青春延長戦

古手 忍 from uNkoNowN

2023年4月12日(水)

 部室棟から出て、しかし、その軒先で立ち尽くした。

 ぼんやりしていた所為で、雨が降り出していたことに気付かなかった。雨具を持っていない。どうやって家に帰ろうか。

 薄暗い雲から落ちる薄暗い雨粒が、色付いた花々を幾度となく打つ。

 映画サークルの部室に戻ろうか。しかし、このまま独り、部室で無為に時間を過ごしたところで、何か良いアイデアが出てくるわけもない。

「うへぇー」

 そんな声が聞こえた。顔を上げると、そこには女性がいた。今の俺は本当にぼんやりしているようだ。彼女が近付いてきているのに気付かなかった。

 白いブラウス、灰色のロングスカート、黒い縁の眼鏡。年齢は俺と同じくらい。恐らくは俺と同じくこのT大学の学生だろう。

 長い髪から雫が滴る。ブラウスは肌に貼りついている。まだ春先、気温も低い。部室に戻れば、タオルがあったはずだ。彼女に声を掛けようか。いやしかし、突然よく知らない男に声を掛けられたら、不快に感じるかもしれない。だが一度、思い立ってしまった以上、ここで見なかったことにするのは寝覚めが悪い。そんな思考がループした。しかしやがて、俺は決断した。

「あ、あの……」

 俺は彼女に向かって、一歩を踏み出すと声を掛けた。

「……? え、わたし⁉ あ、あの、わた、わたしですか⁉」

「あ、あーっと……。お、驚かせてすいません。えっと、その、タオル、あるので、部室に……。えーっと、寒くないですか?」

 ダメだ。ダメダメだ。コミュ障に特有の、まともに文章が成り立たないやつだ。やっぱり陰キャには、知らない人との会話なんて無理だったんだ――。

「あっ、えーっと、その、寒いです。あっ、ありがとうございます。だからその、部室……タオルお願いします……!」

 眼鏡のレンズ越しに、彼女と目が合った。

「…………」

「…………」

 雨の音が、少しだけ弱くなったような気がした。


 映画サークルの部室で、彼女は髪を拭いていた。

「あ、ありがとうございます、タオル。お洗濯して返しますね。え、えーっと……」

 彼女は、夕凪ゆうなぎ 真衣まいと名乗った。

浅上あさがみ 透哉とうやです」

「ありがとうございます、浅上さん」

「い、いえいえ」

 椅子に座ったまま、夕凪さんは辺りを見回す。

「映画サークルの部室って、こんな感じなんですね」

 雨が降っているのと、電灯の調子がいまいちなのとで、部室は薄暗かった。

「夕凪さんは、何かサークルには?」

「わたしは文芸サークルに……。小説とか書いています。と言っても、幽霊部員ですけど」

 そう言って彼女は、胸の前で手を垂らして、幽霊のポーズを取る。

「最初は積極的に参加していたんだけど、人付き合いとか、わたしには難しくて……」

「分かります。俺も苦手だから」

 夕凪さんはくすりと笑った。

「浅上さん、わたしに話しかける時、めっちゃキョドってたもんね」

「それは夕凪さんもですよね?」

「やめましょう、この話は。お互い傷つくだけです」

 ……しばしの沈黙が訪れた。やがて、夕凪さんが口を開いた。

「でも、浅上さんもわたしと同じなんだって分かったら、何だか話しやすくなりました」

「それは俺も」

 俺も笑みを零した。

「そう言えば、来た時から気になってたんですけど、随分ハイスペックそうなパソコンですね」

 夕凪さんは、部室の一角に置かれた、ゲーミングPCを指差す。

「映画の編集で使うんで」

「編集? 映画を撮るんですか?」

「映画サークルは、見るのも撮るのもやります」

 彼女は胸の前で手を合わせる。

「浅上さんは、どんな映画を撮るんですか?」

「色々ですね。ただ、最近は、中々うまくいかなくて……」

「というと?」

 俺は一つ溜息を吐く。

「映画を撮っても、所詮、大学生のお遊びレヴェルでしかない。いいや、大学生、何なら、高校生だって、俺よりマシな映画を撮れる人はいる。俺が映画を創るのに、意味があるのかって……」

「……わたしも、小説を書いていて、そう思う時があります」

 もう一つ、俺は溜息を吐く。

「結局、俺は人付き合いの経験値が足りないんですよ。俺自身がダメな人間だから、映画にもそれが表れる。高校時代、群れるのなんてダッセー、なんて精神で、周りを見下していた。でも、今思えば、俺はもっと、友達と青春を経験しておくべきだった。ああクソ。あのキラキラした輪の中に、入ることができていたら、コミュ障にもならず、きっとまともな精神性になれていた。でも、もう遅いんだよなぁ……」

 夕凪さんは頷く。

「……分かる。わたしの高校生活も、似たような感じだったので、青春には未練があります。……でも、青春って、まだ間に合わないかな?」

「大学三年生で?」

「大学生なら、まだ若者って言えるし。四年生になっちゃうと、就活とか卒論とかで厳しいけど、三年生ならギリギリ」

 確かに。大学生なら、まだ間に合うかもしれない。

「じゃあ、俺達は、今からでも頑張って、青春する必要があるってことか?」

「……そうかもしれません。しましょう! 青春!」

「でも、具体的に、青春ってなんだ?」

 夕凪さんは身を乗り出して、即答する。

「それはやっぱ、恋愛だよ。燃えるような恋です。バーニング・ラヴです!」

「いきなり恋愛は、陰キャにはハードルが高くないっすか?」

 彼女の勢いに、思わず身を引く。

「うーん……。じゃあ、友達と旅行に行くとか、なんかのイヴェントに行って遊ぶとか?」

 夕凪さんはスッと座り直した。えらく綺麗な姿勢だった。

「テンションの高低差すご……。……まあ、それくらいなら、俺でもできそうだ」

 俺はそう応えた。

 窓から、日光が差し込んできた。

「あ、雨、止んだんだ。じゃあ、わたしはそろそろ……。お邪魔しました」

 夕凪さんは立ち上がると、部室の扉を開けた。

「お互い、頑張ろう。創作も、青春も」

 去りゆく彼女に、俺はそう言った。

「うん!」

 夕凪さんは、振り返って笑った。

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