第486話 処刑の知らせ


 その突然とも言える凶報に火主カノヌシは激怒した。

 また困惑し、失望した。



「我が軍が壊滅……あのトマスまでもが死んだと……? あり得ぬ」



 サンドラへその知らせをもたらしたのはボロボロの兵士だった。衣服も武器もなく、全身が泥だらけの彼は初め不審者扱いを受けて捕らえられた。しかし運よく彼は直轄軍であり、その家に連なる者であることを示す青銅板を所有していた。親族の証言もあり、どうにかレベリオ征伐に参加していた直轄兵の一人だと判断されたのである。



「戻ってきたヘイル家のロズは錯乱しておりました。どうにか話を聞くことのできる程度に回復しましたが、やはり要領を得ない話ばかりです。空から城が降ってきたと」

「空の城だと?」

「申し訳ございません。空から城、天の火が降ってくる、という二つしか話さないのです。大きな嵐に襲われ、軍勢が瓦解してしまったのではないかと推測しております。トマス様の死についても混乱した彼の証言ですので信頼できるかどうかは分かりません。しかし天の火に打たれたと確かに語りました」

「なんということだ……」



 火主カノヌシヘルダルフは酷く狼狽した。

 トマスという男は忠実で信頼できる戦士だった。だからこそレベリオ征伐に失敗はないと確信し、彼に全権委任していた。



「我が国の戦力は大きく減らされた、か」



 直轄軍はサンドラにおける正規軍に相当する戦力だ。確かな家柄と歴史が作り出した象徴的な力である。また徴兵した男たちも返ってこなかったので、労働力の喪失という点でも被害は大きい。

 迷宮の魔族が活発になっている今、戦力の激減は痛い問題だった。



「偉大なる火主カノヌシヘルダルフ様。何も悪い知らせばかりではありません。兵たちはレベリオの多くの街を滅ぼし、火の裁きを下したとのこと。奴らも無傷ではありませぬ」

「勝利でなければ意味などない。違うか?」

「あなたの言葉に間違いはありません。すべて正しく、真理です」



 しかし喪失したものを嘆く暇などない。

 国の主として、次を考える必要がある。火主カノヌシヘルダルフは手元に黄金色の杖を手繰り寄せた。常に彼の側に置かれているその杖は、先端に灯篭がぶら下がっている。燃料もなく常に火が灯り、煌々と熱を発していた。

 サンドラという国家の最も大きな力の源、迷宮神器アルミラ・ルシス無限炉プロメテウスである。



「迷宮とレベリオ。二つの敵と戦うために我は二つの軍を用意した。だがそのうちの一つは潰えたに等しい。であれば、どちらかの戦場を捨てることこそが必定。さて、どちらを捨てるか。どのように捨てるべきか」



 その問いに対して配下の者たちは誰も口を開かない。

 寛ぎながら独り言を呟く火主カノヌシの自問自答を見守るのみである。ヘルダルフ自身も誰かに意見を求めることなく、手にした神器を見つめてひたすら呟く。



「……まずは情報と時間が必要か。レベリオの動きを知る必要がある。そして直轄軍を建て直すための時間がいる」



 だがヘルダルフの口にした問題よりも直近に訪れる問題もあった。

 それは民衆の不安である。

 緘口令が敷かれているのでレベリオ征伐に向かった直轄軍が壊滅したことはまだ伝わっていない。だがすぐにでも広がってしまうような話だ。噂に戸口は建てられない。

 その不安を吹き飛ばす衝撃インパクトが必要だ。



「民には娯楽を与えねばならんな」



 暗いニュースを明るいニュースで塗り潰す、というのは統治者として常用する手段だ。明るいニュースは何でも良い。それこそ嘘でも構わない。ともかく民衆の不安を上書きできるインパクトこそ重要なのである。



「ルドラの子シーリスよ」

「はい。何の御用でしょうか。私は火主カノヌシの忠実なしもべ。どのようなご命令も成し遂げましょう」

「うむ。忠実なるシーリスよ。バラギスの捕らえた魔族の女がいたな?」

「はい。現在は厳重に管理し、決して逃さぬように捕えております」

「あれを広場で磔にし、民衆に石を投げさせよ。石打ちの刑によって処すのだ」

「明日、太陽が最も高い位置に昇るまでに準備を済ませます」



 これまで魔族を――実際は半魔族だが――を迎撃によって殺害したことはあったが、捕獲したことはなかった。そもそも魔族を捕虜にするという考えが存在しなかったのだから当然だが。

 つまり魔族の処刑というエンターテイメントは民衆にとって非常に興味深いものになる。

 陰鬱な噂など気にならない、一大イベントだ。それを手配するようにと命じられたシーリスという男も、嬉々とした様子でその場を後にしたのだった。







 ◆◆◆







 旧サンドラ郊外の古代遺跡群は浮浪者たちの吹き溜まりだ。この世の営みから零れてしまった者たちが自然と集まり、国家とは別の営みを築いている。とはいえ全くの無関係ではない。古代遺跡群で発見された遺物は旧サンドラへと流され、それは地上のサンドラへと輸送される。

 古代遺物を集めるシンジケートの内、黒猫は最も大きな組織である。

 しかしそれは表向きの話。裏社会の事情に表も裏もないと言えばそれまでなのだが、黒猫には表向きにされない顔がある。リーダーの『黒猫』を頂点として存在する十人の幹部たちの活動こそが本当の姿なのだ。様々な才能を持つ者を支援し、幹部として取り立てる。それによって『黒猫』自身の世界に対する影響力を強めることが狙いである。



「すまないね『赤兎』。ようやく情報が手に入ったよ」

「っ! ジョリーンは……『灰鼠』はどうなんだ」

「悪い情報だよ。彼女はサンドラ軍に捕まり、間もなく処刑が始まる」

「なっ!?」



 大きな音を立ててカウンター席の椅子が倒される。

 だが話を聞いた『赤兎』は飛び出していくような愚を見せず、むしろ続きを催促するような目を向けた。今日の酒場は他に誰もいない。多少騒がしく秘密の話をしても問題はない。

 バーカウンターの向こう側にいる青年、すなわち酒場を管理させている『黒猫』の人形は肩を竦めながら語る。



「すぐに戻ると言った『灰鼠』が戻らなかったのが昨日。そして処刑は今日だ。迷宮の出入り口が厳重に封鎖されている今、地上の情報を知ることができたということだけでも幸運と思った方がいい」

「間もなくと言ったな? それは正確にいつだ」

「太陽が最も高く昇るとき」



 旧サンドラから地上へ向かう分には何も問題のない猶予だ。

 問題は戦力である。『赤兎ガルミーゼ』は自分が戦闘向きではないことを自覚している。自分一人で向かったとしても『灰鼠ジョリーン』を救出できる保証などない。寧ろ自分も捕まってしまう可能性が高いだろう。



(直轄軍が遠征でいないとはいえ、地上には最強の戦士バラギスがいる。俺も奴には敵わない)



 正確な自己分析こそが重要な生存戦略に繋がる。

 彼は黒猫という組織に身を置いているが、真に大切なのは『アルナ』と同胞たちである。人間からも魔族からも爪弾きにされる半魔族たちが胸を張って生きていけるようにしたいと願っている。しかし願うだけで叶うほど世は甘くない。

 ガルミーゼという男は豚鬼と混じった魔族から生まれた半魔族だ。

 そのお蔭か魔族に連なる異能を継承し、他より優れた力を持っていた。それを活かして『赤兎』という役職に準じている。だがその異能も戦闘に役立つものとは言い難く、彼自身はそこまで強くない。それこそ最強と言われるバラギスでなくとも、五人ほどの人間に囲まれてしまえば逃げるしかなくなるだろう。



「援軍がいる。けど、今からでは間に合わない。そう考えているね?」

「それは……そうだ。『死神』……彼に助力を依頼できないだろうか? それとも近くにいないのか?」

「もしも助力を得られるとすれば、すぐに駆け付けてくれるだろうね。ただ依頼を受けてくれるかどうかは彼の気分次第だ」

「今は何にでも頼りたい。連絡を付けてくれ」

「いいだろう。お代は頂くけどね」

「構わない」



 黒猫という組織において『死神』は暗殺者を意味する。ならば隠密行動が得意なのだろうという勝手な推測があった。また初めて『死神』を見た時、『灰鼠』は強い死を連想したという。勘の鋭い彼女の感覚は信じるに値するものだ。

 戦力として充分に期待できた。



(あとはノスフェラトゥたちが間に合うかどうか)



 そんなことを考えていた時、不意に酒場の扉が開いた。

 反射的に振り返った『赤兎』は入ってきた者たちを見て安堵する。外套で全身を隠していても、誰なのかはすぐに分かった。



「ノスフェラトゥ! それとハーケス、アラージュか? そうか間に合ってくれたか」



 『灰鼠』が戻ってこなかったことで、昨日の夜には『赤兎』も異変と断定していた。だからノスフェラトゥに頼んでアルナの本拠地である湖城領域まで行ってもらい、もしもに備えた人員を呼んでもらったのである。

 まさかリーダーのハーケスが出てくるとは思っていなかったが、それは悪いことではない。



「頼むハーケス。すぐにでもジョリーンを助けに行きたい」

「当たり前だ!」

「ハーケスと俺はそのつもりできた。すぐにでも行きたいのは俺も同じだ」



 アルナのメンバーとして二人はすぐにでも仲間を助けに行きたい気持ちだ。しかし『赤兎ガルミーゼ』を含めても三人、ノスフェラトゥを加えても四人でしかない。サンドラ人が見守る処刑というイベントに乱入し、仲間を救い出すには心許ない数だ。

 限られた戦力を活用するためには作戦が必要だ。そのためには自分たちの持ちうるものを確認しなければならない。ハーケスはノスフェラトゥに目を向けた。



「ノスフェラトゥにも頼みたい。ジョリーンの救出に手を貸してくれないか?」

「問題ありません。私も力を貸します。『灰鼠』様には霧の力を貸すと約束しましたから」

「ありがとう」



 ハーケスは頭を下げて礼を言う。

 またノスフェラトゥ自身も驚いていた。これほどすんなりと手を貸すという選択ができた自分が驚きだったのだ。



(本当に?)



 ハーケス、アラージュ、ガルミーゼの三人がどうすべきか相談し続ける中、ノスフェラトゥは自身の内側へと沈み込む。

 なんとなく、話の流れでアルナに力を貸しているのが現状だ。如何に知識のないノスフェラトゥでも、自分の力が異質であることには気付いている。純粋な人間とは呼べないのだろうと自覚している。それゆえに同じく人ではない半魔族たちと行動しているだけのことだ。

 しかし今の瞬間はごく自然に助けに行かなければならないと思った。



(私が助けたいと思ったのでしょうか。それが、私の気持ち……?)



 仮に『灰鼠』が殺されるとして、どのような気分になるか。

 自分にどんな影響があるのか。



(悲しい? 悔しい?)



 そう自分の内側が叫んでいるのか。



(哀れだと思っているのでしょうか?)



 あるいは共感を覚えているのだろうか。

 他の誰かの感情をトレースしているに過ぎないのか。



(いえ、私はきっと本当の意味で『灰鼠』様を慮っていないのでしょう。あの三人のように必死になることができないのですから)



 目の見えないノスフェラトゥにも、三人が必死になっている姿は分かる。あれこそが人らしい営みなのだと感じさせる光景だ。ただ血を欲するときにのみ心が躍るような自分が普通なはずはない。



「どうだろうかノスフェラトゥ。危険な役割だが、やってくれないか?」

「良いと思います」

「ありがとう。本当に助かる」



 ハーケスが心から感謝しているということは声色からも判断できる。

 いつかあんな風になることができれば。

 そんな憧憬を向けていると、バーカウンターの向こう側から四人に向けて声がかかった。



「『死神』と連絡が取れたよ」

「……いつの間に」

「こちらにもそれなりの連絡手段があるというだけの話さ。さて、彼に『灰鼠』救出の手伝いを依頼したいという話だったね」

「ああ。それでどうなんだ?」

「残念ながら彼は別件で手が離せないらしい」

「そう、か。ここにいる四人でやるしかないということか」



 特異な能力を有する始祖吸血種のノスフェラトゥ。

 神器ルシス瀑災渦アシュタロトを所有する半魔族ハーケス。

 また『赤兎』として活躍するガルミーゼに、ハーケスからも信頼されている半魔族アラージュ。

 たった四人での救出作戦が開始された。









 ◆◆◆








 半魔族たちからの依頼を断った『死神』ことシュウ・アークライトはというと、都市国家パンテオンに滞在していた。サンドラから西に進んだ迷宮・黄金域とも近い大きな国である。『幻書』との繋がりもあってこの都市に滞在していたのだが、厄介事に巻き込まれていた。



「死の軍勢が来た! 迎え撃て!」



 騒がしさが都市全体へと広がっていく。

 激しく鐘が鳴らされ、各地で怒号があがる。これはまさしく戦争の準備であった。パンテオンは傭兵団を雇って哨戒させていたのだが、その報告によって都市の危機が知らされた。

 都市運営を執行する長老会は各所に命令し、迎撃のための準備を整えている。それが都市全体の騒がしさであった。

 シュウは『幻書』の開催する研究会で文明レベルの調査しつつ、『幻書』自身が望んだ天空の城の研究について協力していた。その最中での出来事だった。



(このタイミングでサンドラの方でも問題とはな。あっちは『黒猫』に結末を委ねるとして、こっちも解決が必要だな)



 住民の叫ぶ『死の軍勢』という言葉はシュウとしても気になるところだ。それはここ最近、近辺で騒がれている軍勢だ。噂としては聞いていたのだが、実際に見るのは初めてとなる。

 シュウはパンテオンの外壁付近へと移動し、そこで物見塔へと登った。学者の国というだけあって数学や建築学も優れており、それなりに高い塔が建てられている。ここからならば迫ってくるという死の軍勢を視認することができた。



「あれが噂の軍勢か」

「そのようだな。あれは魔物かね? 不死属という魔物がいると聞いたことがある」

「いや、魔物ではない。不死属とは別物だ」

「理由はなんだね?」

「あれには魂という思考パーツが搭載されていない。ただの操り人形だ」

「ほう。魂か。『死神』などという大層な名前の通り、魂が見えるのかね?」

「俺に興味を抱くのはいいが、お前は自分の役割を果たすべきだろう……『幻書』」

「確かにその通りだ」



 『幻書』ことクラクティウスが賢者を務める研究会では魔術の術式について研究が進められている。主な研究対象は黄金域で良く発見される術符だ。使用すれば魔力を使うことなく魔術が発動できる優秀な兵器ということで、今回の戦いのためにも用意されている。

 だが『幻書』からすれば術符において最も重要なのは刻まれている術式の方だ。



「さて、我々の開発した術式がどれほど有効か。それを見物するとしよう」



 パンテオン人はかつて迷宮神奥域の側に住んでいた。だが後に迷宮より現れたレベリオ人によって土地を追われ西へ逃れた民族である。だから再び侵略された時に備えて戦う力を蓄積してきた。

 都市国家パンテオンにもまた、大きな戦いが押し寄せようとしていた。






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