第481話 ノスフェラトゥの魔装


 煉獄を介して情報を集めたシュウは現地を確認しつつ、ワールドマップに人間の集落分布を更新させた。それを持ち帰り、改めて『黒猫』と顔を合わせる。データを受け取った『黒猫』は興味深そうにそれを眺めていた。



「意外と集落が残っているんだね。南の方は蛮族に荒らされているものだと思っていたよ」

「蛮族とて殺し尽くせるわけではないからな。生き残りが逃れ、新しい集落を作ったんだろう」



 シュウの作製したマップによると、スラダ大陸東部に国らしい国は少ない。最も広大な国土を有するレベリオですら、プラハ帝国の一州にすら及ばない。

 川沿いに村程度の集落が大量に存在しており、他にも遊牧民もかなりいる。それらは一族単位の集団なので国家と呼ぶには苦しい。中には盗賊となって暴れまわっている集団もいるため、領土や国境のようなものは意味をなさない。



「それと、ラヴァを見た」

「ああ彼だね。凄かっただろう?」

「魔装の一端しか見ることができなかった……が、確かに凄まじいな。寧ろあれだけの力があって一国を築いていないことの方が不思議なくらいだ」

「あれは生粋の蛮族だからね。欲しいモノは奪う、って思考しかないのさ。もしも支配欲があれば、スラダ大陸の南側は既に彼の支配域になっていたね」



 蛮族のラヴァ。

 骨を操る覚醒魔装に目覚めたと思われる男の名前だ。その戦闘力は本物で、『黒猫』が『暴竜』に欲しいとまで言った人物だ。貴重な覚醒魔装士なので手札にしておきたいというのが正直なところで、しかしながら他人の言うことを聞くような男ではないという欠点のため踏みとどまっている状況だ。

 だからこそノスフェラトゥを『死神』あるいは『暴竜』の候補としているのだが。



「それはそうと、ノスフェラトゥの調子はどうだった?」

「思った以上の戦闘力だよ。それでいてこちらの命令には忠実だ。メールを送ったけど、吸血することで記憶を読み取る能力にも目覚めたみたいだよ。というより、血を介して記憶や性質に干渉する能力と言った方がいいかな」

「サンドラの言葉も習得したらしいな。魔族の血を奪って」

「あれはまさしく始祖の吸血種ノスフェラトゥ。魔物の吸血鬼ヴァンパイアも似たような能力を持っているけど、比較にならないね。いつ覚醒していてもおかしくないくらいだ」

「それほどなのか?」

「覚醒を妨げているのは、彼女の意志の弱さだよ。覚醒に足るだけの魔力はある。魔装も底が見えない。けれど、そのトリガーとなる重要なものが欠けている」



 魔装の覚醒とは魂の進化だ。

 本来の魂に設定された以上の力を得るため、自ら変異することで起こる。それに合わせて肉体も変質し、根源量子の世界から力を引き込み、魔力を受信する異能を得るのだ。限界無き自身の姿を思い浮かべ、それに対する強い渇望こそが覚醒の引き金になり得る。

 全ての記憶を失い、《聖印セフィラ》により魔力と共に情動を封じているノスフェラトゥが覚醒することはないだろう。



「覚醒するに越したことはないが、今のままでも充分強いからな。そこまでは求めすぎかもしれない」

「それは間違いないね。彼女の魔装の分類、凄いよ? どうなっていると思う?」

「元は血液が魔装化した置換型だろう?」

「血を介した記憶の読み取りは拡張型と言えるね。それに血液を魔力として蓄え、更に魔力を血液に変換する能力もある。だから造物型も含まれる。さらにさらに血液を生き物に変えて操ったりもしているから眷属型の要素もあるね」

「ヴァルナヘルで戦った時は霧になって俺の攻撃を回避したこともあったな。あれは変身型」

「自分の周囲にある血液すらも操るから領域型の能力もある。血液を武器の形状に変化させるから武器型や防具型としての性質もありそうかな」

「つまりは全ての魔装分類の要素を備えているということか。化け物だろ」



 武器型、防具型、置換型、拡張型、領域型、変身型、造物型、眷属型の八系統として分類する方法がかつては使われていた。それは魔装訓練を効率化するためのものであり、全てこの分類に当てはめることができる。

 優れた魔装は二系統の分類に当てはまることがあり、覚醒によって能力幅が広がれば系統が追加されることもあった。能力の解釈範囲が広い分、複合型魔装は強力であると言える。しかしながら八系統全てを兼ね備えた魔装など見たことも聞いたこともない。

 ノスフェラトゥは万能の魔装士であると言えるだろう。



「赫魔の力を取り込んだ影響か……」

「そうだね。少しずつだけど、能力が開花しているよ。ヴァルナヘルでも異変が起こった」

「異変?」

「あの地には吸血種ノスフェラトゥたちの戦いの跡がある。始祖と戦っていた跡がね」

「それがどうした」

「始祖の能力で血を硬化し、攻撃する術があっただろう? その破片はまだヴァルナヘルにたくさん残っていたんだ。そして始祖の血はたとえ離れていようとも、始祖の所有物になっている」

「……まさか?」

「その血の結晶は突如として血の蝙蝠になり、偶然近くにいた人間を襲い始めたんだ。丁度、ノスフェラトゥの能力が開花し始めた頃にね。たぶん、無意識なんだろう」



 ノスフェラトゥの能力は凄まじい速度で成長している。

 いや、正確には本来の力を取り戻しているというのが正しい。元あった魔装に赫魔の力が融合し、魔族にも近しい存在となったのだ。心臓の魔石がないので半魔族という表現の方が正しいだろう。《聖印セフィラ》で赫魔の性質を抑えても、本来の力が消えたわけではない。

 寧ろ制御できるようになり、無意識ながら枷を外している可能性もある。



「やはりノスフェラトゥ自身で《聖印セフィラ》を制御する必要があるのか……それはそうと、ヴァルナヘルはどうなった?」

「血の蝙蝠は赫魔に近い性質らしい。宿主となり得る人間に寄生し、化け物に変貌したよ。聖教会はそちらの対応に追われている」

「そうか」

「まぁ西と東を繋ぐヴァルナヘルがその有様だからね。分断してくれたおかげで僕としては管理しやすいから助かったけど」

「ただ、赫魔っぽい化け物が暴れていると」

「そう。これが写真」



 『黒猫』は仮想ディスプレイを大きくして化け物の姿を映し出す。

 そこにあったのは獣のような人間という表現が最も近い、赤い怪物であった。赤い体毛が全身を覆い、酷い猫背で涎を垂らす飢えた獣。だが二足歩行であるがゆえに、それが人であったことを知らせてくれる。



「噂では、初めはもっと人に近かったらしい。けど近くの動物を喰らって、その性質を取り込んでしまったんだろうね」

「なるほど。まさに人狼だな」

「ふぅん。上手い表現だね。人狼か。僕もそう呼ぼう」



 人は魔に近づき、魔も人に近づきつつある。

 それはシュウの想定する未来とは、全く異なる道であった。







 ◆◆◆







 ノスフェラトゥはシュウか『黒猫』の管理下にいるわけだが、常に監視されているわけではない。旧サンドラの古代遺跡群では一人で過ごすことも多く、例の戦いから仲を深めることになった『灰鼠』と時間を過ごすことも珍しくない。

 そしてこの日は、『灰鼠』に連れられて旧サンドラから離れていた。

 大穴を囲む回廊を左回りに移動しつつ、付近の魔物を掃討していたのである。出現する魔物は主に豚鬼系で、基本的には群れを成している。しかしながらノスフェラトゥが赤い霧を発生させ、血の槍を掃射するだけで壊滅していく。



「私たちが苦労している豚鬼をこんな簡単に……」

「これで終わりでしょうか?」

「ああ、すまない。もう少し先にも豚鬼共がいるはずなんだ。そっちも頼みたい」



 いとも容易く蹂躙するノスフェラトゥには恐ろしさを感じる。豚鬼の群れなど、国が大軍勢を派遣してようやく対応できる脅威なのだ。青銅武器では頑丈な筋肉を貫くことができないため、よく鍛えた鉄の武器、あるいは魔装が必要となる。

 ただ今の時代は魔装のような異能は迫害されがちである。程度にもよるが、ノスフェラトゥほどの異質な異能は迫害の対象だ。異形化する魔装は魔族の仲間として扱われるし、そうでなくとも血を吸うといった行動に嫌悪感を覚えるのは間違いない。



「お前は……住んでいたところを追われたのか?」

「どうでしょうか。記憶がないので分かりません」

「記憶がない? そんなことがあるのか」



 異質なものを排除するのが人間の社会性だ。

 それが受け入れられる時が来るとすれば、理解され、異質でないと分かった時である。性同一性障害のような精神に依存する特性も、病気とするか個性とするかで社会における立場は変わるだろう。少なくとも今の人間は魔装への理解が乏しい。

 武器型魔装ならば祝福された戦士であるともてはやされるかもしれないが、一方で変身型のような魔装は呪いと言われ追放される。呪われたものを殺せば、その呪いが返ってくるのではないかという恐れから、意外にも処刑されることは滅多にない。

 ノスフェラトゥのことを哀れに思う『灰鼠』であった。



「なぁ、お前は今が間違っているとは思わないのか?」

「何かを思う、とはどういうことでしょうか?」

「自分が置かれている状況に不満を感じないのか?」

「そのような思考はありません。不満とはどのようなものか、私には分かりません」

「おい。赤子だってもっと自分の望みを要求するぞ」

「望み、ですか?」

「そうだ」



 『灰鼠』は呆れつつ語る。

 今のノスフェラトゥは赤子のように純粋でありながら、植物のように欲を持たない。『灰鼠』には不気味な存在に思えた。



「記憶を取り戻したいとは思わないのか? 忘れているなら、気になるだろ」

「取り戻す理由すら、私の中にはありませんから」

「そんなこと……」



 ノスフェラトゥの言い分は理解できる部分もある。だが、それでいいはずがないとも『灰鼠』は思う。



「どうして『灰鼠』様は私を気にするのですか?」

「それは……だって気になるだろ。私の頼みを聞いて、助けてくれたんだ。もう他人だとは思っていない。そうだ。もっとお前のことを教えてくれ」

「私のことを? 申し訳ありませんが、記憶のない私には……」

「昔のことじゃない。たとえば……そう、お前はどうやって周りを見ているんだ? 両目を隠しているのに動きが淀みない。見えているんだろう?」

「見える、という感覚は分かりかねますが確かに知覚しています。音、匂い、また魔力を感じ取ることで私の周りに何があるのか正確に思い描くことができます……と、シュウ様が言っておられました」



 思わず『灰鼠』は脱力する。

 しかし考えてみれば、目で見たことのない者がその感覚を理解して説明するのは不可能だ。ノスフェラトゥにとっての『視る』という行為は、『見る』行為と区別つけることができない。



(私の仲間にも見る、聞く、嗅ぐ、以外の感覚を持っている奴はいるしな。こいつもそのクチか)



 実際、『灰鼠』も勘が鋭い。

 特に危険なものに対しては全身の毛が逆立つような悪寒を覚える。自らに降りかかる危険に対する感覚として、五感以外の知覚を備えていると言えるだろう。それは『灰鼠』自身でも説明することのできない、曖昧な感覚だ。

 不意にノスフェラトゥが止まった。

 そして次の瞬間、彼女の右肩から血が噴き出る。それは枝葉のように、あるいは血管のように伸びていく。血液は回廊の奥へ奥へと続いていき、闇の向こう側で何かが潰れる音がした。



「もう一匹、潰しました」

「それも見えたのか?」

「はい」



 ノスフェラトゥの才能は急速に開花している。

 目が見えないことなど何の問題もないほど感知能力は高く、高位グレーター級の魔物であろうと容易く捻り潰す攻撃能力まで備えている。迷宮内の安全確保はノスフェラトゥに依頼すれば万事解決すると言って良いほどである。



「なぁ」

「はい」

「また依頼させてくれ。この回廊は豚鬼が繁殖して危険でな。掃討じゃなく、護衛を依頼させてもらうかもしれない。今度『赤兎』を紹介してやる。私の仲間だ」



 少しずつではあるが、『灰鼠』も心を許していた。

 得体のしれない『死神』よりかは信用できると考えている。この世から弾かれた者同士として、一方的ではあるが共感していた。








 ◆◆◆








 黄金域を彷徨っていたオスカー・アルテミア率いる聖石寮の探索隊は、無事に脱出することができていた。無事とは言っても多くの術師が失われ、怪我を負ったり精神的に患ったりと、本当の意味で無事な者は少数でしかなかった。

 だが得られたものも大きい。

 九聖としての立場を持つオスカーは大聖石という特別な聖石を保有している。それに加えて黄金域で発見した劔撃ミネルヴァがある。そしてごく少数の仲間たちは極限状態に晒されたことで一つ上のステージへと成長することができた。



「あれは選別だった、といえばあなたは怒るのでしょうね」

「そうですね。どのような慰めも、あの惨劇を忘れるには足りないでしょう。しかし悲劇はありふれています。悲しんでばかりはいられません。弱き者たちを守ることこそ、私たち聖石寮の役目です」

「素晴らしい志です」



 迷宮域には特色がある。

 古代の遺物はその特色によって分かれており、歴史的遺物であったり、古代の兵器であったり、魔物の記録であったり、オリハルコンなど魔術金属であったりと様々だ。中でも黄金域は終焉戦争以前の文明が生み出した数々の兵器が眠っているとされている。

 まだ踏み込んだことのない深層へと侵入し、劔撃ミネルヴァをはじめとした兵器を持ち帰ったオスカーたちの部隊は英雄と称えられた。



「その武器、劔撃ミネルヴァは奇跡の武器です。オスカー様を九聖の第一席へと推す者は神官の中でも多い……おそらくは次の任務の成果を以て正式に第一席へ昇進させるつもりなのでしょうね。聖石寮は」

「例の滅びた街の調査と伺っています」

「より正確にはかの街、ヴァルナヘルから発生した赤い人獣です。魔物なのか、魔族なのか、赫魔なのか……それすらも曖昧なのです」

「被害のほどは?」

「現状では東部との交易ルートを封鎖するしかありません。アリーナなどとの交易も一時的に絞り、聖石寮に術師派遣を要請して安全確保に努めております」



 シュリット神聖王国の国家方針として、東方進出というものがある。西側は魔族や赫魔、北は強力な魔物、南はプラハ帝国に囲まれ、すぐ側には蟲魔域もある。どの方面にもリスクがある状況だ。現状は東方の蟲魔域を南から迂回することで東方へ進出することで国力を高めるという方針なのである。

 その決め手となったのが迷宮黄金域の存在だ。

 国防の要である九聖を何度も送り込み、古代兵器の探索を続けさせた。オスカーはその思惑通り、見事に強力な兵器を持ち帰ってくれた。その期待は大きい。



「ヴァルナヘルの調査……どうかよろしくお願いします」

「はい。その代わりですが、例の件でご協力をお願いできますか?」

「魔神教団やそれに与する奴隷商人などの情報ですね。その道に詳しいクレイ神官長へ話を通しておきますのでご安心ください。妹殿のことは聖教会でも行方を追いましょう」

「助かります」

「いいえ。アルテミア家の次期当主であり、九聖の第一席候補となられたオスカー様の願いですから。しかし心中、お察しします。まさか妹殿が誘拐されるとは……さぞ心配されていることでしょう。どうか我々にも協力させてください」



 オスカーは内心で苦々しく思いつつも、それは決して表に出さない。

 よろしくお願いしますとだけ口にした。



(何が誘拐か。父上は自らを被害者とすることで同情を買い、聖教会や聖石寮との繋がりを強くしようとしているに過ぎない。私の活躍もあり、次の王位はアルテミア家にと推す者も現れるだろう。全て父上の思惑通りに動いている気がするが……私には関係のないことだ。あの男が放逐した妹は必ず見つける)



 聖教会は弱き者のためにある。

 それはシュリット神聖という国の成り立ちから、当然とされる教えだ。オスカーは幼き頃より聞かされてきた理想を胸に抱いていた。





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