第506話 ヴェリト人の国


 サンドラにおける魔族との争乱が決着して三年ほど。

 小さな都市国家だからというのもあるが、黒猫の支援もあってサンドラは急速に回復していた。知識人であるパンテオン人たちの指導もあり、農耕、建築、鍛冶、魔術、医術、薬学など人材の質も向上している。何より、吸血種ノスフェラトゥという新たな軍事力は減ったはずのサンドラ軍に以前にも増す防衛力を与えていた。

 人が増えるにはもう少しの時間が必要だが、国家としての質は確実に向上している。



「ふむ。少し力が有り余るな」



 サンドラの王、火主カノヌシヘルダルフは呟いた。

 彼の眼は緋色に変化し、髪にも血のような赤色が混じっている。ノスフェラトゥの能力によって火主カノヌシもまた吸血種ノスフェラトゥへと変動していた。赫魔の細胞は不滅の能力と膨大な魔力を与えるが、その代償として細胞を自壊させてしまう。だがノスフェラトゥの血を操る魔装と混じったことで赫魔細胞は変異し、血液をエネルギー源とすることに成功した。本来の赫魔よりも効率的な生物になったと言えるだろう。

 全ての人間を吸血種化するならばともかく、一部の人間が吸血種となる分には問題とならない。



火主カノヌシよ。本日の食事でございます。歳は十四。性別は女。直前に果実を食させ、至上の血液に仕立てております」

「ふむ。そうか」



 黄金の盃に注がれた真っ赤な液体が献上され、火主カノヌシはそれを口に含む。人間にとっては気味の悪い液体だが、吸血種ノスフェラトゥにとってはどんな美酒にも勝る。

 サンドラの上層部を占める吸血種ノスフェラトゥのため、サンドラでは血液を供給するための人間が必要となった。とはいえ全ての血液を抜くのは効率が悪いので、様々な人物から少しずつ血液を集めるという方式を取っている。

 いわば文字通りの血税だった。



「お食事中に申し訳ありませんが、ご報告もあります」

「む? そうか。では献酌官よ、下がれ。報告とは『くれないの兵団』のことか?」

「はい。蛮族平定のため派遣しておりました。僅か三名の兵団員と、新たに編成した兵二十名によって無事に完了いたしました。男と老人は皆殺しとし、女や子供は持ち帰りました。血税奴隷として調教する予定となっております」

「ならば我の裁定も必要あるまい。ふむ……血税奴隷も増えてきたな。そろそろ新たな吸血種化を施すとしよう。確かザバールとその息子たちが望んでいたな。奴はパンテオン人の同化政策で功績を出している。我からノスフェラトゥに依頼しておこう。彼女を呼べ」

「はっ!」



 吸血種化は火主カノヌシにとって役に立つ者から順番に、血税が不足しない様に配慮しながら実行されていく。

 その全てが火主カノヌシに忠誠を誓い、火主カノヌシにとって有能な者ばかり。また吸血種ノスフェラトゥとなることで血液が欠かせなくなり、裏切りも防止できる。

 サンドラは更に強固な国家として成長するだろう。



(そろそろか。レベリオに手を付けるのは)



 火主カノヌシには明確な目標がある。

 それはレベリオという国を確実に滅ぼすことだ。近年はめっきりなくなったが、かつては頻繁にサンドラへ攻め寄せる国だった。その征伐に向かわせた直轄軍も壊滅させられ、恨みも募っている。

 しかし簡単な話ではないということがここ最近で分かってきた。



(天より降りてきたという神の一族……攻め滅ぼすとなれば容易ではないな)



 レベリオの空に浮かぶ黄金の城塞は既に各地で噂となっている。

 当然、火主カノヌシの耳にも届いていた。







 ◆◆◆






 ノスフェラトゥはサンドラにおいて特殊な存在だ。

 その理由は人間を吸血種に変えることができる唯一の存在だからである。とはいえ、吸血種ノスフェラトゥを増やすという点において彼女の力が必ず必要という訳ではない。ここ三年で、吸血種ノスフェラトゥ同士の子供も吸血種ノスフェラトゥになることが分かっているからだ。

 現状では吸血種化により必要な血液量も増えるため、その確保が叶うまでは数を調整しながら吸血種化は実行されている。そのためノスフェラトゥ自身は自由な時間が多かった。



「やはり難しいですね。この力」



 真っ黒な石を両手で包み、ノスフェラトゥはそう呟く。



「記憶は引き出せないままか」

「申し訳ありません冥王様」

「時間をかけてゆっくりすればいい。《冥界の加護》も一助になるだろう」



 黒い石の正体は記憶の塊だ。

 ノスフェラトゥが始祖吸血種として生まれ変わった街、ヴァルナヘルの全てがそこに入っている。数百人分もの半生が乱雑に詰め込まれているわけだ。簡単な話ではない。



「ですが加護の力は分かってきました。たぶん、これが魂を見るということなのだと思います」



 急がば回れ。

 ノスフェラトゥは闇雲に記憶の石を探るのではなく、《冥界の加護》を活用することで効率的に事を進めていた。加護というだけあって常在防御的な役割もあるが、副次的作用として冥界や魂といった死の領分を知覚できるようになる。



「魂とは不思議です」

「そうか。そうだな」

「炎のように鮮やかですが、その輝きはそれぞれ。悪人も善人も、等しいものです。しかし完全に同質ではありません、私は魔力を使って視覚の代わりとしていましたが、魂の観測は個々への認識をより深くしました」

「そういえば吸血種ノスフェラトゥの再生能力でも目は見えるようにならないのか」

「見える、とはどのようなものなのでしょうか。私には分かりません」

「初めから持っていないものは再生もしないということか」



 目が見えないノスフェラトゥにとって魂の知覚は助けにもなる。ある意味では誰よりも見えていると言えるだろう。視覚は重要な知覚能力だが、同時にまやかしによって惑わされる。

 魔力、血や肉の匂い、音、そして魂。また戦闘中には霧化による知覚能力も加わる。

 これだけの情報を完全に誤魔化すのは難しいだろう。彼女に補足されれば逃走は困難で、更に始祖吸血種の能力は侵入や潜伏にも使える。



(次代の『死神』としてノスフェラトゥほど有能な者もいないな。偶然だが拾って良かった)



 記憶がない、という状態も都合が良かった。

 簡単に染まってくれたからだ。



(記憶を取り戻させるのは俺にとって都合がいいとは限らない。《忘迦レテ》で作った記憶の石もさっさと魔力に還元してよかった)



 記憶の石は褒美であり、不安の種でもある。

 だからこそ保険として《冥界の加護》を与え、冥王の系譜として縛った。その自由意志までも縛り付けられるわけではないが、潜在意識に冥王アークライトという存在を刻むことくらいはできる。少なくともシュウが失うのを惜しむほどに評価しているということだった。



「精霊秘術の方はどうだ」

「クリフォト術式の方が私には扱いやすいです。お蔭でこの子もいます」



 ノスフェラトゥが呼び寄せたのは小さな赤い竜だ。魔族を滅ぼした時に得た血液の内、魔の部分を寄せ集めて生み出された彼女の眷属である。クリフォト術式《憑霊フール》によって地獄の魂を呼び出し、赤い竜へ宿したのだ。

 その魂を固定し、一個体として成立させるためノスフェラトゥは名を与えた。



「ウェルスには私にとって不要となる魔の血を与えています。この子も一種の吸血種です。クリフォト術式の《呪装ヴァリフ》も与えていますから、地獄の炎も操ります」

「なるほど。使いこなしているらしいな。次は他の吸血種ノスフェラトゥにも精霊秘術を教えてやるといい」

「分かりました」

「それと《聖印セフィラ》による吸血衝動の封印はどうだ? 問題ないか?」

「はい。衝動を浄化し、魔力として蓄積しています。その代わり能力も制限されますが、問題にはなりません」

「ならばいい。自己管理を怠るな」



 それだけ言って、シュウは背を向けた。



「行かれるのですか?」

「レベリオに戻る。それ以外の仕事もある。お前は吸血種を鍛えつつサンドラを防衛してやれ。それと『黒猫』から頼まれたら『死神』としての仕事もな」

「はい」



 見送るノスフェラトゥは淡々と返事をする。

 しかし以前のような無感情ではなく、どこか物寂しい表情をしていた。






 ◆◆◆






 三年という時間は世界を変化させるのに充分な時だ。かつて起こった終焉戦争も、僅か一年で世界を滅びにまで至らせた。

 シュリット神聖王国の聖石寮は東へと歩を進め、未開の土地を拓き続けた。九聖も幾人か投入して、国交を開いた。その一つ、ヴェリト人との国交はシュリット神聖王国にとって大きな力になった。



「各員散れ!」



 神器ルシス劔撃ミネルヴァを手にしたオスカー・アルテミアが声を張り上げる。その声が響いた瞬間、術師たちはすぐ行動に移った。各々の判断で『敵』から離れる。

 すると赤い霧のような息が吐き出され、周囲に撒き散らされた。赤い霧は草木を枯らし、武器を腐蝕させ、鳥たちを地に落とす。



「霧の毒ですね。耐性のある者以外は距離を取ってください!」

「オスカー様も!」

「私には《耐魔》の祝福があります。問題はありません。それより包囲は決して崩さないでください! 喰獣種ヴゥルヘズナルを決して逃がさぬよう!」



 九聖の第一席に昇格したオスカーは、ヴェリト人と手を結んで魔物の掃討作戦に従事していた。これはシュリット神聖王国から見て東方の民族となる、ヴェリト人と結んだ契約である。

 ヴェリト人は一つの血族からなる民族集団であるが、国家という形態を作っているわけではない。しかしながら規模としては国家級ともいえるだろう。シュリット神聖王国と手を結んだことで国家形態というものを学び、ヴェリト人たちは自分たちの国を作ろうとしているほどだ。

 だが国は人だけで成り立つものではない。広大な土地が必要だ。

 元々ヴェリト人たちは定住せず、大民族移動を繰り返していた。その理由は大人数を養うための豊かで安全な土地がなかったからである。付近にはシエスタという豊かな土地を有する国家が存在しており、ヴェリト人はシエスタの土地を奪おうと侵略を繰り返してきた。



「魔を狩り、ヴェリト人に安寧の地を! それが我々の役目です!」



 シュリット神聖王国からすればシエスタへの侵略に手を貸すより、危険な地域を確保してヴェリト人に供与する方が心理的に簡単だ。

 それに実際に戦う聖石寮の術師たちも、全ての魔物を滅ぼすつもりで戦っているわけではない。あくまで、ヴェリト人だけでは困難な魔物だけを狙って戦うのだ。その一種が喰獣種ヴゥルヘズナルと呼ばれる赤い毛皮の人狼であった。



「風の魔術を使える者は霧を晴らしてください!」

「皆さん気を付けて! 奴が動きます!」



 喰獣種ヴゥルヘズナルは危険な存在だ。

 魔物のようでありながら、しかし魔物とは異なる存在であるとオスカーたちは認識している。既に何度か喰獣種ヴゥルヘズナルを駆除しているが、倒した喰獣種ヴゥルヘズナルは魔力となって霧散することなく死体が残り続けるからだ。その特徴は魔族とも一致しているが、魔族のように心臓部を破壊しても死なない場合がある。

 かの亡都ヴァルナヘルで初めて発見された赤い毛皮の獣たちは、異質な存在として優先的な駆除対象となっている。

 理由の一つは遺体を回収して研究するため。

 だが何より、危険であるためだった。



「ウォォォオオオオオン!」



 吼えた喰獣種ヴゥルヘズナルは大きく膝を曲げ、腰を深く落とした。そして次の瞬間、地面を蹴り砕いてオスカーへと迫り、鋭い爪を振り下ろす。この喰獣種ヴゥルヘズナルはオスカーこそが最も厄介な敵であると認識していたのだ。

 常人では理解もできぬまま斬り裂かれるであろう早い攻撃。しかしオスカーは劔撃ミネルヴァで受け止め、容易く受け流す。双刃の槍という珍しい武器は使いこなすのに時間を必要としたが、三年も経てば一人前にはなれる。

 オスカーは自分自身を回転させつつ、梃の力で喰獣種ヴゥルヘズナルを勢いよく斬り裂いた。その傷は深く、喰獣種ヴゥルヘズナルの片足を切り落とす。



「流石ですオスカー様!」

「まだです! こいつは再生します。私は劔撃ミネルヴァの攻撃力蓄積に入ります。攻撃を叩き込んで奴を弱らせてください!」

「はっ!」



 電撃魔術が放たれ、また火球魔術が殺到し、自己再生する喰獣種ヴゥルヘズナルにダメージを与えていく。しかし再生中の喰獣種ヴゥルヘズナルが再び赤い霧を吐き出すと、それら魔術はあっさりと消えてしまった。



「また霧か!」

「こいつは魔力を霧散させます。早く晴らして!」

「分かってますよ!」



 喰獣種ヴゥルヘズナルは凄まじい身体能力、耐久力、再生力を保有する。だがそれ以上に厄介なのが赤い霧だ。魔力を霧散させる力があるので魔術は無効化され、吸い込めば死に至る毒となる。

 何も分かっていなかった頃は多くの人間が赤い霧で殺された。

 だが、決して抵抗できないというわけでもないことも分かった。



「皆、よくやりました。私がとどめを刺します」



 まだ完全に霧は晴れていない。

 だが、オスカーは劔撃ミネルヴァを構えて斬り込んでいた。喰獣種ヴゥルヘズナルの背後を取り、回転を主軸とした連続の斬撃で喰獣種ヴゥルヘズナルを両断する。軽く振るわれたようにも見えたが、たった二度の斬撃で喰獣種ヴゥルヘズナルは四等分されてしまった。



「《白焔閃光アーク・フレイム》」



 そして喰獣種ヴゥルヘズナルは真っ白な炎に包まれ燃え上がり、再生能力ごと封殺される。喰獣種ヴゥルヘズナルを相手に長期戦は失策だ。包囲で逃がさず、絶えず攻撃して消耗させ、高火力によって一気に仕留めるという戦術が確立されていた。

 オスカーが発動した《白焔閃光アーク・フレイム》は炎の第八階梯魔術であり、彼の保有する大聖石でしか発動できない大魔術だ。劔撃ミネルヴァ含め、オスカーの火力は聖石寮最高峰になっていた。

 喰獣種ヴゥルヘズナルは両断された上に燃やされたことで完全に力尽き、再生も止まる。オスカーは完全に焼き尽くさぬよう、魔術を停止させた。



「流石ですオスカー様。攻撃力を蓄積させる迷宮神器アルミラ・ルシス劔撃ミネルヴァに、伝説の魔術すら行使可能な大聖石。そしてヴェリト人が持っていた祝福ベルカ。もはや喰獣種ヴゥルヘズナルも敵ではありません」

「ありがとうございます。これでようやく八体ですね。あれの死体を回収して、傷ついた者には治療を」

「はっ。負傷者は後方拠点に下げ、《治癒》の祝福ベルカ持ちに治療させます」

「これでヴェリト人の国家も安定するでしょう。それはつまりシュリットの安定にも繋がります。そして更に東へ……我々の影響力を増やす必要があります」



 全てはシュリット神聖王国のため。すなわち闇の帝国に対抗し、あるいは魔族を討ち滅ぼすためだ。

 だがオスカーは個人的な理由によって東を目指していた。自然と東方に目を向けてしまうオスカーに対し、部下の一人が尋ねる。



「妹君、ですか?」

「ええ。昨日も夢を見ました。私が最後に見た姿のままで、朝日を指差していました」

「……失礼を承知でお伺いしますが、オスカー様はどうして妹君に執着を? こう言っては冷たいようですが、オスカー様にとって何の得もないように思えます」

「確かに生きている確証もない妹を探すことに利益はないでしょう。あの子は呪い持ちで、眼も見えない欠陥を抱えていました。ですが私は家族を愛しています。ただ血を分けた家族だから、私はあの子を探しているのです。弱き者を救うことこそ聖石寮の本分。また追放者シュリッタットの始まりです。いけませんか?」

「いえ、御立派です。大変失礼しました」



 今の時代、オスカーの考え方は異端である。

 だがそれこそが英雄に相応しい人間なのだろう。他者を慈しむ姿は多くの人間が知っており、だからこそ実力も含めて九聖の第一席にまでなったのだから。






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