第483話 天鳴


 レベリオ人はかつて神奥域の周辺を支配していた民族だ。迷宮を彷徨う民の一つであったレベリオ人は地上にいたパンテオン人を追い出し、その地に住み着く。

 迷宮時代のレベリオ人には偉大な王がいたともされているが、今やその歴史も途絶えた。レベリオ人はその時代に嵐神ベアルを崇め、農耕の盛んな大地の民となったのだ。しかし歴史は繰り返すというが、その通り迷宮より現れたサンドラ人がレベリオ人を追い出した。



嵐神ベアルよ。風を呼び、雨を呼び、雷を投げる偉大な主よ。我らを守りたまえ」



 屋根もない、壁もない。

 ただ暗い雲の立ち込める曇天のもと、人々は嵐神ベアル像に平伏して拝む。レベリオ人にとって嵐神ベアルは重要な神だ。その黄金像は三つの腕を持ち、実に猛々しい。その名の如く嵐を司ると同時に豊穣の神でもある。

 嵐は災害であると同時に恵みでもあるのだ。

 雨は大地を潤し、風は害虫を追い払い、そして雷が落ちた土地は豊作となる。

 厄災と豊穣の二面を有する嵐神ベアルを宥め、大地に恵みあるようにと祈る。時には雨乞いのため、あるいは嵐を鎮めるために子供を生贄を捧げる。それがレベリオ人の宗教観であった。



「さぁ、贄をここに」



 嵐神ベアル神官の呼びかけに対し、男たちが幼い男の子を運び込む。荒縄で縛られた男子は嵐神ベアル像の前にある祭壇へと寝かされ、その周りには香油が注がれた。またそれだけでなく豊かな農作物も同時に並べられている。

 贄とは総合的なものだ。

 豊かさは等しく嵐神ベアルから与えられたものであり、その一部を返すということが贄を捧げるということの意味である。



「偉大な大嵐の主。豊穣の神よ。我らが受けた御恩を今、少しばかりお返しいたします」



 神官は何の躊躇いもなく、大きな鉈を手にして子供へと振り下ろす。鮮血が祭壇上で飛び散り、その他の供物を赤く染める。平伏す人々はより一層声を強め、嵐神ベアルへと祈り願った。



「我々を救いたまえ」

「火の悪魔を退けてください!」

「大風の中におられる主よ。雨と共に現れ、雷の声音を轟かせる偉大な主よ!」



 贄を丁寧に刃物で割いていく神官は、その血を絞り出して黄金の器へと注いだ。そこにまだ葉のついた柔らかい枝を浸し、祈る民たちに血を降りかけた。



「清めの血を浴びよ。穢れた体を清め、聖なる祈りを捧げるのです。大いなる風と共に嵐神ベアルは現われ、火の悪魔を討ち滅ぼすでしょう」



 レベリオ人はサンドラの軍勢を恐れている。

 敵の操る炎の力は絶大だ。当たり前のことだが炎とはそれだけで強大である。一度火が着けば、それを消すのは簡単ではない。その危険な火を容易く操り、レベリオ人の街々を滅ぼしてきたサンドラ軍は恐怖そのものだった。

 だから嵐神ベアルに贄を捧げ、炎よ遠ざかれと祈るのだ。朝からずっと行われている雨乞いの儀式が嵐神ベアルに届いたのか、空には暗雲が立ち込める。強い風が轟々と吹き荒れ、小さな雫がぽつぽつと地面を濡らし始めた。



「おお! 仰ぎ見よ! 嵐神ベアルは我らの祈りを聞き届けられた!」



 まるで神官の言葉に返答するかの如く、暗雲の奥が閃き、轟音が空気を揺らす。嵐神ベアル像の周りで風が渦巻き、それに呼応して大空の暗雲も渦巻いていく。



「大風の中に、大雨の中に! あの雲の中に嵐神ベアルはおられる! いかずちを携え、この地に降りてこられる!」



 風よりも、雨よりも、そして雷よりも重く響く叫び。

 人々は一層声を強めて祈り、嵐神ベアルを褒めたたえる。彼らも必死だ。この街のすぐ側にまでサンドラ軍は来ている。いつ敵が攻めてくるかも分からない状況なのだ。

 次の瞬間には戦いが始まるかもしれない。

 財産や家族、そして自分の命が奪われてしまうかもしれない。

 だからこそ全身全霊で祈りを捧げる。



「空が……」

「ああ、嵐神ベアルよ。私たちを守り給え」

「大いなる天の主よ!」



 頭上の雲は更に暗くなり、渦巻きながら地上に近くなる。

 まるで天が落ちてくるかのような錯覚すら覚えた。いや、錯覚ではない。本当に空が落ちてきていたのだと、皆が気付いた。

 それはただの天変地異ではない。

 暗黒に渦巻く雲を突き破り、黄金の『神』は降りてきた。







 ◆◆◆






 トマスにとってレベリオ征伐は何を犠牲にしてでも成し遂げなければならない目的であった。精鋭の直轄軍兵士に加えて、徴兵した男たちも数多く連れてきている。トマスは目的を成し遂げるまで、決してサンドラに帰還するつもりはなかった。

 それこそが火主カノヌシの命令である。

 サンドラの支配にとって邪魔なレベリオ人を討ち滅ぼし、火主カノヌシによる絶対統治を実現させるために命懸けで戦ってきた。



「馬鹿な……」



 サンドラの軍勢の中に動揺が走る。

 そして大将たるトマス自身も自分の目が信じられなかった。



「あれはいったい……何だというのだ」

「ト、トマス様! 我々はどうすればよいのでしょうか!」

「この世の終わりです! あんなものが空から降りてくるなんて!」



 彼らの目撃したもの。

 それは黄金に輝く巨大な何かであった。暗い雲を引き裂き、刺し込む光を反射しているその光景は神々しくもある。

 兵士たちは今にも逃げ出しそうな様子で、実際に逃げ出した者もいた。

 だが、そのような逃走に意味はない。空に浮かぶ黄金の何かから雷が落ちてきた。大気を引き裂き、轟音と閃光が地を焼く。そこにいたサンドラ軍の逃走者は一瞬にして倒れてしまった。それを目の当たりにしたサンドラの兵士たちはますます恐れ慄く。

 それはまるで天の裁きであった。



「天の火が落ちた!」

「そんな! あれは罪人の印! 我々は罪人だというのか!」



 サンドラは火を崇め、重要視している。

 そして落雷を火の怒りであるとして恐れているのだ。火の落ちる先とは、火に見捨てられた者の証。サンドラ人が混乱してしまうのも無理はない。自分たちは火主カノヌシのために正義を為す戦いをしていたはずなのだ。それがここにきて自分たちに裁きの雷が落ちてきたのである。理解できない事態が連続してしまい、まともでいられる者はほとんどいなかった。



「静まれ! 逃げることは許さん! 逃げる者は斬る!」



 トマスが刃を振り上げて怒鳴り散らし、実際に逃げようとした直轄軍兵士を切ってみせた。だが混乱は止められない。軍人の血筋である直轄軍兵士ですら恐怖に勝てなかった。

 雲を裂いて降りてきた黄金の巨大物体は徐々に地上へと近づいており、それと同時に雷も絶え間なく降ってくる。逃げようとした兵士は次々と閃光に撃ち抜かれ、ピクリとも動かなくなった。



「トマス様! ここは一度引きましょう。もはや誰も戦えません!」

「貴様! 火主カノヌシの命に従えぬというのか!」

「しかし――」

「もうよい。貴様も要らぬ」



 怒りのあまり冷静な判断を失ったトマスは、ここまで支えてくれた腹心を斬る。ばっさりと肩から腹まで切り裂かれ、彼は倒れる。そればかりではなく、トマスは逃げようとする者たちを次々と斬った。火の加護まで発動し、切り裂かれた者たちは燃え上がって焼死していく。

 だがこうしている間にもレベリオ上空に現れた黄金の物体は更に下降してくる。閃く雷光は決してレベリオの都市に落ちることなく、サンドラ軍を狙って落ちていた。



「なぜだ! なぜですか! 火よ、火の主よ!」



 その叫びはある意味、正当なものだろう。

 よく分からない内にサンドラ軍が崩壊し、目的を目の前にして全てが消えていく。これまでの順調さが嘘かのようだった。トマスは自分の正義を否定されたことで、激しく取り乱していた。








 ◆◆◆








「来た! 遂に姿を見せたよ! 黄金要塞だ」

『この時代に降りてきたか。場所は?』

「レベリオの中心都市だよ」



 興奮気味の『黒猫』はソーサラーデバイスを使ってシュウに連絡を寄こした。これは間違いなく歴史が変わる事件である。

 終焉戦争以前、人間の保有する兵器としては最高峰であった黄金要塞が地上に近付いたのだから。



『パンテオンにいる『幻書』からも聞いていたが、千年以上も天空に隠れていたらしいな』

「いつかは地上に降りてくると思っていたけど、東側に来てくれたのは幸運だった。西側だと君の担当になってしまうからね」

『どういう意味だ……』

「だって君、問答無用で消しちゃうでしょ」

『まぁ、今の西側で猛威を振るうのは控えてもらいたいところだな』

「そろそろ東側にも統一された国家が欲しいところだからね。今の民族単位の勢力図をどうにか整理しておきたい。迷宮神器アルミラ・ルシスで群雄割拠というのはあまり望ましくない。黄金要塞の出現はいいきっかけになるんじゃないと思っているよ」



 他にも理由はある。

 黄金要塞はかつて終焉戦争の最中、天空へと逃れた。そこから千五百年以上も時が経ち、稀に地上から観測されることはあれど地上に干渉することはなかった。この事実から、黄金要塞を設計したアゲラ・ノーマンこと恒王ダンジョンコアとは繋がっていないと予測している。

 利用できるのではないかと考え、『黒猫』も片手間に探していた。

 学術に重きを置く都市国家パンテオンにも赴き、黄金要塞を探し求める一族と接触して『幻書』に迎え入れたほどだ。とはいえ、今まで能動的に発見へ至ることはなかったのだが。



「黄金要塞の一号機には神聖グリニアが秘匿していた歴代最高の神子、セシリア・ラ・ピテルが乗っていたとされている。君はあまり興味がなかっただろうけど」

『何が言いたい?』

「つまり僕たちの動きが読まれていたかもしれない、ということさ。予言の魔装でね」

『だがセシリア・ラ・ピテルは覚醒していなかったはずだ。とっくに寿命で死んでいる。覚醒しているのではないかという疑いがあるほど強力な魔装ではあったようだがな』

「そうだね。最終的には魔装覚醒者ではなくステージシフトだと判明した。感知能力や演算能力が極端に進化した太陰型ステージシフト。おそらく予言の魔装が覚醒魔装にも匹敵していたのはそれが理由だね」



 予言の魔装は拡張型として分類される。人間が通常持ち得る予測能力が進化したものと言えるだろう。動物は自身で自覚するより遥かに高度な予測能力を持っているものだ。自分自身の経験に基づき、取り込んだ五感情報から次の瞬間を常時予測している。

 この誰もが保有する能力が拡張され、感知能力や予測能力が極端に強くなったものが予言の魔装である。

 神聖グリニアでは神の偉大な力であるとされ、予言ではなく預言であるとみなされた。そういった宗教的な価値観を取り除き、学術的に理解するのであれば予言の部類であることに間違いはない。



『元から知覚力や演算力を増幅させる予言の魔装に加えて、その本質的な力が極致化する太陰型ステージシフト。それが重なった結果、歴代最高の神子セシリア・ラ・ピテルは誕生した。だからといって今の時代も生きているとは……いや、あるいは黄金要塞が天空に逃れた後に覚醒したか?』

「その可能性が高いと、僕は思っているよ」

『ステージシフトの人間は覚醒の素養が大きいと考えている。今や検証することもできないが、ハイレインは太陽型のステージシフトだった可能性が高い』

「生命力、膂力といった身体に特化したステージシフトか。確かに納得できる部分はあるね」

『魔装を持たざる者ですら覚醒魔装に至る確率が高くなる。それが進化した人間……ステージシフトだ。セシリア・ラ・ピテルがステージシフトだったのなら、覚醒魔装にまで到達していると充分に考えられる』



 とはいえ、ここで予想を議論していても意味はない。

 『黒猫』はレベリオに置いている自分の人形でリアルタイムで黄金要塞を目の当たりにしている。そしてそこで起こっている歴史的な事態も。



「レベリオ上空に現れた黄金要塞がサンドラ軍を撃退した。それと黄金要塞は降下を停止させたみたいだね。降下艇を使って降りてくるみたいだよ」

『なるほどな。なら、現地民という立場を使って情報を集めてくれ。俺は『幻書』を通じてパンテオンを動かす。それとノスフェラトゥが神奥域の魔族との戦争を動かしてくれるはずだ』

「そうか。全てが良い時期だね」

『ああ、始まるぞ』



 それはこの群雄割拠の戦国時代を終わらせる歴史の転換点。



『この地の支配者を決める……天の采配がどこにあるのかを明らかにする。大戦争だ』



 神奥域など土地を巡る民族の対立。

 迷宮より現れた魔族と、それにより生じた半魔族。

 さらには各地で猛威を振るう蛮族と呼ばれる者たち。

 そして最後に天より降り立つ古代人。

 ここにダンジョンコア、黒猫、そして冥王アークライトの思惑が入り混じる。後に天鳴戦争と呼ばれるこの戦いは、暗黒暦一五九五年の終わり頃が始まりであった。






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