第508話 落城の予言


 空に浮かぶ黄金はとても目立つ。

 地上のレベリオを影で覆ってしまわないよう、それなりの高さに浮いているためだ。スラダ大陸の東部であれば、どこからでも見えることだろう。



「ラヴァ様、もうこの集落は奪えるものがない。俺たちのために食料を作らせていた奴隷どもは全員力尽きた。あとはそいつらを食ってここはおしまいだ」

「なんだと?」



 黄金の城がよく見えるその場所で、大柄の男は肉を頬張っていた。だが報告を聞いて眉をしかめ、少しばかり惜しみながら手元の肉に目を向ける。



「それを最後の肉にしないと、もう食料がねぇ。次を狙わないと」

「別に食い尽くしてからでもいいじゃねぇか。使えねぇ奴隷は残っているだろ」

「それじゃ移動中の食糧が足りなくなるってもんでさぁ。ラヴァ様、次の目標はどこで?」



 大男は舌打ちする。

 そして肉を口に運び、硬い筋ごと噛み切った。火入れしていない肉は血を滴らせており、口の端から漏れたそれは男の髭が受け止める。

 じっくりと味わうように何度も噛み、飲み込んだ。



「なら、アレがいい」



 彼が指差した先にあったのは、朝日を受けて輝く黄金の城。

 パンテオンを滅ぼし、奪い尽くしたラヴァは次なる標的を初めから決めていた。朝、陽が昇る毎にキラキラして見える黄金の城を欲しいと思っていた。



「アレは俺の持つどんな宝より良いものだ。この暴転器アンドロメダよりも。だから俺のものだ!」



 蛮族ラヴァは征服者だ。

 全てを奪い、全てを喰らう。

 究極の捕食者が部族を伴い、レベリオを目指して行軍を開始し始めた。それは暗黒暦一六〇〇年のことであり、レベリオは第四王子レームによるクーデターから二年が経過した時であった。








 ◆◆◆







 五年前は大きく戦力を落としたサンドラだが、新しく組織された紅の兵団および迷宮探索組合のお蔭で急速に復興していた。そこには多くの技術と知識を有するパンテオン人の活躍もあったが。

 特に均一で丈夫なレンガを作る技術はサンドラという都市を拡大させるのに役立った。紅の兵団が平定した周辺部族は捕虜となり、吸血種ノスフェラトゥのための血税を提供している。当然だが血の供給量を増やすためには、その捕虜たちが生活する場所も必要となる。今後の人口増加も見据えた都市拡張だったが、それよりも捕虜や庇護を求める民族のための生活場所こそが急務だったのである。

 こういうわけで、背後から黒猫の支援を受けていることもあり、サンドラという国家は好景気の中にあった。



「ノスフェラトゥ、少しいいだろうか」



 紅の兵団は大きな詰め所を与えられている。

 吸血種のみで構成された紅の兵団だが、ここは彼らの生活拠点でもあった。突如として迷宮より現れた彼らだが、魔族討伐の功績を挙げたことで高い立場を得ている。元が異形の半魔族であることは、誰一人知らない。

 そんな兵団のまとめ役である元半魔族ハーケスは、吸血種の祖たる少女に声をかけた。振り向く少女は両目を黒い布で覆い隠しているものの、盲目を感じさせない視線を返した。



火主カノヌシからの名指しでな。お前をレベリオに向かわせたいらしい」

「私を? 私を一人で?」

「ああ。お前の力でレベリオに大打撃を与えろという命令だ」

「そうですか」

「いや……そうですかって。そんな無感情な……」



 ハーケスは申し訳なさと困惑が入り混じった様子だ。

 それもそのはずである。たった一人で敵国を攻めろという命令なのだ。確かに紅の兵団は普段から三人程度で各地へ出撃し、防衛戦や平定戦を繰り広げている。しかしたった一人というのは絶対にない。そもそも派遣人数は作戦成功率を考慮して団長であるハーケスが決定するものだ。火主カノヌシがわざわざ人員を指定して、しかもたった一人での出撃を命じるなど異例なのである。

 だが、最近はその異例が通常となりつつあった。



火主カノヌシは始祖たる私が疎ましいのでしょう。私よりも下であることが我慢ならないのだと、あの人は言っていました」

「『死神』……いや、元『死神』か?」

「はい」



 少しずつではあるが、サンドラの支配層は吸血種ノスフェラトゥ化しつつある。当然だが火主カノヌシヘルダルフもまた、二年も前に吸血種化が完了していた。

 だが、火主カノヌシは気付いてしまったのだ。彼だけでなく、他の吸血種化したサンドラ上層部の人間は理解してしまった。自分たちは吸血種ノスフェラトゥの力を得て不死に近い存在になったが、その代償として始祖吸血種の眷属になってしまったということに。

 所詮は始祖吸血種の下位互換であり、その力も一部分でしかない。

 特に支配者たる火主カノヌシからすれば、これは屈辱であった。



「私との間に溝ができつつあるような気がしています。もしかすると、これ以上の吸血種化は必要ないとみなされているのかもしれません」

「……だから過酷になると分かり切っている戦場に投入するのか。俺も噂を聞いているし、あの空飛ぶ城を目の当たりにしているが、レベリオは神の一族から力を得たという。簡単な戦いになるわけがない。これは裏切りだ」

「どうでしょうか。ですがシュウ様からはこの地を離れても良いと言われています」

「だったら、レベリオに向かうふりをして逃げてもいいんじゃないか? 当てはあるのか?」



 ハーケスは心配してそう提案した。

 それは火主カノヌシの命令に違反する提案だが、先に裏切ろうとしているのは火主カノヌシである。ハーケスの中では仲間の方が大切であるという価値観に変わりはない。勿論、ハーケスにとってノスフェラトゥは戦友であり、大切な仲間という認識だった。

 ノスフェラトゥはハーケスの問いに頷き、答える。



「陽の沈む方角へずっと行くと、そこにプラハという国があると伺いました。そこは私たちの使う精霊秘術を生み出した女神様もいらっしゃるそうです」

「そうなのか? 俺も少し気になるな……クリフォト術式は数の少ない俺たちの兵団を補ってくれている。俺も一度は会ってみたいものだ」

「それよりレベリオの件ですが」

「行く当てがあるなら、俺たちは協力する」

「いえ、レベリオには行ってみます。どちらにせよ、あなたたちで戦うことになるでしょうから」

「……ありがとう。肝心な時に力になれず済まない」



 助けられてばかりで、ハーケスとしては負い目を感じてしまう。

 仲間の元半魔族たちがこうして地上で暮らせているのも、今の立場も、全てノスフェラトゥのお蔭である。それに対してハーケスは何も返せない。この与えられる一方な関係を、果たして仲間と呼べるのだろうかと悩むこともある。

 だがノスフェラトゥは首を横に振った。



「私はあなたたちがいて良かったと思っています。私は独りでした。始祖と言えば聞こえがいいかもしれません。ですが世界にただ一人ということでもあります。仲間になってくれたことに感謝しているということを覚えておいてください」

「ノスフェラトゥ……」

「私がこの国で必要とされていなくとも、あなたたちのために私ができることはします」



 ノスフェラトゥは笑みを浮かべていた。







 ◆◆◆






 レベリオを調査するシュウだが、実に大人しくしていた。

 何が起こっても過剰な干渉はしないという方針を貫いていたからだ。理由としては、なぜ天空人が今更になって地上へ降りてきたのか知るためである。



「だいたい分かってきたな」



 パンテオン人の調査団に紛れつつ天空人を調べるシュウは、必然的に彼らと関わる機会が多い。二年前から天空人を近くで見ることが増えてきたので、わざわざリスクを冒して煌天城に侵入する必要もないと考えていたほどだ。

 実情に迫るまでは少し時間がかかったが、それでもようやく事態が掴めてきた。



「つまりはレベリオ人を使って地上の帝国を作ろうとしたってことか」

「そのようだな。祖国を失った私からすれば関係のないことだがね。寧ろお蔭で煌天城の秘密に迫ることができたのだ。国の滅びすらも運命だったのだと、今は信じておるよ」

「そいつは良かったな『幻書』」



 流石に『黒猫』が選んだメンバーである。

 どこかズレている部分を持っているな、とシュウですら思った。



「だが天空人からすれば地上の支配も手段に過ぎない。本当の目的は……種の存続だ」

「ふむ。呪い……ではなく遺伝病、だったか。私もよく分かっておらぬのだが」

「遺伝は何となくわかっているだろう? 親子の顔が似ているのも遺伝だ」

「それは分かる。原理はよく分からぬが、経験則として私も知るところだ。だが病気とはどういう関係があるのだ」

「そうだな……顔が似ているように、罹りやすい病気も似ている。血縁の近い者同士で契りを結ぶと、その罹りやすい病気がもっと罹りやすくなる。簡単に説明するとそういうことだ」

「なるほど。言わんとしていることは理解した」

「天空人はあの空飛ぶ城の中で婚姻を繰り返し、血を濃くしていった。その結果、治療不可能な遺伝病が蔓延ることになった。多分な」



 シュウは魂を見抜く能力によって、煌天城に多くの弱った魂があることを知っていた。そのため感染症か何かが原因で、その治療法を求めて地上に降りてきたのではないかと予測していた。ただ地上は遥かに文明が後退しており、医療技術で言えば煌天城の方が何段も上をいくだろう。そのため整合性が取れないと思っていたのだが、遺伝病は想定外だった。

 基本的に遺伝病は体質に近いものだ。治療によって抑制できても、完全な治癒は難しい。



「とはいえ、あれだけ多くの罹患者がいる点はまだ説明できん。感染症と違い、遺伝病はあれほど大人数に広がるようなものでもないからな。黎腫れいしょうだったか。話を聞いて俺は遺伝病だと思ったが、呪いという説も否定はできん。もっと詳しく知りたいところだ」

「君は物好きだな。皆はあれを皮膚病だと言って近づきたがらないのだが」

「肌に黒い斑点ができて膨れていく。確かに皮膚病のような症状だ。そのせいで天空人の目論見は遅々としているようだな」



 地道な情報収集を繰り返し、ようやく黎腫れいしょうという病名に辿り着いた。

 実際に黎腫れいしょうを患った天空人を直接見たが、肌の至る所に魔力が集まり腫瘍が生じていた。おそらくは血栓のように魔力の流れが滞っているのだと思っている。また黎腫れいしょうは体内にも生じ得る。それによって内臓機能が阻害され、最終的には衰弱死するという病気のようだった。



(ある意味では癌にも近いか。いや、寧ろ正解か?)



 黎腫れいしょうとはすなわち細胞の変異だ。

 魔力を集めやすく変異してしまい、その密度が高くなったことで黒く染まる。結果として細胞機能を邪魔する点からも癌に近い。

 他者との会話は自分の意見の整理にも役立つ。

 だが、ここでシュウはそれらを思考の隅に追いやる。シュウの様子が変わったことに気付いたのか、『幻書』は尋ねた。



「何かあったのかね?」

「よくないのがレベリオに近づいている」

「魔物かね?」

「パンテオンを滅ぼした蛮族だ」

「なんだと!」



 パンテオンが滅びた日、シュウもそこにいた。

 だからなぜ、誰によってパンテオンが滅びたのかよく知っている。『幻書』もパンテオンの長老としてあの日の戦いを目撃していたのだから、何者が訪れたのか瞬時に理解した。



「煌天城に目を付けたか! 真の価値も理解できぬ蛮族めが!」

「落ち着け。まずは事実確認と避難の準備だ。俺の感知だけでは信じない者の方が多いだろう。いずれ来るとは思っていたが、突然やってきたな」



 思わず舌打ちしてしまった。

 しかし危険だと考え、監視を付けておいて正解だった。






 ◆◆◆






 ほぼ同時刻、天空人の王もまた侵略者の存在を皆に教えていた。

 黎腫れいしょうを患っていない、あるいは症状の軽い幹部たちを集めての大会議が行われていたのである。上座には当然だが王であるアラフ・セシリアス・ラ・ピテルが座り、両隣には三つの分家当主の席があった。

 軍事、技術、厚生、法、財務など、国家運営に携わる重要人物たちはここで一堂に会し、王の予言に耳を傾けていた。



「恐るべき蛮族が来るでしょう。それはまさに怪物です。レベリオは蹂躙され、この黄金要塞も地に落とされます。そして民は多くが殺されてしまうでしょう。怪物は破壊を喜び、人の肉を好みます。私たちは全戦力を以てしても怪物を殺すことができません」



 それは恐ろしい予言であった。

 同時に信じがたい話だ。まずはそのことをエイルギーズ・スウィフト・ラ・ピテルが触れる。スウィフト家は軍事や技術面での政策に関与しており、黄金要塞の戦力にも詳しい。また地上へかかわるため、地上の戦力や技術レベルの調査もスウィフト家が主導して行った。

 だから信じられなかったのだ。



「アラフ陛下……その予言はあまりにも。我々は大量の魔術砲撃兵器を保有し、殲滅兵を使えば侵略も可能です。そして殲滅なら禁呪弾を使えば良いでしょう。鉄の精錬すら覚束ない程度の低い奴らが、この黄金要塞を落とせるとは思えませんな」

「エイルギーズ殿は予言の力を疑っておられるのですか?」

「それも仕方ないでしょう? 確かに代々受け継がれてきた初代王の右目は素晴らしい力を持っております。四百年前、ラ・ピテル分家の一つであったザクスト家が企てた反乱も予言によって事前に防がれたのですから。私が求めているのは納得です」

「納得?」

「そうです。これだけ万全な黄金要塞を、何者が落とせるというのですか? 何を見たのか、私たちを納得させる説明をして頂きたい」



 その言葉は尤もであった。

 軍事に詳しくなくとも、基礎的な教養として黄金要塞の戦力は知るところだ。禁呪の攻撃でもほぼ破壊されないオリハルコン装甲が張り巡らされ、仮に破壊されたとしても自動修復が可能だ。攻撃に回れば魔術による飽和攻撃で即座に地上を壊滅させられる。

 エイルギーズの言葉通り、皆が納得を必要としていた。

 だが、その答えは別の場所からやってきた。



「覚醒魔装士……」



 その単語を聞いた瞬間、全員が声の方へ振り向く。

 ダウナーな声質の人物は、王からもかなり近い位置に席を貰っている。つまり、それだけ地位が高く、信頼が厚い人物ということだ。



「アストレイ様……」

「おそらくアラフ王は私と同じ、覚醒魔装士が来る未来を見たのでしょう」



 天空人の中でも終焉戦争を知る唯一の人物。

 千六百年を生きた覚醒魔装士コーネリア・アストレイの言葉は重い。



「黄金要塞の前に軍隊は無意味。でもそれを越える個であれば」

「そうですね。アストレイ様の仰る通りです。私たちの敵は覚醒魔装士。無敵にも思える頑強さと、黄金要塞を撃ち落とすほどの攻撃能力を持ちます。私たちにできることは、地上へ逃れることだけです」



 どこか諦めた口調でアラフは皆を諭す。

 しかし彼女は知っていた。この説得が無意味なものであることを。



「であればです陛下! それこそアストレイ様の狙撃で始末すればよいではありませんか! 覚醒魔装士には覚醒魔装士を! 千年以上を生きる最古の覚醒魔装士が負けるはずありません!」

「できる、できないの話ではないのですぞ! レベリオを地上の帝国として死守しなければ、我々は滅ぶ一方なのです。黎腫れいしょうは深刻な域に達していますから」

「もっと早く地上を支配するべきだったのだ。そうすれば防備を固める方法もあった。これはクライン家の責任ではないのか!」

「何を言うのですか。スウィフト家は性急過ぎるのです。我々は野蛮人ではないのですよ。何もかもを武力で解決するなど……」

「だがこの黄金要塞を……我々の故郷を捨てるなどあり得ぬ話だ!」



 会議の場は紛糾する。

 誰もが王の予言が正確であることを知っているのに、誰も予言に納得しない。三つの分家、また官僚たちはそれぞれの意見を主張し、緩やかに分裂し始めていた。




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