【完結】ドッペルゲンガー(作品230718)

菊池昭仁

ドッペルゲンガー

対談1

 チャコールグレーの遮光カーテンを、この一週間、私は開けることが無かった。

 今が昼なのか、夜なのか? この家には時計もカレンダーもない。

 それが仮にあったとしても、私は目が不自由なので、それをよく見ることがない。

 

 テレビもつけず、音楽も聴かず、書いては寝て、寝ては書く毎日。

 夢と現実の境界が融合し始めていた。

 これを私は「至福」と考える。


 押し寄せる妄想の波に私は飲み込まれ、どんどん沖へと流されて行く。

 書きたい、もっと書きたい。


 だが視力は徐々に衰え始めていた。

 この2日間というもの、食欲はなく、私はチョコを齧り、アーリータイムズを飲んでいた。


 オムレツを作ろうと、比較的高価な卵を取り出そうとした時、誤って床に卵を落としてしまった。


 ドロドロ? ヌルヌル? 淫らに床に広がって行く生卵を見て、私は呆然としていた。魂のない、人形のように。



 丁寧に床を掃除した私は、オムレツ作りを断念し、急遽、食事をヒラメとホタテのカルパッチョに変更することにした。


 イタリアンパセリがない。

 カルパッチョにイタパセがないとは、カツ丼に三つ葉がないのと同じだ。

 しかし私には、スーパーにイタパセを買いに行くという発想はなかった。


 私はそれをあたかも当然だと言ったように、パセリで代用した。

 屈辱だった。


 だが唯一の救いは、ピンクペッパーが残っていた事実だった。

 私はそれを粒のまま、オムレツに散らした。

 先日、ピクルスを漬けた時に使った、残り物だ。



 冷蔵庫から冷えた白ワインを取り出す。

 眼が悪いので、銘柄を見ずに買った。

 酒飲みの嗅覚に頼ったワイン選びだった。

 私にはソムリエほどの知識も味覚も、そしてセンスも持ち合わせてはいない。

 比較的失敗がないのは、3,000円程度の価格で、赤ならフランス産、白ならドイツ産を選べばいい。


 あのワインは「なんじゃらかんじゃら」と批評している人間は怪しいものだ。

 フランス語も分からず、フランス料理も知らず、ましてやフランスで、マドモアゼルと一緒に暮らしたこともない人間に、ワインの味など分かるはずもない。


 フランス人が日本酒を理解出来ないのと同じだ。

 酒とは、神が造りし人類の過酷な人生を、忘れさせるための「クスリ」なのだ。

 私はかなりその恩恵に浴していた。

 酒が無ければ私はとっくに死んでいたかもしれない。



 ある自動車会社で、欧米のような高級車を国産しようと、何人かをヨーロッパへ派遣したことがあるらしい。

 その期間、僅か1週間。

 納豆と卵かけごはんを食べていた人間が、たった1週間で西洋文化の真髄を学べることなど不可能だ。

 日本のクルマは故障が少ないと言われる。

 コストパフォーマンスに優れ、低価格で無駄がなく、性能もいい。


 しかし物語がない。何が違う?


 絶妙なサスペンションとスタビリティ、そしてドアの開閉とクラクションの音色。

 それは例えレクサスでも敵うまい。



 バゲットにエクストラバージンと岩塩をかけて食べた。

 どうせメインは酒なのだから。


 最近はレストランにも行かなくなった。

 女を連れて店で蘊蓄を垂れている男は嫌いではないが、それを不満げに頷く女を見るのが嫌だった。

 お気に入りの、ガラスの薄くて脆弱なワイングラスにワインを注ぐ。

 一瞬、なぜスペイン産のスパークリングワインとハモンセラーノ、ゴルゴンゾーラ、それとグリッシーニにすれば良かったと後悔した。

 いかにも私らしいと自嘲した。


 家から出ないからと言って、ゴミ屋敷ではない。

 ゴミはちゃんと捨てるし、掃除も好きだ。

 もっとも私は本来、物を置くのが好きではないので、掃除もである。

 それにベッドではなく、ハンモックで寝ているので衛生的だった。


 このハンモックはあるインディアンが魔術を用いて編んだものらしい。

 すこぶる寝心地が良い。


 久しぶりの食事らしい食事に、私はカーテンを開け、大瀧詠一をかけた。

 汗をかいたワイングラスが涼しげで爽やかだった。

 ワイングラスには細い足の部分がある。それゆえワインの注がれた、その美しいグラスを無神経に触れることもない。


 私はホタテを口に入れ、白ワインでそれを追いかけた。

 その時、誰もいないはずの部屋に背後から声がした。


 「いいねえ、午後の白ワイン。実に優雅だ」


 私は背筋が一瞬で凍った。

 恐る恐る振り向くと、その男は私にそっくりな男だった。


 「お前は誰だ! どこから入って来た!」

 「忘れたのか? 俺はお前じゃないか?」


 私はもう酔いが回っているのか? あるいは夢を見ているのかと思った。


 「俺にもくれよ、そのワイン」


 私は席を立ち、ペアで揃えたワイングラスを取ると、そこにワインを注いだ。

 そのワイングラスは別れた女房と買った、お揃いの物だった。


 「プロージット(乾杯)!」


 透明感のある、グラスの触れ合う音がした。



 「ドッペルゲンガーなのか? お前は?」

 「そうだよ、リンカーンもエリザベス1世も、ゲーテもハイネも、そして芥川龍之介も自分に会ったらしいじゃないか? もうひとりの自分に。

 良かったじゃないか? 無名のお前もその偉人たちのお仲間になれたのだから」


 そう言って、もうひとりの自分はワインを飲んだ。


 「いいねえ、どうして白ワインはドイツなんだろう?」

 「さあな? 経験上の話だろう。

 俺の自分が現れるということはつまり、そうゆうことなんだろう?」


 彼はそれには答えなかった。

 私はこの事実を受け入れることにした。


 「カルパッチョも食べるか?」

 「もちろん!」


 私はフォークを彼に渡した。

 彼はヒラメを食べた。


 「うまい! このピンク胡椒が実に素晴らしい。

 これを噛み砕いて食べる白身は最高だなあ!」


 私は終活に備え、多くを処分していた。

 もう読めなくなったたくさんの本や雑誌、ファイルや原稿。

 ブラウン管テレビもデスクトップのマッキントッシュも冬服もみんな捨てた。


 冬まで生きる気がしなかった。

 そして女とも別れ、家族とも訣別した。



 「独りぼっちは寂しいだろう? これからは俺と話せばいい」

 「そうだな。それもいいかもな?」

 「そうすれば寂しくないからな?

 そして死ぬまで書けばいい、死ぬまで。

 誰も読まない小説を。あはははは」

 「あはははは」


 私もつられて笑った。

 いつの間にか大瀧詠一の『A LONG VACATION』のアルバムは『雨のウエンズデー』に変わっていた。

 海辺に停めた、壊れかけのワーゲン・・・。

 それは今の私なのかもしれなかった。

 


対談2

 視力が弱くなった私は、自分で絵を描いたり、原稿用紙に字を書くことが出来なくなった。

 昔、一緒に働いていた男は本を読むのが好きだった。

 その男が交通事故に遭い、眼が見えなくなるかもしれないと言われた時、


 「もう本が読めないなら、自殺しようと思った」と言っていた。


 その時は私には無縁な話だと思っていたかもしれない。

 いや、確かにそう思っていた。



       俺にはありえない話だ。



 でも、今、私はその現実の中にいる。

 本を読むどころか、どんどん自分の生活範囲が狭められている。


 好きだった旅も食べ歩きも、映画館や美術館、博物館、コンサートにも一人では行けなくなった。

 クルマの運転も出来ない。免許はすでに返納し、愛車も手放した。

 今はぼんやりと見える視界を、ゆっくりと自転車を漕いでいる。

 道路の白いラインだけははっきりと認識出来たが、歩行者用の信号は怪しい。

 故に周囲の状況から判断していた。

 信号で止まっているクルマや人が動き出したら私もそれに追従するという具合にだ。

 眼が悪くなるということは、足をもぎ取られるということでもあるのだ。


 点字ブロックなど、健常者が考えたお遊びに過ぎない。

 あんなのに従って歩くから、駅のホームで転落するんだ。

 私は何度もヒヤッとした経験がある。


 障碍者用の駐車スペースなども意味がない。

 健常者が堂々とクルマを停めている。

 店側も「ウチは弱者にも配慮している優良店ですから」なんて止めた方がいいとさえ思う。

 車椅子を車から下ろして、何十メートルも車椅子を操る障碍者。



 絵も描けなくなった。

 料理も簡単な物しか作れない。

 一時、料理人でもあった私は、包丁すら満足に扱えなくなってしまった。


 1か月入院して、左目を4時間にも及ぶ手術を2回もしてもらったが、すでに手遅れだった。

 手術に痛みはないが、術後の剥離した網膜を定着させるための1週間のうつ伏せ寝はまるで拷問のようだった。

 眼の手術は局部麻酔なので、手術の状況は耳からライブで入ってくる。

 例えるなら歯医者で治療しているような状態である。

 医大なので実習生も多かった。

 私の場合、特殊なケースなので見学も多かった。

 看護師見習いも参加し、点滴の注射などを担当していた。



 「は、針を刺しますね?」

 「はい」


 だが、なかなか針が静脈に刺せないようで、見習いナースは何度もトライした。

 ようやく針が刺されたのか、点滴液が右手に入っていく冷たい感覚が広がっていった。


 (ん? 血管に入っていない?)


 「すみません、液漏れしているようですけど」


 すると若い研修医は、


 「あれれ、本当だ。点滴をした○○ちゃんはどこに行ったんだろう?」


 彼女はことの重大さに気付き、逃亡したらしい。

 まあいい、実験台になってやるよと私は思った。


 血圧が220を超えたようで、初めて筋弛緩剤を注射された。

 ふわっとした感覚は今でも覚えている。

 致死量を超えると、安楽死になるのが分かる気がした。


 チャライ研修医が執刀医とため口をきいていているのが聞こえた。

 どうやら長い手術なので飽きてきたようだ。


 「先生、このメス、触ってもいい?」

 「それは僕の大切な私物だからダメだよ」


 不満そうな研修医。

 こんな奴が医者になるのかと呆れた。


 医者は偏差値が高いだけではなれないようにしてもらいたいものだ。



 医師からは「右眼はラストアイなので手術はせず、温存しましょう」と言われ、ジョルジュ・スーラの絵のように、その眼科医は慎重に私の網膜に毎日、レーザーを当て続けてくれた。

 医師から言われたラストアイという言葉に恐怖を覚えた。


 眼も鼻も耳も、手も足もスペアがあるのはそのためなのだろうか?

 片方なくしてももう一つあると。 

 すると卵巣や精嚢、肺や腎臓もそういう意味があるのか?


 2個あるうちは余裕だが、「あとひとつ」というと強迫観念は否めない。

 網膜剥離を防ぐため、右眼の網膜は70%以上もレーザーで焼き付けた。

 通常の剥離の場合なら数回の照射なので痛みはない。

 だが、私の場合、それが1度に100以上になるため、ひきつるような痛みで脂汗が出る。

 もちろん医師も細心の注意を払う。


 レーザーの施術が終わると、少しの間、視界はすべてピンク色に見えた。

 人生がバラ色に見えるとは皮肉なものだ。



 開業している眼科医はいいだろう。重症患者は医大に送ればそれで済むからだ。

 だが重傷者を扱う医大の眼科医ほど、精神的にタフでなけらば務まらないと思う。

 それはガンなどによる余命宣告よりも残酷なものだからだ。




       生きながらにして視力が奪われる事実を伝える




 殆どの情報は目から脳に伝達される。

 耳が聞こえないのも辛いだろうが、失明は暗黒の中で生きるということだ。

 我々、目の不自由な者同士でよく話に出るのは、


 

 「つんくはまだいいよ」である。



 不謹慎だと思わないでいただきたい。事実である。

 大抵の人なら、失明は「生きる希望を絶たれる」のと同じことを意味する。

 生きる希望を失いながら生きる地獄。


 一時はATMの表示画面すら見えなかった。

 後ろの客からは、


 「何やってんだよ!」


 と、怒鳴られる始末。

 職場には1時間かけて自転車で通勤した。


 夜、誤って農業用水路に自転車ごと転落した。

 水深が浅かったので自転車は破損したが、私は軽いケガで済んだ。

 ひとりで自転車を道路に押し上げ、私は道路に出て号泣した。



 そして奇跡的に右眼が少し良くなった。

 少し明るい気持ちなれた矢先、今度は心筋梗塞が見つかった。


 「菊池さん、あなたの心臓は現在、50%しか動いていません」



 私は帰り道、笑いながら泣いた。

 それが7年前の事だった。





 家に帰ると、もう一人の自分がテレビを見て笑っていた。


 「見てみろよこれ、テレビって最悪だなあ。

 コメディ・ホラーだよこれ。

 学習塾のコマーシャルにはハイジが出て来たり、クルマのキャッチコピーが「やちゃえ」だぜ。

 大学でミスコンなんかを主催していたアホどもが、コネで広告代理店やテレビ局だもんなあ。

 面白ければ、ウケれば何でもアリだ。

 こいつらみんな狂ってるよ。

 政治家は毎日同じことを言ってオリンピックがどうとか、チャイナウイルスがどうしたとか。

 この総理がまた笑えるよ、「すべての責任は私にあります」って何にもしねえんだから。口だけ番長だよ、コイツ。

 それにこの都知事のババア。何で自分の名前言ってCMに出てんの? あきらかにサブリミナルだろう? これって都民の税金でやってるんだぜ?

 アメリカ人はすごいと思うよ。日本人に壮大な集団催眠をかける実験に成功したんだからな?

 こいつらに比べたら、ヒットラーが天使に思えるよ」

 「ああ、あれだろう?

 考えるチカラを失わせるってやつ」

 「日本では暴動は起きないという。ヒロシマ、ナガサキに原爆を落され、戦後の動乱の中で女は強姦され、シベリアでの抑留の事実も忘れている。

 それどころか「戦争した自分たちの先祖が悪い」というんだからおめでたいよ、この国は」

 「明治維新とか言って、残忍なチンピラたちを神格化させ、東京裁判にも引き摺り出されることもなく、今も政治経済の中枢を操っているクズども。

 この国は死んでるよ」

 「大丈夫だよ」

 「どうして?」

 「盛者必衰の断りを表す」

 「なるほど」

 「ローマ帝国はどうして滅んだ? ムガール帝国は? ロマノフ王朝は? ルイ王朝は?

 ステゴサウルスやトリケラトプスはどこへ消えた?

 アメリカも中国もロシアも、北朝鮮もそのうち消えるよ」

 「そして俺もだろう?」


 するともうひとりの自分は消えた。


 私はテレビを消し、また小説を打つためにパソコンを起動させた。



 


対談3

 小鳥の囀りが聞こえ始めた。

 朝が近づいているという知らせだ。

 暗闇が嫌いなのに、私は真夜中に文章を書くという矛盾の中に存在していた。



 先ほど、ネットドラマを見ていたら、主人公の友たちが心筋梗塞で死んだという。

 松たか子は言った。



 「ひとりで死なせちゃった」と。



 私も言われてみたい。松たか子になら。


 あれは中学の頃だっただろうか?

 ジャニス・イアンは歌っていた。



       『Love is Blind』




 でも私は I'm Blind になるのが早いか? 心筋梗塞で一人で死ぬのが先か?

 いずれにしても後悔はない。

 ただ、周りに迷惑をかけて死ぬのが嫌なだけだ。


 電車に飛び込んで、バラバラにちぎれた肉片や、血液、汚物を知らない人に掃除させるわけにはいかないし、そんな光景を見知らぬ人に見せて、一生、焼肉が食べられなくなったら申し訳ない。

 でも安心して欲しい、地縛霊になって祟ったりはしないから。

 もちろん、お願い事をされても願いは叶えられないよ、私はランプの魔人じゃないんだから。



 もうひとりの自分が言った。


 「おまえはしあわせな人生だよ」

 「どうして?」

 「だって殆どの役を演じ切ったじゃないか?

 国内は元より、世界中を回り、様々な職業を経験し、社長にもなり、美酒美食に溺れ、沢山の女たちを抱いた。

 大きな豪邸にも住み、何台もの高級車にも乗った。

 1年で2億を使い果たし、美しい聡明な女房と、出来のいい、かわいい子供たちにワンちゃん。

 オーロラも見たし、夜の虹も天の川を見たじゃないか?

 1年では回り切れないほどの住宅や店舗を建て、それ以上何を望むと言うのだ?」

 「そしてすべてを失った」

 「いいじゃないか? いい思い出があれば生きて行けるものだ。お前は普通の人間が経験出来ないような、天国と地獄を、まるでジェットコースターにでも乗るかのように駆け抜けたんだから」

 「思い出は過去だ。終わったドラマだ。それをまた再生して観て何になる?」

 「そして今は売れない作家。どうして詩やエッセイ、童話やシナリオを書くのを止めたんだ?」

 「俺は小説家という肩書が好きなんだ。

 数えきれないほどの仕事を経験したのも、「それは作家になるためだった」と言い訳がつくだろう?

 俺は仕事なんて興味がない、カネになればそれでいい。所詮仕事はゲームだ。

 生甲斐ではない。

 何がしたいんじゃなくて、家族をしあわせにしたかった。ただそれだけだ。

 カネになれば何でもいいと思った。

 そして結果的に、俺は家族を犠牲にした」

 「そんなお前は売れっ子小説家にはなれない。

 才能ないんじゃねえの? お前? というか俺か? あはははは」

 「そんなのわかっているよ。

 文学賞にも何度も応募し、ネットの小説サイトにも幾度、出版申請したかわからない」

 「それなのにどうして書くんだ? 無駄だろう?

 誰も読まない小説を書いても?」

 「泳いでいないと死んでしまう、マグロと同じだよ。

 俺は書かないと死んでしまう。

 もう俺には小説を書くこと、いや、キーボードを打つことしか残されていないんだからな」

 「それはお気の毒なことだ」

 「ネットってすごいよなあ? こんな小さな端末ひとつあれば、世界中と繋がることが出来るなんて」

 「まるで情報のオーシャンを筏で漂っているようなもんだよな?」

 「そしてみんな、現実社会から仮想現実の中へと迷い込んで行く。ビルゲイツもスティーブ・ジョブズもザッカーバーグも、そしてあのイーロン・マスクも悪魔だ」

 「現実社会で出来ないことを、ネットの中で体験しようとしているからな?」

 「そこに死は存在しない。実体がないのだから、殺人をしようがレイプをしようが強盗をしようが許されてしまう。だってそれはすべて妄想の世界なのだから。

 「知りたいという欲求」と「伝えたい欲望」

 そして「自分をより良く、強く見せたい」という思いが、その仮想現実の中に潜んでいる」

 「何なんだ? あの YouTuber って?」

 「伝えることでカネが貰えるんだからな? どうかしてるよ」

 「何もしないでカネが貰える、政治家よりはマシだろう?」

 「昔のカネは貝殻だったり石だったり、米だったりだよな?

 それが持ち運びに便利なコインや紙幣が発明され、そしてカードから今や電子マネーだ。ただのデジタル数字の記憶がカネだ」

 「俺は目が悪いから、PayPay なんて操作画面が小さ過ぎて、もう辞めたよ」

 「本物のエリートは携帯を持っていないというじゃないか?」

 「携帯の代わりに#僕__しもべ__#がいるからな?」


 私はこの世が昭和に戻ればいいと思った。

 今の世の中は、私には高度すぎた。



 いつの間にかカーテンの隙間が明るくなっていた。

 折角、朝が来たというのに私はまた、ドラキュラ伯爵のように闇の世界へ堕ちて行った。



対談4

 串カツを買った。

 たっぷりとソースをかけ、ビールを飲んでいると、また「俺」が現れた。


 「旨そうだな?」

 「お前も飲むか?」

 「ひとりで飲んだって美味くはないだろう?」

 「まあな?」

 「あの広い自宅のパティオで、元家族とバーベキューとかしてたよなあ?」

 「もう忘れたよ、そんな昔のことは」

 「じゃあ、何で結婚なんかした?」

 「結婚とは修行だ。自分を磨くための修行。

 もちろん悪いことばかりじゃなかったが、いいことばかりでもない。

 ウエディングベルはゴングに変わるからな?」

 「ゴング? ボクシングじゃあるまいに」

 「好きで好きで、堪らなく好きで結婚した。

 俺にはこの女しかいないと思った。

 デートを終え、彼女を家まで送って行く度、「ああ、このまま同じ家に帰れたらなあ」と思い、結婚した。

 25才の時だった。

 世間知らずのガキだったってことだよ。

 他の夫婦は知らないが、俺たちの場合は結婚してから気付いたことが多い。

 俺と女房は考えが正反対だったということがだ。

 彼女は俺に我慢して合わせてくれていたんだ。

 彼女も俺も、物事に対する考えは常にMUSTだった。

 要するに「こうあるべき」、「こうするべき」という決めつけだ。

 俺が上といえば彼女は下。右と言えば彼女は左。

 俺は辛い物が好きだが彼女はダメ。

 俺は感動するとすぐ泣くが、彼女は泣かないし、ドラマも映画もあまり関心がなかった。

 そんな女房をかわいいと思える修行なんだよ、結婚とは。

 そして俺にはそんな度量がなかった。

 男としての器が小さかったんだよ」

 「結婚そのものが間違っていたんじゃないのか?」

 「今では彼女はそう思っているらしいが、俺はそうは思わない。

 それでも結婚して良かったと思っている。

 ただ、彼女をしあわせに出来なかったことは後悔している。

 あとはカネで償うしかない」

 「お前は女好きだもんなあ?」

 「よく女から言われるよ、「きくりんはスケベそうな顔しているもんね?」ってな?

 「スケベそう」じゃなくてスケベだけどな」

 「いろんな女と付き合ったよな?」

 「いい女を見ると、つい口説きたくなる」

 「病気だな?」

 「ああ、病気だ。すぐに惚れちゃう病」

 「病気じゃなくてバカなんじゃねえのか?」

 「おそらくな?」

 「お前の夢はなんだ?」

 「そのお姉ちゃんや女房と、みんなで仲良く暮らすことかな?」

 「牧場でもやるつもりか? 女牧場」

 「イスラムの国は一夫多妻が認められているだろう? 何で日本はダメなんだ?

 アフリカみたいに28人兄弟なんて、いてもいいとは思わないか? 楽しそうでいいじゃないか?

 大家族で。

 「きくりん王国」とか言ってさ。そうすればあの「不倫」なんて不潔な言葉も消えるのにな?」

 「お前、一度心療内科に行った方がいいぞ。今度一緒について行ってやるから」

 「この前の定期検診でクリニックの院長先生に、「どこかいい心療内科を知りませんか?」って訊いたんだよ」

 「紹介してもらったのか?」

 「ダメだった。「菊池さん、それには相性があるんだよねー。精神科医との相性が」と言われたよ。

 「最近は自殺願望も出てきたんですけど」というと、「菊池さん、心療内科はクスリを色々出すんですよ。そうなると、小説は書けなくなりますよ」と真顔で言われた。

 いつも励ましてくれるんだ、その院長は。

 「菊池さん、だいぶいいようですね? いい感じですよ」と悪くても「いい」と言ってくれる。

 当然、医者だから心理学は勉強しているだろうが、この先生はかなりの修羅場を経験しているのが伝わるんだ。

 とてもやさしい目をしている。

 俺の命と小説を、いつも応援してくれている医者なんだ」

 「俺のことは話したのか?」

 「話してはいない。あの人に無力感を与えるだけだからな?」

 「それがいい、それでいいよ」



 俺は冷えたビールを冷蔵庫から取り出し、もう一人の自分のグラスに注いだ。


 俺にもやっと家族が出来た。俺という家族が。 




対談5

 朝から夕方まで眠って過ごした。

 途中、起きて焼飯を作って食べた。


 別れた女房からいつも怒られた。


 「三食、きちんと食べないとダメよ」

 「うるせえ! タモリや鶴太郎、ライオンだって一日一食なんだ!

 食いたい時に食えばいいんだよ! 飯なんか!」


 私は家ではあまり酒を飲まなかった。

 女房は酒を飲まなかったし、ひとり酒はあまり好きではなかったからだ。

 ひとりで飲むと、余計なことを考え過ぎてしまうからだ。

 たまにビールを飲んだりすると、小さかった娘が酌をしてくれた。


 「パパ、どうぞどうぞ」


 銀座のクラブで飲むビールよりも旨かった。




 えのき茸と玉ねぎ、そして三つ葉があったのでそれを焼飯に入れることにした。

 三つ葉はカツ丼に入れるつもりだったが、卵を買い忘れてそのままにしていた。

 エノキは食感がいい。

 玉ねぎをみじん切りにして、ニンニクを多目に入れ、軽く塩コショウをする。

 前に食べた冷やし中華のスープが残っていたのでそれを最後にかけ、ごま油と醤油の焦げた味を風味付けに考えたのだ。

 そこへ三つ葉を散らした。

 


 食べ終わると激しい睡魔に襲われ、眼が覚めたのが夕方だったという訳だ。



 みんな、死にたくないという。

 ワクチン接種の醜い争い。

 やれ、誰が抜け駆けしただのズルをしただの。



 「あなたのような大事な方こそ、是非ワクチンを打って下さい」

 「いいのかね? ワシばっかり先に打っても?」

 「もちろんです。医療従事者なんですから、どうぞどうぞ」



 カネがあってやることがない、暇な老人ほど死にたくはないらしい。

 それはもしかすると「地獄への招待状」がすでに届いていることを感じているからなのかもしれない。

 無意識のうちに。


 誰一人の例外もなく、死は必ずやってくる。「絶対」という言葉はこれ以外には存在しない。

 若くても、年寄りでもだ。

 男でも女でもブスでもイケメンでも。

 アメリカ人でもインド人でも、あの習近平ですら必ず死ぬのだ。確実に死ぬ。絶対にだ。

 絶対という言葉は「死」のためにのみあるのだ。



      死とはなんだろう?



 それはただの終わりではないはずだ。

 肉体からの魂の離脱? 肉体は衰え滅びても、魂、つまり思考は生き続けるのだ。

 魂は死なないはずだ。

 なぜなら魂は、肉体の外にあって絶えず自分を俯瞰して見ているからだ。



     「この世には神などいない」



 という無神論者たち。

 神は社会主義や共産主義国の独裁者たちよりも、上の存在であってはならないのだ。


 私?

 私は神様はいらっしゃると信じている。

 そうでなければ今、かろうじてではあるが、こうして生かされているという事実を説明で出来ないからだ。

 人が死ぬのは難しいが、ある意味簡単でもある。

 さっきまで笑って話しをしていた人が突然いなくなることもある。

 人は事故や病気で死ぬのではない。人は寿命で死ぬのだ。



 自殺はラクだ。

 痛いかもしれないが、それはやがて忘れてしまう。

 中には自分が死んだことも忘れ、彷徨っている輩もいる。


 自殺をすると、本来の寿命までを光のない悪臭漂う冷たい暗闇の中で残りの人生を送らねばならないという。

 恐ろしい話だ。


 自殺するには理由があるだろう。

 いや、ない場合もある。

 いじめや失恋、破産、リストラ、病気など、自殺する理由は様々だ。


 私は毎日、死と向き合いながらこうして物書きを続けている。

 これは書くという自慰行為なのだろう。

 誰も読まない、本にもならない物を必死に書き綴っている。

 虚しい? おそらくそうだ。

 だからといって書かないと死にたくなる。

 結局書いても書かなくても、死は常に私の背中に張り付いている。

 だったら書いた方がいい。



       人は死んだらどうなるのだろうか?



 殆どの人間はその犯した罪によって地獄に落ちるらしい。

 親父が病院で危篤になって、回復した時、何気なく私は親父に訊ねた。



      「親父、三途の川はどうだった?」



 するとその瞬間、親父は突然苦しみ出し、そのまま絶命してしまった。


 川の向こう岸で死んだ親しかった人たちが手招きをして待っているという。

 私の時は一体誰が迎えに来てくれるのだろう?



 死を望んだり、拒んだり・・・。

 そのどちらもが自分だった。



 「今日は飲まねえのか?」

 「飲みたくないんだ」

 「お前が飲まねえなんて、病気じゃねえのか?」

 「病気はいつもだよ」

 「心が病んでいるとか?」

 「病んでいるからお前がそこにいるんだろう?」

 「そうじゃないな? 見えるから正常なのかもしれないぜ?」

 「なあ、死んだらどうなるんだ?」


 するともうひとりの自分は消えた。

 それは死が迫っているということなのかも知れない。

 私はキーボードを叩く手を止め、バーボンを棚から取り出し、グラスに注いだ。

 モーツァルトの『レクイエム』を聴きながら。



 居て欲しい時にいないもう一人の俺という相棒。

 

 役に立たない奴だと私は笑った。




対談6

 「世の中ってやっぱりカネだよな?」


 と、私は言った。


 「そうだな? カネがあれば何でも出来るからな?」

 「金持ちは魔法使いだ。空飛ぶ箒なんていらねえ。空を飛びたければ自家用ジェット機でも買えばいい」

 「よく「お金で愛は買えない」なんて言う寝ぼけた奴、いるだろう?」

 「いるいる。「愛はお金じゃない」っていう女」

 「そういう女に限って「カネの切れ目が縁の切れ目」になる。

 生活すればカネはかかるからな?

 それを責めることはできないよ」

 「若い時の恋愛は憧れだ。恋に恋して学ぶ時期なんだ」

 「それが出産やら育児やらを考えてくると、現実になる。親の介護もあるしな?

 しあわせになるためにはカネがいる」

 「俺は女房を働かせるのが嫌だった。

 自分の望んだ子供なら、一緒にいるのが楽しいだろうし、子供は母親から色んなことを学ぶからだ。 

 生活の為に女房を働かせたくはないと思っていた」

 「だが女房には子育てのストレスはあった。「今日は大人と話をしなかった」とよく言っていたもんな?」

 「つまり男はそれが女にとってしあわせだろうと勝手に考え、それを女房に押し付けていたという反省だ。

 食事に出掛ける時もそうだった。

   

    「何が食べたい?」


    「何でもいい」    


 そして女房の好きそうな物を選んで店を決める。

 すると女房はいう。


    「カンジの悪いお店だよね?」


 俺の気遣いは徒労に終わる」

 「でもそれはお前が悪い。お前は相手を考え過ぎなんだよ。

 相手が望んでないことをして、どや顔でいる。

 そこには「してやった」という恩着せがましい傲慢がある。それが彼女に伝わるんだ」

 「そうなんだよ、そこには「お前のためにこんなにしてやっているんだぞ、少しは感謝しろ」という奢りが潜んでいる。

 俺は最低の夫だった。

 今、熟年離婚して思うのは、あまりに先を急ぎ過ぎたということだ。

 自分を第三者として俯瞰できるようになって初めて、自分のことを冷静に理解できるようになった。

 ヘンな話だが、俺は離婚して良かったと思っている」

 「なぜだ?」

 「女房と離れて、いかに自分がロクデナシの旦那だったかが分かったからだ。

 あのまま一緒にいても、ケンカばかりしていただろうからな?

 そこでカネだよ。

 カネがあれば寂しさも埋めてあげられるし、老後の心配もさせなくて済む。

 歳を取れば取るほど、まわりの支えは必要だからな?

 カネはあるにこしたことはない。

 俺は女によく訊くんだ、「お前の夢は何だ?」って。

 即答出来る奴はまずいない」

 「夢ねえ? そんなのみんなあるのかなあ?」

 「俺はあったよ。純文学の作家になって、銀座で毎晩豪遊して。

 どうだ? いい夢だろう?」

 「結局作家になろうとなるまいと、銀座でモテたいだけじゃねえのか?」

 「今日、ある大手出版社の営業さんと話しをした」

 「それで?」

 「彼女「どれを書籍化したいかお決め下さい」って言うからさ、「決められませんからあなたが決めて下さい。全部好きです」って言ったら呆れてたよ。

 だってそうだろう? 自分の子供が2人いて、「どちらが好きですか?」って言ってんのと同じだろう?」

 「でもすごいじゃないか? あんな大手の名前で全国の書店にお前の本が並ぶんだろう? それこそ銀座でモテモテじゃねえか?」

 「クラウドファンディングはどうですか?って訊いたら、殆ど無理だってさ。

 だから自費出版しかねえらしい」

 「やっぱりカネだな?」

 「自費出版するカネで、銀座に行った方が早いかもな? そんなに永くもねえし」

 「そろそろサインの練習でも始めるとするか?」

 「そうだな」


 そしてもう一人の俺が消えた。

 


対談7

 「明日、地球が滅ぶとしたら何がしたい?」

 「開高健は「木を植える」と言ったそうだが、俺は女と酒を飲んでイチャついて、その後は地球が滅亡するまで静かにハバナを吸いたい。

 でも、死ぬまでに余裕があるというのはイヤだよな?

 実際には何をしていいのかわからなくなるはずだ。知っての通り、俺は臆病だから」

 「明日なんて言われると、意外と短く感じると思うけどな?」

 「大学のミスコン出身の女子アナが、「緊急速報です! ただいま中国から核ミサイルが発射されました!

 みなさん、衝撃に備えて下さい! キャーッ!」となるのかと思うと笑えるよ。どうやって衝撃に耐えろって言うんだよ。

 学生寮の寮監が言っていたが、広島で軍の研究所に勤務していた時、「1週間後、広島に高性能爆弾が落ちるそうだから至急退避せよ」と言われたと言っていた。

 上級国民たちは広島に原爆が投下されるのを知っていたそうだ。そして慌てて家族で避難したということだった。

 だが、今ではそんな事実を誰も報道しようともしない。

 本当に日本のマスコミは「マスゴミ」だよ」

 「ひとりで死ぬのと、みんなで死ぬのはどんな違いがあるんだろうな?」

 「ひとりで生き残るのはもっと嫌だけどな?」

 「そうか? みんな自分だけは助かりたいと思うんじゃねえのか?」

 「あんな高価な核シェルターが売れているそうじゃねえか?

 ヨボヨボになって、ボケてオムツして徘徊して、周りに迷惑を掛けてまで生きる意味ってあるのかなあ?」


 もう一人の自分が消えた。

 この男は都合が悪くなるといつも消える。

 羨ましい限りだ。


 昔の日本には「姥捨て山」という風習があったらしい。

 労働力のなくなったお荷物老人を山に捨てるという行為だ。

 そんなのがあったら年金問題も介護施設もいらないだろう。

 まだ意識がはっきりしている親を背負い、山に放置して来る気持ちとはどんなものだったのだろう?

 『メタルシティ』という私の作品にそんな話を書いた。


 先日も街の回転寿司で店長にクレームをつけている身なりの良い、70代半ばくらいの老人がいた。

 聞き耳を立てていると、「私はこれでも以前は大きな組織を動かしてきた人間だ。君の言っていることも分かる。

 だがね・・・」


 高齢化社会になるのは50年も前から分かっていた。

 子供が増えないのだから当然の事だ。

 それなのに今頃になって騒いでいる。

 役人や政治家はこう考えるかもしれない。「俺の生きている間は心配いらねえから知ったこっちゃねえ」と。


 「エイズ訴訟」で国の責任を認めたアホな大臣はヒーローになり、総理大臣にまでなった。能無しの総理に。

 そのおかげで二度と野党には政権を渡すことが出来ないと国民は学習し、自民党と創価学会党の与党独裁政権が続いている。

 そして彼は福島原発も爆発させた。

 それでも資産を没収されることもなく、今も政治家として莫大な報酬を得ている。


 私は若い時に経営の神様と呼ばれた「市倉定」に師事したことがある。


 

 「これからの日本は確実に爺さんと婆さんの国になる。

 コンピュータを導入すれば人件費が抑えられる?

 あの機械を誰がお守りするんだ? そのための社員と紙が増えるのにだ。

 あれは紙屑製造機じゃ。誰も見んようなデータを吐き出して何になる? たわけたことを」


 あれから30年、市倉先生の予言は的中し、なんでもかんでもPC、ネットの社会になった。

 私が学生の頃のコンピュータは大変に大掛かりな物だった。

 ところが今では研究棟一棟が手の中に納まるまでに進化した。

 そしてこれからも益々進化していくだろう。

 PCだけだったら、かわいいペットのような物だった。

 だがそれが通信と繋がることで、手のつけられないモンスターになってしまった。


 電車でもバスでも、レストランでも職場でも学校でも、みんな携帯をいじっている。

 携帯がないと生きて行けないという依存まで起きている。


 そもそも携帯って必要なのだろうか? 私は疑問に思う。

 なぜなら私の昭和の時代にはそんなものが無くても幸せだった。

 当時の日本の企業は世界を席巻していた。

 商社も通信手段はテレックスで十分商売になっていた。



 みんなの記憶から平成が消えている。

 昭和が懐かしいとされているのは、昭和には「希望」があったからだ。

 今の日本で明日は見えるか? 希望はあるのか?

 私は目が不自由なので、いずれにしても見えないがな?


 電話ボックスに並んで順番を待っていたあの頃。

 彼女との待ち合わせには駅の伝言板を使った。

 彼女と電話で話す時、どうかお父さんが電話に出ませんようにと祈ったものだ。


 マッチングアプリ? なんじゃそれは?

 恋愛もPC、ネット経由なのか?

 LINE? SNS? 人と会って会話しなくても済むようになった。

 ネットでの誹謗中傷は、自分の素性が分からないからできることだ。

 実名でそれをする勇気などはない。ゲーム感覚で人を攻撃している。

 これは果たして文明なのか? それともただの兵器なのか?


 80を超えた政治家たちに何が出来る?

 自由民主党? 笑わせるな、どこが自由で民が主体の政党だ。

 「よしもとお笑い党」にでも改名した方がいい。


 政治家が世襲なのもおかしいし、議員報酬も高すぎる。

 公務員並みの報酬で十分なはずだ。

 そもそもあんなにたくさんの議員が必要なのか?

 町内会の役員以下の仕事をしてどうしてカネが貰えるのだろう?

 派閥? 権力? カネ? そんなの俺たち国民には関係のないことだ。

 あの戦争でどれだけの人間が犠牲になった?

 何が靖国だ? 元は薩長のための神社だろう? 英霊?

 特攻隊の人たちは日本を救いたかった。

 ただしそれは親兄弟、女房子供のいる日本のためだったと私は思う。

 それを国は「お国のために死んで来い」と言って、20前後の若者に命令した。

 「死んで来い」なんて、命令の範疇を超えている。

 セクハラ、パワハラ、モラハラなんて可愛い物だ。

 デスハラだよ。死ねだよ?


 でもまだ軍人はいい。殺したり殺されたりが職務だから。

 だが私の先輩の商船乗りたちは武器も持たず、護衛もなしに石油や食料、原材料を運ばされた。

 国家総動員法というやつで。


 実は船乗りも自衛官と同じで、我々の入国ビザは一般人のそれとは異なる。

 その結果、私の恩師のクラスメイト、40名のうち、生き残ったのはわずか13名ほどだったと聞かされた。

 彼らこそ、靖国に祀るべきではないのか?


 日本は海に囲まれた島国だ。99.9%は船舶輸送だ。

 どうかしてるぜ、この国は。 


 生まれ変わったら総理大臣になるぞ! 絶対に!



最終対談

 作品のコンセプトは雪のよう降っては来るが、書くペースが落ちて来ていた。

 それがもどかしい。


 所詮、ジャンルの順位などは当てにならないのは理解した。

 1,500ポイントを超えたら出版申請が出来るというので、すぐに書籍化されるものだとばかり思っていたが、もう何十回も申請したが返事はいつもNOだった。


 最近では審査すること自体が面倒になったのか? 3カ月以内にコンテストが予定されている対象作品は受付ないと言われた。


 私のような化石の「純な文学」が対象になる作品などない。

 つまりアルファポリスでの書籍化は不可能だということになる。

 まあ、自己満足の小説もどきではあるから当然だと言えば至極当然のことである。


 お気に入りの数が読者の感動の数だとすれば、それが私の作品への無言の酷評になっているのも事実だ。

 やはりお気に入りが何万、何十万とついている作家はすごいと思う。


 私は死に損ないの爺さんなので、異世界物とか、若い女性目線の小説も無理だ。

 そっちの経験値も低いので、官能小説もお手上げだ。


 作品が進むにつれ、自分の命が減っていく気さえする。

 もちえろん私は『幸福の王子』ではないが、自分の目や耳や鼻が剥ぎ取られ、肉体が溶かされて文字に変わっていくような気さえするのだ。

 人気のない、誰も読まない小説など書いている場合ではないが、文章を書くことを辞めることが出来ない。


 芥川賞? 直木賞? 銀座で飲んだくれている枯渇した元作家たちや、元号を決めた恋愛経験の乏しい婆さんに評価されるほど、私は落ちぶれてはいないつもりだ。

 もちろん私がほざいたところで彼らの人気は不動のものだ。


 口惜しいが、私は売れない自己満足の作家、負け犬チワワの遠吠えにもならない。


 私には「蛇にピアス」とか「蹴りたい背中」とかは書けないし、ましてや「不機嫌な果実」なんて物も書けないし、書きたくもない。


 以前付き合っていた女に瀬戸内寂聴を批判したら罵倒された。



 「何にも知らないくせに! アンタに何が分かるの!」



 私はその程度の「なんちゃってネット作家」であるということだった。

 もちろん、その女とは別れた。



 文章力が足りない? 修羅場が足りない? 苦悩が足りない? 恋愛経験が足りない?



 「お前最近、夜と昼が逆転しているぞ。

 殆ど何処へも行かず、寝ては書き、書いては寝るだけの生活じゃないか?」

 「二等航海士の頃の航海当直と同じ、ゼロヨンだよ。

 昼は12時から夕方16時まで。そして夜は零時から朝の4時までの生活。それを船乗りは「0~4ゼロヨン」と言うんだ。

 あれは結構カラダに堪える」

 「お前は自分を痛めつけないと書けないと勘違いしている。お前はドM作家か?」

 「ユーミンや桑田佳祐、中島みゆきに安全地帯。

 椎名林檎に竹内まりや、いきものがかり・・・。

 みんな地位と名声、巨万の富を得て、もう芸術を生み出すことが出来なくなってしまった。

 俺はもちろん、その足元にも及ばないがな?

 カネはあっても彼らは絶えず苦悩しているはずだ。自分の創造する芸術について。

 だがその高見を目指すには、彼ら以上にもっと自分にやいばを向ける必要がある。

 あの熊沢蕃山も言っていたじゃないか?


   

        憂きことのなおこの上につもれかし


        限りある身の力ためさん


 

 すごいよな? もっともっと不幸よ、俺に降り掛かって来いだぜ?

 まだ俺はその境地にはないよ」

 「人間には向き不向きというものがある。

 お前は固執しすぎではないのか? 自分の考えに対して?」

 「じゃあお前は俺に死ねというのか?

 ゴッホもゴーガンも生きているうちは絵が売れなかった。

 俺が死んで後、売れるような小説が書けたらそれでいいと思っている。

 たとえ現世では無理でもだ」

 「死んだ後でも無理だろうな? 今のお前の書く物では」

 「それは否定できないが、夢は追い駆ける事に意味があるんじゃんないのか?

 それを信じて努力することに価値があると俺は思う」

 「まあせいぜいがんばれよ。じゃあまたな?」

 「ああ、それじゃあまた」


 それ以来、もうひとりの俺は二度と現れることはなかった。



                  『ドッペルゲンガー』 完



 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】ドッペルゲンガー(作品230718) 菊池昭仁 @landfall0810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ