第507話 レベリオの変革


 三年前、レベリオは奇跡を目の当たりにした。

 それは雲の中から現れた神々であると、レベリオ人の間で語られている。当時はサンドラ直轄軍による反撃により、多くの土地と民が失われ、レベリオも苦しんでいた。結果としてサンドラ直轄軍は壊滅し大きな痛手を負ったが、レベリオとて甚大な被害は受けていた。

 だからこそ、サンドラに反撃することなく大人しくしていたのだ。

 またレベリオ人は他国に目を向ける暇もなかった。



「レーム様! 天の城よりお戻りで……」

「待たせたな。クライン家のご当主は協力を約束してくださった」

「っ! では!」

「ああ。嵐神ベアルなどという偽りの神に縋る父上、兄上、そして神官共をレベリオから追い出す。あれらはレベリオ人の発展と進歩を止めてしまう。天空人こそ我々を次へ進ませてくれる方々だ」



 レベリオは今、分裂しようとしていた。

 一つはこれまで通り嵐神ベアル信仰を中心とする伝統的な派閥。もう一つは王の第四子レームが掲げる天空人を新たな神とする王道派閥だ。

 この国は伝統的に王の権威が小さい。王よりも上に神官団が存在するのだ。レベリオ人の王はあくまでも人々の導き手であり、嵐神ベアルに仕える神官が立場の上で最上位となる。だからこの伝統を重んじる派閥は嵐神ベアル神官派閥とも呼ばれていた。



「神官共は自分たちの権威が小さくなることを恐れている。なぜなら仇敵サンドラを撃退したのは天空人だからだ」

「はい。私もこの眼で見ました。あの絶望の日、天より現れた黄金の城はサンドラの軍勢を破壊し、私たちを救ったのです」

「うむ。それに天空人が教えてくれる魔術というもの……これは素晴らしい。水場がなくとも畑を潤し、家畜を育て、家族を養うことができる」

「水の魔術ですね。私たちの生活は一変しました。雨の恵みのため嵐神ベアルに生贄を捧げるなど、今となっては馬鹿馬鹿しい限りです」



 そんな嘲るような会話を堂々として、誰にも聞かれぬはずがない。レームの前に見上げるような巨漢の男が立ち塞がり、怒りを滲ませながら窘めた。



「貴様の言葉は偉大なる嵐神ベアルへの背信であるぞ」

「ガザム兄上ですか。次の王候補たるあなたが私などに何の用が?」

「ただ貴様の不愉快な言葉を咎めるためだ。信心無き貴様には死をくれてやろうか!」



 ガザムは勢いよく剣を抜き、空高く掲げる。

 そのままに振り下ろされた刃は、しかし容易く砕かれる。それを為したのはレームの剣であった。ガザムの貧弱な青銅剣に対し、レームの剣は鋼鉄だ。微量の炭素の他、種々の金属元素を混ぜ込んだ強靭な鋼の刃である。当然だがこの時代の冶金技術では到達し得ない優れた合金だ。これは天空人により提供されたものだった。



「お分かりか兄上。天空人の持つ力は想像を絶するのだ。力なき神に縋る哀れな兄上よ」

「き、貴様ァ!」

「先に手を出したのは兄上だ。お覚悟は既にされているのでしょう?」



 自身を害する者が現れた時、自分自身を救うためにその敵を殺してもよい。それはレベリオ王の子にも適用される王の定めだ。

 レームは容赦なく、躊躇いなく自らの兄を殺害した。







 ◆◆◆







 レベリオは真っ二つに割れつつある。

 嵐神ベアルのもと、一つにまとまっていたのが少し前とは思えないほどだ。身を隠して観察に徹していたシュウもまた、この動きには驚いた。



(王子たちの対立はこれで完全なものとなったか。黄金要塞の連中は何がしたい? それとも偶然の産物なのか?)



 シュウはレベリオで何かをしたわけではない。

 身を潜め、ひたすら情報収集に徹するのみだ。シュウには霊体化と魔術による透明化がある。古代ならばともかく、現代の人間がそれを見抜く術など持っていない。

 しかし黄金要塞に侵入しようとすれば、すぐに魔力の変動で異変を探知されてしまうだろう。シュウも最後には潜入調査するつもりだが、それは本当に最後の仕上げにするつもりだった。



(未だに天空人の目的が分からん。分からんが……もしかして)



 第四王子の兄殺しで騒ぎとなっている中、シュウは上空を見上げた。

 このレベリオの上空に張り付き、動く様子のない黄金の城がそこにある。そして魂を知覚するシュウの眼を以て見れば、十万を超える魂がそこにあった。



(半数以上の魂が弱っている)



 活動的な魂は燃えるような魔力が見える。

 肉体と魂の活動はある程度繋がっており、肉体が弱くなれば魂の活動も低下する。



(五万もの死にかけた老人がいるとも思えん。やはりそういうことだと推測すれば辻褄が合うか。だがこの予測が正しいとして、未だ黄金要塞に引き籠っている理由が分からん)



 黄金要塞は何かを待っているかのように、レベリオから動かない。また黄金要塞の中に住む十万以上の人間もほとんど地上に降りていない。慎重にレベリオ人と交流を重ね、文化や言語を学ぶのみに留めている。

 あれほど目立つ存在を示したにもかかわらず、動きが遅いということが解せない。



(『黒猫』が集めている情報でも、黄金要塞は存在だけでこの辺りの世情を変えている。蛮族どもが黄金要塞ほどの目立つものに惹かれないわけがない。あのパンテオンを滅ぼしたラヴァ族も含めて。そうなるとこの動きの遅さは悪手に思えるが……)



 レベリオ上空でピタリと止まったままの黄金要塞は、まさしく誘蛾灯である。たとえば『幻書』のように純粋な興味や憧れによって寄せ集められる者もいるだろう。シュウも一部の情報は天空人と交流を持っている『幻書』から得ている。

 だが一方で欲望によって集まる存在とて少なくはない。実際、シュウはレベリオ周辺に幾つもの蛮族が集まっていることを認識していたし、既に小競り合いも数えきれないほど起こっていた。



(黄金要塞はただそこにあるだけで騒乱を生む。レベリオ内部ですら)



 これから起こるであろう戦乱ですら、天空人の企みに思える。

 狙いを解明するためにも、シュウは一切手出しすることなく観察に徹した。







 ◆◆◆







 黄金要塞と呼ばれた天に浮かぶ城。

 それは現代において煌天城こうてんじょうなどと呼ばれている。レベリオまで調査に訪れたパンテオン人、クラクティウスの命名であった。彼は黒猫メンバー『幻書』でもあり、天空人と交流を重ねつつ特に魔術について知識を求めている。

 その結果はシュウとも共有していた。



「素晴らしいことだ。私は人生でこれほど喜びに溢れた瞬間などなかった。天空人の知識は私の予想など遥かに超えている。惜しむらくは、私程度ではほとんどを理解できないことだよ」

「そうか」



 古代に消えた魔力技術は、もはやどこにも残っていない。より正確に言えば妖精郷やアポプリス帝国には残っているが、基本的に人間たちは忘れ去ってしまった技術となる。唯一、極めて優れた魔力技術を有するのが煌天城こと黄金要塞である。

 表面的な知識を授かるだけでも『幻書』からしてみれば歓喜すべきものだ。

 彼の言った通り、基本的な知識が足りない。それだけがもどかしい。しかしそれでも嬉しそうに自分の得た知識を語り続けた。

 そうして興奮も収まってきた頃、シュウは本題に入る。



「それで……クライン家の者だったか?」

「うむ。私は煌天城を支配する王の一族であるとお伺いしておる。とはいえクライン家は分家のようだ。直系であるセシリアス家を中心として幾つかの分家が存在し、統治を担っているとか。またそれぞれの王家で我々地上人に対する対応は異なるらしい」

「というと?」

「まずセシリアス家は静観の構えらしい。だが詳しくどのようなお考えを持っているのかは天空人も知らぬそうだ。私に知識を授けてくださっているクライン家は積極的な交流をとお考えだ」

「なるほど。統制を取れていないのか」

「私にも知らされぬことだよ。だが我々を支配し、天空人による支配を目論む一派もおるようだ。対立があの城の中で起こっているのだよ」



 『幻書』が見上げる先には、陽の光を浴びて輝く城が浮かんでいる。

 人が集まれば意見の違いも生まれる。まして十万を超える人間が揃えば、複雑で巨大な対立も生じることだろう。



「地上を支配か。危険だな」

「同感だとも。しかしあの方々が真に支配欲を出せば、我々に抗う術などないだろう。私はレベリオ人にも話を聞いたが、煌天城は天より火を降らせてサンドラ軍を撃滅したという。その力があれば地上人など容易く支配できる」

「ここから空に向かって魔術や矢を撃っても届かんだろうからな。届いたところで効くとは思えない」

「その通りだ。だがそれこそが神というもの」



 煌天城は圧倒的であり、神秘的であり、不可侵だ。

 だから『幻書』自身も天空人を神格化している部分はある。実際、天空人の知識は魔術に留まらない。農業、建築、医術など、あらゆる自然科学分野が更新されている。またこちらは遅々としているが、政治学や道徳、法の概念など、理性的で高度な人間を形作る基礎もだ。

 地上人からすれば、自分たちの持っていない全てを与えてくれる神のようなもの。天空人の存在に困るのは、既得権益を侵される権力者くらいなものだろう。

 時の権力者が取る行動は二つ。



嵐神ベアル神官派閥は我慢ならぬようだ。自分たちに代わる権力者……いや、それ以上の神とも言うべき方々が現れるのを許容できぬのだ。彼らも初めは嵐神ベアルの遣いだと喜んでいたようだが、天空人との交流を経て敵対へと心変わりしてしまったようだな」

「逆に権力を持てない者たちは、天空人を利用して力を得ようとしている。四番目の王の子がその典型か……」

「私たちは天空人から多くを学びたいと願っている。レベリオからすれば異国からの寄留者に過ぎない私たちだが、レーム殿を支持したいところだ」

「そうか……」



 シュウは少しばかり考え込む。

 こういうとき『鷹目ロキ』がいれば好きなように謀略を巡らせてくれたものだ。懐かしさすら感じるが、ないもの強請りをしても仕方ない。



「天空人の知識は積極的にレベリオの人々に還元するといい。それによって間接的に支持を集めるのがいいだろう。嵐神ベアル神官たちの権力は絶対的だが、所詮は少数に集中した権力だ。そして権力者は親しい者や配下に利益を分け与えることで支持を得ているに過ぎない。嵐神ベアル神官に付くよりも大きな利益があると思わせれば……」

「なるほど。参考にするべきか」



 レベリオは伝統的に王の権力が弱く、嵐神ベアル神官の権威が強い。嵐神ベアルこそが真なる支配者であり、王はあくまでレベリオ人を導く存在でしかないからだ。したがって嵐神ベアルと王の間を繋ぐ神官の権力が強くなっている。

 だがそれは王族の中で不満を高める結果となる。

 その典型が第四王子レームである。四番目の王子ともなれば、持ちうる権力はないに等しい。一生を王の予備として過ごすことになるだろう。嵐神ベアル神官たちからすれば、自分たちの操りやすい人間であれば王など誰でも構わないのだ。



「私たちとしてはレーム殿に動いていただくのが最もやりやすい。それに彼は少しでも支持を集めるため、我々のような寄留者との交流を密にしておられる」

「鋼の剣も天空人から与えられているらしいからな」

「私としてはレベリオ人が未だに青銅武器を使っていることが驚きだがね」



 『幻書』は肩を竦める。

 彼もパンテオンにおける賢者の一人だった男だ。表面的ではあるが、鉄の精錬に関連する知識も有している。青銅は扱いこそ容易いが、武器としては鉄に劣る。そして鉄の文明ですら天空人からすれば過去の遺物でしかないのだ。

 そのことを『幻書』は熟知していた。だから謙虚に学ぶ姿勢を見せていたのだ。



「ともあれ、私たちが下手なことをせずともレベリオは変化するだろう。しかし君の言うことも一理ある。知識は独占することで利益を出すが、占有は停滞をも生む。天空人に好意的なレベリオ人には私たちの得た知識を還元しよう」



 だが事態はシュウの予想も超えて進んでいく。

 ここで『幻書』と会話をしてから二十日程度で、レベリオ王の第四子レームによるクーデターが発生したのだ。レームは天空人の王族クライン家を味方につけ、嵐神ベアル神官派閥を一掃してしまった。奇襲を受けた嵐神ベアル神官たちは抵抗もできず捕らえられ、最後には南へと追放されてしまう。

 かくして革命は成り、レベリオは親天空人の国家として生まれ変わったのだった。






 ◆◆◆






 煌天城と呼ばれる黄金要塞は、まさに一つの王国である。統治するのは千年以上続く王家であり、その血族をラ・ピテルと言った。

 初代王であるセシリア・ラ・ピテルより始まったこの血族だが、流石に千年以上も経過すれば幾つも分家が誕生する。中には血族ではあるものの、ラ・ピテルを名乗ることを許されていない家系もあるほどだ。それらは特権階級者として、天空人の支配層になっていた。

 そして明確にラ・ピテル王家であると認められている家系は現在四つしかない。直系であるセシリアス家と、分家という扱いのスウィフト家、クライン家、イミテリア家だ。



「アラフ女王陛下、計画通りレーム王子はレベリオの政権を奪取いたしました。これで私たちの立場も地上で大きくなるでしょう。遂に降りられるのですか?」

「ご苦労様ですテドラ殿。そうですね。私たちは地上人と交わる必要があります。ですがレベリオはそのためのに過ぎません」

「……ですな。哀れですが仕方ありません。それが絶対の予言ですから」



 そう口に出しながら、男は眼鏡を外して汚れを拭う。

 彼は王家の一つクライン家の当主であり、王の補佐官であった。テドラ・クライン・ラ・ピテルは綺麗になった眼鏡をかけると、右手で空中をなぞる。すると複数の画面が浮かび上がった。



「観測魔術を用いた周辺地図の作製もほぼ完了しております。どうやらこの近辺には幾つか国家があるようですな。ここレベリオから北方にはサンドラという国があるようです。終焉戦争以前には神聖グリニアの首都マギアが存在した場所です。南方ではアスラン人という部族が周囲の部族を統一し、国家を形成しつつあるようです。そして南西方向にはシエスタという大きな国家があるようですな。このシエスタは幾つもの領主たちが同盟関係を結んで連合国のような形態をとっていると思われます。我々がまず接触すべきはシエスタでしょうな」

「さぁ、どうでしょうね」

「はて。武力統一を目指している野蛮なアスラン人とは会話が成り立たぬでしょう。それにサンドラ人はレベリオ人と確執があると聞きます。またパンテオン人を名乗る者たちがレベリオに寄留しておりますが、彼らは国を滅ぼされたと言っておりました。であれば、やはりシエスタなのでは?」



 理知的な論調のテドラが問いかけても、この城の王は頷かない。

 それを見たテドラは王の右目に視線を注いだ。



「やはり何かを視ておられるのですな。初代王より引き継がれる未来視の魔眼は何を映しているのやら。私にも教えては頂けないので? だからスウィフト家は地上を侵略支配するなどと過激なことを言い出すのですよ」

「問題ありません。これが最適解ですから」

「まぁ良いでしょう。先代陛下もおっしゃられていましたが、未来への介入者は少ない方が管理も容易いそうですから。だからあなたも全ては教えてくださらないのでしょう?」

「理解しているならいいのです」



 第五十八代王アラフ・セシリアス・ラ・ピテル。

 若くして王位を継承した彼女は、その右目に奇跡を埋め込まれている。初代王より継承されるその目は宝石のように鮮やかな青を発していた。





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