第509話 予言という鎖
黄金要塞が地上へ降りてくる日というのは、遥か昔より予言されていた。それを残した人物こそ、初代王セシリア・ラ・ピテルである。
歴代の王の中でも初代王ほど未来を見通せた人物はいない。千年、二千年をも見通せた初代王に対し、二代目は数年程度の未来を
「初代王の苦悩も伺えるわね。私程度の予知ですらこれほど反発されるなんて」
「お察しします陛下」
「ええ。でも私は初代王のように、何も言わず命じることもできません。どれだけ長くとも五年までしか未来を視れませんから。どこで反動がやってくるか分からない以上、皆の意見も必要です」
「しかし初代王の記述によれば、見えすぎるからこそ何もできないことが多かったとか」
そう言って慰めるのはクライン家当主のテドラであった。クライン家は王の分家の中で、唯一セシリアス王家を支持している。他の二家は独自の路線を展開し、一定の支持を集めていた。
スウィフト家は武力によって地上を支配し、自分たちの手で王国を作ろうとしている。わざと争いを生み出し、それを平定する形で権威を得ることを望んでいた。イミテリア家は天空人を信仰する宗教を作り出そうとしていた。
スウィフト家とイミテリア家で少しばかり方針は異なるが、黄金要塞を中心とした支配構造を作り出そうとしていたのだ。
「でも初代王は私たちのような未来の王のために予言を残しておられます。こうして地上に降りることもまた、予言の一つ。そこで起こる王家の分裂と戦争も予言通りに起こるでしょう」
「クライン家当主たる私が言うのもアレですが、スウィフト家やイミテリア家の考えを受け入れる方針もあったのでは?」
「それだけはありませんよ。冥王アークライトが来て黄金要塞を文字通り消し去ります」
「……初代王が特に警戒し、恐れた『王』の魔物ですね」
この戦乱を迎えようとしている時代に王となってしまったことをアラフは恨んでいる。同時に、見えすぎてしまう右目のことも憎んですらいた。
「不思議なものですね。多くが見えてしまうが故に縛られてしまうとは」
「陛下はできる限りを尽くしておられます。私も、私の子供たちも、延命医療で
「今や延命治療なしに生活できる人の方が少ないですからね。どうして先代はもっと早く地上に降りる決断ができなかったのか」
「亡くなった先王に言っても仕方ありませんな。当時も同じように揉めたのですから。それも含めて初代王は予言されていたと仰ったではありませんか」
「ええ、予言の通りになってしまうのがとても残念です。苦痛を覆すための予言だというのに」
アラフは大きく息を吐く。
心配事はまだあった。天空人を蝕む
「私たちセシリアス王家の関係者は今日の内に脱出艇で出ます。ケシスのクーデターに付き合ってあげる必要もないでしょう」
「やはり弟君は……」
「あれはイミテリア家に養子へ出されています。もう私の弟ではありません」
「失礼いたしました。それで、脱出先に当てが……?」
「ある少女が鍵になります。その少女との出会いこそ、五十八代王に与えられた使命。このアラフが成すべきと初代王が定められた運命です。私も目を継承し、セシリアス家が保管してきた初代王の予言を真に理解しましたから」
その夜、アラフは従者や護衛を付けて黄金要塞から消えた。
だが誰一人として、その脱出に気付けた反逆者はいなかった。
◆◆◆
ケシス・イミテリア・ラ・ピテルは荒れていた。
彼はラ・ピテル王家の一つであるイミテリア家の後継者であり、同時に元セシリアス家の人間でもあった。彼はアラフ王の双子の弟だったのだ。だが彼は王位継承の権利を剥奪され、
理由はただ一つ。五十八代目の王がアラフであると予言で決まっていたからである。
そのことをケシスは恨んでいた。
王になれなかったことではない。あらゆる努力が打ち捨てられ、ただの予言で決められてしまう不条理に怒りを抱えていた。
「これでお前が王というわけか」
「ですが肝心のものがありません。それがなければ意味がないのです。王の証が! 初代王の右目が!」
「落ち着くのだ」
「これが落ち着いていられますかガルヴァン殿!」
決して父とは呼ばないケシスに対し、ガルヴァン・イミテリア・ラ・ピテルは溜息を吐く。今もケシスの心がセシリアス家にあるのだと分かっているからだ。
「アラフめ! 王の証ごと持ち出して逃げましたか!」
「当然だろう。自ら目を抉りだし、置いていくはずがない」
「それは……」
「だから落ち着くのだケシス」
ガルヴァンはそう言っているが、彼自身も落ち着いてはいられなかった。黄金要塞はラ・ピテル王家の統治によって千年王国を維持してきた。その万全な統治は初代王の眼があったからこそと言っても過言ではない。
また王位は常にラ・ピテルの直系たるセシリアス王家の者が就いていた。
血筋と、王の象徴が共に黄金要塞から消えてしまったのだ。今の黄金要塞には不和の火種が燃え上がろうとしている。ガルヴァンとしても頭の痛い問題だ。
「ひとまずはセシリアスの血を引くお前が臨時の王だ。お前には黄金要塞を統治し民を安心させなければならん」
「分かっています。民には布告を。アラフ王は地上人に恐れをなして逃げたと言ってください。嘘でも何でも構いません。ひとまずは新しい私という王の正当性を認めさせるのが先です。蛮族が攻めてくるのでしたら迎撃も必要ですね。これはスウィフト家に任せましょう」
目下の問題はアラフが予言で残した怪物とも呼ぶべき蛮族の存在だ。
とはいえ二人とも予言の全てを信じているわけではなく、単にレベリオ人が蹂躙されることを嫌っていた。折角手に入れた地上との伝手を捨てれば、五年もの時間を無駄にしたことになる。
地上と縁を結ぶことで
「それとアストレイ様はここに残っておられるのでしたね。彼女の所に行って、蛮族とやらを撃ち殺してくれるよう頼みます」
セシリアス家が王の義務を放棄するとは思わなかったが、コーネリア・アストレイの残存は幸運であった。彼女は初代王の時より仕える唯一の覚醒魔装士である。狙撃という能力の性質上、運用方法は限られてしまうが、それでも迎撃にも攻撃にも使える強力な手札である。
だからガルヴァンも、臨時の王となったケシスも、予言の怪物を問題視していなかった。
◆◆◆
同じラ・ピテルの血筋であるスウィフト家は技術や軍事関係に力を入れている関係上、セシリアス家の次にコーネリアとの関係が深い。
アラフ王が最後に残した予言ということもあって、ここにやってくるという怪物のことをコーネリアと共に探していた。
「アストレイ様はいつもここにおられますな」
「エイルギーズ……」
「塔からであれば地上の果てまで見渡せます。しかし大地とは凄まじいものですな。神話の時代に語られたものがこの眼で見られるとは、私もこの時代に生まれた甲斐があるというもの。アストレイ様はもしや地上を眺め懐古しておられたのですか?」
「そんな感情はないわね。それに数えれば千六百年前のことになるのだから、もう覚えてはいない。家族も、友も、国のことも全て忘れてしまった」
まだ二十代のエイルギーズではコーネリアの言葉にある重みを真に理解しているとは言えないだろう。しかしエイルギーズにも、いや現代の天空人にはその逆とも言える苦しみがある。長生きしたくでもできないのが今の天空人だ。
実際、スウィフト家は少し前に前当主が亡くなりエイルギーズが継いだところだ。
「アストレイ様にはまだ頑張っていただきたいところです。
「王呈血統書……ああ、セシリア様が残した予言ね」
「あれはスウィフト家で管理している予言ですからな」
そのように語るエイルギーズは、ふと溜息を吐いた。
少しの間を置いて、彼は懺悔するように苦悶しながら再び口を開く。
「私とアラフ陛下……いや、元陛下とケシス陛下とは幼馴染でしてね。幼い頃の悪戯で父の管理していた予言を盗み見たのです。その時、次の王がアラフになっているのだと知りました。今となっては後悔していますよ。あの時からアラフとケシスの間に深い溝ができたのですから」
「双子だというのに、仲良くできないのかしら」
「子供だった当時では割り切れなかったのでしょう。アラフは王になるつもりはなかったし、逆にケシスは自分が次の王になるのだと息巻いておりました。ですがどれだけ努力を重ねても、初めからケシスは五十八代王には選ばれない。千年以上前から決まっていたなど、受け入れがたいことだったのです」
エイルギーズは非常に残念だと言わんばかりだ。
また同時に当時は恐怖もあった。自分たちの人生が、初めから予言によって定められていたのだと知って心の底から恐ろしくなった。どれだけ自分の意思を示そうとしても、必ず予言は成就される。それが初代王の恐ろしさだ。
いや、正確には違う。
王の未来視はピタリと一つの未来を言い当てるような、簡単な代物ではない。常に複数の未来が見えている。ただその中から最適解を選ぶ作業こそが予言なのだ。
つまり王呈血統書に記されたラ・ピテルの王たちは、初代王が見た最善に至るための王なのである。
「予言は私たちを縛る鎖のようです。私たちは初代王の定めた通りに動く歯車でしかない」
「そう……それで、ケシスは五十九代目の王と記されていたのかしら?」
コーネリアの問いかけに対し、エイルギーズは首を横に振るのみ。
「残念ね」
「ええ。残念です」
初代王の予言――すなわち王呈血統書――から外れてしまったのか。それともこの状況すら初代王は見えていたのか。
この時は二人とも分からなかった。
◆◆◆
ノスフェラトゥは独りで南へ向かっていた。
野生動物、野盗、それに魔物。
街の外は常に危険がある。
だがノスフェラトゥにとってそれらは危険なものにならなかった。
「これは魔物、でしたか」
戦闘は成り立たず、殲滅という形で襲撃は終わる。
魔力となって消えていく魔物たちから力を奪うべく、ノスフェラトゥの相棒が喰らっていく。ノスフェラトゥにとって不要な魔の血液から生み出された竜のような獣は、喜びの嘶きを上げつつ
「ウェルス、満足しましたか?」
「グァ!」
その血の特性を取り込む特性からか、長い首に獣の体毛が増えていく。そして一回り大きくなったように見えた。ノスフェラトゥに抱えられる程度の大きさだったウェルスも、この魔力吸収により彼女の上半身程度にはなった。
しかし次の瞬間、その身を収縮させてしまう。
再びノスフェラトゥに抱えられたウェルスは満足気にもう一度鳴いた。
「……魔力。これは、人?」
そんな時、ノスフェラトゥは不意に魔力反応を知覚した。音、匂い、気配などを統合し、接近しているのが複数の人間であることを察する。
決して他人のことは言えないが、こんな夜に集団で人が動くというのは解せない。仮に野盗だとしても、今しがた
ノスフェラトゥは警戒しつつ接近してくる集団を待つ。
すぐに邂逅することとなったその集団は、ノスフェラトゥの姿を見て驚きを口にしているようであった。しかしその言葉は彼女が理解できないもので、どうしたものかと考える。
(敵意は、ないですね。六人ですか。魔力は大きくありませんが、何かをこちらに向けていますね)
ウェルスを抱えたまま相手の反応を伺っていると、六人組のうちの一人が前に進み出た。恐る恐るといった様子ではあったが、何かを差し出してくる。ノスフェラトゥは匂いから、それが血であることに気付く。どうやら小瓶のようなものに少し血が入っているらしい。
「どういうつもりでしょうか?」
そう問いかけてみるが、六人組にも言葉は通じていない。ただ黙って、血が入った小瓶を押し付けられるのみであった。
(悪い匂いはしませんし、こちらに害を加える意図もないようですね)
《冥界の加護》もあって魂を知覚するノスフェラトゥは、その魔力の動きから大雑把な感情も読み取れる。細かい機微までは分からないが、敵対心や恐怖など、強い感情であれば何となく察することができるのだ。
理由は分からないが、ノスフェラトゥを吸血種だと知っての行動には違いない。
魂を見て問題ないと判断した彼女は、押し付けられた小瓶を手に取って傾け、舌で舐めとった。血に含まれる細胞の性質、そして魔力の記憶を読み取る。
すると六人組の言葉を理解できるようになった。
「あ、えー。これで私たちの言葉が分かるのか……?」
「はい。聞き取れます」
「……これは驚いた。流石はアラフ陛下だな。私たちは君を探していた。どうか我々の主人のもとまで来てくれないだろうか?」
「なぜでしょうか?」
「えー、その方が君にとっても良いことだからだよ」
「分かりました」
「あ、うん。素直だね……私たちはありがたいが」
六人組からすればノスフェラトゥはあらゆる点で奇妙に映ることだろう。このような何もない場所で、しかも夜という時間帯に少女一人が歩いている時点で不可思議だ。更には血を含むとすぐに言語を理解し始め、どう考えても怪しい誘いに対して素直に従う。
自分たちが相手にしているのは少女の皮を被った怪物なのではないかと錯覚してしまうほどだった。
実際、その評価は間違っていないのだが。
「さぁ、こちらに。目は見えているのかな?」
「見える、ということが何を意味するのか私には分かりません。ですが周りに何があるのか、それを知る術は持っています」
「そうか。足元に気を付けてね」
「お気遣いありがとうございます」
妙に礼儀正しく、所作も整っている。肌艶、衣服、髪の状態など、表面的な部分だけを見ても高貴な何かを感じる。それが少女の形をして、尚且つ夜の平野にいるという状況は違和感でしかない。
しかし六人組も、主人が望んだことだと割り切ってノスフェラトゥを案内した。両目を布で隠しているにもかかわらず、誰よりも周囲が見えているようで、不気味に思えた。
それでも明かりの魔術で先導しつつ、ノスフェラトゥを案内していく。無言のまま周囲を警戒しつつ移動を続け、やがてノスフェラトゥは多くの魂を感知した。
「ここですか?」
「その通りだ。これは私たちの船……と言っても見えないか。ともかく中に陛下がおられる。とにかく話を聞いていただきたい」
そこにあったのは最低限の明かりによって照らされた黄金の船体。オリハルコン装甲の脱出用高速飛空艇であった。
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