Day.25カラカラすぎて、涙すら出やしない

 ここはコウの部屋だ。

 勝手知ったる、かれこれ10年は通っているコウの部屋で、オレは勉強机の椅子に座って、部屋の主である一ノ瀬孝二がスマホに向かって正座しているのを眺めていた。


「なあトッキー、電話していいかな」


「夜も遅いしINEにしとけ」


「誠意伝わんなくない?」


「約束を取り付けるのに誠意要らなくない?」


「でもさあ」


 ウジウジとこの世の終わりみたいな顔をしたコウはスマホに触れもせず、うだうだやっている。

 オレはそれを肴に梅シロップの炭酸わりを飲んでいる。

 誕生日が過ぎたら、母が漬けている梅酒を解禁するらしい。

 それまでは梅ジュースで我慢しとけ、とのことだ。


 コウの横のちゃぶ台にはコーラとポテチとポップコーンが散らかっている。

 そもそもは母が毎年漬けている梅シロップと梅酒の今年の分をコウの母親に届けに来たのだけど、ついでにとコウに呼ばれて部屋に上がり、コウの母親から毎年ありがとうねと梅ジュースが出された。

 家でも散々飲んでいるとは言えず、嫌いでもないのでありがたくいただいているわけだ。


 そしてコウである。


「あのな、俺だってもうだめなことくらいわかってんだよ」


 初との付き合いのことだ。多分。

 こいつコーラで酔っ払ってのかな。


「でもせめて最後はちゃんと別れたいんだ。顔を突き合わせて、短かったけど今までありがとうって言いたくて、言い、たくてえ」


 ということで、初とちゃんと話をするための約束を取り付けるべく、このようにスマホを前にして男泣きしていた。


「ほらよ」


 手元にあったタオルを泣き出したコウに渡す。

 コウの母親がコップの結露を拭くのに貸してくれたタオルだから多分台拭きだけど、まあいいだろ。

 ベソベソと涙やら鼻水やらを拭くコウはどうしようもなく情けない顔をしているのに、オレにはやたら可愛く見えるのだから恋は盲目というやつなんだろう。


「ありがと」


「いいよ、おまえんちのだし」


「そか。ってこれ台所のじゃん!」


「うん。おまえの母ちゃんがグラス拭くのにって貸してくれた」


 ハンドタオルとかハンカチとかさ、もっとマシなもん寄越せよとコウは目を赤くしたまま苦笑する。

 よかった。やっと笑ってくれた。

 つーか泣きながら初と電話してるとこなんて見たくないから帰ろうかなあ。


「結局どうすんの」


「LINE、する」


「そうかい」


 相変わらずベソベソしつつも、コウはスマホをぽちぽちし始めた。

 しばらく唸ったり手を止めたりしながらも、10分ほどかけてなんとかやり遂げたらしい。


「送った!」


「おつかれ」


「来てくれたのにごめんな」


「いいよ。おばさんに荷物届けに来たついでだし」


 母親に頼まれて梅酒と梅シロップを持ってきた話をするとコウのテンションが上がった。


「梅酒! 俺が二十歳になったら練習がてらちょっとずつ飲ますって母ちゃんが言ってたやつか! けど親父がうまい酒を味のわからない小僧に飲ますなんて勿体無いって騒いで母ちゃんに怒られてた……」


 親父は母ちゃんの尻に敷かれてみっともねえんだよな。

 そう呟くコウだけど、コウもたいがい初に振り回されていると思うので、たぶん親子で女の趣味が似ているのだろう。


「ふうん。あの梅酒、お前ん家でそんなに人気なの」


「親にはな。俺は飲んでないから知らん。あ、でも梅シロップは好きだな。レモン汁と塩入れるとうめえ」


「へー」


 母親が毎年作っていた梅酒と梅シロップはどうやら一ノ瀬家ではありがたがられていたらしい。

 知らんかったな。

 こいつが梅シロップを好きなことだって、彼女への連絡一つでこんなに悩むことだって。


「コウ」


「うん?」


 喉がカラカラでひりついて、声が出ない。

 コウはそんなものを乗り越えて初に告白しただろうに、オレはまだなんにも乗り越えられていない。


「あ、コーラなくなっちゃったから飲み物取ってくんね」


 笑顔でコウが立ち上がって、オレはそれを追うように立ち上がって手え伸ばして、


「帰る」


「そう? なんか用だったんじゃねえの?」


 不思議そうなコウに黙ったまま首を振った。

 一緒に玄関まで行くとコウの母親も出てきて見送ってくれる。


「梅酒と梅シロップありがとうね。朝子ちゃんにもお礼伝えてくれるかしら」


 朝子ちゃんはうちの母親だ。

 母が朝子で父親が夕介。間をとって正午……ではなく正時なのは姉が正子だから。

 安直だけどわかりやすくて嫌いじゃない。


「お邪魔しました。母に伝えます」


「また学校でなー」


「うん、また」


 コウは先ほどまではあんなにしょげていたのに、へらりと笑って手を振っていた。

 その切り替えの速さも好きなとこだな、なんて救いようのないことを考えつつ、手を振り返してコウに背を向けた。

 乾ききった喉が痛くて、舌もカラカラでなんもかんもが干からびたみたいだった。

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