第527話 双子王の問答③
その時、何が起こったのか理解していたのはシュウだけだろう。
何の前触れもなく銃が消失し、グリップ部分だけが残されている。引き金を引き続けていたケシスが最も驚き、思わず取り落としてしまった。
アラフは前に進み出て、ノスフェラトゥやオスカーを自身の背中に隠す。
「ケシス、あなたの行動は王としてあるまじきものです。その在り様は地上世界の暴君と何の違いがありますか。あなたが目の当たりにした蛮族の王と何の違いがあるというのですか」
「何を……したのですか」
「私がしたことはどうでも良いのです」
「そんなわけないでしょう!」
彼女の質問には全く答えず、落としてしまった銃のグリップ部分を指差しながら叫ぶ。多少は乱暴に扱っても問題ないオリハルコン素材の銃だったのだ。そう簡単に壊れるものではないし、仮に銃弾を受けてもほぼ無傷で済むほど頑丈だ。それが破片すら残さぬほど銃身部分が消滅させられたのである。
そしてアラフは右目が充血し、血涙を流していた。
ラ・ピテル王家が受け継ぐ予言の眼は右目である。つまりその目を酷使するほどの力を行使したということだ。ケシスは予言の眼に物質を消滅させるような力があるなど知らない。
「ノスフェラトゥ様はオスカー様の傷を癒して差し上げてください」
「わかりました。やってみます」
ケシスの叫びなど無視して、まずはオスカーのことを気遣う。
ノスフェラトゥも庇われたこともあって、できる限りの治療を始めた。今のノスフェラトゥが扱える治療方法は主に二つ。一つは
「セフィロトに接続、《
樹界魔法の奪い、分配するという能力の象徴とも言える術式がこれだ。発動者の魔力を、被治癒者の生命力として分配することで回復を促すのである。病に対しても効力のある汎用性に優れた術ではあるのだが、その性能は術者の適性と魔力量に比例する。
ノスフェラトゥは根本的にセフィロト術式と相性が悪いらしく、膨大な魔力量を以てしても《
そこで血を操る魔装を使い、オスカーの傷を止血しつつ《
治療が進められていることを確認したアラフは、改めてケシスの方を向いた。
「最も少ない犠牲で納得を得るために決闘を了承したはずです。あなたは王家の名を汚すつもりですか」
「違いますね。王家を、そしてラ・ピテルの城を汚したのは他ならないあなたですアラフ! 未来を見通す目を持っていながら城を地上に降ろし、結果として蛮族に支配されるまで至った。これはあなたは未来を見ていながら、最悪を見過ごした!」
「いいえ。私たちはラ・ピテルの城を捨て、地上へ降りなければなりません。そうしなければ
「私たちを蝕む黒い痣は消えました。このまま完治させればいいでしょう」
「
初代王セシリア・ラ・ピテルは千年以上も先の出来事について、幾つも重要な予言を残している。それは王家の人間は勿論、それに近しい人物であれば誰もが知る事実であった。
ラ・ピテル王家はそれぞれの家系で重要な予言を分けて管理し、その実現を何度も確認している。最も有名な重要予言は王呈血統書と呼ばれる初代王から最後の王に至るすべての名が記された予言書で、スウィフト家が管理していた。
ここでアラフの語る重要予言も、セシリアス家が受け継いできたものであった。
「私たちの祖先は終わりの戦争から逃れるために地上を去り、天へ上ったわけではありません。私たちは
明かされた予言の言葉は天空人の皆を驚かせた。
それどころか状況の行く末を眺めるだけだったシュウですらも思わず口を出してしまうほどだった。
「おい。それはまさか俺が地上に張り巡らせた死の世界に触れないためか?」
「どうでしょう。私は深い理由まで知るわけではありません。しかし今より五十九年前。私の曽祖父ガジェーム王の治世において私たちは深淵の魔に呪われました。その中で最も呪いの器として優れていたのがコーネリア・アストレイ様です」
「お前は
「セシリアス家の予言を知る歴代王は皆知っております。私たちの時代の役目とは、やがて来る最後の王のため、深淵の魔が私たちに与えた呪いを魂に刻み込み、冥王アークライトへと捧げることなのです」
シュウ以外は誰も、アラフの語る予言が意味することを理解できていない。しかし逆にシュウからすれば実に驚かされる話だ。これが千六百年前、初代ラ・ピテル王セシリアによって予言されたことなのだということが何よりも驚きで、怖さすら覚える。
先程《
(なるほど。獄王の魔法みたいに、
ひとまずはラヴァの魂を奪っていった
(だとすると……長年の問題、ダンジョンコア関連か)
そうだと仮定すると、何となく使い道も分かってくる。
具体的な所や、実際の制御方法についてはこれから模索する必要もあるだろうが、大きなヒントになることは間違いなかった。
しかしながらその説明で理解を得られるのは冥王アークライトのみ。
寧ろ世界を滅ぼした『王』の一柱と考えられている冥王の名を出したことで、ケシスは激しい拒絶を露わにする。
「やはりあなたは相応しくない。あなたのような人が王である限り、私たちは振り回される。あなたが何も説明しないのは、私たちが納得できないことを独断専行しようとしているからに他なりません。ましてやそこにいる『王』の魔物に……冥王アークライトに魂を捧げる? 私たちはただの供物だとでも? そんな予言に従うはずがないでしょう」
「では子孫に至るまで
「病であろうと呪いであろうと、いずれは治せるものです」
「人間にも治せますが、それは表面的なところだけです。癌のように再び身体は侵され、黒い痣が出るようになります」
「あなたが見えている未来は長くても数年程度のはずです。何を根拠にそのようなことを。いい加減、私たちを惑わすのは止めてください」
「だからあなたが王になると?」
「そうです。ケシス・イミテリア・ラ・ピテルこそラ・ピテルの王に相応しい。私は養子に出されましたがセシリアスの血筋でもあります。正当性は充分です」
「あなたの名が王呈血統書になければ正統性はありませんよ」
「それを管理するスウィフト家はどこかへ逃げ落ちました。そのようなカビの生えた予言に何の意味があるでしょうか」
二人の王の問答は天空人にとって未来を定めるものだ。どちらに道理があり、どちらが王として相応しいのか、その根拠を得るために聞き入っていた。
ケシスは周囲からの視線を感じ、更に力を入れて語る。
「予言は便利で有用なものです。しかし私たちは予言のために生きているのではありません。予言が私たちのためにあるべきなのです。ですがアラフ……あなたは予言を成就させるために私たちを利用しています。私にはそれが理解できません。理解したくもありません」
「ええ。理解できるのは歴代のラ・ピテル王だけでしょう。この右目を引き継いだ真の王だけが初代様の思いを理解できるのです。あなたの理解は必要ありません」
「あなたこそ暴君だ。そのような暴君に従うはずもないでしょう!」
「ではあなたも地上に降りて、あなたに従う人々の王になりなさい。少なくともあなたの後ろにいる人々は、ケシスこそを王と認めているのでしょう?」
「地上へ降りることはないと言っているのです。予言の眼と黄金要塞が……ラ・ピテルの城があれば地上を正しく統治することができます」
「あなたは代理人による決闘で負けました。それでも、王家の誇りを踏みにじっても私の言葉に叛意を唱えるのですか?」
「まだ終わっていませんよ」
ケシスは腰の後ろへと手を回し、そこから刃渡りの長いナイフを抜き取った。念のため、護身用として持ち込んでいたものである。ケシスもまさか使うことになるとは思っていなかった。
更には《予見》の
「私の代理人は責任を放棄しました。ならばあの決闘は無効です。私自身があなたと決着を付けます」
「予言します。止めておきなさい。私はケシスを殺したくはありません」
「世迷いごとを。私はヴェリト人の地に降り、そこで
「私の視線があなたの銃を消滅させたことを忘れましたか?」
「その力は目に負荷がかかるのでしょう? 予言を司る右目から今も血が流れていますよ。もう使えないことは分かっています」
「いいえ。あなた程度では未来を見通すことなどできませんよ」
予言者同士の戦いは読み合いだ。
どうすれば勝てるのか、それがすべて見えてしまう。しかしアラフはケシスが死ぬと語るし、ケシスはアラフに負ける未来などないと答える。そしてお互いに認めようとはしない。
「諦めるという選択はしないのですね」
「当然です」
絶対に意思を変えないと悟ったのだろう。アラフは眉を潜め、視線を落とし、しばらく口を閉ざした。それから何度か深い溜息を吐き出し、遂に顔を上げた。
また同時に右手を前に突き出し、掌をケシスへと向ける。すると彼女の腕に黒い模様が這い始めた。一瞬、皆が
「これは私自身の罪。五十八代目のラ・ピテル王として覚悟は決めました。引き返すことはありません」
「あなたは生きていてはいけない! ここで殺し、その目を奪い、私が真の王になります! そうしなければ私たちは子々孫々に至るまで予言の奴隷だ!」
《予見》の
問題があるとすれば、ケシスの未来視にはアラフの右手を這う黒い紋様がないことだろう。現実の視界には存在していて、だが未来視では見えない。しかしだから何だというのだ。
彼の未来視は捉える。
アラフが口を開き、一言何かを呟いた。
(命乞いか、何かでしょう)
そうケシスが考えた直後、現実のアラフは言葉を紡ぐ。
「《
まさかここで心臓が止まるなど、思いもしなかった。
◆◆◆
全身から力を奪われ、ケシスは倒れて転がる。今まさにアラフを殺そうという形相のまま、死んだことにも気づかず息の根を止めていた。
何があったのか、何が起こっているのか、そんなことを皆が口に出す中、アラフはケシスの遺体の側でしゃがみ、瞼を閉じてやる。それでようやく彼女の護衛が尋ねた。
「アラフ、陛下? 今、何が」
「《
アラフの護衛たちはその言葉を聞き、思い出すことがあった。
かつて黄金要塞から脱出した時、ノスフェラトゥと出会った頃のことだ。そこでアラフは冥王アークライトを招き寄せた。そして加護を授かったのだ。
セフィラの樹界魔法から派生して精霊秘術が生まれたように、シュウも死魔法の法則を汎用化して人に扱えるスケールへと組み直した。それが《冥界の加護》に付随する冥域魔術である。
「結局、こうなってしまいましたね」
「陛下……」
「こうしている暇はありません。これより城は浮上します。生き残っている人々を全て集め、脱出艇に乗せてください。地上へ降り、私たちは新天地で生きるのです。心配しないでください。必ず私が導きます。イミテリア家の皆さまも今は私に従ってください」
ラ・ピテル王としてアラフは命じる。
すると彼女の配下たちは当然として、イミテリア家に仕える者たちも動き始めた。この場で従うべき王とは、予言の全てを継承したアラフしかいない。ケシスが叛逆に失敗した以上、従わなければならない。この期に及んで最後の一兵まで戦うという選択肢はなかった。
「イミテリア家の方々はケシスを王家の墓に入れてあげてください。彼はラ・ピテルの城で眠ることを望むでしょうから」
「……アラフ陛下の仰せの通りに致します。ご慈悲に感謝を」
「慈悲などではありません。ずっと、こうなることが見えていました。どうにかしようと足掻いてきました。ですが運命は変えられません。地上へ降りるという私の使命を果たすためには、どうしてもケシスとの決着は避けられなかったのです。私は王の使命と血の繋がった弟を天秤にかけ、前者を取った愚かな人間なのです」
「ですが王としては相応しいお方です」
おそらくはイミテリア家の代表者であろう彼は、酷く弱って見えた。
それは支柱たる主を失い、イミテリア家が滅びたことから来るものではない。
「私は……私たちは不甲斐ないと思っています。知らず知らずの内に、予言がなくては何もできないようになってしまいました。全てを知り、正しく導いてくれる王に依存しきっていました。御当主のガルヴァン様までも
「どうでしょうか。私の眼も万能ではありません。ですがケシスに最も近かったあなたがそう語るのであれば、そうだったのでしょうね」
「情けない限りです。ですが私たちは王に従う以外の生き方を知らない。予言に身を委ねる生き方しか知らないのです。どうか私たちを導いてください」
アラフは言葉なく、首を縦に振る。
彼らは残された時間を無駄にしないため、急ぎケシスの遺体を運び始めた。
「皆さん。早く行動を。まだ城の中には蛮族の残党もいますから、私との通信を途絶えさせないようにして、私の言うことは必ず聞いてください。またケシスが連れてきた他国の援軍も少数残っているようです。彼らとも必ず合流してください」
ここぞとばかりに右目の力を使い、相応しい指摘の指示を与えていく。アラフを守るための僅かな人数を除き、皆が行動を開始した。
そうして一通りの仕事が終わった後、アラフはノスフェラトゥの方へと目を向ける。
ケシスによって背後から撃たれたオスカーをずっと治癒し続けていたのだ。
「ノスフェラトゥ様」
そう呼びかけても返事はない。
しかしアラフは構わず続ける。
「もはやその方は助かりません。身体の重要臓器に弾丸が残っています。それを摘出する方法はこの場にありません。治癒の術は延命に過ぎず、その方の死は確定しています。私が彼の死を見逃しました。必要のために、見逃しました」
それは予言の眼を使った確定的未来の話であった。
しかしそれを聞いてもノスフェラトゥは治療することを止めない。またアラフもノスフェラトゥに治癒を止めろと言いたいわけではなかった。
「ですが今ここで、私があなたに約束した報酬を支払います。ただ彼の手を握ってください」
「分かりました」
その通りにノスフェラトゥは治癒を続けながらオスカーの手を握った。すると僅かに反応し、ノスフェラトゥの小さな手を握り返してくる。
「……ラ……ぁ」
「はい」
「ぁ……る」
瀕死のオスカーは弱々しく、何かを話そうとしている。
それがどんな言葉なのか、聞き取ることは難しい。だがノスフェラトゥは息すら止めて、セフィロト術式による治癒へと全力を注ぎ、更に集中して耳を傾けた。
見守る者たちも呼吸を忘れ、決して物音を立てないようにする。
その静寂さはまるで一つの絵画のようであった。
「あ、い……」
「はい」
「愛す、る……いも、うと……カーミラ」
「はい」
おそらくは意識が朦朧としている。
目も見えていない。
だが手から伝わる感触、温もりがオスカーにそう言わせた。
「はい。私はカーミラ=ノスフェラトゥです」
だからそう言って返すと、オスカーは最期に微笑んでいた。
満足気に、魂は冥界へ下っていった。
愛しき者の幸福を願うことは、きっと正しいことだ。
命の限り、探し求めた。
諦めつつも再び見えることを信じていた。昼も夜も、決して忘れたことはなかった。
だが彼女は私を忘れていた。
まるで心が引き裂かれる思いだ。それはあらゆる失望を足しても及ばない、深い悲しみだ。
私は知らない。
深い傷を負った心は何も感じない。舌を唸らせる美食も、夢心地のような琴の音も、司祭のための香油の香りも、蠱惑的な織物も、日輪のような紅玉も、全て虚しい。
私は知っている。
彼女はきっと、忘れている方が幸福なのだ。
自由に羽を広げ青き空を舞う鳥を、どうして籠に捕らえるのだろうか。鳥の幸福は鳥自身が知っている。囚われた鳥は飛ぶことを奪われ、尾羽を毟られ、やがて打ち捨てられる。
彼女にとって私は籠だ。
私は楔だ。
私は轡だ。
私は頸木だ。
私は酷い人間だ。
間違いであると分かっていながら、私は彼女を鎖で繋いでしまった。
願わくば、我が魂が滅び、彼女に自由があるように。
――そうか。ならば生き返らせはしない。
―――他の誰が望もうとも。
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