第495話 『炉』の方針③


 アルナの本拠地、湖城領域は一際騒めいていた。

 リーダーのハーケスが全ての半魔族を集め、吸血種ノスフェラトゥになるべく全員を説得していたのだ。とはいえアルナは民主的組織ではない。ハーケスがそうすると決めれば、他の半魔族は決定に従うだけの話だ。

 単に説明義務として吸血種ノスフェラトゥ化の利点と欠点を語っているに過ぎない。



「……そういうわけだ。俺たちは吸血種ノスフェラトゥとして再誕する。そうすることでこの魔族に近い姿を捨て、人間の中で生きていく」



 半魔族にとって最も大きな利点は、人間の血を吸うことで異形の姿を捨てられることだ。いや、現時点では予想でしかないのだが、そういう想定で話を進めている。魔族としては人間に近く、人間としては異形過ぎるのが半魔族である。

 だが見た目が人間になってしまえば、人の中で生きていくことができる。

 それは隠れた同胞であったバラギスが証明してくれた。



「ノスフェラトゥ、いいだろうか」

「簡単なことですが、血はどのように用意しますか?」

「旧サンドラの人間に犠牲になってもらう。そのためにバラギスが情報を流してくれる。魔族との戦いを起こし、混乱している間に血を吸って人間に近い姿になる」



 少しばかり残酷な判断だが、ハーケスには選択肢がない。それにアルナの仲間以外に気遣うべき命はない。



「魔族と人間の戦いに参入し、人間の血を吸いつつ可能な限り同胞を助ける。俺たちは武力を活かして傭兵団となり、サンドラの一部になる予定だ。またサンドラの支配者はノスフェラトゥの能力を欲しているらしい。これも交渉材料になると思っている。俺は決して分の悪い賭けではないと思っている。どうか付き従ってほしい」



 ハーケスの提案で最も大きな問題は、全員が戦闘に参加して人間の血を吸わなければならない点だ。アルナは全員が戦えるわけではない。数十人もの半魔族の内、戦い慣れしている者は十人程度しかない。

 だが、ここは覚悟を決めるべき場所だ。

 運命の変わる分水嶺だ。

 だから半魔族の全員が、ハーケスの決断に同意の意を示したのだった。







 ◆◆◆







 同時刻、『黒猫』はシュウを伴って火主カノヌシと面会していた。当然だが『黒猫』は平凡な青年の人形を使っている。この面会は双方にとって重要な意味を持っていた。



「さて、余計なことに手を回しているようだな。戦力を集め、パンテオンの学者に貸し与えたと聞いている。アレらには不死の力を研究させる予定なのだ。勝手に使うな。あれはもはや我のモノ。我の所有する国民なのだ」

「それは大変申し訳ありません。我々は火主カノヌシと敵対するつもりはありません。誠意もこのように示します」



 そう言いながら『黒猫』はシュウを紹介する。



「彼は『死神』。我々の組織、黒猫における最大戦力です。火主カノヌシの邪魔になる存在を何であれ、一つだけ消して見せます」

「ほう?」

「たとえば魔族の首領、など如何でしょうか?」

「何だと?」



 これには思わず火主カノヌシも身を乗り出した。サンドラにとって魔族は最も大きな悩みの種だ。その首領を殺して見せると言われて期待せずにはいられない。

 だがすぐに不快を露わにした。



「そこまで大きな虚言を我の前で堂々と語るとはな。冗談にしても不愉快だ」

「いいえ。冗談ではありません。『死神』には容易いことです。彼は全ての死を手にしており、また全ての生命体は死から逃れられないのですから」

「貴様は何を言っている……」

「あなた方が不死魔族と呼ぶ生物は決して不死ではないのですよ。『死神』であれば容易く殺すことができます。この提案は火主カノヌシにとって喜ぶべきものだと思っておりますが?」



 淡々と述べる『黒猫』を前にして、火主カノヌシや彼に仕える男たちは戸惑いや恐怖を感じていた。裁判官も兼ねている火主カノヌシは、焦って誤魔化そうとする罪人たちを数多く見てきた。火主カノヌシを前にして嘘を吐く者の挙動はどこか不審になるものだ。しかし『黒猫』も、その後ろにいる『死神』も、ごくごく自然な態度にしか見えない。



「偉大なる火主カノヌシよ。ここは任せても良いのでは? 我々は何一つ損をしません」

「……確かに、そうか」



 このサンドラで好き勝手するなと釘を刺すつもりだったが、本当に魔族を狩る力があるのならば話は別である。探索軍も黒猫から紹介された実力者が多く、実際に団長のバラギスもその伝手によって所属している。

 火主カノヌシはそのバラギスのことを思い浮かべ、『黒猫』がその場しのぎの嘘を言っているわけではないのかもしれないと思い始めた。

 それに『黒猫』の提案は悪くない話でもある。



「いいだろう。貴様にその自信があるのならば、魔族の首魁を討ち取り、我が前に証を差し出せ」



 優れた支配者である火主カノヌシヘルダルフは更に声を強めて続ける。



「だが! その期限は十二日とする。それまでに我が命を果たせぬのならば、代償は貴様自身が支払うことになるだろう……理解したな『黒猫』よ」

「何も問題ありません」

「今日、この日より貴様を牢に入れる。十二日後の夕暮れまでに約束が果たされぬ場合、貴様は奴隷となりアリーナに売られるだろう」



 先に問題ないと告げた通り、『黒猫』は火主カノヌシの決定を受け入れた。まるで失敗を疑っていない『黒猫』の様子を目の当たりにして、皆が『死神』ことシュウへと視線を注ぐ。まさか本当に魔族の首領を殺せるのではないかと期待を大きくしてしまう。

 だがすぐに魔族の強大さを思い出し、『黒猫』の悲惨な結末を想像した。

 そんな様子を見ていたシュウは表情に出すことなく呆れる。



(仮に俺が殺し損ねたとして、人形が奴隷になるだけだろうに)



 どちらにせよ火主カノヌシに対してケジメをつけることができる。サンドラに於いて黒猫の活動を続けることは叶うだろう。

 完全に『黒猫』の思うがままであった。








 ◆◆◆







 火主カノヌシの宮殿から出たシュウは酒場に戻って『黒猫』と話し合う。勿論、この『黒猫』は人形であり、更に言うと火主カノヌシの宮殿で人質になっている個体とも異なる。

 最近は事件の多発で町全体の活気も下がり、酒場は閑散としていた。そのため多少大声で話しても誰かに聞かれる心配はなかった。 



「それで? 俺を魔族に差し向けるとは、どういう風の吹き回しだ?」

「ダンジョンコアの思惑を潰すためだよ」

「何か知っているのか?」

「これでもアグロサンドラに人形を送り込んでいてね。まぁ繁殖能力のない人形なんてすぐ壊されてしまうわけだけど、少しずつ情報は集まるものさ」

「わざと攫われているということか」

「そういうことだよ。そして意外なことだけど、アグロサンドラはとある魔物に苦しめられているんだ」

「よほど強い魔物なのか」

「それが鬼系魔物だよ」



 シュウは思わず眉を顰める。

 鬼系魔物といえば小鬼ゴブリンなどが代表的であり、個体としてはそれほど脅威と言えない。しかし一方で社会的な魔物なので、上位種を支配種として集落を作り増えていく厄介な魔物だ。



「だとすると絶望ディスピア級あたりか?」

「僕も詳細を確認したわけじゃない。おそらく颶雷妖鬼キンオニ。しかも……」

「しかも?」

「魔法を得ている可能性がある」



 魔法に覚醒しているということは、その颶雷妖鬼キンオニは『王』の魔物ということになる。法則そのものである魔法は、ただ適当に放つだけでも絶大な効力を及ぼす。それこそ世界の在り方を書き換えてしまうようなものだ。

 シュウは死魔法によって『死』の概念を作り出し、世界に魂の循環という法則を与えた。恒王ダンジョンコアもこの世に迷宮を生み出し、一つの世界として運営している。

 だから警戒した。



「根拠はあるのか?」

「神奥域の第二回廊と第三回廊の間にある迷宮領域だよ。轟雷號嵐ごうらいごうらん領域と魔族たちが呼んでいる。アグロサンドラは第三回廊にあるから、地上に攻め込むためには必ずこの領域を通過しなければならない。だけどそれは困難を極める。なぜなら轟雷號嵐ごうらいごうらん領域は常に嵐が吹き荒れていて、侵入者を雷で打つ。アグロサンドラは鬼系魔物と戦争に忙しくて、地上に対して大戦力を差し向けることができないんだ」

「なるほどな。それより迷宮内で嵐だと?」

「少なくとも禁呪に匹敵する環境操作を常に引き起こしている。とても魔術では説明できない現象だと思っているよ」

「だから魔法という結論を出したと」



 話を聞く限りだと魔法によって法則が書き換えられている可能性は高いように思える。ダンジョンコアの迷宮魔法はあくまでも空間を切り取り、支配下に置くこと。永続的に嵐を引き起こし、自在に雷を操るような能力ではない。

 轟雷號嵐ごうらいごうらん領域にいるという颶雷妖鬼キンオニは少なくとも絶望ディスピア級である。

 強大な異能を持った魔物がいる。

 シュウはある答えに思い至った。



「……いや、逆か? 強大な魔物を求めて魔族が?」



 魔族を生み出せる存在は魔神だけ。契約の鎖と迷宮魔力を有する魔神だけが実行できる。つまりこの神奥域に魔神が現れ、魔族を作ったということである。

 魔族の素体として優秀なのは魔装を有する人間、あるいは魔導を有する魔物。その異能が強力であれば、その分だけ強い魔族が生まれる。



「もしも『王』の魔物が魔族の素体になれば……」

「可能性はあるね」

アグロサンドラはバラギウムとかいう魔族が支配していたな? その目的は本当に地上なのか?」

「ああ、それは間違いないね」

「そうなると俺の勘違いか? あるいは魔神やダンジョンコアが思惑を隠しているのか?」

「どちらにせよダンジョンコアが何かを企んでいる可能性は捨てがたいと思うよ。そして僕の想定している最悪の場合が、魔族化した『王』の魔物を支配下に置くこと」



 もしも『黒猫』の予想が当たっているのならば、対応できるのはシュウしかいない。大陸東部の覇者にサンドラ人を選んだ『黒猫』からすれば、最悪のパターンでなくとも許容できないはずだ。

 だからシュウも断るつもりはなかったが、改めて了承した。



「わかったわかった。覚醒している可能性の高い、その颶雷妖鬼キンオニを滅ぼしつつバラギウムを消せばいいんだな?」

「あくまでも最優先はバラギウムで頼むよ」








 ◆◆◆







 『黒猫』が三つ眼計画により後天的に得た魔装こそ、人形を操る能力である。人間と全く変わらない見た目の傀儡を無数に操り、あるいは人間そのものを傀儡としてしまう。これによって『黒猫』は魔族にわざと囚われる形でアグロサンドラへ潜入していた。

 苗床のような扱いではあるため、常に目を光らせておく必要がある。だが迷宮から出てしまうと人形との繋がりが途絶え、自動モードに切り替わってしまう。それは『黒猫』にとって非常に困る状態なので、仕方なく旧サンドラ領域に本体を置いて活動していた。



「大いなるサンドラの王。真なるサンドラの王よ。時が来ました」



 そう告げ知らせたのは獣のような魔族であった。頭部は鳥のようであるが、身体は猫科の獣のようにしなやかである。身体のシルエットは女性的であり、その声もまた女性のようであった。

 神奥域の第三回廊に存在する大サンドラは、迷宮領域の一つを領土としていた。無為楼閣むいろうかく領域という摩天楼の並ぶかつての大都市である。まだ残っているその摩天楼を利用した街並みを形成しており、この国の王座もまた、摩天楼の最上階にある。



「そうか。我が血を分け与えた半端者も役に立ったか」



 アグロサンドラの王バラギウムは不敵な笑みを浮かべる。彼は他の魔族に比べて人間らしい姿形をしていた。しかし体の所々が真っ白な鱗によって覆われており、銀色の首輪や腕輪など装飾品を身に着けている。確かに王の威風を持った姿であった。

 バラギウムは深く腰を掛けていながらも杖を右手で握っている。



「この世にサンドラの王は二人もいらぬ。我が迷宮神器アルミラ・ルシス星環クロノスこそが真なる王の証」

「あなたこそ真なるサンドラの王。我らこそ真なるサンドラの民です。あなたの手となり足となり、忠実な我らは僭王せんおうを討ち滅ぼしましょう。さぁ、命令を」

「軍を二つに分けるのだ。もはや無為楼閣むいろうかく領域に守りは不要である。それと魔神様に契約を果たしていただく日がやってきた。そう伝えよ」

「承知いたしました」



 女型の魔族は深く頭を下げ、背を向ける。

 命令を実行するべく動きだした彼女の背中に向けて、バラギウムは思い出したかのように告げた。



「ああ、それと人間牧場も不要である。あのような貧弱な生物、皆殺しにせよ」

「偉大なる王よ。仰せのままに。しかし忠実なしもべとして敢えてお伺いいたします。アレは魔神様のご命令で作ったもの。本当に皆殺しにしてよろしいのでしょうか」

「ふん。我らはこの戦いを以て地上に出る。サンドラを僭称する国を滅ぼし、この我が覇者として君臨するのだ。ならばこのような地にある人間牧場など不要であろう? 必要な贄も集まったのだからな」

「我が浅慮をお許しください。あなたは全てにおいて正しいと知りました」

「よい。行け」



 王座の間にて一人となったバラギウムは、手にしていた神器ルシス星環クロノスを掲げる。魔族としての絶大な能力、そして強力無比な神器ルシス。彼はただ一人でも地上のサンドラを滅ぼし尽くせる自信があった。



「魔神様に捧げた半魔族共のお蔭で我は安全に地上へ進む方法を手に入れた。我が血を分け与えたとはいえ、半端者のしもべに頼る国に未来はない。我が勝利は確実だ」



 低く響く笑い声が、摩天楼の最上階から広がっていく。

 大サンドラの王バラギウムは自らの勝利を確信し、地上へ進出する自らの姿を夢想していた。


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