2023年7月9日(日)午後

 午後〇時半くらいに川内駅前に着くと、真衣さんは既にそこにいた。

「あ、ごめん、待ってた?」

「ふふ、わたしも今来たところ。大急ぎで準備しちゃった」

 そう言った彼女のファッションは、午前とは様変わりしていた。

 グレーのノースリーブのトップスに、薄い黄色のスリムなスラックス。いつもは結んでいない長い髪を、ポニーテールにまとめていた。足元は動きやすいスニーカーである。眼鏡はそのままだった。

「着替えたんだ。だいぶ印象変わったね」

 真衣さんは、普段の服装は決まって、長袖のブラウスにロングスカートだった。

 今日のは、ゆったりとしたそれとは逆で、彼女のスタイルが良いことに気付かされた。

「うん。……似合ってるかな?」

 彼女の細い腕は白かった。日焼けしていなかった。

「とても似合ってる。ギャルみたい。いや、こっちは普通の服で来ちゃったから、なんか申し訳ない気分だ」

今日日きょうび、ギャルなんているの?」

「ギャルの定義によるんじゃあないかな。漫画みたいな典型的なギャルはいないかもだけど、キラキラした女子をギャルと定義するなら、今もいるんじゃあない?」

 真衣さんはふふっと笑う。

「ギャルについて熱く語るね」

「いや別に、ギャルが好きとかではないよ」

「まあとにかく、似合ってて良かったよ。よし、じゃあ、行こっか。いざ、アキバへ」

 彼女はくるりと回ると、駅の中へ向かった。

 ポニーテールが揺れた。


 俺と真衣さんは、秋葉原に着くと、まずは中央通りに向かった。

「すごーい! あ、メイドさんだ!」

 道の端では、華やかな衣装に身を包んだ女の子達が、客引きをしている。

「真衣さんは、アキバに来るのは初めて?」

「うん!」

 レイリー散乱で青く染まった空に向かって、ビルの群れは背を伸ばしていた。

「あ、あの人が頭に付けてるの、なんだろ?」

「アーニャのやつじゃあないかな?」

 俺は答える。

「アーニャ?」

 真衣さんは首をかしげる。

「ほら、スパイファミリーの……。ひょっとして、スパイファミリーを知らない?」

「最近の流行りはわからんのぉ。わしはおばあちゃんだから……」

「そんなおばあちゃん、現実にはいねーよ」

 俺達は顔を見合わせて笑った。

「さて、どこへ行こうかな?」

 真衣さんの声は弾んでいた。


 真衣さんは、初めての秋葉原を楽しんでいるようだった。

「すごい、求人広告にも美少女のイラストが! あ、パチンコ屋さんもなんかお洒落!」

「そこのアニメイトの絵、もしかして、島本和彦先生が書いたの⁉」

「電気屋さんもいっぱい。あ、電気屋さんの上にメイドカフェがある!」

「異世界メイドカフェ、男装騎士カフェ、幽霊カフェ、色々あるんだね」

「なんのお店だろ、ここ。全く知らないキャラクターばっかりだ。でも可愛いー!」

 俺達は街を歩き回った。あちらからこちら、こちらからあちら。まるで、舞い踊るかのようだった。


 グッズを買った後、メイドカフェで軽く夕食を摂って、それから俺達はカラオケに入った。

「わたし、最近の曲とか知らないよ。昔のアニソンばっか」

「大丈夫。歌いたいものを歌えばいいさ」

 宣言通り、真衣さんは一昔前のアニソンばかり歌った。俺が見たことないアニメの曲もあった。

「透哉くんは、最近の曲を色々と歌えるんだね」

 歌い疲れて、二人でちょっと休んでいると、真衣さんはそう言った。

「いやなんか、昔に見てたアニメの曲とか歌うと、なんかノスタルジックな気分になっちゃって。ノスタルジーに浸るのは良くない」

「そうかな?」

「俺はそう思う。未来へ進まないとダメなんだ。でも、俺はできているのかな……?」

 進みたいと思ってはいる。けれど、きっと、できていないのだろう。置き去りにしてしまった青春に、未だ俺は囚われている。だから俺の作品は、いつも中途半端なんだ。

 やっぱり、いい映画を撮るためには、青春との決着をつけて、どうしようもなくダメダメな俺自身が変わらなければならないんだ。

 黙りこくった俺を見て、真衣さんは何も言わずにいてくれた。ただそこにいてくれた。


 ――目が覚めた。カラオケボックスのソファで、座るような体勢で寝落ちしていたようだ。

 膝の上に重み。視線を落とすと、そこには、真衣さんの顔があった。彼女は、俺の脚を枕に、ソファをベッドのようにして眠っていた。

 丁寧にも、スニーカーは脱いでいた。眼鏡も外して、テーブルの上に置いてあった。

 すやすやと寝息。眼鏡を掛けていない彼女の顔を、まじまじと見るのは初めてだった。

 真衣さんが目覚める気配は無かった。明け方のカラオケは静かで、他に誰もいないように感じられた。カラオケボックスの扉は、外の世界と俺達を断絶していた。

 ――二人きり。

 意識した途端、彼女に触れがたいように感じられた。早く目覚めて欲しかった。そうして、いつもと変わらない、とりとめのない会話をしたかった。

「ん……」

 真衣さんの目が開いた。

「あれ、わたし、寝てた……? あ、ごめん! 今、退くね」

 真衣さんは身体を起こした。それから、靴を履いて、眼鏡を掛け直す。

 そうするともう、普段の彼女だった。カラオケボックスが映画サークルの部室のように思えた。

「真衣さん、なんか顔色悪い?」

「……ちょっと疲れちゃったかも」

「帰ろうか」


 朝の秋葉原は閑散としていた。透き通った空気を通過して、朝日が俺達に降り注いでいた。

「東京って、いつも人でごった返していると思ってた」

 真衣さんは、俺の少し前を歩きながら言った。

「それは、渋谷のスクランブル交差点のイメージじゃあないかな」

「そうかも」

 俺達は秋葉原駅に向かって歩いていく。

 昨日の喧騒が、耳の中に残っているような気がした。辺りには誰もいない。

 真衣さんが、ふと、足を止めて振り向く。

「ねえ、透哉くん。わたしは――」

 静寂を切り裂いて、高架の上を、電車が通り過ぎた。

「あ、ううん。やっぱり、なんでもない」

 真衣さんは、胸の辺りをぎゅっとおさえた。頬に赤みが差しているように見えた。

「いこ」

 真衣さんは再び前を向くと歩き出した。

 さっきのカラオケボックスが脳裏をよぎって、俺はこれ以上、訊かないことにした。

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