第482話 炉


 シュウはここ最近、大陸東部に留まって『黒猫』に協力している。プラハ帝国がある西側は娘のセフィラにほぼ一任しても良いくらいに成長したし、妖精郷は大樹の精霊アレリアンヌに元から任せている。研究開発もアイリスに主導させているためシュウ自身にはある程度自由があった。



「ようこそパンテオンへ。ここでは理知こそが試される。私は君に会いたいと思っていたよ『死神』」

「初めてだな『幻書』」



 『死神』という立場で訪れたこの都市国家はパンテオン。

 黄金域の東側に位置する国家である。かつては深奥域の近くに住まう者たちだったが、迷宮から現れたレベリオ人に敗北したことでここまで逃れてきた。



「かつて『黒猫』は私に語った。黒猫という組織において最も知識を蓄えているのは『死神』だろうと。私はそれを試したい。パンテオンは知が試される国だ。あらゆる蛮行を律し、理知と知恵によって繁栄するために」

「なるほどな」

「そして私は知っている。あなたが神に近しい存在であることを。あなたは考古学において頻出する存在なのだ。歴史の節目に必ず現れる黒幕。そして禁忌と畏れられる……」

「口上はいらん」

「これは失礼した」



 黒猫の幹部の一人、『幻書』はパンテオンの住人だ。

 そしてパンテオン人の特徴として、彼らは教育や研究に力を入れている。パンテオン人は人間という種族の弱さについて深く理解しているのだ。その理由は迷宮から発掘される古代の遺物から歴史を紐解き、人類史を断片ながら知識を得ていた。

 脅威の代表格が冥王を含む六王と呼ばれる存在である。

 大風や洪水、あるいは日照りのように、それは災害にも等しい。



「私はこの幸運を喜ぼう。私は『幻書』として選ばれ、あなたにまみえることができた。私はとあるものを探している。煌天城というものだ」

「コウテンジョウ?」



 シュウは思わず聞き返した。

 この辺りの言語は最近になってようやく会話レベルに達したところである。そのため、知らない単語に対しては敏感であった。話の流れから固有名詞なのではないかと推測したが、まさにその通りだった。



「失礼した。煌天城とは私の祖父が名付けたものでな。空を見上げ、星を観察していた祖父はあるものを発見した。それは夜の空でひときわ強く輝く城だったという。あの窓の側においてあるのが祖父の使った望遠鏡だよ」

「空の城を見た?」

「私はそれを祖父の狂言とは思わない。空に浮く金色の城について、古代の記述にも存在するのだ。かつて大きな戦争があり、黄金の城が邪悪な敵を討ち滅ぼしたという」



 饒舌な『幻書』は壁を指差す。

 そこには墨で描かれた城があった。黄ばんだ布は経年を感じさせる。霞んでいる部分もあるが、どこか見覚えのあるシルエットであった。



(黄金要塞。やはりこれを探していたか)









 ◆◆◆









 夜という時間はノスフェラトゥにとって心地よさを感じさせる。

 その理由を明確に思い浮かべることはできないが、ただ夜の風が好きだった。夜は等しく全ての人に闇を届ける。常に闇の中を生きるノスフェラトゥにとって、唯一感じられる平等な時間なのかもしれない。



「あんたがノスフェラトゥか」



 風に当たっていた彼女へ声をかけた人物が一人。

 その人物は全身を覆い隠した護衛を引き連れており、手には大きな杖があった。その杖は七匹の蛇が絡み合った独特の意匠で、蛇の一匹が青白い石を咥えていた。

 とはいえノスフェラトゥにはそれが見えるはずもなく、杖状の何かを手にしていることくらいしか分かっていないが。



「そうです。あなたたちは誰でしょうか。後ろにいる人の一人は『灰鼠』ですね」

「ああ。ジョリーン……あんたが『灰鼠』と呼ぶ彼女に頼んで連れてきてもらった。俺は『アルナ』のリーダーをしている。ハーケスという者だ」



 ここは神奥域第一回廊のある場所だ。旧サンドラのある領域からは少し離れており、魔物に襲われる危険もあるので普通の人間は来ないような場所である。

 夜ということもあって迷宮内も暗く、密会には適していた。

 だからハーケスたちは自らを覆い隠す布を取り去り、姿を曝け出す。



「既に聞いているかもしれないが、俺たちは半魔族だ。父親が鬼の魔族でね。この通り、角がある」

「私も同じ鬼の系譜だ。改めて名乗るが名前はジョリーン。『灰鼠』でもある。で、こっちは初めましてだな。アルナの仲間であり、黒猫の同僚でもある『赤兎』」

「……『赤兎』だ。ガルミーゼと名乗っている。初めてだな『死神』の弟子」



 『赤兎』ことガルミーゼは少しばかり獣の混じったような顔つきであるものの、それ以外に変わった身体的特徴は見受けられない。ハーケスや『灰鼠』のように分かりやすい異形の特徴があるわけではない。しかし彼もまた、半魔族であった。

 ハーケスは少しばかり緊張しているようで、握る杖に力を込めている。



「あんたは俺たちの拠点に一度来た奴だろう。赤い霧を操る能力……覚えがある。あの時は済まなかったと思っている。いきなり攻撃してしまって。ここに謝罪したい」

「ノスフェラトゥ。私からも頼みたい。あの時は私たちもお互いを知らなかった。それに私たちは分かり合えるはずだ」



 付け足すように『灰鼠』もハーケスを庇う。

 彼女にとって大事な仲間であることがよく分かる姿であった。また、何も口にはしないが『赤兎』も深く頭を下げていた。誠心誠意の心も充分に伝わってくる。

 とはいえ、ノスフェラトゥに対してはあまり意味のない行為だった。



「私は問題ありません。あるいは私もあなた方に不愉快な行為をしてしまったでしょうか?」

「あ、いや、そんなことはない。寧ろ助かっている」



 淡々とした様子にハーケスはたじろいだ。

 強い感情を抱くことができないノスフェラトゥにとって、ハーケスたちが気にしていることに対しても何か思うところはない。そういえばそんなこともあったな、程度のことである。

 相手を不快にさせないための礼儀として返答したが、実のところノスフェラトゥはこの状況すらよく分かっていない。いきなり『灰鼠』に連れ出されたかと思えば見知らぬ人と面会させられている。

 逆にハーケスも微妙な面持ちだ。覚悟してここまで来てみれば、あっさりと話し合いが進もうとしているのだ。お互い何も知らなかったとはいえ、敵対状態から始まった関係だった。それが何も蟠りなどないかのようである。ハーケスからすれば違和感しかない。



「……俺たちは半魔族だ。魔族と人の間に生まれた存在。そして半魔族はどこでも受け入れられない。魔族としては弱すぎるし、人間としては異質過ぎる。俺たちが受け入れられるべき場所は、自分たちで作るしかないんだ。その場所に君も迎え入れたい」

「私を?」

「俺たち爪弾きにされた者たちが対等に同じ炉を囲み、笑い合えるように。そんな願いを込めてアルナを名乗っている。まずは魔族に支配されている同じ半魔族を解放し、俺たちの国を作る。できることなら地上に作りたいが、まだそこまでは難しい。守りやすい地下迷宮で力を溜めようと思っている。君を勧誘したい理由は戦力補強の意味もある」

「私はあまり戦いを好みません。ご期待に添える働きができるかどうかは分かりません」

「いや、君は強い。アルナの誰よりも強いと思う」



 少し声を落としたハーケスは手の中にある杖へと目を向ける。

 七匹の蛇が絡み合う異形の杖。それは大きな力だ。しかしハーケス自身の力ではない。



「俺たちの敵は魔族……第三回廊で繁栄するアグロサンドラという集団だ。そこでは数えきれないほどの同胞が虐げられている。どうか力を貸してくれないだろうか」

「はい。問題はありません」

「そんなあっさりと……いや、こちらとしてはありがたいけど」

「動揺するなハーケス。ノスフェラトゥはこういう奴なんだ」



 ノスフェラトゥからは感情というものが感じられない。

 与えられた言葉に対して自身の欲望が介在してないように感じられる。半魔族の共同体を実現し、あるべき場所を作るというメリットを提示してもノスフェラトゥ自身が動かされたようには思えなかった。ただハーケスに言われるがまま、可能か不可能かという基準によって判断している。

 とはいえ、それはアルナにとって好都合なことだ。



「分かった。俺たちは歓迎する。アグロサンドラの支配者、魔族バラギウムを共に倒そう。訪れる自由を分かち合おう」









 ◆◆◆







「ということがありました」

「ほう。お前はどうしたいんだノスフェラトゥ」

「私が?」



 ノスフェラトゥは自身にあったことをシュウに報告していた。素直なことである。

 とはいえシュウも勝手に話を進めたことに対して何か思うところはない。むしろようやく自主性が出てきたのかと期待したほどだ。

 だが、蓋を開けてみればそういうわけでもないようだが。



(情緒の発達はもう少しかかるか。《聖印セフィラ》のコントロールなしでは……いや、封印があっても暴走の兆候がある。試しに解除というのはだめだな)



 シュウは試しに《聖印セフィラ》による吸血衝動抑制を解除してみようとも考えた。しかし西側ではヴァルナヘルから血の怪物が生まれ、暴れているという。それはノスフェラトゥの能力が開花したことで生じた副作用のようなものだというのが現在の推測だ。

 ノスフェラトゥの能力は日を追うごとに強くなっている。

 精霊秘術で吸血種ノスフェラトゥの衝動を封じても抑えきれないほどにだ。このままではいずれ力に呑まれ、ノスフェラトゥは怪物になり果てるかもしれない。



「理性を保つか、獣になるか。それはお前次第だ」

「私、次第」

「何も考えられず、ただ血と肉を求める。そのような生き方をしたいか? もしもそれが気に入らないというのなら、お前には心がある。欲とは原動力だ。よく考えてみることだな」

「どうすればよいのでしょうか」

「まずは頼るということを試してみろ」



 シュウの分析では、ノスフェラトゥの行動原理は可能か不可能かにある。自らの力の及ぶ範囲を客観視した上で、言われた通りに実行できるかどうかで自らの行動を決めている。それは健全とは言い難いだろう。

 人として何かが欠けている。

 彼女自身がそれに気づき、見直さない限りは能力をコントロールするのも難しいかもしれない。



(俺としてはもう少し進展してほしいところだが)



 半魔族と交流を重ねることで社会性を育み、精神的に成長してくれることを願っている。群れることで得られるものは意外と多い。



「利益を求めることは生物にとって重要な在り方だ。お前の目的は何だ? 何のために生きている?」

「それは……」

「とはいえ、今のお前にそれを決める能力はないだろう」



 いわば赤子に将来の夢を問いかけるようなもの。

 しばらくノスフェラトゥの動向を観察していたシュウはそのように判断した。元からその兆候はあったのでしばらく様子見していたが、もう少し介入する必要があると結論付けたのだ。



「お前に命令を与える。半魔族に協力し、迷宮に巣食う魔族を滅ぼせ」

「……分かりました」



 ほんの少し、僅かにノスフェラトゥは言い淀む。

 両目を覆い隠す彼女の表情は識別が難しく、その本心を見抜くことはもっと困難だ。しかし魂を見抜くシュウは、確かにノスフェラトゥが動揺していたのを確認した。








 ◆◆◆







 サンドラ直轄軍は火主カノヌシの命令でレベリオ征伐を行っている。団長のトマスは次々とレベリオに属する街や村を焼き討ちにして、その中心的な都市へと進軍していた。

 それぞれの街で起こったのは虐殺。

 また酷い拷問、略奪、ありとあらゆる尊厳の破壊であった。略奪を繰り返しながら進軍を続けるという戦略に基づくものであり、彼らの心を苛むものはない。そもそもレベリオ人がサンドラへ攻めてきたことに対する報復も兼ねているのだから、この程度は当然と思う者が多数派だった。



「レベリオ人の最も大きな都市。あれこそが我々の目的地です。遂にここまで辿り着くことができました。レベリオ人は成人するために必ずあの都に上り、嵐神ベアルを礼拝するそうです」

「ふむ。まぁ我々にはどうでも良いことだ。そうだな?」

「はい。トマス団長の仰る通り、我らサンドラの民には偉大なる火主カノヌシがおられます。そして火の加護が我らを守り、我らの敵を滅ぼしてくださる」

「その通りだ」



 ここまでの進撃も簡単ではなかった。

 彼ら直轄軍と徴用兵士に与えられた火の加護は確かに強力で、ただの弓矢を爆発する砲弾のように変えてしまう。あるいは剣や槍に炎を灯し、相手を畏怖させることも容易い。だが無敵の軍勢というわけではない。特に職業軍人ではない徴兵された男たちは最前線で槍を持たされ、正面は敵、後ろに下がれば味方に圧し潰されるような状況だった。それ故被害も大きく、既にその数は元の三分の二ほどにまで減っていた。

 また直轄軍の兵士を含め、怪我人も多い。

 動けぬほどの大怪我を負った者は死んだものとして放置されてきたが、小さな傷は誰もが負っている。そして傷が多くなれば痛みで集中力が低下するし、破傷風など二次的な被害も生じる。残念ながら進軍当初の勢いを維持できているとは言えない状況だった。



(民兵の士気はかなり下がっていますが……それは口が裂けても言えませんね)



 士気とは、言い換えればやる気のようなもの。

 どれだけ優秀な兵士も、戦う気がなければ本来の力を出すことなどできない。元から兵士である直轄軍はともかく、徴兵されただけの男たちの士気はかなり低下していた。今は目の前にある都こそが最後の戦地であることを希望としているに過ぎない。



「この戦いは簡単ではないでしょう」



 彼は二重の意味を込めて進言した。



「既にこちらの進軍は知られているようです。殲滅を心掛けてきましたが、皆殺しは難しい。レベリオの都にも我々のことが伝わっています。ご覧ください。城壁の上には多くの兵士がおります」

「関係あるまい」

「その通りだと思います」



 トマスは尊大な態度を止めることがない。

 他の兵士が思っていることなど知らぬ存ぜぬ。ただ敬愛する火主カノヌシの命令を実行することしか頭にない。また成功した未来のことしか考えていない。

 防備を固めた都市も火の加護があれば問題ない。事実これまでもそうだった。



「奴らが嵐神ベアルなる悪魔に頼ろうと、我らサンドラに敗北はない。仕掛けよ。全軍の全力を以てレベリオの都市を焼き尽くすのだ」



 サンドラ軍は最後の戦いを仕掛けるため、進軍を始める。

 その矢じり、その刃、その穂先には炎が宿り、サンドラ軍の熱気は大地を干上がらせる。その反面、大空は黒い雲に覆われ、怪しい風が吹いていた。








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