第484話 怪物の憂慮


 神奥域のすぐ側、巨兵山の麓にある都市国家サンドラは戦いが絶えない。特にここ数年は何度もレベリオ人によって攻め立てられ、そうでなくとも蛮族に畑を荒らされるなどの被害が多かった。そのため火主カノヌシヘルダルフは直轄軍団長トマスに命じてレベリオ征伐をさせようとしたのだ。

 だが、それと入れ替わるようにして魔族からの攻撃が激しくなった。

 探索軍団長バラギスの権限を増やし、迷宮内にある旧サンドラの防備を含めて増強させることで魔族による攻撃を防ごうと対応している。しかし、被害は大きくなるばかりであった。



「バラギスよ」

「はっ」

「裏切者は見つかったか?」

「……いえ」



 火主カノヌシは強くバラギスへと問いかける。



「トマスをレベリオ征伐に出した瞬間、魔族の攻撃はより激しくなった。魔族と通じる者がいる」

「そう、思います」

「探索軍に魔族討伐を命じたときもそうだ。その道中で予定にない遭遇戦となり、被害は大きくなった。更には守りの薄くなった旧サンドラにも襲撃があった。偶然とは思えん」



 ますます強い口調で、疑いのまなざしを向ける。

 明らかに苛々している様子だが、バラギスは大人しく叱責を受け入れた。



「ふん。所詮は寄せ集めの落伍者ばかり。直轄軍と異なり信頼できる者はおらぬ。それに最近では本分も忘れて遺物の収集も疎かという。果てには旧サンドラで闇の住人が力を強めているとも聞く。お前たち探索軍は何の役にも立たぬではないか」

「一層尽力いたします」

「力を尽くすのは当然だ。とはいえ今は直轄軍という守りの戦力がない。だが戦力が必要な場所は多い。多少の被害には目を瞑り、一つ一つ潰していくとしよう。さて、どこを潰すか……我が決めるとしよう」



 それを聞いてバラギスは思わず目を上げた。

 つまり探索軍団長としての権限を一部返上しなければならないということだからである。権力を減らされるという点ではバラギスも特に思うところはないが、信頼の低迷は困る。だが、それを口にすることはできない。ただ火主カノヌシの言葉を受け入れるのみである。



「まずは内側を美しく保たなければな」

「内側、とは軍の備品の件ですか?」

「その通りだ。兵の噂では魔族が関わっているそうだな。だが関係ない。我のものを無法に奪う盗人どもを捕らえ、処刑せよ。サンドラに近づくことを躊躇うほど、残酷にな」



 サンドラ人からすれば魔族も半魔族も違いなど分からない。

 火主カノヌシからすればまずは内側から魔族を一掃する程度にしか思っていない。運悪く、半魔族たちは最初の標的にされてしまったのだった。








 ◆◆◆








 半魔族たちの共同体、アルナは神奥域の第一回廊に拠点を持っている。湖城領域と呼ばれる広い空間で集まり、協力して生活していた。かつてマギアの刑務所だったというだけあって堅牢であり、湖に囲まれているのでそうそう魔物に襲われることもない。

 またリーダーのハーケスは水を操る神器ルシス瀑災渦アシュタロトも保有している。仮に魔物が現れたとして、撃退は容易かった。



「食料が足りない。これは大きな問題だ」

「ジョリーンからは? 地上から取り寄せるのは無理なのか?」

「無理だ。警備がこれまでと比較にならない。こっそり盗むには限界がある。ジョリーンも人手が欲しいとぼやいていた」

「そう、か」



 ハーケスは難しい顔で唸る。

 それはこの報告をもたらしたガルミーゼも同じだった。『赤兎』としての顔も持つ彼は、地上や旧サンドラ領域の情報をアルナに持ち帰る仕事もしている。そして『灰鼠』ことジョリーンの盗み出した物資を湖城領域まで輸送するのも彼の役目だった。



「例の彼女……ノスフェラトゥさんのお蔭で俺の仕事は楽になった。道中はほぼ敵なしだ。だが、そもそも物資を盗めなければ話にならない。こそこそ盗んだ金品、それと発掘した古代遺物を『黒猫』を通じて食料品に変えるだけで精一杯だ」

「なら旧サンドラは? 古代遺物の採掘に注力すれば……」

「人間たちの多い場所にあまり留まるべきではない。俺やジョリーンのような慣れた者が少数で留まるならまだしも、遺物探索となると人数が必要になる。半魔族は人間からすれば魔族と見分けがつかない。殺せる容易い魔族という扱いでしかないんだ」



 ガルミーゼは普段より饒舌であった。

 いつもはあまり意見を口にしない彼だが、今回ばかりは言葉を尽くす。それだけ今が危機的な状況ということだった。

 脱力するハーケスは、弱々しく口にする。



「やはり道は二つなのか。迷宮の更に奥へと潜るか、地上へ逃れるか」



 半魔族にとって食料問題は深刻だ。

 人間よりは強く、魔族よりは弱いという中途半端な性質である彼らだが、身体的な本質は人間側に寄っている。腹が減ったら栄養を摂取しなければ生きていけない。魔族のように魔力で不足を補えるような便利体質ではないのだ。

 魔族の尖兵として利用される半魔族たちを救出することで少しずつアルナは人数を増やし、また男女の関係になる者たちも現れたことで少ないが赤子も生まれた。人手が増えることは良いことだが、その分だけ養うための物質も必要となる。

 食料の仕入れ先を盗品に頼っていたツケがとうとうやってきたのだ。



「……」

「どちらにも利点はある。そしてリスクも。だが俺としては地上の方がまだマシだと信じたい」

「それはノスフェラトゥさんの話を聞いたからか?」

「ああ。地上は迷宮よりも広いそうだ。俺たちが隠れ住むことのできる土地があるかもしれない。迷宮は魔物だらけで安全な場所などほとんどない。湖城領域だって元は魔物の棲み処だった」

「そう、だったな」



 ハーケスとしては地上に希望を持っていた。

 地下には強大な魔物や半魔族にとってのトラウマである魔族がいる。心理的にも地下に潜るというのは避けたい選択肢なのである。

 しかし地上へ出るにしても大きな問題があった。



「……地上の都市をどう抜ける?」

「分かっている。いや、ガルミーゼの方がよく分かっているか……そこが問題だと俺も思っている」

「五人までならどうにかなるかもしれない。だが十人、二十人と増えれば難しさは増す。アルナの全員ともなれば――」

「少し考えさせてくれ。それにアグロサンドラで奴隷にされている俺たちの同胞のこともある」

「あまり時間はないと思ってくれ。地上の防備は固まりつつある。もしも地上へ逃げるのだとすれば、時間は俺たちに味方しない。直轄軍が遠征している今が最大のチャンスだ。全てを助けられるほど、俺たちは充足していないということを忘れないでくれ」



 それだけ最後に告げて、ガルミーゼは去っていった。

 再びジョリーンに合流するべく地上へ向かったのだろう。一人部屋に残ったハーケスはおもむろに木片へと何かを記し始める。動物の血から作った貴重なインクを利用した、いわゆる付けペンである。

 やがてペンを置いた彼は、三度手を叩いた。

 すると部屋の隅からやけに艶の良い鼠が現れる。その鼠はすぐにハーケスの足元に辿り着き、そこで大人しく止まる。ハーケスは文字を記した木片を鼠へと近づけると、ずぷりと体内に飲み込まれてしまった。



「よろしく頼む。これを届けてくれ」



 鼠の体表には傷一つなく、元の艶を保っている。

 そしてハーケスの言葉に頷くような仕草をした後、部屋の隅にある小さな穴からどこかへと消えていった。








 ◆◆◆







 ノスフェラトゥは夜を好む。

 薄暗い旧サンドラの壁の外を散歩するのが日課になっていた。街の内側は火守によって常に明るく照らされ、魔物や魔族への警戒を欠かしていない。そんな明るさから離れた場所は静かで、ノスフェラトゥの心を落ち着かせてくれる。



「血、美味しそう、匂い」



 思わず出てきた言葉を慌てて飲み込み、頭の中で渦巻く欲望を振り払った。

 最近はどうにも血を欲してしまう。シュウから与えられているボトルには常に新鮮な血液が満たされており、それを飲むことで気分が良くなる。だが、それは一時的な凌ぎに過ぎない。すぐに血への渇望が強くなってくる。

 だから欲望の対象となる人間が少ない場所へ赴き、心を落ち着けようと努力していた。



(私は何をしたいのでしょう)



 これはシュウに言われてからずっと考えていたことだった。

 目標と欲望は重なるところがある。あんなことをしたい、ああいう風になりたい、といった感情が人生の多くを決めるのが普通だ。大抵はその生まれや周囲の環境によって形作られ、得られた知識や経験に基づいて憧れを抱く。

 そして充分な知識や経験がなければ、優先されるのは根源的な欲だ。

 ノスフェラトゥにとってのそれは吸血衝動であった。



(血が欲しくなるのはおかしい。私はおかしい。私はきっと狂っています)



 彼女にとって幸運、あるいは不幸だったのは理性の強さだ。

 吸血種ノスフェラトゥのオリジナルとして凄まじい吸血衝動がありながら、今は理性も備えていた。《聖印セフィラ》による浄化封印がなければ今も本能に任せて怪物のように振舞っていたかもしれないが、ノスフェラトゥはシュウ・アークライトという存在に出会ってしまった。理性を取り戻した彼女にとって、この吸血衝動は大きな悩みの種だった。

 より正確には、最近になってこの悩みが大きくなってきた。

 自身とそれ以外の違いについて知り始めたからである。



(私以外には血を啜って生きながらえ、それに喜びを感じる人はいません。どうして私は他の人と違うのでしょうか)



 自分自身とそれ以外の違いに思い悩み、燻らせる。

 まさに思春期にありがちな悩みだ。幼子同然だったノスフェラトゥからすれば精神的に大きく成長を遂げたと言えるだろう。



「こんなところにいたのかノスフェラトゥ。一人は危ないだろう」

「『灰鼠』様ですか。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「実は地上の警備が増やされている。私の仕事を手伝ってほしい。人間たちの物資を盗みたいんだが、私だけでは限界がある」

「私は何をすればよいのですか?」

「霧を出してくれ。できるなら人間たちの視界だけを塞ぐように」



 ノスフェラトゥとしては断る理由などない。

 他者と関わるとは何か。それを知るための機会だと思っていた。








 ◆◆◆








 シュリット神聖王国は聖守を失って以降、国内の開発と発展に注力してきた。良くも悪くも聖守に頼りきりだった時代から抜け出そうとしていたのだ。

 九聖という新しい英雄を作り出したのもその一つだが、それ以外にも農地開拓や街の防衛強化に街道整備といった経済力の強化にも注力している。



「赤い人狼の掃討はおおよそ終わりました。ヴァルナヘル跡地もしばらくは安全でしょう……とのことです。オスカー殿からはそれ以外にも赤い人狼について調査した詳細な報告書が届いております」

「そうか。やってくれたか」



 手紙の内容を聞いた聖教会の最高神官は安堵する。

 聖都シュリッタットは最も安全なになりつつある。人口の増加に従って郊外に住宅地を増やし、それを街道が結んでいる。術師の育成にも力は注がれているため、国防力も爆発的に増した。

 そして国家の指導者たちの興味は今、東側に向けられていた。



「第八席殿の調査記録も届いたところです」

「ランダー殿からも……南東側の調査を任せていたはずですが」

「ヴェリト人との接触を任せていました。彼らは侵略を是とする者たちですから、こちらの話を聞いてもらうために苦労したと記されています。ヴェリト人も赤い人狼に苦戦していたところを手助けし、ようやくこちらの話を聞いてくれるようになったとかで。あれほどこちらを拒絶していたのに、驚くほどの掌返しですよ」

「あの侵略民族が……意外なことです。そういえばヴァルナヘルもヴェリト人の侵略行為による被害者たちが集まっていたそうですね」

「ええ、その通りです」



 シュリット神聖王国からしてもヴェリト人は厄介者という印象が強い。彼らは一つの民族であり、定住地を持たず活動している。古代遺物とも魔術とも異なる異質な力を操るとされているが、その血気盛んな民族性から交流は困難を極めた。

 実際、ヴェリト人は幾つもの民族を討ち滅ぼし、あるいは追放している。現在はプラハ帝国ルーイン州となっている地域に住むルーイン人も、かつてヴェリト人に敗れて西へ逃れてきた。

 シュリットの人々からすればヴェリト人など野蛮人同然だ。

 だが、故にこそ与しやすいとも考えていた。



「話を戻しますが、ヴェリト人は何か恐ろしいものと戦っているそうです」

「恐ろしいものとは? ヴァルナヘルで生まれた赤い人狼とは別件ということで?」

「死の軍勢です」

「それは……まさか常闇の帝国が関係しているのですか!?」

「あり得ぬことではないと思います。闇の皇帝は黄金の槍によって地獄の蓋を開き、黒い炎と共に死者を蘇らせるとか。またかの国は冥王アークライトを信仰していることでも有名です」



 プラハ帝国のことでシュリット神聖王国は強く悩まされている。

 直接的にプラハが何かをしてくるわけではないが、そもそも経済圏を削り取られた時点でシュリット神聖王国からすれば大打撃であった。アルザード、ルーイン、ベリアの三国が属州として奪われたことで食料生産に支障をきたした。

 緩衝地帯として機能していた三国が失われ、シュリット神聖王国は食料を輸入できる環境を失ってしまったのだ。東方進出の成功と、預言による国内の効率的な開発がなければ国が崩壊していたほどだ。



「常闇の帝国が関与している可能性は否定しきれません。しかしヴェリト人の話を聞くところによると、死の軍勢は東から現れたとか。帝国の位置関係を考えると辻褄が合いません」

「それならば不死属の魔物ということでは?」

「いえ。それが死の軍勢を操る人間がいたという噂も」

「なるほど。それで結論が出ないというわけですか」

「はい。悩ましいことに」

「東方は我々が考えるより奇々怪々です。黄金域より更に東には別の迷宮域があるとも聞きますし」

「終焉戦争神話にも登場する大国も確か東でしたね」

「ええ。きっとあの地には何かがあるのでしょう。今の我々では情報を仕入れることすら困難となっていますが」



 そういえば、と報告していた神官が話を区切る。



「オスカー殿からの報告で東方に関係する気になった記述が……」

「というと?」

「ヴァルナヘルで生まれた赤い人狼たちは確かにオスカー殿の手で始末されました。幾つかは逃してしまったとのことですが、それでも大部分を討伐したそうです。しかしその後、奇妙なことが起こったとあります。なんと倒した人狼たちから赤い霧が立ち昇り、それが少女を形作ったというのです」

「実に奇妙な報告ですが、見間違いということは?」

「オスカー殿をはじめ、彼の部隊にいる優秀な術師たちがその証人です。そして赤い霧が作り出した少女はジッと東を見つめ、溶けるように消えていったと」



 何かがシュリット神聖王国の知らないところで起ころうとしている。

 その舞台はおそらく東方だ。

 大陸西側の地で魔族や赫魔、あるいはプラハ帝国による暗黒の時代が始まったのと同様に、東でも大きな歴史の動きが起こったのだ。聖教会最高神官はそう直感した。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る