第526話 双子王の問答②


『浮上シーケンス中に内部構造への過負荷を検知しました。修復後に浮上を再開します』



 黄金要塞での戦いは浮上シーケンスに大きな遅延を生んでいた。それもそのはずである。覚醒魔装士クラスの戦いが発生していたわけだ。しかも戦闘が起こっていたのは黄金要塞の中枢部からも近い。要塞の人工知能が危険だと判断するには充分である。

 それに時間は中にいる者たちにとって必要なものだった。



「そういうわけです。ノスフェラトゥ様には決闘の代理をして頂きたいと思っています」

「私、アラフ様の部下ではないのですが……」

「ですが私の勢力としてここにいるはずです。お願いできませんか。それにケシスの出す代理人は――」



 渋るノスフェラトゥを説得するため、アラフはケシスの方へと目を遣る。彼に側にいるのは聖石寮の九聖、オスカー・アルテミアであった。アラフはその能力故に、オスカーが何者で、どれほどの強さを持っているのかよく知っている。

 人間の中では間違いなく最強クラス。

 少なくともラヴァが死んだ今、最強のはオスカーであった。



「先に言っておきます。ノスフェラトゥ様はあの方と戦うべきです」

「それは記憶の話ですか? 既に私は……」

「自分の心に整理を付けたのですよね。知っております。それでも尚、この戦いには意味があるのです。あなたが、本当のあなたとなるために」



 アラフの言葉はそこで終わった。

 後の選択はノスフェラトゥに託すと言わんばかりに、強い目で彼女を見つめる。

 どうするべきなのだろうかと、ノスフェラトゥは改めて考えた。そもそも論として彼女はアラフの頼みを断るつもりもない。



(あちらは私に興味があるようですね)



 ケシスの代理人であるオスカー・アルテミアは、明らかにノスフェラトゥを意識しているように思えた。これから始まる決闘相手としてではなく、それ以上の何かで興味を抱いている。



(私の能力、種族、あるいは敵として?)



 あれやこれやと考えてみても答えは分からない。

 想像を巡らせるより、聞いた方が早いのは確実なのだ。だからノスフェラトゥはこの決闘の代理人となることを許容した。命令されたからでも頼まれたからでもなく、自分のために戦う。

 誰かに言われたわけでもなく、まるで示し合わせたかのようにノスフェラトゥとオスカーは一歩進んだ。そして二人は顔を合わせたまま、互いの手が届く範囲にまで来て止まる。



「あなたの名前を……改めてあなたの名前を教えてください」

「ノスフェラトゥ。それが私と私の種を示す名です」

「本当に……失礼ですが本当にそれだけですか?」

「はい」

「そうですか。私はオスカー・アルテミアです」



 再び二人は沈黙する。

 オスカーは何かを求めているようであったが、残念ながらノスフェラトゥには返すべき言葉が見つからなかった。また彼はやけに強調して自身を名乗っているようにも思えたが、心当たりはない。

 だがそんな代理人たちをよそに、決闘の手続きは進む。

 決闘の見届け人となるのはシュウ・アークライト。アラフによって勝手に指定され、シュウ本人もまぁいいかと思ってここにいる。



「では世界の未来を決める決闘を始めようか」



 シュウはやや大げさな表現で開始を宣言する。

 しかしながら実際にこの決闘が未来を分岐させるということに間違いはない。黄金要塞は天に昇り、天空人の文明が続くのか。あるいは地上の人々に混じって文明を捨て去るのか。それによってこれから先の世は大きく変化する。

 だがそんな理由モノとは関係なく、ノスフェラトゥとオスカーは互いに武器を構えた。両の目を黒い布で覆う少女と、迷宮神器アルミラ・ルシス劔撃ミネルヴァを携えた男。どう見ても対等な勝負になるとは思えない組み合わせだ。



(能力の汎用性や種族の性能はノスフェラトゥが上。だがオスカー・アルテミアも魔術という攻撃の多様さを持っているし、神器ルシスもある。さて、どちらが勝つか)



 開始の合図に選んだのは、その辺りに落ちていたオリハルコンの欠片。

 それが放物線を描いて宙を舞う。黄金の光を反射する破片は皆の視線を吸い寄せ、時をゆっくりとさせる。だが決闘者の二人はそちらに目を奪われることなく、ただ眼前の敵にだけ集中していた。

 オリハルコンの欠片が床を打ち、跳ねると同時に小さな音を鳴らす。

 その瞬間、二人は至近へと迫っていた。






 ◆◆◆





 決闘の初撃はオスカーの斬撃であった。

 劔撃ミネルヴァの刃がノスフェラトゥの片腕を斬り飛ばそうと狙う。しかし瘴血の霧に転じることで斬撃は無効化し、辺りを赤く染めた。オスカーは即座に風属性の魔術を発動し、霧を吹き飛ばす。

 すると霧は一瞬だけ散ったように見えて、すぐに集結した。

 ノスフェラトゥは実体化して血の槍を生成し、射出する。オスカーは劔撃ミネルヴァを回転させつつ刃を振るい、それらを弾いて防いだ。



「……その力、やはり魔族と似ています。人を外れた異能は全て魔族のもの。ですがあなたはどうしてか人間らしい。それに――」

「私が何者か、あなたには心当たりがあるのですね?」

「……いいえ、私の勘違いです。確かに似ているように思えますが、私の知る者は病弱で戦いなど叶わない体でした。あなたではない」

「では会話は不要のはずです」



 再び大量の血が結晶化していく。

 それらは槍となって鋭い切先がオスカーへと向いた。ノスフェラトゥの拒絶にも似た言葉に身を固めてしまったオスカーは、慌てて防御態勢へと移行してしまう。だがそれは誤りであったとオスカーは後悔する。

 血の槍は全く射出されず、ノスフェラトゥ自身が前に出てきた。そしてオスカーの目の前で蝙蝠分裂し、目くらましと同時に背後へと回り込んで実体化した。これだけでは終わらず、オスカーがノスフェラトゥを追って後ろを向いた瞬間に配置していた血の槍を射出する。



(避けきれない!)



 そんな考えが過りながらも、力いっぱい跳んだ。その瞬間、彼の足元が淡く光っていた。普通の人間では到達できないほど高く跳んだオスカーは、強大な魔力を発し始める。そして彼の手足に装甲が現れ、額に模様が浮かび上がった。

 劔撃ミネルヴァとの同化によって能力の最大化を図ったのである。

 移動の難しい空中へと逃れてしまったオスカーは、劔撃ミネルヴァを弓形態に変えてノスフェラトゥを狙った。しかし魔力矢を形成するより早くノスフェラトゥが動き、霧化による毒殺を図る。



「《風防壁ウィンド・ヴェール》! 《爆発ボム》!」



 ノスフェラトゥの霧は危険だ。

 それを知るオスカーは魔術を使ってそれを排除する。霧は熱に弱いため、オスカーは積極的に炎魔術を使うことで霧化させないように立ち回り始めた。

 実体化したノスフェラトゥは手元に血の槍を創り出して接近戦を試みる。槍など使ったことがないため、その手腕は素人の域を出ない。だが人外の膂力がそれを補い、オスカーとまともに打ち合うことを可能とする。

 激しい打ち合いが火花を散らし、十数合の後にノスフェラトゥは槍を砕かれる。そのままオスカーは斬撃を叩き込もうとして、僅かに動きが鈍った。その隙にノスフェラトゥは引き下がる。



「何のつもりでしょうか」

「……あなたは幼い子供の姿ですからね。私にも普通の戦いとは別の覚悟がいるのですよ」

「本当に、それだけが理由ですか?」

「何が言いたいのです」



 ノスフェラトゥは五年前に成長が止まり、見た目は十歳程度。失った記憶のことも考えれば幼子だと言える。しかしながら決して愚かではない。寧ろ年齢の割には落ち着いていて思慮深い。

 彼女がオスカーに感じた違和感は二つ。

 一つ目はどうにもノスフェラトゥを見知っているような態度であることだ。そんなことはないと彼は言うが、真実とは思っていない。

 二つ目はヴェリト人の兵士たちを吸血したにもかかわらず対話を試みようとしている点だ。彼らはオスカーを殺そうとしていたし、その反撃によってヴェリト兵たちは死にかけていた。血への渇きによって彼らから吸血した結果、死んでしまったのだ。人とは相容れない怪物と対話するなど、常識的ではない。



「オスカー様。私は聞きたいことがあります」



 血の槍も霧も全て引っ込め、ノスフェラトゥは問いかける。

 しかしそれは言葉によってではない。両手を自分の目元へ、めくらを覆う黒い布へと添える。そしてゆっくりとそれを下へ降ろした。







 ◆◆◆







 オスカー・アルテミアは将来を約束された生まれであった。

 シュリット神聖王国においてアルテミア家とは国王選挙へ名乗りを上げることができる公家の一つ。権力や財力を高め、各公家は十年ごとの選挙へと備える。オスカーが聖石寮に入ったのも、アルテミア家として聖石寮内部での権威を強めるためである。

 当然だがオスカー以外にもアルテミア家の血筋は様々な方法で権威を高めてきた。男は聖石寮の術師や王政府の役人になり、女は味方家系との関係づくりのため嫁に出された。



「こんなところにいたのですか」



 まだ聖石寮に入りたてで一般術師でしかなかった頃、オスカーは実家で過ごす時間も長かった。アルテミア家といえど、聖石寮の中では実力こそが優先される。命懸けで魔族や魔物と戦う者たちなのだから、オスカーもそれは理解して下っ端に甘んじていた。

 それでも魔力という才能に優れていたオスカーは、優先的に高性能な聖石を与えられ、昇進も約束されているようなものであった。だからアルテミア家においても期待されていた。

 だがその逆もいる。



「お兄様」

「どうしました? お母様の庭に新しい花を植えたのですか?」

「はい。私には花を見ることができません。ですが香りは分かりますから。この花はお母様と同じ香りだとお兄様が仰っていたので」

「ええ。その通りですよ。お母様が好きな花でした。この季節になるといつも庭に植えておられましたね」



 同じ胎から生まれた、歳の離れた妹。

 オスカーにとっては唯一、完全に血の繋がった妹である。その証拠に、兄妹は全く同じ母譲りの髪色をしていた。その美しいブロンドが父の心を射止めたという話らしく、オスカーは父からもよく愛されている。しかし同じ髪色の妹は酷く毛嫌いされ、役立たずだと屋敷に閉じ込められていた。

 その理由は大きく二つ。

 まず彼女は生まれつき目が見えない。彼女がまだ胎内にいた頃、母親は体調を崩した。それが原因となって出産時に母親は命を落とし、産まれた彼女自身も目が見えなかった。

 そしてもう一つは――。



「父上から聞きました。洗礼の折、酷く傷ついたと」

「申し訳ございませんお兄様。私のために父やお兄様方、そしてアルテミアの家名に泥を塗ってしまいました。ただでさえ私は目が……」

「そのようなことを気にしてはいけません。洗礼には失敗しましたが、私はあなたが無事で何よりも安心しました」

「ですが」

「さぁ、その目をよく見せてください」



 オスカーは膝を折り、目線を合わせつつ彼女の頬へと両手を添える。

 花に囲まれる妹はまさしく母親の生き写し。懐かしい気持ちを思い出させてくれる。



「いいですか。お母様はあなたを生む前、私にこう言いました。『私はこの子を産めば死にます。だから私の代わりにオスカーが新しい弟、あるいは妹を愛するのです』と」

「ですがお父様は私を呪い子であると言います」

「気にすることはありません。あなたは愛されるために生まれてきたのですよ。私が愛します。何ら恥じることはないのです。ほら、瞼を開いて。母と同じ、母より頂いた目をよく見せてください」



 二人の視線が交錯する。

 幼き日にあったオスカーの妹は、柔らかな微笑みを浮かべていた。







 ◆◆◆






 ノスフェラトゥの眼帯の下にあったのは、宝石のようなヘーゼルの瞳だった。



「問いかけます。オスカー・アルテミア様。果たして私は何者でしょうか」



 オスカーは何も答えない。

 ただ劔撃ミネルヴァの切先を向けたまま、じっと目を合わせている。ノスフェラトゥは何も見えていないはずだが、確かに目が合った気がした。

 それから少しの間を置いて、ようやく彼は重い唇を動かす。



「とても美しい目をしているのですね」

「そうですか。初めて言われました」

「……それは周りの見る目がなかったのでしょう。とても綺麗ですし、私は好きですよ。亡き母を思い出す、柔らかく懐かしい目です」



 再び始まる沈黙。

 やがてオスカーの方も構えを解き、劔撃ミネルヴァを床に置いた。



「この戦い、私の負けでしょう」

「何を! 何を、言って、いるのですか! オスカー殿!」

「私ではノスフェラトゥ殿に勝てないでしょう。理不尽なまでの再生能力と魔力です。今は有利ですが、戦いが長くなるほど私が負ける確率が高くなります。そして現時点でも彼女を降参させるだけの力は私にありません。決闘での殺害をよしとするつもりはありませんので」



 それだけ語ると、オスカーは前に進み出た。真っすぐノスフェラトゥの元まで行き、そこで膝を折って目線を合わせる。するとノスフェラトゥの方も同じように目を合わせてきた。



「まるで本当は見えているように振舞うのですね」

「私には他の方々が見えているようなものは見えていません。ですが、他にも世界を感じる方法はあります。耳を澄ませば形が聴こえますし、心を穏やかにすれば世界は色づきます」

「とても良いことを仰るのですね。私はあなたの見えている世界を羨ましく思いますよ」



 そっと、オスカーは手を伸ばす。

 だがその手がノスフェラトゥの頬に触れる直前で止めた。そして小さく首を横に振り、手を引き戻す。



「あなたからは魔性の気を感じません。確かに魔族にも似た強い力を持っていますし、闇の帝国で使われる黒魔術すら操ります。ですがあなた自身の心は確かに人のものだと思います」

「ありがとうございます。ですが私は人ではなく吸血種ノスフェラトゥです。人の血を飲まなければ生きていけません」

「いいえ。あなたの在り方が人なのです。他者の心に寄り添おうとする、思いやりは人間だからこそ持っているのですから。もしもあなたが本当に魔の者であるならば、私が武器を降ろした瞬間に私を殺していたはずです。しかしあなたは私の言葉に耳を傾け、私の心を読み取ろうとしました」



 決闘、などと銘打っていたがこれで決着だろう。

 しかしながらこのような結果では納得できない者がいる。負けを自ら認めたオスカーはあくまでも代理人である。本来の決闘人たるケシスはとても認められるわけがなかった。

 プシュッと空気の抜けたような音が鳴る。

 同時にオスカーは強い背中の痛みを感じた。



「何をしているのですか! 勝手に負けを認めるなどありえません! その娘は化け物と同じ力を持っているのですよ! あなた方はそれを殺すのが仕事でしょう! それが『聖石寮』なのでしょう!?」



 興奮のあまり天空人の言葉で叫び、オスカーを糾弾していた。

 ケシスは銃の引き金を何度も引いて裏切者を処断しようとしていたのだ。いや、オスカーだけでなくノスフェラトゥも巻き込むようにして銃を撃ち続けた。

 連続で感じる痛みにオスカーは気を失いそうになりつつ、力を振り絞ってノスフェラトゥを抱き寄せ自分の体の内側へと隠す。自らの身体を盾として彼女を銃撃から守ったのだ。それだけが咄嗟にできた行動であった。

 しかしそれを見てもケシスは止まらない。



「あなたは敵だ! 裏切り者だ! あなたがそのような行動を取るのであれば、私自身の手でアラフを殺して――」

「やめなさいケシス」



 その瞬間、ケシスの持つ銃が消し飛んだ。





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