第493話 『炉』の方針①


 シュウはパンテオンの民を引き連れてサンドラまで導いた。直接的なことはしなかったが、近づく魔物を排除したりと密かな活躍をしていたのである。結果として一人も欠けることなく、パンテオンを脱出した民はサンドラに辿り着くことができた。

 行商人を通してサンドラとパンテオンは交易しているため、追い出されるということはない。サンドラ側とパンテオン側で協議が行われ、サンドラ近郊の土地に住むことを許されたという訳である。



「手を煩わせたな『死神』殿。お蔭で煌天城の調査に乗り出せる。こうなるとパンテオンが滅ぼされたことも悪いことではない」

「それは他の奴らに言わない方がいいな」

「分別は弁えているとも」



 難民としてサンドラにやってきたパンテオン人の中には『幻書』も紛れていた。彼は賢者の一人クラクティウスとしての立場をほぼ捨て去ろうとしている。パンテオン人の中では羨望と尊敬を集める立場にもかかわらず、クラクティウスにとっては現時点で大きな価値に思えなかった。

 彼は終焉戦争以前の魔術文明にしか興味がない。黄金域で僅かに発掘される術符より、天に浮かぶとされる黄金の城の方が重要なのである。



「南のレベリオ人の土地に煌天城があるのならば、私は全てを捨ててそこに向かう。それだけのことだ」

「そのために黒猫を頼って人を雇ったのか?」

「当然だ。権利は行使してこそなのだよ。パンテオンが滅ぼされた今、賢者という地位に拘る意味はない。ならば『幻書』としての力を使うまでだ」

「そうか。なら、その煌天城の調査記録には期待しておく」

「『死神』殿には世話になった。そのくらいは融通しても良いだろう。ともに調査してくれる方が、私としては嬉しいのだがね」

「悪いが俺にも用事はある」



 シュウはそう言いながら囲いに守られたサンドラに目を向けた。



「俺の後継者がいい具合になっているんでな」








 ◆◆◆








 サンドラの警戒は高まっている。

 特に迷宮入口の周辺には探索軍がこれまでの倍以上の人数で常駐している。迷宮から異物を運び出す時も厳重な警備のもと行われているほどだった。

 当然だが身分の証明できない者は迷宮に入ることができない。

 シュウもわざわざ透明化の魔術と霊体化を使わなければならないほどだった。



「さて、しばらく『黒猫』に任せていたが……どうなったか」



 ある程度のことは『黒猫』から連絡を受けている。勿論、ノスフェラトゥの動向についてだ。『黒猫』自身もノスフェラトゥのことを『死神』の後継者として期待していたこともあり、もたらされた報告は満足できる結果であった。

 とはいえ最新の位置情報まで知っているわけではない。

 それを知るために旧サンドラ古代遺跡群の塔までやってきたのだった。



「おや、久しぶりかな」

「そうなる」

「奥へどうぞ」



 黒猫の酒場へ入ると、すぐにマスターが奥の扉を指差した。限られた人物しか入ることの許されない、塔の最奥である。酒に入り浸る男たちは驚きや妬みの視線を向けていたが、シュウは気にすることなく奥の扉へ向かう。

 一見すると新参者に見えるのだから、気に入らないという感情も理解できる。

 因縁をつけてこないあたり、しっかり『教育』されているのだろう。



(誰かいるな)



 魔力を感知して奥の部屋に『黒猫』本体以外の誰かがいると気付いた。

 珍しいこともあると思いながら奥の部屋へと入る。すると頭から足まで身を隠した男がそこにいた。シュウは誰なのか分からなかったが、すぐに説明される。



「や、『死神』。彼は黒猫とは直接関係ないけど、幹部の友人ハーケス君だよ。一度顔は合わせたと思うけど」

「そうだったか?」

「ハーケス君は少しばかり容貌が変わってしまったからね」



 見覚えがないのも無理はない。

 ハーケスは吸血種ノスフェラトゥに変貌したとき、自己再生で血液不足に陥った。その耐えがたい渇きを満たすため、仲間だった『赤兎ガルミーゼ』の血を吸ったのだ。血を介して魔力と遺伝子を取り込み、結果としてハーケスの身体にも影響が現れたのである。

 そのためシュウも誰なのかすぐ思い出せなかったのだ。



(ああ、もしかしてノスフェラトゥを貸した半魔族か)



 この酒場で多少なりとも関係を築いた相手はほぼいないので、消去法で特定はできたが。



「俺はノスフェラトゥのことを聞きに来たんだが、今あいつはどこだ?」

「ノスフェラトゥなら俺たちの拠点に行ってもらった」

「……そういえばお前たちで相当暴れたらしいな。地上のサンドラは随分と騒ぎになっていた」

「俺たちも本意じゃない。ただ仲間を助けたかっただけだ」



 ハーケスの声は小さく、覇気がない。

 仲間は助けられなかったのだろうとシュウは想像した。『黒猫』に目を向けると、彼女も困ったような顔をしている。



「で? これはどういう集まりだ? お前が本体で幹部でもない奴と話をするとは」

「まぁね。どうやら勝負所みたいだから」

「それだけが理由か?」

「実は南部の方はほぼ捨てているんだ。ラヴァ族が暴れすぎている。本格的に僕もサンドラに肩入れするつもりなんだよ。パンテオンまで滅ぼされたんだろう?」

「それほど被害が広がっていたのか」



 蛮族ラヴァと彼の率いる賊の脅威はシュウも部分的に認知している。先のパンテオンで起こった襲撃事件もその一つだ。だがラヴァ族と呼ばれる蛮族はシュウの知らないところでも随分と暴れている。たとえばラヴァ族はパンテオンの南にあるシエスタ人やヴェリト人の土地にも甚大な被害を出していた。



「ラヴァは覚醒魔装士だ。もしも殺すなら俺がやってもいい」

「それも考慮しておくよ。まずはサンドラの立て直しからだ」

「サンドラの立て直しに半魔族が関係するのか?」

「それはこれからやってくる『黒鉄』との相談次第になるかな。ああ、丁度良かったね」



 彼女がそう呟いた途端、シュウも大きな魔力を感じる。

 限られた人物しか入ることを許されていない、この部屋にやってくることができる人物。それは先程『黒猫』が口にした『黒鉄』で間違いないだろう。主に用心棒としての力が認められた幹部だ。文明の衰えた現代において、用心棒とは相当な権力者だけが雇うものである。黒猫としては『黒鉄』を通して国家権力者などと繋がることに期待しているのだ。

 そしてこのサンドラにおける最大権力者といえば火主カノヌシ

 シュウは『黒鉄』の正体を知らなかったが、火主カノヌシに近い人物だろうと予想していた。勿論この予想は正しかった。



「連絡を貰ったのに悪かった。来るのが遅れた」

「来たかバラギス」



 現れたのは探索軍の団長バラギスであった。

 それをハーケスは親し気に、しかしどこか責めるような態度で迎え入れる。シュウもバラギスのことは知っていたが、この光景には思わず目を丸くした。



(どういう繋がりだ? なぜサンドラの軍団長が黒猫に? しかも半魔族とも)



 その疑問は『黒猫』も予想していたらしく、耳打ちして教えてくれた。



「バラギスは半魔族なんだよ」

「見た目は人間だが? 半魔族は魔族の異形な部分を引き継ぐはずだろう? そういう突然変異か?」

「そういうこと」



 ある意味で納得できる話だった。

 ラヴァもそうだが、バラギスも現代ではありえないほど強力な魔力と魔装を備えている。魔族交じりだと分かれば納得だった。細かい経緯はまだ分からないが、どうやらシュウの思っている以上に複雑な事情らしい。

 シュウはもっと単純に考えていたが、『黒猫』はその複雑な事情を考慮して策を巡らせているようだ。



「魔族も巻き込んだ統一戦争を引き起こす。僕がその覇者として選んだのだがサンドラだよ」

「理由は?」

「今、国家として体を為している勢力は五つ。サンドラ人、レベリオ人、パンテオン人、ヴェリト人、シエスタ人だ。この内、レベリオには黄金要塞が現れたから暗躍ではどうしようもない。パンテオンはラヴァ族に滅ぼされてしまったというのもあるけど、元から専守防衛の考え方だから覇者にはなれない。何より議会制国家だからそういうのに向いていない。ヴェリト人も候補だったけど始原母ティアマトとかいう変なのを信仰して特殊能力を得ている。おそらく聖教会の星盤祖マルドゥークと同質なものだと思っているけど、これは調査中だね。最後にシエスタはほぼ武力を持たず、外から傭兵を雇って自衛している民族だ。パンテオンと同じ理由で覇者にはなり得ない」

「だから魔族という問題を抱えていてもサンドラを?」

「何より火主カノヌシは意欲的で野心的だ。こればかりは管理し難い部分だからね。適性のある支配者とは奇跡的な確率で生まれてくるものさ」



 彼女の言い分を聞く限り、ラヴァ族は論外なのだろう。流石に好き勝手暴れまわる蛮族を支配者に、とは考えていないらしい。統一戦争を終結させるには大きな力が必要だが、秩序無き力を支配者とするわけにはいかない。

 ラヴァは三大欲求だけで生きているような男だ。

 『黒猫』としてもいずれ始末する予定ではあった。



「さて!」



 『黒猫』は皆の注目を集める。

 彼女は猫耳意匠のフードを降ろして顔を見せながら見回した。



「『死神』、『黒鉄』、そしてハーケス。僕には僕の目的があり、君たちには君たちの目的がある。ここで四人の目的が一致したことは運命だ。協力するために、お互いの妥協点を見つけようじゃないか」

「妥協点だと?」

「そうだよ『黒鉄バラギス』。正直に答えるんだ。君はどの立場で動く? サンドラ兵として、探索軍の団長としてかな? それとも半魔族としてかな? あるいは……魔族の間諜としてかな?」

「っ! それを知ってッ!」



 これにはバラギスも警戒心を露わにした。同時にハーケスが彼の肩を掴み、落ち着くようにと言い聞かせる。聞いているだけだったシュウも内心では溜息が絶えなかった。



(なるほど。これほど複雑なことになっていたとはな)



 ノスフェラトゥを鍛えるのに丁度いい、くらいにしか思っていなかったのだ。踏み込んだ事情までは知らないし、知る必要もないと思っていた。



「『黒猫』、その辺りの事情を説明してもらおうか。俺は聞いていないんだが?」

「詳しい話は歴史から語る必要がある。魔族とは元々サンドラ人なんだよ。かつて迷宮を転々としていたサンドラ人は地上へ移った集団と、迷宮に取り残された集団がいた」

「この旧サンドラとは別にか?」

「その通り。取り残されたという言い方は相応しくないね。追放されたんだよ。罪人としてね」



 現代はあらゆるところに脅威がある。特に迷宮は危険な魔物が縄張りにしているところも多い。安全だと確認された場所以外では簡単に死ぬ。追放刑とは死刑とそう変わりない。



「サンドラの初代火主カノヌシルキウムに敗れたその兄、バラギウム。バラギウムは彼に付き従う者たちと共に追放された。王の在り方を巡って対立し、無限炉プロメテウスを持つ弟が勝者となった。火の加護を得たサンドラ人は大きな民族となったんだ。一方でバラギウムと一行は迷宮を彷徨い、死ぬはずだった」

「だが、そうはならなかった」

「天運はバラギウムから離れていなかった。七仙業魔のバステレトが死にかけのバラギウムを見つけたんだ」

「バステレト……睡蓮魔仙か。魔神や七仙業魔の動きが随分小さいと思っていたが、まさか神奥域まで進出していたとはな。しかしよくそんな詳しい情報を知っているな」

「僕の魔装を知っているだろう?」

「なるほど」



 無限の寿命を持つ『黒猫』にとって、歴史とは実際に見てきたもの。バラギウムが追放されたときも人形の魔装を使い、ずっと見張っていたのだろう。



「何十、何百という民族が迷宮の中で消えていった。あるいは統合され、交わっていったよ。サンドラ人も歴史を辿れば――」

「その話はいらん」

「まぁそうだよね。追放されたサンドラ人、バラギウムは魔族に助けられ、魔族になった。そして自分こそがサンドラの正当後継者であるとして、アグロサンドラを作った。サンドラ人と魔族の戦いは、言ってしまえば兄弟喧嘩に過ぎないのさ」



 それはいささか簡単に言い過ぎなのではとも思ったが、お蔭で勢力図が見えてきた。そういう意味でも半魔族とは被害者なのだ。

 サンドラとアグロサンドラの対立から生まれてしまった悲劇の種族と言えよう。人間からは迫害され、魔族からは奴隷のように扱われる。そんなどっちつかずの種族なのだ。



「私は……俺はアグロサンドラの王、つまり魔族の首領バラギウムの子だ。奴が半魔族の女を孕ませ、俺が生まれた」

「人間と変わらない見た目は偶然か」

「俺の父は……バラギウムは人と変わらない俺の姿に目を付けたのだろう。サンドラに入り込み、情報を集め、内側から崩すように命じた。初めは半魔族未満として扱われていたがな」



 バラギスがそう零しながら右腕を見せつけた。拳を握り込んで力を入れると、腕が銀色の鱗に覆われ始める。水銀を操る能力が彼の魔装なので、それは半魔族としての異能であった。



「俺とハーケスは尖兵として初めての戦場を共にした。そういう仲だ。死ぬはずだった俺たちはどうにか生き残った。魔族共は俺たちのことなど捨ておいたのでな。それで魔族の支配から逃げ出そうと思ったわけだ」



 このややこしい状況はバラギスとしても想定外のことだった。本来ならばハーケスは半魔族が安全に暮らせるように『場』を作り、バラギスは尖兵として送られる半魔族を死んだことにしてハーケスへ受け渡すという作戦だったのである。

 世の中が思ったように進まない例だった。

 なんとかアルナを作り出し、少数ながら可能な限りの半魔族を助け出すことに成功した。しかしこれも中途に終わろうとしている。どうにかしなければ半魔族は滅びの運命を辿るしかない。

 それに抗うことこそ目的である、ということを前提にシュウは尋ねた。



「それでお前たちは何を求める? 破壊か? 自由か?」

「俺から話す。俺はアルナの仲間が安全に過ごせる場所が欲しい。その過程が破壊であってもいい。逃げるのでもいい。とにかく仲間が第一だ。誰も迫害されずに暮らせる場所が必要なんだ。俺たちにも、生きる権利はある」

「仲間の安全が保障される方法なら、なんでもいいと」

「ああ」


 

 先に答えたハーケスはしっかり、はっきりと自分の目的を口にした。しかし一方で表情には諦めや失望も混じっている。己の不足を嘆いているのだ。

 シュウは頷き、続いてバラギスに目を向ける。彼はあまり表情が動いていない。魂を見てもあまり感情が豊かでないらしいと分かった。



「……俺か。俺は」



 元からバラギスは口が回る方ではない。

 普段の行動も火主カノヌシから命じられるがままであることも多く、寡黙な印象であった。探索軍の団長として最低限のコミュニケーションは可能だが、どちらかと言えば腕っぷしが認められているからこその立場といえる。

 直轄軍に忠誠が求められるように、探索軍には実力が求められる。

 そんなバラギスの望みとは何か。



「半魔族という存在を人間に認めさせる。力を示し、支配者の一人として認めさせること。それを願い、戦っている」



 『黒鉄』らしからぬ思いを口にしたのだった。


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