2023年4月13日(木)

 本日の講義を全てこなした後、俺は部室に行った。パソコンの前に座って、次に撮る映画の脚本を考える。しかし、途中から、一向に進まなくなってしまった。

 誰もいない部室で、独り唸っていると、ノックの音がした。

「誰ですか?」

「あっ、わたしです。夕凪真衣です。タオルを返しに来ました」

 夕凪さんは、扉を開けて入ってくる。手には昨日、貸したタオルを持っていた。

「ああ。わざわざありがとうございます」

「浅上さんは、脚本ですか?」

「うん。行き詰ってて」

 夕凪さんは椅子に腰掛ける。

「わたしで良ければ、相談に乗りますよ。これでも一応、小説を書いてますから」

「ありがとう。……夕凪さんは、ハッピーエンドとバッドエンド、どっちがいいと思います?」

「ハッピーエンドですね。やっぱ最後には、みんな幸福しあわせで終わって欲しいな」

 なるほど。

「でも、現実として、努力が報われるとは限らないし、正義が勝つとも限らなくないですか? 視る人に対して、間違った希望を与えるのは、作品として正しいとは思えない」

「あ、これ『どっちが似合うと思う?』的な質問ですか? めんどくさい彼女系男子ですか?」

「めんどくさい彼女系男子……?」

 夕凪さんは脚を組む。

「それはともかく、逆に、努力が全く報われないことも、正義が必ず負けることも、ありえなくないですか? 間違った絶望を与えるのもダメなんじゃ?」

「それはそう」

「結局、物語を誰かに読ませる以上、何らかのメッセージが伝わるのは避けられないのでは? それがポジティヴにしろ、ネガティヴにしろ」

 電灯はいつも通り不調だった。時々、チカチカと瞬いた。

「じゃあ俺は、誰かにメッセージを伝えることが怖いのかもしれない。作品を通じて、誰かの心に踏み込むことが」

 俺はぐしゃぐしゃと髪を弄る。

「やっぱ俺のコミュ障が悪いんだよなぁ。どうすれば克服できるのか」

「わたしもコミュ障なので、なんとも……。友達が多い人を参考にしてみてはどうでしょうか」

「内田先輩とかかなぁ」

 突然、名前を出されて、夕凪さんは首をかしげた。

「映画サークルの部長のことです。賞をいくつか取っている、実力者ではあるんだけど……。変わった人ですよ。例えば、ほら、あそこ、南キャンパスのロータリーに、事故の慰霊碑があるじゃあないですか」

「……ああ、そうですね」

 目立たない所にあるのだが、夕凪さんは覚えていたようだ。

「その慰霊碑の前で、供えるための花を配ってました」

「なぜそんなことを……?」

「俺もそう思って訊いてみたら『みんながお供えをすることで、安らぐ魂の一つもあるかもしれない』って言ってました」

「なんか深いですね……」

「どうでしょうね……。大学側の許可なんて無いので、最終的には見つかって、高笑いしながら花をばら撒いて逃げてましたけど」

「やってることが怪盗だ……」

「他には、部室棟の屋上で撮影したいからって、謎の業者に頼んで、屋上の鍵を造ってもらってました。そこに置いてある鍵がそれです」

 夕凪さんは、鍵をまじまじと見つめる。やがて、彼女は口を開いた。

「……随分とエキセントリックな方なんですね。そういう人の方が、友達も多いんでしょうか」

「一緒にいて楽しいだろうしなぁ。俺達も何か、変なことをすれば、友達が増えるのかも」

「具体的には何を?」

 うーん……。

「突然、踊り出すとか?」

 パッと思い付いたものを口に出す。

「Anotherみたい」

「Another?」

 そんな作品があったような……。

「綾辻行人の小説です。アニメ化もされてるよ」

「ミステリ作家だっけ? ごめん、ミステリ系はあんま見ないんだ」

「じゃあ、何を見ているんですか?」

 夕凪さんは組んでいた脚を戻しながら、そう訊いた。

「少年漫画とか、後は特撮とかかな。小さい頃から好きなんだ。仮面ライダーとか」

「あー。仮面ライダーは分からないや。おジャ魔女どれみとかプリキュアとかは見てて、そのついででたまに見てたけど、なんか話が難しくて……」

「俺も女児向けアニメはよく分からないです」

 映像を創っているものとしては、知っておいた方が良いのだろうが、なかなか視聴する時間が無い。

「趣味が嚙み合わないねー」

 夕凪さんはそう言って笑った。

「まあ、そんなもんでしょ」

 俺も笑った。

「ところで、踊るって話だっけ?」

 夕凪さんが立ち上がる。

「そうそう。俺達は変なことをしなければ、コミュ障を克服できない」

「うーん。何か間違えているような」

 俺も立ち上がると、考える。

「何を踊ればいいのかな?」

「社交ダンスとか?」

「それだ」

 早速、夕凪さんが両手を差し出してくるので、その手を取る。

「夕凪さん、手、冷たくないですか?」

「変温動物だから」

「実は爬虫類とか両生類だったんですか?」

「お魚かも」

 頭を使わない会話。

「社交ダンスって、どうするのかな? 社交的じゃあないから分からない」

 俺がそう言うと夕凪さんは答える。

「回る……とか?」

 どうやら彼女も、ではないようだ。

 ここは俺が案を出す。

「じゃあ、取り敢えず、二人で時計回りに回りましょう」

「時計回りって、どっち回りですか?」

「右回り」

「右ってどっちですか?」

「お箸を持つ方」

「わかりました。いきましょう」

 ――せーの、と声を合わせて、俺達は回ろうとして、しかし、体勢を崩した。手を取り合っていたせいで、二人一緒に倒れ込んだ。

「……そう言えば、わたし、左利きでした」

 夕凪さんの顔が近い。垂れ落ちた彼女の髪が、俺の顔に触れる。俺が仰向けで床に倒れ、その上に、夕凪さんが倒れ込む形になっていた。

「そういうことは、早く言ってくださいよ」

 幸い、夕凪さんが床に手を付いたおかげで、俺が押し潰されるような事態は避けられていた。

「ひとまず、俺の上から退いてくれませんか? こんなところを、誰かに見られたら……」

「ちわーっす!」

 ガチャっと扉が開いて、現れたのは、内田先輩だった。

 ――あ。

 俺と夕凪さんは、二人してそう言った。

「どういうことだ、浅上?」

 内田先輩は表情を変えること無く、そう言った。

「あ、あのですね。わた、わたしは怪しい者ではなくて、あっ、夕凪真衣というものです。えっと、あの、やましいことをしていたわけでは無いです。本当です! し、信じてください!」

 夕凪さんは、余計に怪しまれそうな言い訳をする。

「ふん。害は無いようだな。……ならばいいか」

 内田先輩はやけにあっさりとそれを信じた。

「ところで浅上、それはどういう体勢なんだ? もしかして、押し倒されて――」

 夕凪さんは、慌てて俺の上から飛び退いて主張する。

「ち、違います! そういう、その、え、えっちな感じじゃあないんです!」

 真っ赤に染まった彼女の顔。窓から差し込む夕日。

 俺も、頬や耳が熱いような気がした。

「…………」

 内田先輩は、俺の方に視線を向けて、黙っていた。

「あ、お、お、お邪魔しましたぁー!」

 夕凪さんは荷物をまとめると、部室を走り出ていった。

 内田先輩はその背中を見送った。そして、俺の方に向き直った。

「あいつは、浅上、オンナか?」

「い、いえ。彼女とかじゃあないです。知り合いというか、友達というか……」

「ああそう。……まあ、僕は他人ひとの事情にいちいち口出しないぜ」

 先輩はそう言った。

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