第525話 双子王の問答①


 冥界の、しかも最下層ニブルヘルを顕現させたシュウは『死』そのものとして暴れまわった。とにかく冥界で溜め込んでいた魔力を解放し続け、空間ごと突き破って紡ぐ叛威Atrc NhXaを滅ぼさんとする。まるで嵐のように死の魔力が吹き荒れ、依り代の骨蜘蛛は朽ちる寸前であった。



(辿れないか)



 シュウは何の目的もなく暴威を振るっているわけではない。

 紡ぐ叛威Atrc NhXaは虚無の世界から糸を垂らし、操り人形として骨蜘蛛を操っている。つまり何かの手段で世界を通り抜ける手段を得ているということだ。その手段や経路を見つけるため、できる限り過激に攻撃していた。



(かなり慎重だな。繋がりに揺らぎもない。この程度では動じないと。流石に年月を重ねた『王』というわけか)



 紡ぐ叛威Atrc NhXaの語る言葉の中で、幾つか気になる部分があった。

 虚無の世界を創造した神にして、魔神ルシフェルの対となる存在、全なる虚無AxZatHthへの激しい嫌悪だ。白痴などと罵倒し、アレを滅ぼしたいのだと語り続けている。

 また少し前にアイリスが虚数時空を開いたとき、シュウも全なる虚無AxZatHthの気配を感じた。『王』の魔物として覚醒してから久しく感じる圧倒的脅威だった。本音から戦いたくはないと思ってしまう。

 だからシュウは驚きすら感じているのだ。

 あの全なる虚無AxZatHthに歯向かったのか、と。



『我の言葉を聞き入れよ。そうすれば貴様は更なる力を獲得し、世界の王になることも叶う』

「今治めている冥界で充分だが」

『貴様はそれで終わる器ではない。万世すらも統べるだろう』



 誘惑の言葉は甘く、それもアリかと思わせてくる。

 だがその度にシュウは魂の防壁を強化し、その甘言を排除した。これがあるから決して紡ぐ叛威Atrc NhXaを信じることができないのだ。一見するとただ説得しているようだが、結合呪詛を使って巧みにシュウの魂を縛ろうとしてくる。それでいて紡ぐ叛威Atrc NhXa本体は尻尾を出さない。

 冥王シュウ・アークライトという傀儡を手に入れようとしていることがひしひしと伝わってくるのだ。信用できるはずもない。



(そろそろいけるか)



 より一層の死魔力を集め、骨蜘蛛に叩き込む。

 既に朽ちかけており、紡ぐ叛威Atrc NhXaがどうにか結合呪詛で繋いでいた状態だ。この最大攻撃により、ようやく骨蜘蛛は朽ち果てたのだった。

 だがここで終わるわけではない。

 寧ろここからが本番だ。

 シュウは魂を見通す死魔法の力を使い、紡ぐ叛威Atrc NhXaを凝視する。骨蜘蛛を縛り付け、傀儡としていた結合呪詛の糸が解けていく様子がはっきりと見えた。



「そこだな」



 シュウはこのタイミングで《忘迦レテ》を発動した。

 この術式は死魔法が内包する幽忘術式ヘルヘイムの汎用術式である。魂を浄化し、記憶や精神を剥ぎ取るための冥界だが、そのまま扱うには巨大すぎる。故にそれを術式という形に落とし込み、扱いやすく成型した。

 《忘迦レテ》の発動に伴い、シュウの足元から影のような手が現れる。

 その腕は骨蜘蛛が消滅したところまで伸びていき、そこで冥界門が開いた。だがその目的はこの世と冥界を接続するためではなかった。

 この物質世界から魂を煉獄まで送り込む、あるいは煉獄から物質世界に魂を戻す際、必ずその魂は冥界門を通る。この時、瞬間的にだが虚数時空を経由して移動しているのだ。この仕組みを利用した。



「捕らえたぞ」

『mGq RosC!?』



 明らかにこれまでの反応とは違っていた。

 《忘迦レテ》が紡ぐ叛威Atrc NhXaの本体を掴んだのだ。魂を奪い去る黒き腕が捕らえたのは一本の糸。虚無たちは物質的な実体を有するわけではないため、あくまでも感覚的なものに過ぎない。しかしシュウは確かにそれは一本の糸であると認識した。



「それが本体か。少しくらいは削らせてもらう」



 黒い腕は幽忘術式ヘルヘイムに由来している。

 魂に付随する記憶や精神といった魔力構造体を殺すための術であるため、物理的な影響は一切ない。魂の本体には影響を与えず、そこに付随する『力』を消し去る。

 しかしながら虚無の世界ではその性質が異なってくる。

 そもそもからして精神的な存在である紡ぐ叛威Atrc NhXa本体は、《忘迦レテ》による剥奪で肉体を引き千切られるに等しいダメージを負ってしまう。



「いい実験にもなったな。対虚無を想定した通り《忘迦レテ》はよく効く」



 もう紡ぐ叛威Atrc NhXaの気配もなくなった。

 シュウはゆっくりと《魔神化》を解いていき、部分顕現していたニブルヘルも消失していく。足元の影から黒い腕が伸びてきて、黒い石を差し出す。それは《忘迦レテ》により剥ぎ取った紡ぐ叛威Atrc NhXaの一部であった。

 これでどうにか一矢報いた形となる。



「これでようやく終わりか」



 そういえばノスフェラトゥはどうなったのかと、彼女の魔力がある方向を向いてみる。するとノスフェラトゥは冥域の怪物ケルベロスと戯れているようであった。シュウに見られていることが分かったのか、彼女はこちら側へと向かってくる。

 同時に冥域の怪物ケルベロスは地面に影を作って沈んでいった。本来の持ち場である冥界門へと戻っていったのだ。



「ラヴァはどうした? 逃げられたか?」

「いえ、冥域の怪物ケルベロス様が丸呑みに」

「何?」



 冥域の怪物ケルベロスはあれでも死魔法で作られた存在だ。元は餓楼という魔装だったが、その一部を奪い取って死魔法を注ぎ込み、アレを作った。憑りつくという特性を利用して冥界門の番犬としたのだ。

 故にあの怪物が丸呑みにすれば、その生物はそのまま冥界門を通って冥界に落とされる。物質を伴っているならばニブルヘイムで滅ぼし尽くされ、その魂はヘルヘイムへと下っていくことだろう。

 だからこそシュウは違和感を覚えていた。



(太陽型ステージシフトの魂で、しかも魔装を覚醒させていたはず。凡百の魂ならともかく、アレが冥界に落ちれば俺は必ず気付く。つまりラヴァの魂は……)



 改めて意識を冥界の方に向けるが、やはり覚醒した魂は見えない。冥界では常に夥しいほどの魂が浄化され、それが終わったものから煉獄へと送られて次なる生の準備をする。だがその中に恒星の如き輝きがあれば、間違いなくラヴァだった魂だと分かるはずなのだ。

 しかしどれだけ探しても、目を凝らしても、あるはずの魂がなかった。



「持っていかれたか」

「……? どういうことですか?」

「痛み分けってところだな。アトラク・ナクアめ」



 《忘迦レテ》で奪い取った魔力も相当なものだ。またかなりのダメージを与えたことだろう。

 虚無たちの魂は、物質世界の魂とはまるで異なる。本来はお互いに干渉し得ない、別な存在なのだ。それこそ魔法や呪詛といった固有の法則があれば話も変わってくるが。



「追跡は……だめだな」



 とはいえ、こちらの世界の魔力は虚無の世界へ入ることができない。そもそも虚無の世界とは空間を隔てた別世界ではないのだ。同じ座標に、同じように重なっている。しかしながら水と油のように交じり合うことがない。

 ラヴァの魂は結局のところ、物質世界の魔力によって構成されている。虚無たちが受肉しなければ物質世界に存在できない様に、こちらの魂は何をどう頑張っても虚無の世界へ持ち込むこともなどできない。だから探せばこちら側の世界にあるはずなのだ。



(最悪はルシフェルに聞いてみるが……)



 結局は痛み分け。

 そして仕切り直しだ。

 シュウは手元にある紡ぐ叛威Atrc NhXaの欠片を見遣る。つまり《忘迦レテ》で剥ぎ取り、封印した黒い石である。死魔法で無害化してしまってもよいが、他に利用方法があるかもしれない。ひとまず厳重に封印しておくこととした。







 ◆◆◆






 あまりにも激しく、神話ともいえる戦いは終結した。

 元凶であった蛮族ラヴァは討伐され、残党たちも少しずつ倒されているはずである。天空人にとっての大きな戦いは終わった。

 全てを目の当たりにしていたケシス・イミテリア・ラ・ピテルは言葉を失っていたが、それ以上の驚きが起こる。



「これは……体が軽くなっていく……」

「陛下! 私たちもです! 黎腫れいしょうが消えていきます!」



 ケシスは自身の衣服をまくり上げる。すると黒ずんでいた左脇腹から蒸発するようにして、黒い何かが立ち昇っていた。そして綺麗に痣は消えていく。同時に全身を蝕んでいた苦痛もなくなった。寧ろ、今になって初めて健康というものを知った。



「なぜ、こんなことが」

「それは私たちを蝕む邪神が退いていったからです。これで私たちの子孫にまで呪いの手が及ぶことはないでしょう」



 その言葉を聞き、ケシスは過剰なほど激しく振り返った。

 何度も聞いたことのあるその声を忘れるはずもない。憎悪し、嫌悪していた声だった。



「アラフ……あなたはなぜここに!」

「全てが終わりました。黎腫れいしょうの原因はこの地、そして私たちの間から去りました。私たちは呪いから解放されたのです。そして私は因縁を終わらせるため、ここに来ました」



 アラフ、そしてケシスを先頭にして二つの勢力が対峙する。それぞれ銃口こそ向けていないが、一触即発の雰囲気が高まっている。

 ただし剣呑な様子なのはケシスの方だけ。アラフは静謐さを湛える湖のように、無表情で見つめ返している。二人は双子の姉弟のはずだが、生来の仇敵であるかのようである。



「間もなくこの城は浮上し、空に封印されます。私たちでそのように設定してきました」

「何を勝手なことを! これから私たちは黄金要塞の力を使い、地上を治めます! 黎腫れいしょうが消えたのでしたら都合がいい。私たちの力を以てすれば世に安寧を――」

「違います。この城は必ず争いを生みます。来るべき時まで封印し、私たちは同じ人間として地上で暮らし、励まなくてはなりません」

「文明を捨て去り、原始人のように暮らせというのですか! あんな下等で野蛮な思想しかない連中の下につけとでも!?」

「そのようなことを言うべきではありませんよ。祖先は同じです」



 全く価値観が合っていない二人だ。

 少し口を開くだけで激しい口論に発展する。だがケシスの方はこうして言い争っている場合でないと悟ったのだろう。



「封印など許しませんよ。そこを退いてください」

黎腫れいしょうは完治していません。私たちは地上へ降りなければなりません。そうしなければ私たちの魂に残る呪いの欠片が再び膨れ上がることでしょう」

「何を意味の分からないことを言っているのですか!」

「私はただ、見えたことを言っているに過ぎません」



 アラフにも詳しい事情までは分かっていない。彼女が未来視の力で目の当たりにしたことは結果でしかなく、その原因や理由までも完璧に見通せるわけではない。それでも大抵の事情を見通すことが叶うのだが、流石に魂の領分までは見えていなかった。

 そういうこともあって、ケシスからは道理の伴わない言葉のようにしか聞こえなかったのだろう。



「いいでしょう。あなたが会話をする気がないということが分かりました。であれば、暴力を使うまでのこと」

「……やはりそうなりますか」



 大きく溜息を吐き、眼を閉じるアラフ。

 それは見えていたことが現実になってしまった無力感であった。こうして弟のケシスと対峙することは先代王たる父の時代から見えていた。それは眼を引き継ぎ王となったアラフにも見えており、年月を重ねることで鮮明になっていった。

 今ある景色は、いつか見た未来。

 どうしても変わることのなかった歴史の転換点である。

 しかしそうなると分かっていてもなお、更なる未来さきのために覚悟を決めた。



「分かりました。ラ・ピテルの正当後継者、第五十八代王アラフ・セシリアス・ラ・ピテルの名において決闘の提案をいたします。私たちはお互いの譲れぬものを賭けて最低限の戦いをしましょう」

「……いいでしょう。新しきラ・ピテルの王、ケシス・イミテリア・ラ・ピテルとして提案を受け入れます。では銃を――」

「いいえ、戦うのは私たちではありません。私たちは王を名乗っているのです。であれば戦うべきは私たち自身ではなく、その誇りを託すに相応しい信頼できる者であるべきでしょう」

「なるほど。確かにその通りかもしれませんね。ではその決闘代理人は誰が?」



 アラフの口から出てくる人物の名とは――。

 彼女の背後にいる部下たちからは緊張が伝わってきた。代理人による決闘などという古臭いものを持ち出してきたことにも驚かされたが、次の言葉は彼らを更に驚かせた。



「ノスフェラトゥ様を私の代理とします」




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