2023年7月9日(日)午前

「暑ぅいー……」

 キーボートを打つ手を止めて、夕凪真衣は団扇で顔を扇いだ。長い髪がふわりと浮き上がった。

「脚閉じなよ」

 融けるようにして椅子に座る真衣さんに、俺はそう言った。

「いーじゃん別に。長いスカートだし」

 部室の外からは、じーわ、じーわと、セミの鳴き声が聞こえる。

 真衣さんは、時々こうして部室に来て、ネットにアップする小説を書くようになっていた。

「はいはい」

 俺はデスクトップに向き直って、編集作業に戻る。

 真衣さんが来るのは決まって、今みたいに俺が独りで作業をしている時だった。

「……別に、他の部員がいる時も、来てくれていいんだけど」

 唐突にそう零したが、彼女は応えてくれた。

「ん? あー。それはなんか気まずいじゃん」

「みんな気にしないと思うよ。緩い部活だし。それに、脚本のことで色々と俺にアドヴァイスしてくれてるんだから、半分くらい部員みたいなもんだろ」

 今、創っている映画も、真衣さんの助言が無ければできなかっただろう。

「わたしの右半分? それとも、左半分?」

「仮面ライダーダブルかよ」

「あ、それは少し知ってる。ちょっと前にやってたやつでしょ?」

「もうかなり前だよ」

「嘘ぉ。時間の流れ速すぎ」

 真衣さんも、姿勢を正すと、執筆に戻った。

 沈黙が部室に訪れた。外からは、運動部の練習の声が聞こえた。

「……って、違ぁあう!」

 真衣さんは突然叫んだ。

「いや、何が違うのさ」

「わたし達、これでいいの⁉ 青春するんじゃあなかったの⁉」

「言われてみれば、俺もここ数ヶ月、何か新しいことができたわけじゃあない……」

 相変わらず、俺は大学でもほぼぼっちで、代わり映えの無い日々を送っていた。

 一応、映画サークルの部員や、その他の少数の気の知れた友人とは関わるものの、それ以外は独りだった。自宅と、大学と、時々、買い物のためにスーパーとを往復しているだけだった。

 狭い人間関係に閉じこもり、惰性で毎日を通過していた。青春でないことは確かだ。

「このままじゃあ、最も青春な季節の夏が終わっちゃう!」

 真衣さんは立ち上がる。

「人生のイヴェントスチルを回収できないまま大人になってしまう! それでいいの⁉」

「イヴェントスチルってなんだよ。俺達の人生はADVじゃあねぇよ」

「じゃあ何? FPS?」

「何を撃つんだよ」

「虚ろで鬱々として俯いているんだよ。キミもそうだろう?」

「急に言葉の銃口をこっちに向けるな。 ……でも確かに虚しい日々を送っている。……良くない。良くないな……」

 イヴェントスチル云々はともかくとしても、青春っぽい出来事を何一つ経験できていないというのは事実だ。

「青春を経験しないまま、大人になったら……。きっと十年後くらいには、どうしようもない妬みを抱えて、ツイッターで陽キャをディスってたびたび炎上する――になってる……。 嫌だ! 電子の海のモンスターにはなりたくない!」

 俺も飛び上がるようにして立ち上がる。

「現状を変えないとだめだ。こんな狭い部屋に閉じこもっていちゃ、ダメなんだ」

 呟きながら、うろうろと歩き回る。

「そうだ、街へ行こう。真衣さんも一緒にどうかな」

 そう言えば、真衣さんと出掛けるのは初めてだ。

「街? どこへ?」

 真衣さんが訊く。俺のようなオタクが行くべきところ、それは――

「オタクの聖地、秋葉原へ! 今から!」

「今からァ⁉ ここ仙台ですよ⁉」

「うん。今から」

 真衣さんはこっちに両の掌を突き出す。

「ちょ、ちょっと待って! わたし一旦、家に戻って準備とかしたいから! 午後からでいいかな?」

「あ、そうだよね。ごめん……」

「お昼過ぎに、川内駅集合でいい?」

 真衣さんは駅の方を指差す。

「オッケー」

「ありがとう。よーし――」

 真衣さんは、ノートパソコンを片付けると、扉を開けた。眩い日差しが部室に差し込んだ。

「……頑張っちゃうぞー」

 そして彼女は、部室を出た。

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