に」
「関係ないだろ」
「なんで祐奈じゃダメなんだ?」
「お前だって、なんで祐奈じゃダメなんだよ」
「だってさ……遙の方が、優しいから」
「弘樹もそれ、言ってたぞ」
「うん。でもやらないよ。僕がお兄ちゃんなんだから」
「従妹の人生はお前のもんじゃねえ。従妹のもんだろ」
「そうなんだけどね」
なにいってんだろ、と僕が思っていると。
「ねえ、佐藤君も優貴君もさ、私たちはどうでもいいわけ?ちょっと失礼だと思わないの?」
「お前らさ、自分たちが何したかもう忘れたのかよ。こいつに」
「あんなのちょっとしたいたずらじゃん?」
「お前らね、そういう感覚だから弘樹にも相手にされねえんだよ。あいつ、結構誰でもいいって言うけど、お前らは勘弁って言ってたぜ。あいつに拒否られたらマジでモテねえぞ。早く気づいて弘樹を落としにかかれよ。学部の非モテになりてえのか?」
「そんなん佐藤君だってそうじゃん!」
「俺、こいつにモテてるからモテるよ?他の学部の女とこの前カラオケ行ったし」
「僕も佐藤だから巻き込まないでくれる?僕も一応この前別の子と飲んでるから」
あ、そういえば従弟様はこの前飲み会に行くって言ってたなあ、とぼんやり思い出す。この二人は確か、飲み仲間が居るのだ。
(いいなあ。僕はモテないけど)
「なにそれ!初耳なんだけど!」
「知らないのはお前らだけだよ。一応こいつだってこの前まで彼氏いたんだぜ?ついでに言うとちょっと前の彼氏は弘樹だぞ」
「なんですって!?」
「いや、だから。こいつ、弘樹と2ヶ月付き合ってるから。途中で怪我して別れてるけど、その原因もお前らだし、その後も彼氏いたし、いまやっとフリーになったから優貴が持ってんだよ。で、優貴の前の彼氏は俺だよ」
「はあ!?」
(それは誤解のような気が……?)
そんなことあったか?と僕は疑問符を浮かべている。寺での修行のことを言っているのだろうか。あれは付き合いに入るのか?まあ、でもあれは佐藤君の実家なわけで、週1で実家に出入りしていたし、女性は僕だけだったのでそういう話なのか?でもそれだけではないか。普通、付き合うってご飯食べるとか、もう少しなんかあるのではと思ったのだが。
「飯食ったろ」
「ああ……精進料理を……」
「餅喰ったろ」
「ああ……揚げたお餅を……」
「何それ。僕も初耳だよ」
いや、揚げた餅だ。佐藤君が作った揚げたお餅を食べた。せんべいである。おかきといってもいい。
「揚げた餅はうまいよね」
「うまかっただろ?俺の料理うまいよな?」
「うん。おいしいと思うよ。僕は佐藤君の料理は食べやすくていい。カニ雑炊以外は」
「お前がカニアレルギーだって知らなかったんだよ!」
「ごめん、でもかなりカニだった」
「檀家さんがくれたんだよ。ほら、肉喰えねえから。正月」
「うん。弘樹くんは凄い食べてたよね」
「うん。あいつは何でも食うよ。なのに珍しくこの辺は嫌だっていうのさ。どんだけ上手いの喰ったんだよと思ったんだけど、お前の飯だったわ」
「僕、なんか作ったっけ?」
なんか作ったか覚えてないけども、というと。
「味噌汁と握り。俺も食ったよ」
「でもあれ、おにぎりの具はなかったような?しかも冷めてたし」
「うん。お前が米炊いて味噌汁作って、おにぎり作っただけじゃん?」
「うん。材料は佐藤君の家のだったじゃん?」
「あれで弘樹が落ちたんだよ。お前は何もんなんだよ。米の妖精か?」
「米の妖精……ぶっ」
米の妖精は優貴の笑いのツボに入ったらしい。どんな妖精なのだろうか。
「優貴!笑ってんなよ。お前も食ったらわかるんだから」
「いや、僕は知ってるから。食べたことあるし」
「は!?お前はもう喰ってんのかよ」
「うん、結構食べたよ。実家にいるんだから、遙がご飯作ってるし」
「許せん」
「だって僕、従弟だし」
「米の妖精を寄こせ。供えるから」
「僕は供物だったのか?」
「毎回大量の握り飯を作る俺の苦行を軽減してくれ!腰が痛いんだよ!」
「それは佐藤君の家業なんだから僕の遙は関係ないじゃない?」
優貴の発言に対してざわめきが起こっているのに優貴が普通にスルーしている。僕の胃がマッハで死にそうだ。
「今、優貴君僕のって言ったよ。従妹でしょ……」
「優貴君ってシスコンだったの……」
「でもこの前、クラナドの話してたし……あれってシスコンゲーだし……」
優貴、やばい、誤解を生んでるぞ!早く何とかしろ!僕はこれを何とかできないよ!
と思ってると。
「ま、冗談と茶番はこの辺にしておこうか、佐藤君」
「そうだな」
よかった。冗談と茶番だった……と僕が素直にほっとしていると。
「そんなの信じるわけないでしょ。この子じゃないんだから」
「茶番だよ?」
「茶番だ」
「そんなわけ――」
お茶はいかがですか、とお店の店員さんがお茶のお代わりをすすめてくる。なんてすばらしい店員さんなんだ、と僕が喜んでいると。
「騙されないわよ」
「チっ」
「これだから男って」
「モテねえぞ」
「モテなくていいわよ!帰りましょ」
ちょうど食事が終わった頃だったのでぞろぞろと会計をして帰ることになったのだが。その時に優貴から
「一旦僕らと一緒の方向の電車に乗ろう。中央林間方面まででて、迂回して帰るんだよ。いいね?」
「……随分手の込んだ茶番劇だな。それに付き合うのは構わないが。これで、何とかなるのか?」
「うん。僕と佐藤君、結構大変でね。悪いんだけど、遙に協力してほしい」
「それは構わないよ。迷惑じゃないなら」
「迷惑じゃないよ。遙にもいいことはあるから」
「そうなの」
話ながら、一緒の方向の電車に乗る。茶番劇は心が痛む。誰かが傷つくのは好きではない。優貴の話しぶりからすると、これは誰も傷つかない茶番なのだという事だったが。
(……でも、君を本当に好きな人は、傷つくと思うんだけどね)
僕は恋愛に興味がないからよくても。本当に君や佐藤君と恋愛したいと思って恋した人からすると、恥はかかないがやんわりと断られたことがわかるはずだ。叶わないとわかった思いを何処に片付ければいいのだろう。咲きそうだったが咲かなかった花を捨てるようなもの。祐奈は、よくそれを川に流したりしていたが。
1人で迂回して最終のバスで帰る間、ただそんなことを考えていた。花の後先のようなもの。散っていく桜のような激しい想いの行く末に思いを馳せる。
女性はこういう気持ちになるのかわからない。こういう想いは、花と共に刀を構えるものならば共有できそうな気がするのだが。
燃える切っ先だ。熱した刀の先。苦しみに寄り添うものが必ず抱えるという、それのことを優貴の父親が昔に言及していた気がする。誰かを助けて苦しみを取り除きたいと思うものは、必ず一度は刀を握るのだと。医者ならばメスで組織片を作り出すことだ。バイオでも、それはある。
「ブレイズメスは、これのことか……」
それがある研究室に行くべきだ、ゼミ見学でそれを探さなければならない。僕が握ることのできる刀がある場所に配属希望を出してみようか、とふと思う。
夏が過ぎ、秋になればゼミの配属希望を出さなければならない。卒業研究はそこで行うことになる。僕が、優貴を取るかブレイズメスを取るか選択しなければならない。
(俺が選んだと、言えるように)
決めたことだ。それを違えることは、僕の本質を捨てることだ。ある種の、従弟と僕を繋ぐ見えぬ何かを恋愛で捨てるくらいならば、まだ、捨てずにいたい。
(強くなるとか、大人になるとは、こういうことかもしれない)
どれだけ寄る辺がないと迷い苦しもうと、戻ってくるものは、手術用のメスなんだよ。最初に研修医で持つ精神と倫理はそこに帰結するんだといった、従弟の父親の言葉を少し思い出す。恐怖との闘いだったと。これで救えて、これで死んでしまう。迷いとすべての悪意を捨てる方法。それが医師になって、執刀の瞬間に立ち会う時にメスを握れるかどうかなのだと。それができない時は、医師なのだが悪意を汲まねばならないのだと。
(僕は、握ることができるのだろうか)
この時の僕は、まだ自分が刀を握って善意を持ち続けられるかについてまだわからなかったのだが。
最終的に、僕は2年近く研究室でメスを握り続け、植物細胞の切り出しができていた。それについてを思い出すまでに、僕は従弟に再会する15年を費やすことになるのをまだ知らなかった。
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