第496話 『炉』の方針④
シュウは
しかしながらシュウは『黒猫』から地下への行き方を教わっていた。
だから迷いなく、目的の領域にやってきた。
「ここが
思わず懐かしむような息が漏れてしまう。
かつてのマギア中央公園が迷宮に取り込まれ、領域として残ったものだと思われる。整えられた花壇や噴水は今もそのまま残っており、破壊の跡も見られない。昔あった時のまま保存されている。
「いや、これも迷宮魔法か」
自然は整えられなければ荒れていく。植物の世界にも弱肉強食は存在しているのだ。養分のある土、充分な水、迷宮が与えてくれる陽の光などの奪い合いとなる。競争に敗れた植物は廃れ、適合できない植物は淘汰されていく。そうしてやがて秩序だった森ができあがる。
しかし千年の時を経ても、
この領域を支配している魔物は
「確か……こっちか」
今は復活していないのか、豚鬼の群れはいないらしい。そこでソーサラーリングのデータを見つつ移動していく。ここはまだ第一回廊と第二回廊を繋ぐ領域でしかない。
『黒猫』からの依頼を受けて、まだ一日目。しかしシュウは急ぎ地下へ向かったのだった。
◆◆◆
その日、古代遺跡群ではある種の革命が起こっていたのだ。
「良かったのか『黒猫』。ここを貰っても……」
「今更何を言っているんだい? このくらいで遠慮する君たちじゃないだろう? それにここはサンドラの王宮も手を出してこない。裏社会が生み出した独立国のようなものさ」
「それは、そうだが」
『黒猫』は半魔族たちに古代遺跡群を明け渡していた。元々、黒猫は古代遺跡群の中の塔と呼ばれる区域を支配していた。古代遺物のシンジケートを組み、サンドラとも遺物や人材取引をすることで大きな顔をしている。
一方で古代遺跡群はサンドラから政治的な干渉を受けない。戸籍もないし、法律も区域を支配する組織が勝手に決めていい。サンドラという国土にありながら、サンドラとは異なる秩序で回っている。
「戦いが起こるまではここの人間をエサにすればいい。
「ああ、お蔭で助かった。バラギスは今日から三日が最大の機会だと魔族に連絡している。外国を攻めるため兵力を外に出して、防衛を甘くしているという風に連絡をしているはずなんだ。魔族は間違いなくここを突いてくる。バラギスはこの瞬間を伝える間者として探索軍にいたんだからな」
「まさか既に裏切られているとは思ってもいないと」
「魔族共は支配が盤石だと思っている。俺たち半魔族や人間は恐怖と力で支配できる、とるに足らない存在だと思っている。それが狙い目だ」
この計画の肝は魔族を罠に嵌めることである。
旧サンドラ領域で決戦を仕掛け、魔族を滅ぼし尽くす。また首領のバラギウムはシュウが暗殺する予定なので、
(まぁあちらの情報は上手く入手できないから、不確定要素もあるんだけど……)
バラギスにしても、魔族と相互連絡できるわけではない。基本的には水銀の魔装で使い魔を作製し、情報を持たせて
たとえば何体の魔族が攻めてくるのか。
いつ攻めてくるのか。
どこを目標に攻めるのか。
そんな情報は一切なく、完全に予測を頼りにしている。
「魔族はこの世にいていい存在じゃない。俺は何としてでも奴らの支配を拒む。その覚悟はできている」
「君には
「……そうだと、いいが。それにできれば同胞たちも救いたい」
「そこまでは高望みだと思うけ――ん?」
最後まで言い切る前に『黒猫』は視線を地面に落とした。そしてしばらく目を閉じたのち、残念そうに首を振る。
「
「何だと?」
「半魔族を作るには人間か半魔族が必要だったね。この時期に人間を皆殺しということは、半魔族を不要と考えている可能性も高い。残念ながら半魔族がどうなったかまでは分からないけど」
「他には何も分からないのか!?」
「魔族が捕らえた人間を自由にさせると思うかい?」
「それは……」
ハーケスもよく知ることだ。
魔族にとって人間は家畜同然。半魔族も奴隷のようなものである。まともな情報を得るのは難しい。実力云々より運次第といったところだ。
しかし魔族たちの飼っていた人間が皆殺しにされたという情報は様々な予想を駆り立てる。
「数が少ない魔族にとって、人間や半魔族は都合のいい道具だ。小間使いとして、半魔族を増やし尖兵とするため、あるいは食料として。だから人間を皆殺しにするというのは、何か大きな動きがある証拠」
「どういうことだ? 何が考えられるというんだ?」
「こういう予測はまず、魔族の気持ちになってみるといい。もしも僕たちが魔族なら、不要な駒はどう扱うだろうか。これまで生かして繁殖までしていた人間を皆殺しにする理由として考えられるものは二つ。邪魔になったか、不要になったか」
「魔族が人間を邪魔に思うことなんてない。路傍の石ほどにも思っていない。不要になった……それ一択だ」
なるほど、と『黒猫』は頷く。
同時に自身の魔族に対する認識が間違っていないことを確信した。
「魔族は家畜のように人間や半魔族を繁殖させていた。その牧場を自ら破壊したんだ。何かの目的を果たし、不要と断じたんだろうね」
「その目的とやらは分からないのか?」
「僕が潜ませている場所は人間牧場だよ。魔族に対する深い情報が入ってくるわけがないじゃないか」
だからこそ苦労しているし、大胆な動きができずにいる。
空間操作に人形遣いという二つの覚醒魔装を保有する『黒猫』も、所詮は人間である。耐久力も魔力出力も、高位の魔物や魔族には劣ってしまう。敵の胎の内であるダンジョンで、しかも単独で動き回れると思うほど自惚れてはいない。
それこそ、彼女がたった一人で相手にできるのは
自分の程度を理解しているからこそ、『黒猫』は常に人形を使って無茶をするのだ。その代わり、得られる情報にも限りが出てしまうのは仕方ない。
「上手く罠にかかってくれそうではあるけど、僕たちの思惑から外れた展開も警戒しないとね」
「……そのための俺たちというわけか」
「君たちは僕と利害の一致した軍団だ。期待しているよ」
ハーケスは苦々しく顔を歪める。
自分が利用されているということを理解しつつも、それに従うしかない。せめて自分たちも黒猫を利用してやると言い聞かせるしかなかった。
◆◆◆
神奥域を降っていくシュウは、第二回廊を移動していた。ここはかつて世界最大級の大都市マギアのあった場所でもある。第二回廊まで下れば、その痕跡と思われるものが壁と融合していた。また出現する魔物も第一回廊より強い。
シュウは積極的にそれらの魔物を狩ることにしていた。
「不死属系や霊系が多い印象だな。あとは鬼系もちらほら」
そんなことを言いつつ、野生の
霊系といえば今や妖精郷の魔物となっているが、迷宮の中には特定の魔物が棲みつく領域が幾つもある。実際、この第二回廊に存在する古代戦域と呼ばれる領域は霊系や不死属系が多い。シュウはその古代戦域から近い位置にいるため、これらの魔物と頻繁に遭遇していた。
第三回廊に降りるためには
「迷宮をぶち抜ければいいんだが、そのせいで魔族とすれ違いになったら元も子もないからなぁ」
独り言でも呟かなければやっていられない。
一人で広い洞窟を進み続けるというのは、思ったより精神的にクルものだ。
「そろそろ戦闘用の配下を作るべきか……」
実を言えばシュウの専用の手足となって働いてくれる存在はそれほど多くない。昔から妖精郷で世話をしている古参の妖精たちはシュウに付き従ってくれるが、命令系統としては既に娘のセフィラへと渡している。妖精郷の妖精や霊たちは、直接的なシュウの配下というわけではないのだ。シュウの下にセフィラがいて、その下に妖精郷が管理されているという形となっている。
逆にシュウが直接管理している配下は冥界の運用を任せている精霊たちとなる。煉獄の精霊もそれらの一つだ。ただこれらの精霊は冥界で活動することを前提としているため、現世には出せない。そのためには現世の物質に受肉する必要がある。
(死魔力は他の魔力を殺してしまう。生物として成り立たせるのは難しい。精々、加護を与えるくらいが限度。冥界生物を作って手足にするとなると途端に難易度が上がるからなぁ)
地道に歩いて進みつつ、暇を持て余して色々と考え込む。
冥界の仕組みが定着したことにより、もはや魔力を心配する必要はない。しかし冥府と煉獄の二つから構成される冥界は、かなり機械的な側面の強い世界だ。管理者として死魔法の加護を与えた精霊たちが仕事をしてくれているものの、それらは冥界由来の生命体というわけではない。
真の意味で冥王アークライトの系譜にあるのは、それこそセフィラだけだった。
たまに魔物を狩りつつ、順調に回廊を進んでいく。
半日ほど歩き続け、ようやく視界いっぱいに広がる空間まで辿り着いた。
「焼け焦げ、荒れ果てた地面。爆発や砲弾が抉った跡。それと大量の不死属に霊。『黒猫』から聞いた古代戦域の特徴だな」
古代戦域は第二回廊の中で最も大きな領域だ。
千五百年ほど前に起こったスバロキア大帝国と神聖グリニアの戦争において、最後の戦いが起こった場所の一部をそのまま迷宮に取り込んでいる。二つの軍は大量の魔術を撃ちあい、禁呪すらも大量に使われた。その死者は兵士だけでなく市民にまで及び、何百万人という人間が死んだ。
まるでその時の死者が未だに彷徨っているかのようである。
勿論、そんなわけないが。
「これは……」
広大な領域を進んでいたシュウは、あるものを発見して足を止める。それは地下へと掘り進められた洞穴だった。かなり小さい入口だが、階段のようなものが見える。明らかに人の手が加わった形跡だった。少なくとも不死属系や霊系魔物はこのようなことをしない。
『黒猫』から貰った情報では、古代戦域の北西側に回廊へ続く出入り口があり、そこを進むことで第三回廊へと続く轟雷號嵐領域が見つかるということだ。
しかし興味を引かれたシュウは、その地下洞窟へと足を踏み入れる。しばらくは細い通路が続いており、身体を横にしなければ進めないほどであった。シュウは霊体化してすり抜け、奥へと進んでいく。
するとかなり開けた場所に出た。
「人の気配はない、が……昔は人が住んでいたようだな」
砕けた土器や錆びた金属片がかなり転がっており、動物の骨と思われるものが一か所にまとめられている。また横たわる人骨も見えた。
迷宮の特性は人工的に掘られた洞窟にも適応されるのか、光源もないのに明るい。
その明かりは洞窟の壁画をくっきり映し出していた。
「かなり大掛かりな模様だが。中央には大きな翼の怪物。その頭上にリング。それと下方には燃える人間たち。もしやバハムートか?」
壁画に近づくと、模様だと思っていた部分が文字だと気付いた。
しかも今は使われていないグリニア文字である。つまり最大で千五百年前に描かれた壁画ということになる。保存状態が良いのは、ここが迷宮という異界の法則になっているからだろう。
だからシュウも壁画に描かれている光景が、マギアを滅ぼした天王バハムート――かつて憤怒王サタンと呼ばれたもの――だと推察できた。
答え合わせをするように、壁画の文字を読んでいく。
「神の怒り。人の愚かな争いは神の怒りを買った。魔力技術の進化は人間を進歩させ、同時に堕落させた。だから神は自ら栄えさせた聖なる都すらも躊躇わず滅ぼした」
警告を思わせる文面が続いている。
自分たちの子孫に対し、戒めようとしている壁画だ。とはいえグリニア人の子孫は迷宮に散らばり、その当時の恐怖を忘れてしまっている。
「『幻書』の奴も黄金要塞なんて追いかけず、こういうのを見つければいいのにな。いや、奴はそれで止まるような男でもないか……」
歴史は繰り返すものだ。
人は自らの愚かさを悔いる程度の賢さを備えているが、すぐに忘れてしまう。まして千五百年も経てば言い伝えすら曖昧になっていることだろう。
壁画に背を向けて、洞穴から出ていく。
とはいえ魔族に時代を与えるつもりはないのだ。その企みを潰すべく、迷宮の奥へ移動を再開したのだった。
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