第492話 零落する都市国家


 シュウは『幻書』を抱えてパンテオンの上空に浮かんでいた。

 眼下には崩壊した都市が見えている。地面からは大量の白い柱が生えていて、パンテオンの繁栄を完膚なきまでに破壊している。



「馬鹿な。これほどの……パンテオンの栄華がこれほど……簡単に」

「中々すごい魔装だ。当然の結果だな」



 以前、シュウは南方を視察して蛮族ラヴァを確認した。その時も都市を一つ破壊して悦に浸っていた。



「パンテオンはもう終わりだ」

「いや、盟主殿がそろそろ迎撃するはずだ」



 そう『幻書』が言うと同時に動きがあった。

 ほぼ崩壊してしまったパンテオンの中心部には、まだ兵士が残っている。長老会のための設備であり、今は幾らかの避難民も集まっていた。その建物も先に起こった骨の隆起で一部倒壊しているが、まだ元の姿を留めている状態だった。

 そこから閃光の如き射撃が行われたのである。

 音速すら超える速度だったこともあり、断熱空気圧縮によるプラズマの軌跡が残る。更には衝撃波が撒き散らされ、瓦礫を砕いた。

 音速超えの砲撃はパンテオンを破壊した骨の柱すらも貫通し、ラヴァを直撃する。



「あれだ! あれこそが!」

「おい。暴れるな。落とすぞ」

「あれが盟主殿の迷宮神器アルミラ・ルシス暴転器アンドロメダに間違いない!」

「興奮するな」

「あれを見て興奮せずにいられぬものか! 古代の魔術なのだぞ!」



 続けて長老会の集会所から砲撃が放たれる。そのどれもが音速を突破しており、この時代で再現できる威力ではない。科学にせよ魔術にせよ、音速を越えるためには技術の積み重ねを必要とする。

 シュウは呆れ、『幻書』は興奮していた。



「ところでだが」



 不意に我に返った『幻書』は、シュウに尋ねる。



「どうやって空を飛んでいるのだ!? それはどんな魔術だ! た、頼む! 教えてくれ!」

「……それどころではないだろうに」

「これも重要なことだ!」

「重要なことはパンテオンから逃れ、技術を継承することだろう?」



 相変わらずの男であった。








 ◆◆◆







 パンテオンは長老会による合議で政治を行う。しかしながら指導者不在では不都合が多いので、盟主という名称で指導者を定めていた。パンテオンという国家の特徴として、指導者には強さよりも政治力の高さが求められる。盟主アウグストもまた、肉体の衰えた老人であった。



「さぁ、次を」



 彼は神器ルシス暴転器アンドロメダを発動し、超音速の砲撃を行う。しかしながら魔力も肉体も衰えており、暴転器アンドロメダ本来の性能を発揮しているとは言えない。

 暴転器アンドロメダは首飾り型の神器ルシスであり、発動することで最大三つの円環を生み出す。そしてこの円環を通過した物体を加速させるのが能力だ。単純だが強力な神器ルシスである。年老いたアウグストでも扱える遠距離攻撃に優れた能力だった。



「無理をなさらずに、盟主殿」

「そうです。あなたは魔力を使い過ぎです。このままでは」

「分かっておる。魔力を使い過ぎれば死ぬ。儂が知らんとでも思うてか」

「い、いえ。せめて若い者に神器ルシスを託してください。このままでは……」

「それでは駄目なのだ」



 アウグストを慕う男が進言しても、彼は首を横に振るだけだ。

 実際、アウグストは既に肩で息をするほど疲労している。魔力とは魂の活動に必要なエネルギーだ。都市国家パンテオンにおいても、魔力についての一般認識として生命力とリンクしていることは知られていた。年老いたアウグストでは、神器ルシスを使うほどに寿命を削っているようなもの。

 心配も当然だった。



神器ルシスには意思がある。暴転器アンドロメダは儂を選んだ。儂にしか扱えぬよ」

「……存じ上げております。ですから新たな担い手を」

「これも研究のため神器ルシスを独占してきたツケよ。儂の弟子たちに適合者は一人としておらなんだ。他の研究会の弟子たちなら、適合する者がいたかも知れんがな」



 彼らが失望し、焦るのも無理はない。

 暴転器アンドロメダによる音速砲撃を何度行っても、蛮族の侵攻は止まっていない。蛮族は決して撤退せず、その酋長たるラヴァには傷一つない。特にラヴァは何度も音速砲撃の直撃を喰らっているはずなのにだ。

 普通ならば数百人の人間を容易く木っ端微塵にしてしまう威力の攻撃である。アウグストたちの絶望も無理はない。



「盟主として、パンテオンの長老の一人として命じたことは?」



 アウグストは杖で自らを支えることすらできなくなり、それでも暴転器アンドロメダを解除することはない。

 弟子たちは彼の身体を支えつつ、その質問に答えた。



「カラン翁は既に旅立ちました。賢者たち、多くの高弟たち、そして重要な研究成果と共に。パンテオンの知識は必ず受け継がれます」

「うむ、安心した。これで心置きなく散れるというもの」

「アウグスト様……」

「長老会の盟主として、儂は責任を果たす必要がある。それに……この最も美しい街で死を飾れるのであれば、それも良いだろう」



 およそ百五十年という歴史を持つパンテオンは、多くの知識を蓄えてきた。それはパンテオン人にとっての宝であり、他の誰にも奪わせはしない。人さえ残っていれば、知識さえ継承すれば都市はまた再建できる。そんな考えの元、既に一部の賢者たちは逃げていた。

 交流は深くないが、都市国家サンドラとは国交もある。それにその土地はかつてパンテオン人が住んでいた場所でもあるのだ。決して所縁がないわけではない。問題なくサンドラまで辿り着けるだろう。



「さて、暴転器アンドロメダよ。儂の命を使い尽くし、最期の抵抗をしてみせよ」



 アウグストは弟子たちに支えられながら、意識の続く限り暴転器アンドロメダを発動し続ける。少しずつ接近しているラヴァを撃破することこそ敵わないが、時間稼ぎには充分だ。それにラヴァには効かなくても、彼の率いる蛮族たちには効果が望める。

 パンテオン人の意地として、この地に残った者たちは命尽きるまで抵抗を続けた。

 そしてこの日、都市国家パンテオンは滅びたのだった。








 ◆◆◆







 半魔族ハーケスは旧サンドラ領域の古代遺跡群を訪れていた。アングラな場所なので、ただ歩いているだけで襲撃されることもある治安の悪さだ。それを知っているハーケスは慎重に行動して、塔と呼ばれる古代遺跡に辿り着いた。

 その最上階が黒猫の拠点となっている。ハーケスの目的地はそこだった。



「いらっしゃい」



 扉を開けて迎え入れてくれたのは特徴の少ない青年だ。こんな薄汚れた場所で比較的綺麗な格好をしているにもかかわらず、一度扉を出てしまえば忘れてしまいそうになる。

 酒場のテーブル席には何組か遺物を売り払いに来たであろう男たちがいて、カウンター席にも三人ほどカップに口を付けている。騒がしいテーブル席、静かなカウンター席と切り分けられているようだった。当然だがハーケスはカウンター席に座る。



「飲み物は?」

「これで適当に」



 ハーケスは金色の欠片を数枚差し出す。迷宮で発見されるオリハルコンの欠片だ。どんなに加熱しても加工できない希少金属ということで、硬貨の代わりになる。

 出されたものはアルコールの強い安酒だったが、古代遺跡群ではこんなものすら手に入れられない者が多い。ハーケスは一口だけ口に含み、すぐに本題を語った。



「『赤兎』が死んだ」

「そうかい。コインは?」

「……悪いが回収していない。どこにあるのかも分からない」

「それは残念だよ。回収には手間がかかるね」

「……仲間が死んだのにそれだけなのか?」

「黒猫において仲間という認識はないよ。お互いに利用するための共同体だ。こちらは管理者として相応しい能力者を幹部としているに過ぎない」



 はっきりと口に出されてハーケスも怒りを覚えた。彼にとって『赤兎』は確かな友情で結ばれた仲間だったのだ。命を預けられるほど信頼している仲だった。こうも簡単に切り捨てられては大人しくしていられない。

 思わずカップを握る手に力が入った。



「備品を壊すのは止めてくれよ。君の力なら簡単に潰せてしまう」

「仲間よりカップの心配なのか?」

「すでに死んだメンバーより、今なら守れる備品の方が重要だと思うけどね」



 わざと怒らせようとしているのではないか、とすら思った。だがハーケスは歯を食いしばって怒りを抑え込み、左手で右腕を抑える。本来の目的を果たすまで余計なことはできない。



「気に入らないなら黒猫との縁を切るかい?」

「……それは」

「しかし君には決められないことだ。君は黒猫の一員ではない。ただ幹部たちの知り合いでしかないんだからね。縁を切るということは、君たちにとっての全ての繋がりを捨てるに等しい」

「確かに、俺たちが生き残る方法はあまり残されていない」



 ハーケスの行動には責任が伴う。アルナという組織を率いている以上、そこに所属する仲間たちのことを第一に考えなければならない。黒猫という組織は外部と繋がる重要な取引相手だ。仲間が幹部として所属することによって、その恩恵に与かってきた面は大きい。

 決して簡単に切れる相手ではない。

 『黒猫』はハーケスの覚悟と責任感を試していた。



「君の覚悟は充分ということか。ならば一度『黒鉄』と相談することを勧めるよ。君たちが考えていた当初の計画は崩れたのだから」

「考えていたこと、想定していたことから外れつつある。それにガルミーゼも失った。『黒鉄』がどうしてあんな行動を取ったのか、俺には分からない。あいつは俺とは違う考えで動いているように思える」

「この世は思い通りにならないことの方が多いのさ。話してみなければ何も分からないよ」



 そう言いながら、『黒猫』は奥の扉を指差す。

 たとえ黒猫に所属する者でも入室は許されない最奥の部屋だ。



「『黒鉄』に集合指令を出した。すぐにここまで来てくれるだろう」

「どうだろうな。あいつは俺より自由がない。十日ほどは見ておくさ。頭を冷やしながらな」



 ハーケスは怒りと共に息を吐きだした。








 ◆◆◆







 都市国家サンドラは短期間で大きな被害を被ることになった。

 一つはレベリオ征伐のために派遣した軍隊の壊滅。もう一つが捕らえた半魔族の処刑失敗である。こちらは人的被害こそ軽微だったが、都市の破壊と信頼の失墜が痛い。市民は火主カノヌシに対する疑念を抱くようになり始めたのだ。

 こうした都市の外に出れば、人権など存在しない魔境が広がっている。間違って魔物の生息域に踏み込んでしまえば生きて帰れる保証などなく、そうでなくとも蛮族や盗賊に襲われる危険もある。だから都市の支配者に求められるものは強さだ。弱い自分たちを守ってくれる強い支配者にこそ、自分たちを預ける。

 敗北は市民であることを揺らがせるのに充分な理由なのだ。



「――畏れながら迷宮を封印せよと人々は懇願しております。実際に魔族を目の当たりにして、恐怖しているのです。その」

「ふん。続けろ」

「あの、いえ、土地を売りたいと申請する市民たちが……そればかりか夜逃げを企む者までいるという噂もあります」



 サンドラにおいて土地は厳格に管理されているものだ。その売買に至っては審査のようなものが必要になる。直轄兵のような特権階級者はそれを免除されるものの、市民の多くは勝手に家や畑を売ってはいけないことになっている。もしも違反すれば重い罰を受けることになるのだ。

 これは市民の流出を防ぐ措置であり、都市を計画的に管理するための方策でもある。このように土地の売買について申請してくれるならば良い方であり、勝手に放棄して遁走しようとする市民については管理しきれない。

 支配者への信頼が失われたことを如実に語っていた。



「申請を出している者たちについては手続きを引き延ばせ」

「そうなれば夜逃げする者が増えかねませんが……」

「仕方あるまい。パンテオンの噂を流せ」

「承知いたしました。噂の真偽についても確認を急ぎます」



 立法、司法、行政の全てを一人で担う火主カノヌシの忙しさは過去最大級になっている。些事は官僚たちに任せれば良いのだが、方針の判断や最終的な決定は火主カノヌシが下すのだ。一人で全てを担うには仕事が多すぎる。

 だから時間稼ぎのため、ある噂話を広げさせることにした。



「しかし偉大なる火主カノヌシよ。パンテオンが滅ぼされたというのは、真実であれば残念なことです。行商人たちの往来もなくなるかもしれません。奴隷を西方から仕入れている現状ですと、労働力が不足する可能性もあります」

「構わん。遺物の採掘も中止しておるのだ。取引できる物がないのだから、行商人が来る意味もあるまい」

「……よろしかったのでしょうか?」

「探索軍を警備に回しているのだ。迷宮探索は後回しだ。旧サンドラの放棄も考えている。それを見極めさせるためにバラギスを送り込んだ」

「トマス殿が討ち取られた今、バラギス殿が最高戦力ですからな。市民を納得させるにはそれが最善であると私も思います」



 サンドラの警戒は過去最大級にまでなっている。

 一部の官僚は遷都を提案するほどだ。しかし火主カノヌシヘルダルフはその提案に消極的だった。



「ふん。パンテオンの民がサンドラに逃れてきたのは幸運だった。不死の力を研究させることができるのだからな。呼ぶ手間が省けたというものだ」

「はい。もしも不死不滅の力を手に入れることができたのならば、火主カノヌシの繁栄は地の果てにまで轟くことでしょう」

「バラギスを旧サンドラに行かせたのは、例の女を捕らえさせるためでもある。あの女に不死の力を献上させるため、貴様らも尽力せよ」



 今の火主カノヌシが求めるのは不死の力。

 ノスフェラトゥが直轄兵に不滅の力を与えていたところは多くの人間が見ていた。暴走した兵士はバラギスが何度も殺すことでようやく止まったのだが、畏れを抱く者が多い中で火主カノヌシは可能性を見ていた。

 異質な力には恐れが付きまとうものだ。

 魔装も恐ろしい力の一つとして迫害されることも多い。バラギスとて本来であればその対象となってもおかしくなかったのだ。そういう意味では火主カノヌシは統治者として見る目のある人物といえる。魔族という脅威に晒されているからこその価値観なのかもしれないが。

 宮廷に仕える官僚たちは次々と出て行き、入れ替わりに別の官僚たちが新しい問題を持ってくる。



「偉大なる火主カノヌシよ。その繁栄が永遠でありますように」

「よく来たサーラーンの子、ヨベル。貴様には何を任せていたか?」

「はい。パンテオンの難民を受け入れるため働いておりました。代表を名乗るカランという人物と話し合い、彼らのために土地を与えることにしました。巨兵山の南側です。土地の代金を受け取らない代わりに、彼らの知識を偉大なる火主カノヌシに献上するよう説得いたしました」

「よくやった。我が忠実なしもべよ」



 ヨベルという男は深く頭を下げつつも誇らしげである。

 彼は伏したまま続きを述べた。



「パンテオンの賢者の一人についてご報告があります。かの黒猫と繋がっているようでレベリオについて調査しようとしているようです」

「何?」

「その男はサンドラ語が堪能で、黒猫に戦力を融通するように頼んでおりました」



 宮殿の中でも一部の者しか知らないことだが、サンドラと黒猫はそれなりに深い関係にある。迷宮探索の拠点として利用している迷宮内都市、旧サンドラ領域で一定の力を持っているからだ。より正確には旧サンドラ領域の古代遺跡群で強い力を持っている組織となる。

 実を言えば探索軍には黒猫から紹介された魔装使いの兵士がかなりいる。また古代遺跡群でも黒猫に実力を示し、探索軍に紹介してもらうことを目標にしている者は少なくない。

 そういった関係から火主カノヌシとしても黒猫の動向について細かく情報を求めており、地上にある黒猫の酒場も監視していた。



(最近は黒猫も我の監視から外れた動きをするようになった。少し圧をかける必要もあるか)



 探索軍の補充や旧サンドラの治安維持の面で恩恵を受けているために、多少の悪事は見逃している面もある。だが甘い顔をするだけではいけない。

 実際、黒猫は迷宮遺物を違法に採掘して世に流している。

 このあたりで一度締め付けを強くするべきだと火主カノヌシは考えていた。



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