感情という名の「ナニカ」

喜与と俺は小学校から高校まで肩を並べながら進んできた。部活やクラスは違っても登下校は2人で過ごした。時折俺達の関係性について聞かれたが

「親友だよ。」と答えていた。あとから聞いた話だが喜与も同じように友達に話していたらしい。でも俺は彼女に親友の範疇を超えた家族のような絆を感じていた。

愛嬌があり、才能に溢れた女の子。それが周りから見た喜与だろう。しかし、俺から見た喜与は少し違う。愛嬌があることは間違いないが、影で汗と涙を流しながらも周りを笑顔にすることに夢中な妹。俺は喜与をこのように認識していた。


俺達の過去を話す前に俺の考えを聞いてほしい。


人の感情はこの国気象と同じように不確かであり絶対的なものだと俺は思っている。

この国は様々な気象と共生している。

「晴れ」「雨」「曇り」「雷」

ときには牙を向けてくることもあるが、俺達に感動を与えてくれることもある。雨上がりの虹がいい例だ。そして私達は自然から逃げる事はできない。

それと同じで俺達は自分の感情からは逃げられない。見ないふりをしていたとしても、その行為は「見ている」のと同義である。「見た」うえで無視しているだけなのだから常にその感情とは隣り合わせの状態だ。

また、常に笑顔でごきげんな人なんて存在しない。あなたの周りの人でもそうだ。どれだけいつも笑顔で前向きな人であっても苦しい思いを1度は経験している。俺達の心は前向きな言葉だけで作られてはいない。そんな薄っぺらいものでは完結しない。過去の経験から学び、活かしまた別の経験をする。そこでもまた学び、ときになにが正解かわからなくなる。それでも無慈悲で残酷な時間とともにもがき続けるしかない。それが人生なんだと思う。生き続けている以上は誰もが自分の感情と戦っている。味方につけた気でいても感情は気分屋だ。手のひらをコロコロ返し、私達に喜怒哀楽を与える。

俺達に感情がついているのか。感情に俺達はついているのか。そんな哲学的なことは今はおいておこう。

だが感情という名の「ナニカ」は絶対的な存在感で俺達を弄んでいる。


此の物語は俺達が「ナニカ」に悩まされ苦しんだ青い物語。

 


あなたの心の太陽が、夏の日のように燦々と照りわたりますように。




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