第480話 ヴァルナヘルの異変


 旧サンドラの街に武装した一団が帰還した。

 魔族討伐のため遠征に出ていた探索軍である。団長のバラギスが率いる探索軍は、元の半数以下となっていた。また生き残りも怪我をしていたり、騎獣を失っていたりと無事な者はいない。唯一、バラギスだけが無傷であった。



「これはどういうことでしょう。団長、旧サンドラが……こんな」

「ああ。おかしい」



 魔族に襲撃された結果、旧サンドラは大きな被害を出した。警備していた探索軍の兵士は三十人以上が殺されている。それ以上に住民も殺害され、街囲みも破壊されている。夜の襲撃だったのでどれだけの魔族が襲ってきたのか、よく分かってはいない。しかしながら旧サンドラの街を問題なく破壊し尽くせるだけの戦力だったというのが住民の証言だ。

 バラギスたちの疑問は大きく二つである。



「魔族はどうやってここまで来たのだ……?」

「ええ。我々が遠征に向かう道中も、帰還する道中でもすれ違いませんでした。もしや旧サンドラから花河庭園領域の間に抜け道でもあるのでしょうか」

「いや、領域を通過した際にすれ違った可能性もある。回廊と違って領域は広い。俺たちも脚獣ゴウラに乗って突っ切ってきた。気付かぬ間にすれ違っていたのかもしれない」

「……行きも帰りもですか? そのような偶然が?」

「帰還中については微妙なところだ。俺たちは旧サンドラから魔族が逃げ出した前提で会話している。しかし全滅していたのかもしれない」

「魔族ですよ? しかも不死の魔族だったと聞いています。殺せるのは団長くらいなものでしょう?」

「そこも不思議な所だな」



 疑問のもう一つは、なぜ戦力が不足している旧サンドラが魔族の襲撃に耐え切れたのかだ。旧サンドラは魔物や魔族の襲撃に備え、防衛設備を整えている。だが対応できるのは半魔族まで。魔族を倒せるほどのものではない。

 どのようにして魔族の集団が旧サンドラまでやってきたのか。

 そして旧サンドラはなぜ魔族を撃退できたのか。



「何があったか解明し、火主カノヌシへと報告する必要がある。調査を頼むぞ」

「はい」



 彼らはそう話し合って動き始めた。






 ◆◆◆








 火主カノヌシの命令を受けてレベリオ征伐を行うトマスは、発見した街の一つをいとも簡単に落としてしまった。その街は川沿いに存在しており、農作物を川下へと運んでいるということが分かっている。ここの食糧を略奪するだけでもレベリオに対する攻撃としては充分なほどだ。

 そしてトマスにとって都合が良い点は、街そのものを拠点にできることである。火主カノヌシから預かった軍勢は直轄軍の兵士が三百に、徴兵した男が五千である。先の戦いで幾人かは失われてしまったが、ほぼ全員が残っている。それだけの軍を養うためには、相応の拠点が必要ということだ。



「トマス様、戻りました。ご報告申し上げます」

「オテヌスか。どうであったか、余すところなく説明せよ」

「はい。予想通り川を下り街を見つけました。我々の発見した第二の街から上ってくる者は捕え、レベリオの言葉が分かる者に尋問させました。どうやら次の街はレベリオ人と因縁があるようです。彼らはアドリア系レベリオ人というそうで、迫害されている混血の氏族だとか。街の大きさは四方が二百キュビウル以上もあり、数は我々よりも多いのです。ここは彼らと交渉し、寝返らせては如何でしょうか」

「ならぬ。男は全て滅ぼし、それ以外は略奪せよ。それが偉大なる火主カノヌシのお告げである」



 トマスは厳格な様子で首を横に振り、断固として交渉を認めない。

 なぜならばそれが火主カノヌシの願いだからだ。火主カノヌシは王であると同時に、サンドラ人にとって神にも等しい。だからその言葉に誤りはなく、その判断に間違いはない。失敗があるとすれば、実行した者に問題があるのだ。

 火主カノヌシの言葉を必ず守り、確実に遂行する。

 それこそがトマスの捧げる忠誠であった。



「レベリオは一つの血族ではない。そうだったな?」

「はい。その通りです」

「奴らの領土のうち、外側は混血の民の街だろう。あるいは罪人、病人の街だ。焼き尽くし、火の裁きを下しても構わない。見せしめに街の一部を燃やし尽くし、降伏を勧告するのだ。それでも頭を垂れぬならば、それも仕方あるまい」

「全てを滅ぼし尽くすと。そういうことですね」

「当然である。レベリオ人など、奴隷であることを喜ぶべきなのだ。火主カノヌシに仕える我らサンドラ人に奉仕できることを歓喜すべきなのだ。役に立たぬのならば滅びることこそ運命というものよ」



 サンドラ人でなければ人にあらず。

 その信念に従い、トマスは進撃を命じた。








 ◆◆◆








 黄金域と呼ばれる迷宮域は殲滅兵が動き回る危険地帯だ。殲滅兵は生物を発見すると即座に《火竜息吹ドラゴン・ブレス》を放ち、殺し尽くすまで止まらない。もしも見つかれば終わり。決して感知されないよう、隠れ進むのが定石だ。

 だが聖教会が九聖の一人、オスカー・アルテミアはその普通に逆らった行動を取っていた。



「オスカー様! 通路の先から!」



 術師の一人が叫び、指差す先から殲滅兵が現れる。黄金域の通路から現れた多脚の古代兵器は、その単眼を激しく動かしてオスカーたちを認識する。そして炎の第十階梯魔術が放たれた。

 加熱と断熱圧縮により水素のような軽い元素がプラズマ化し、運動エネルギーを魔術制御することで一方向に収束放射する。その凄まじい熱量が通過すれば、炭化した人体が残るのみだろう。

 だが《火竜息吹ドラゴン・ブレス》が放射される直前、その光を貫いて殲滅兵の単眼を破壊した。



劔撃ミネルヴァ、まだいけますか」

『残念ですが。チャージが足りませんよ。私の能力は一撃必殺。溜めれば溜めるほど威力を増す。逆を言えば連撃には向きません』

「やはり無理ですか。皆、番人の視界は奪いました! 撹乱してください!」



 オスカーは弓矢を放つような姿勢を解く。

 黄金域の地下で発見した迷宮神器アルミラ・ルシス劔撃ミネルヴァは二つの刃を持つ長柄の武器である。つまりは近接用の武器なのだが、魔力で弦を張り、弓矢のように扱うこともできた。つまり遠近両用の万能武器なのである。



劔撃ミネルヴァのチャージが終わるまで時間を稼いでください!」



 命令に従い、術師たちは次々に魔術を発動する。

 聖石を介した魔術はほぼ一瞬で発動し、彼らが番人と呼ぶ殲滅兵の足へと殺到する。残念ながら殲滅兵を傷つけることすらできないものの音や衝撃で感知を狂わせることはできる。また炎の魔術を使うことで熱源感知を誤魔化し、あるいは風や土の魔術で衝撃を与えて撹乱する。

 そうして時間を稼いでいる間に、オスカーは劔撃ミネルヴァへと魔力を注いだ。時間と共に二つの刃が青白く輝いていき、それでいて刃へと光は留まる。



『八割といったところでしょうか。しかし直接攻撃であれば充分です』

「分かりました。皆、攻撃停止!」



 オスカーがそう命じると、すぐに術師たちは魔術発動を止める。それによって猛攻に空白が生じ、殲滅兵は一瞬の隙を得た。光学感知システムは潰されたが、それ以外の感知システムはまだ生きている。即座に周囲をマッピングし、《火竜息吹ドラゴン・ブレス》の発動へと移行した。

 だが、それよりもオスカーの方が一手分早い。

 身体を捩じりつつ劔撃ミネルヴァの二連撃を見舞った。斬撃の軌跡は魔力の光として残り、殲滅兵は十字に引き裂かれる。オリハルコンの外装は亀裂もなく綺麗に切断され、内部の機器は電光を放ちつつ機能を停止した。



「凄い。流石ですオスカー様」

「本当に凄いのは劔撃ミネルヴァですよ。魔力を溜め込み、一度に解放する。放つ攻撃はまさしく必殺。こうして斬るだけでなく両端の刃に集めた魔力を弓矢のように撃ち出すこともできます。少々特殊な癖のある武器ですから、技術の必要もなく瞬時に決着させることができる点は嬉しいですね。無敵に思われた番人を切り裂くほどに鋭いですから」

「これが古代の兵器なのですね」

「そのようです」



 迷宮の番人は決して倒せない存在だと考えられていた。

 近づくのも困難であり、仮に近づいたとしても無敵の外装がある。だから黄金域の探索は、どのようにして番人から隠れつつ進めるかということにかかっていた。それがこうして番人を倒せるようになるだけで話は大きく変わる。



「これまで調査の難しかった深層の探索が可能となります」

「そうですね。しかし今は脱出が先です」

「オスカー様の仰る通りですね。ただ、まずは地上部にでなければ。太陽を見ることさえできれば、方角から戻るべき場所が分かると思います」

「そうですね」



 オスカーが部隊の副長とそのようなことを話している間、他の術師たちは周囲の調査を行っている。そしてすぐに戻ってきて、オスカーに報告した。



「この先に昇降機を発見しました。起動するかどうかはまだ分かりませんが、試してみる価値があります」



 これはまさしく朗報であった。

 地下迷宮を彷徨っておよそ二日以上。オスカーたち術師の調査団はようやく黄金域の脱出に成功したのだった。








 ◆◆◆







 現代において、人は弱い種族だ。

 終焉戦争以前であればスラダ大陸の魔物はほぼ絶滅するほどに人類生存域から駆逐されており、いるとすれば辺境くらいなもの。まさに人間の最盛期といえた。

 だが文明が崩壊し、全てが迷宮に飲み込まれ、人間は魔晶技術に頼りきっていたことで魔力を扱う能力が劣化している。だから昨日まで繁栄していた街が、次の日には消滅していることもある。よくあるとまではいわないが、決して起こり得ないことではない。

 突如として滅びたヴァルナヘルも、その一つだと思われた。



「異質、ですね。これほど綺麗な死体ばかりとは」

「すでに幾つか食い荒らされているようですが、第一発見者の行商人によると当時は傷一つない死体ばかりだったとのことで」

「私は聖教会の歴史に詳しいつもりですが、このような光景は初めて見ました。魔物というよりは病気のようには見えましたが」

「しかしほんの少し前までヴァルナヘルは栄えていたと聞きます。それにあやふやな情報ですが、赤い霧に包まれて近づくことができなかったという証言も」

「それがあるから病気だとは断言できないのですよ」



 一夜にして滅びた都市国家ヴァルナヘルの情報は、少し遅れて広まった。聖教会はこの怪奇現象についてすぐに調査を行い、今に至る。聖石寮に声をかけ、蟲魔域での魔物討伐にあたっていた九聖第二席の手を借りることもできた。

 だが、今のところは手掛かりとなるものは見つかっていない。

 謎を深める要素ならば発見されたが。



「オリエンス様! 例のものをお持ちしました!」



 一抱えほどの壺を持った術師を引き連れ、神官がやってくる。

 名を呼ばれた高位神官オリエンスは振り向き、軽く手を上げて返事の代わりとした。運ばれてきた壺の中身は赤い結晶が詰め込まれている。神官はその一つを手に取り、火の光に透かして見せた。



「このように半透明の赤……宝石のようですが、このように少し叩けば崩れます」

柘榴石ざくろいしに似ていますね。魔力を含んでいるようですが」

「お気づきになられましたか。聖石と少し似ていますので、術師の方もそのようにおっしゃっていました。しかし魔力を込めても術が発動することはないそうです」

「少し触れてみても?」

「はい。念のため、お気をつけて」



 オリエンスは調査団の責任者として、ヴァルナヘルに散らばっている赤い石を観察する。それは確かに宝石のようで、どこか聖石にも似た雰囲気がある。

 試しに魔力を込めると、赤い石の中に吸い込まれていった。しかし何の反応もない。



「これが落ちていた場所は? 法則性はありますか?」

「今のところはそれらしきものはありません。何となく、遺体の近くに多い気がしますが……」

「遺体といえば、奇妙な遺体の話がありましたね」

「血が全くない遺体ですね? 全てではありませんが、血がなくなり干からびた遺体が多く発見されました。ヴァルナヘルの聖教会統治区域でも多く見つかっています。この奇妙な遺体については傾向があるようでして、聖教会の近くで最も多いのです。例の赤い霧の中で何があったのか分かりませんが、もしかすると我々の同胞は何かと戦っていたのかもしれません」

「魔物、あるいは魔族が?」



 そう言いかけて、オリエンスはある魔物に思い至った。



吸血鬼ヴァンパイア。確か不死属系の魔物で、血を喰らい力とする魔物だと聞いたことがありますね。高位グレーター級の恐ろしい魔物だとか」

「ヴァルナヘルを滅ぼし尽くしたのですから、それ以上の厄災であるとも考えられます。推定では災禍ディザスター以上です」

「それは……仕方のないことですね」



 人間が火山に勝てるだろうか。

 大木をも薙ぎ倒す大風に勝てるだろうか。

 大地すら呑み込む大水に勝てるだろうか。

 そのような魔物を相手に勝負を挑むことが間違っているのだ。だからオリエンスの呟きは間違いではなかった。仕方のないことなのだ。



「あれ、今――」

「どうしましたか?」

「すみませんオリエンス様。見間違いだと思います。赤い石が蠢いたように見えたのです」

「何?」



 壺の中身を凝視する。

 しかしながら赤い石は固く鈍い輝きを放つのみ。それが蠢くなど幻視だったのだろう。思い直して考えを切り捨てた。

 だが次の瞬間、全ての赤い石がどろりと溶ける。

 壺の中身も、当然だがオリエンスが手にしていたものも硬さを失って液状化した。それらは流れるのではなく、蠢いて一つの形となる。



「これは!」

「総員警戒せよ」

「早くオリエンス様を下がらせるのだ!」



 術師たちはオリエンスを赤い液体から離し、護衛のために陣を固める。その液体は鉄臭さを放ち、一つの形を成す。



「血だと……? 血の蝙蝠だ!」

「なんだこれは!」

「引け! 一旦引け!」



 訳が分からないというのが術師や神官たちの思いだった。さきほどまでただの石だったものが、血の蝙蝠となって動き出したのである。その数は百や二百というレベルではない。滅びたヴァルナヘル中で同じ現象が起こり、全ての赤い石が変貌した。

 そして血の蝙蝠は群れを成し、人間を襲い始めた。



「オリエンス様! ここは危険です。早く逃げ――ああああああああああ!」



 血の蝙蝠はオリエンスを守る術師の腹を食い破り、腕や足へと齧りつく。それは獣が肉を貪り喰らうように、縦横無尽に暴れまわった。まだ襲われていない術師は抵抗するべく魔術を発動したが、それは全く当たらない。

 高い知能を持っているようで、蝙蝠の群れは魔術が迫ると散開し、回避してしまうのだ。そして隙を晒した術師へと食らいつく。

 それだけではない。

 オリエンスは徐々に血の蝙蝠が減っていることに気付いた。



(誰かが倒しているのか? だがそんな様子は)



 確かに血の蝙蝠は減っている。

 初めは空を埋め尽くすかと思われた数だったが、今は空が見えるほどに減っている。はっきりと初めの半分以下になっていると断言できる。

 その理由は視界が開けたことで判明した。



「が、があああ! お、俺の中に入ってくるううう!」

「離れろ。やめろ! 私の中に入るな!」

「近づけるな。こいつ、我々を喰らうだけじゃないぞ!」



 血の蝙蝠は人間に食らいつき、傷つけ出血させ、その内側へと入り込もうとしていたのだ。蝙蝠の形を歪ませ、傷ついた血管から体内へと侵入しているのである。そのために血の蝙蝠は数を減らしていた。

 当然だが、こんな異形が体内に入って無事で済むはずがない。

 寄生された者は激しく唸り、汗を流し、身体を震わせ、そして変貌した。筋肉が肥大化して、皮膚に太い血管が浮かび上がり、脈動する。瞳は血のように赤く染まって、歯は鋭い牙に置き換わっていた。完全に理性を失った様子で、手あたり次第暴れ始めたのである。



「何が起こっているんですか!」

「そんなことよりオリエンス様を逃がせ! 馬車はどっちだ!」

「あちらです。さぁ、オリエンス様も早く」

「頼みますよ」



 この調査の責任者として、オリエンスだけは必ず逃がさなければならない。ヴァルナヘルの外縁部にいたお蔭で、無事に逃げることはできそうである。しかしこの厄災は、世界に新たな問題を生み出したのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る