第485話 半魔族


 オスカー・アルテミアは一時的にヴェリト人の土地に身を寄せていた。九聖の第八席ランダー・バルトリオの功績によって友好関係を結ぶことに成功し、寄留を許されたのだ。

 そんな彼だが、ヴェリト人の特徴的な天幕テントにて聖石寮からの手紙を受け取っていた。



「――以上の功績によりオスカー・アルテミア殿を九聖が第一席へ任命する」

「確かに拝命しました」



 それは現王家、聖教会、そして聖石寮が連名にて出した任命状だった。

 王政府の伝令官が神官や術師を伴い、異国の土地で略式ながら任命式を執り行った。元から昇格が確定していたとはいえ、オスカーは正式に九聖のトップになったのだ。



「おめでとうございますオスカー殿」

「ありがとうございます。ランダー殿の功績も素晴らしい。近い内に昇格するのではありませんか?」

「私は運が良かったのです。それに他の九聖も蟲魔域から現れる魔物の討伐、赫魔の撃退、魔族や魔神教団の調査など多数の功績を上げていることでしょう。私は彼らに匹敵するかどうか……」

「ご謙遜を」



 同じ九聖であるランダーはオスカーの出世を心から祝った。

 このような人格だからこそ、ヴェリト人との融和政策のため駆り出されていたと言えるだろう。実際、ヴェリト人の言葉を学び、彼らの文化を尊重し、そのためにヴェリト人からもランダーの評価は高い。



「オスカー様、ご歓談のところ申し訳ありませんがよろしいでしょうか」

「ああすみません。私が話しかけてしまったばかりに」

「いえ。ランダー殿もお気遣いありがとうございます」



 伝令官は新しい箱を取り出し、開いて中を見せた。そこには書簡が丸められた状態で収められている。蝋を使って封印されており、王政府の紋章が押印されていた。その書簡は開かれることなく、直接オスカーへと手渡される。



「こちらは王政府、聖教会、聖石寮の連名による命令書となっております」

「確認させていただきます」



 オスカーは封を割って書簡を開き、内容を確認した。

 よく見る命令書の形式だった。九聖は持ち回りで聖都シュリッタットを離れ任務に就くので、命令書による指令が頻繁に行われる。



(なるほど。更に東へ。好都合ですね)



 命令書を閉じたオスカーは目を上げて返答する。



「確かに承りました。そのようにお伝えください」

「ありがとうございます。それとオスカー様のお父上殿からも私信を預かっております」

「そうでしたか。わざわざありがとうございます」

「我々は明日まで滞在いたします。もしもお返事の手紙をしたためるということでしたら、我々がお届けいたしましょう」

「お気遣いに感謝します。こちらの手紙は後で読みます」

「では我々はこれにて」



 伝令官たちは天幕から退室し、それに続いてランダーも出ていく。この天幕はオスカーのために割り当てられたものであるため、ランダーも気を使ったのだ。

 同様にオスカーの副官も出て行こうとしたが、それを呼び止める。



「少し待ってください。新しい命令について少し相談させてください」

「え? はい。それは勿論ですが……」

「父の手紙など後で良いのです。どうせ自慢や次の王選についてですよ。それよりも新しい命令について団員達にも伝えてください」

「ああ、そうですね。どのような内容なのですか?」



 オスカーは副官を招き寄せる。例の命令書を青銅を被せたテーブルの上に置いて、広げて見せた。王家、聖教会、聖石寮の印が押された正式な命令書である。これまで何度も見たことのある書式であるため、特に目新しさはない。

 しかし命令そのものは『未知』。

 副官はそれを理解した。



「なるほど。黄金域の更に東を目指すのですね」

「今まではアリーナ……すなわち黄金域の西側までで留まっていました。黄金域の東側にはパンテオンという国があると聞きます。我々は道を知らないので案内人を雇う必要があるでしょうね」

「しかしどうして今……?」

「更なる力を求めるためでしょうね。私が手に入れた神器ルシス劔撃ミネルヴァのように。情報を集めるだけで終わるはずがないでしょう。調査した結果を持ち帰ったとき、新しい命令が下されるはずです」

「それは分かります。しかしこの付近の地域で私たちの立場がしっかりしたわけではありません。それなのに更に東とは……」

「いえ、好都合です。元から東方には興味がありました」



 あまり気乗りしない副官とは異なり、オスカーは乗り気であった。

 それが個人的な理由であることを副官は知っていた。



「例の赤い霧、ですか」

「……ええ、まぁ」

「事情は伺っております。あの赤い人狼を大量討伐した時に現れた赤い霧。そして霧の中に現れた少女。その少女は東を見つめていました。無関係ではないでしょうね」

「個人的な事情と任務を混同するつもりはありませんよ」

「私は心配しています。霧の中に見えた少女は……オスカー様の妹君に似て――」

「任務は、こなします」



 副官の言葉に被せてオスカーは言い放った。

 まるで自らを偽るように。



「そうですね。オスカー様に限って暴走することはないでしょう。信頼します。失礼しました」



 深く頭を下げ、副官は天幕を出ていく。

 最初に言ったようにオスカー配下の術師たちへと命令の伝達を行うためである。未知の領域である東方の奥深くを調査するとなれば、準備すべきことは多くある。

 天幕で一人となったオスカーは、父からだという手紙に目を落とした。



「あなたには理解できなくなったのですか。正しい教えが。家族を愛するという当然のことが」



 胸元で大聖石が強く輝く。

 父からであるという手紙は一度も目を通されることなく、魔術によって燃やされた。








 ◆◆◆








『家族? なんだそれは? ただ血を分け、我らの力を僅かに受け継いだだけのお前たちが同胞を名乗ると? 何と烏滸がましいことか』



 半魔族ハーケスは殴られ、蹴られの激しい暴力に晒されながらその言葉を耳にした。意識が遠のいていく中でも、なぜかはっきりと聞こえた。

 魔族は不死身と言われている。

 生半可な攻撃では傷をつけることすら不可能で、鉄の武器でさえ弾いてしまう。迷宮の奥に生息する強大な魔物をも容易く屠るのだ。唯一の欠点はその数の少なさだが、戦闘においては質で補ってしまう。

 これだけ優れた魔族が未だ地上へ進出していない理由は、ただ数の少なさのゆえに支配が困難だからであった。



『お前たちは半端者。奴隷でしかない。お前たちは――』



 どれだけの罵倒を聞かされたことだろう。

 その一つ一つを覚えていられないほどには言われたはずだ。だが、ハーケスは覚えていた。その屈辱を忘れるはずもないのだ。

 半魔族に権利などない。

 ただ生きながらえているのは、魔族の役に立つため。尖兵となり、肉の壁となり、あるいは決して逆らわない優秀な駒にするためである。

 そのように育てられたハーケスは……いや、名もなき半魔族だった彼は自らの境遇を当たり前のものと思い込んでいた。



『進め奴隷ども。我が手足となり、サンドラを我が手へ……この大王バラギウムの手の内へと取り戻せ!』



 初めての出陣は八年前。

 旧サンドラから回廊を東側へと進んだ先にあった人間の防衛拠点を潰すべく、尖兵として駆り出された。碌な武器も防具もない。その肉体だけが頼りの戦いだ。

 神器ルシス無限炉プロメテウスを有するサンドラは、兵士へと炎の加護を与える。振るわれる剣からは爆炎が放たれ、射られた矢は爆発する。特に危険な爆発の矢を使い切らせるために半魔族は尖兵にされるのだ。



『臆するな! 奴隷如きが恐怖するな! 逃げる者は俺たちが殺す!』

『進め進め! 後ろに下がるな!』



 半魔族が数十人に対し、魔族は五人だけ。

 だが反乱を起こす気もなければ、そもそも敵うはずもない。ハーケスはただ進んだ。降り注ぐ爆発の矢を躱すことなどできない。爆発に巻き込まれないのは運が良かっただけ。防衛戦を突破し、敵の内側へと入り込み、教わった通りに人間の兵士を殴り殺した。

 この時、生き残っていた半魔族の尖兵はハーケスの他にもう一人だけだった。








 ◆◆◆








 目が覚める。

 ハーケスは自分が酷く汗をかいていたことに気付いた。



「どうした? 魘されていたようだが」

「……昔の夢を見たんだ。まだ名もなき尖兵だった頃の」

「そうか。そいつは最悪な夢だな」



 半魔族であれば誰もが共感できる最悪の夢だった。

 何の権利も与えられない半魔族だが、それでも多少の待遇改善は望める。戦果を上げればいい。幾度となく出陣し、尖兵として役に立ち、文句を言わせないだけの戦果を出す。そうすれば半魔族をまとめる者として採用される。奴隷であることには変わりないが、半魔族を部下として命令を下す権利が与えられる。



「責任重大だよ。率いる者ってのは」

「そんなふうに思ってくれるのはハーケスくらいだよ。普通の半魔族は、リーダー格になって横暴になる。魔族連中から受けた暴力を、部下にもする。リーダー半魔族なんて、大抵は自分が死なないように部下を肉盾にするような奴らだ」

「そうだ。だが、それしか知らないんだ。魔族たちにされたようにすることしか知らない。だからそうするしかないんだよ」

「仕方ない、なんて言って庇う必要なんてない。現にお前は違うだろ」

「俺は運が良かった。人間の営みを知る機会があったんだ」



 凝り固まった身体をグッと伸ばし、立ち上がる。

 立てかけてあった杖を手に取った。



「そう。俺は運が良かったんだ。この瀑災渦アシュタロトを手に入れたことも含めてな」

「運だけで全てが決まるわけじゃない。これまでも。そしてこれからも」

「ああ。俺たちの働きが同胞たちの運命を決める。最善を尽くしたい。ジョリーンとガルミーゼが黒猫を利用して情報を集めてくれている。それが最後の希望だ」



 半魔族たちが自ら生きるために作りだした組織、あるいは国。

 重要な決断を下す、その時は間もなくだ。







 ◆◆◆






 地上のサンドラは堅牢であり、非常に栄えた都市だ。農業も工業もすべて自己完結しており、侵略を許さない兵力によって守られている。

 しかし何一つ隙がないわけではない。

 神奥域から一人や二人が街に紛れ込んだところで、バレることはない。

 少なくともこれまではそうだった。



「くそっ! なんでこんなところで!」

「裏通りに入った! 追え!」

「ちっ」



 『灰鼠』はいつも通り、迷宮の出入り口からサンドラへ侵入するつもりだった。普段は検問に二人ほど兵士がいるだけで、しかも検問などあってないようなものだ。鬼系の角が額にある『灰鼠』も、頭部に布でも巻いて隠してやれば簡単にすり抜けられる程度のものだ。

 そもそもこの検問は旧サンドラから運び込まれる古代遺物の数などをチェックするためのもので、人間はほぼ素通りさせていた。それで問題なかったからだ。



(今日に限って全身確認されるとはな! 忌々しい!)



 今日の検問の様子を見て不味いと感じた『灰鼠』は列から逃げようとした。だが、それは自らに疚しいところがあると告げているに等しい。すぐに兵士から追われる羽目になり、『灰鼠』はサンドラの街中へ逃げることで追っ手を撒こうとしているところである。

 彼女は自らの勘を頼りに裏道を進み、半魔族の身体能力を駆使して壁を蹴り、屋根に上り、まずは身を隠せる場所を探す。



「なんて身体能力だ」

「いいから追え! 賊を逃がすな。火主カノヌシの支配する街に異物を入れてはならないぞ! 直轄軍の威信にかけて必ず捕まえろ!」



 街中が騒がしくなり、直轄軍だけでなく探索軍の兵士までも警戒態勢となる。現在は直轄軍の多くがレベリオ征伐に出ているため、動いている兵士の数では探索軍の方が上だ。そしてこの手の捜索は探索軍の得意とするところである。

 防衛特化の直轄兵が要所を固め、探索軍の追手たちが迫る。



「新しい足跡だ。おそらくあっちに逃げている」

「いや、この踏み込みの強さから見てわざとつけたものだ。力が均等に入っている。普通なら移動した方向により深く足跡が残るものだ」

「何ィ!? 小癪な! よし、追跡は探索軍に任せるぞ!」



 直轄軍は選ばれた血統の持ち主だけが入団を許される。一般の市民よりも権利が多く、そのために探索軍を見下しがちだ。しかしたった一人の小娘に逃げられるくらいなら、探索軍を頼った方がマシというものである。

 尤も、そのようなスタンスの直轄軍兵士は少ない方ではあったが。



「愚か者! 探索軍の奴らにいい顔をさせるな! 我々直轄軍こそがサンドラの切り札なのだ」

「鼠は我らの手で必ず捕らえるぞ!」



 サンドラは所詮、一日もかからず一周できてしまうような都市国家でしかない。警戒網が張り巡らされたら最後、逃げるのは非常に困難だ

 それでも『灰鼠』は諦めることなく逃げ続ける。

 屋根を駆け、裏路地へと転がり落ち、大通りを横断して再び身を隠す。後先考えない全力の逃げだった。ようやく息を吐いた『灰鼠』は聞き耳を立てる。直轄軍と探索軍が『灰鼠』を見失ってしまった責任を押し付け合っているらしい。



(上手く立ち回って逃げたいが、この騒ぎで住民たちは隠れてしまった。紛れることはできないか)



 木を隠すなら森。

 すぐに逃げたので『灰鼠』の特徴は全体にまで伝わっていないはずだ。多くの人間に紛れてしまえば捜索は困難となる。しかし一方で、人気のなくなった場所を逃げ回れば、それは自らの怪しさを暴露するようなもの。

 この大騒ぎで住民たちは家に隠れてしまい、お蔭で『灰鼠』は下手に動くわけにはいかなくなった。



(諦めてくれるのを待つか、このまま夜を待って移動するか)



 だがこの状況以上に『灰鼠』は絶望していた。

 彼女一人が抜けようとするだけでこれだけの騒ぎになってしまったのだ。半魔族が地上へ逃れるという判断において、最も重大な論点がサンドラの検問をすり抜けられるかというところにある。今回の件で地上進出が困難であると証明されてしまった。



(これから、どうすればいい)



 自分と、同胞たちの未来を案じて『灰鼠ジョリーン』は身を縮こまらせる。

 ともかくもう一度迷宮内へと帰還し、地上の様子を伝えなければならない。そうしなければ自分を心配して第二、第三の被害者が出る。

 最低でも夜になるまでは見つからないようにしなければ。

 そう思った瞬間、身体が浮き上がった。



「えっ、あ!?」



 彼女の身体に何かが巻き付き、強く締め上げる。肺の中の空気が押し出され、思わず呻き声が出た。気付けば彼女は空の明るみのある場所まで引きずり出されていた。

 視線を降ろせば自分の身体に銀色の液体のようなものが纏わりついていることに気付ける。それは金属のようにひんやりと冷たく、どれだけ力を込めても解けない。



「こ、れは……異能か!」

「その通りだ魔族」



 低く重いその声が聞こえると同時に銀色の液体が鞭のようにしなり、彼女の顔を隠すフードが弾き飛ばされた。人間ではないことを示す額の角が晒されてしまう。

 捕まってしまったという事実に対し、ようやく『灰鼠』の理解が追いついた。

 そして事態の不味さも。



「バラギス団長、流石です。どうやって隠れたこいつを?」

「勘だ」

「じゃあ真似できそうにないですね」



 『灰鼠』が最も注意を払う人物。

 異能使いとして探索軍に取り立てられ、サンドラ最強の名をほしいままにする男がそこにいた。






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