第487話 盗みの代償


 都市国家パンテオンに攻め寄せた死の軍勢は、全て骸骨の兵士であった。それらの多くは武装もない、肉も内蔵もない裸以下の状態である。しかし稀に青銅の剣や槍を持った個体も混じっていた。

 それに対してパンテオンは男たちを集め、軍を編成して迎え撃つ。その中には研究会で技術の探求と進化に勤しむ知識人たちも混じっていた。



「ふむ。カセティヌス翁の研究会も弟子たちを多く出しているようだな。シュウ殿は彼を知っているかね?」

「いいや。そこは?」

「火薬を開発した最も大きな研究会の一つだ。魔力によらず一定の破壊力を生み出せるという点において火薬は優れている。しかし硫黄の仕入れにコストがかかり過ぎるのが問題だ。また管理も困難を極める」

「なるほど」

「一方で我らの研究する魔術は個人の資質に左右されるが、低コストで済む。強いて言うならば術式を描くための水銀が高価だがね。使いまわしができるとはいえ、毎回少しばかり損失してしまう。しかし火力に対するコストとしては魔術の方が優れているという自信がある」



 『幻書』ことクラクティウスは自分の研究について語る時、饒舌になる。科学者として客観的な視点を持ちつつも、自分の研究の優れた部分をアピールすることを常に忘れない。賢者の一人として研究会を牽引するために必要な能力は、何も研究することだけに留まらない。組織を運営するための能力も問われる。

 クラクティウスの研究は魔術という無から事象を発生させる可能性を秘めている。実際は魔力というエネルギーをもとに機能する保存則に逆らわない現象なのだが、一般人からすれば何もないところから火や水を生み出しているように見える。そういった利点を上手く説明し、商人たちに投資してもらうよう尽力することも賢者として必要な仕事なのだ。

 そして戦いは都市の危機であると同時に、一部の研究会にとって自分たちの成果が有用であることを分かりやすく証明する機会でもあった。



「我々の解明した術式の通りに魔力を構成することで、魔術という現象が発生する。それらは術符から発見した法則たちだ。しかしあれほど微細に術式を構築することは困難であり、そこで我々の技術にも可能な水準にまで大型化することにした。それがこのクラクティウス研究会の成果、魔術砲台だ」



 彼は砲台と説明したが、見た目は幾何学模様の描かれた石板である。その幾何学模様は美しく彫り込まれており、そこには水銀が流し込まれている。そして魔術の使い手はその幾何学模様を踏みつけないよう慎重に立ち、集中していく。

 シュウはその光景を興味深く眺めていた。



「《炎槍フレイム・ランス》か」

「その通りだ。熱量と加速による破壊力は戦いに向いている。似た魔術に《火球ファイア・ボール》が存在しているが、それと比較して貫通力が高い」

「威力は?」



 その問いに対して、クラクティウスは無言で戦場を指差した。

 魔術砲台の上に立つ使い手は、息を切らしながら足元の魔術陣に魔力を注ぎ込む。すると水銀が淡く光り始め、炎の槍が生じた。アポプリス式魔術の炎系統第二階梯炎槍《フレイム・ランス》が発動したのである。

 発射された炎の槍は死の軍勢の一部を吹き飛ばす。

 しかしながら所詮は一部でしかない。動く骸骨を燃やし尽くしボロボロにしてしまうが、死の軍勢というだけあって恐れ知らずに進軍を続ける。



「この通りだ。相手が人間であれば有効だと思っているがね」

「倒せる人数は十人以下。しかしその十倍以上を恐怖で退けることができる。魔術師一人で百人を退けられるのならば有用なのかもしれないな」

「その通りだ」



 表面上はそう言いつつも、シュウとしては残念なものを見る目で観察していた。

 その理由は魔術砲台を使用する魔術使いの消耗である。たかが第二階梯の魔術を放つためにあれほど大掛かりな仕掛けを施し、尚且つ完全に魔力を使い尽くしている。文字通り、一人一発だ。



(まぁ俺が終焉戦争で思い描いていた魔術の退化は進んでいる。想定通りではあるが……あれほどの栄華がこうなったと思うと残念だな)



 魔術は完全に廃れていると言っていい。

 既に自力で術式を構築できる者はいないに等しい状況だ。プラハ帝国には幾人かそういった者も残っているが、精霊秘術が主流になったことでやはり退化しつつある。だからこそ水銀を使って術式を描いているのだろう。

 彼らは液体金属というものに希少性や神秘性を見出し、魔術媒体に相応しいと判断したのかもしれない。

 しかし基本的に魔力は物質中に留まりにくく、水銀であろうとそうでなかろうと、物質に沿って術式を構築すると無駄に魔力を消耗してしまう。

 だからこそ第一階梯や第二階梯の魔術如きで魔力が尽きてしまう。



「魔術は素晴らしいものだ。しかし古代にはもっと素晴らしい魔術があったのだと考えている。だからこそ、私は煌天城を追っているのだ。私の予想でしかない。しかしあれには古代の英知があるに違いない」

「まぁそうだな」

「術符の中にはより強大な魔術も存在している。私が残りの一生をかけても解明することはできないだろう。だが、故にこそ人生を賭ける価値がある」



 魔術砲台、火薬兵器、投石機など、大掛かりな兵器を数多く保有するのがパンテオンだ。攻め込むための戦力は存在しない一方、防衛戦力はこの周辺で随一である。確かに死の軍勢は恐ろしく、その数は夥しい。しかしパンテオンの防衛力であれば撃退に問題はなかった。

 賢者たちも自らの研究成果をアピールする良い機会だと思っていたほどである。

 骸骨の兵士たちは次々と数を減らし、着実に勝利へと近づいていく。

 このままパンテオン軍の勝利は確実だと思われた。



(……そう、簡単に終わるといいんだがな)



 シュウだけは厳しい目で死の軍勢を見遣る。

 魂を見通せるシュウには、あれに魂が宿っていないことを見抜いていた。魔力で命令を受けて動くだけの人形に過ぎない。つまり、あれは不死属系魔物の大量発生ではなく意図的に誰かが生み出した軍勢ということになる。

 その黒幕がもしも現れたとすれば、戦いの流れが変わるかもしれない。



「見ものだな」

「うむ。その通りだ」



 全く異なることを考える『死神シュウ』と『幻書クラクティウス』。

 しかし会話だけは噛み合っていた。







 ◆◆◆







 サンドラではその日、大きなイベントが開催されていた。

 それは処刑という祭りである。都市の最も目立つ広場に大きな柱が建てられ、そこに全ての衣服を剥ぎ取られた少女が磔にされていた。身体のあらゆるところに鞭の傷があり、打撲の跡も多数見えた。

 広場には多くの人が集まり、全員が石を手にしている。

 彼らは皆、死刑が始まるその時を今か今かと待っていたのだ。



「あれが魔族」

「見ろ。角が生えている。なんて悍ましい」

「この街で悪事を繰り返していたらしい」

「俺たちが汗水垂らして献上したものを盗んだんだ」

「ああ、死んで当然だ」



 民衆は強い憤りを感じている。

 彼らは日々、必死に働いている。腹を空かせ、喉が渇いても畑の世話をする。酷い匂いに耐えながら家畜の世話をする。焼け付くほどの熱を身に浴びながらレンガを焼き、爪の間に入った泥が取れなくなるまで土をこねて器を作る。あるいはつるはしを振るって採掘する者もいるだろう。

 心血を注いで国益を生み出した彼らは、その一部を火主カノヌシへと献上することが義務付けられているのだ。金銭ではなく物品という違いこそあれ、つまりは税金である。そうして納めた彼らの労力は、磔にされた魔族によって掠め取られたという。



「見よ! これが魔族である。お前たちの心血が生み出した富を奪い取り――」



 何度も何度も、直轄兵が繰り返し魔族の罪状を叫ぶ。

 それを聞いた民衆たちは怒りを溜め込み、更に強く石を握りしめるのだ。

 しかし、その中で石を手にしていない男がいた。



(ジョリーン……すぐに助ける)



 彼は日差しを避けるため、マントを被っている。半魔族としての身体的特徴を隠した『赤兎』であった。

 既に手筈は整えているが、この救出作戦は簡単な仕事ではない。民衆が埋め尽くし、直轄兵や探索兵が守るこの場から『灰鼠ジョリーン』を助け出さなければならないのだから。



「おお! 火主カノヌシがお姿を見せてくださった!」



 誰かがそんなことを叫び、宮殿に目を向ける。

 広場からも見えるテラスに、神器ルシス無限炉プロメテウスを手にした火主カノヌシヘルダルフが姿を見せた。分かりやすく手を振り、民衆の熱意に応える。その背後には護衛として探索軍団長のバラギスが待機し、その他にも直轄軍兵士や献酌官がすぐ側にいた。

 この処刑を見るためだけに設置された椅子に腰を下ろした火主カノヌシは、磔にされた『灰鼠』を見て嘲笑っているようであった。

 『赤兎』からすればこのような侮辱を許すわけにいかないと怒りを露わにするが、すぐに思い直して可能な限り体の震えを抑えた。



(あんなに辱められて……絶対に許さん。必ず助ける)



 火主カノヌシの献酌官は毒見した果実酒を盃に注ぎ、自らの主へと献上している。まさしく観覧する態度で、非常に腹立たしい。しかし感情で動いては全てを失いかねない。

 強く拳を握り、その時を待つ。

 酷く長い間のように感じたが、実際にはすぐの出来事であった。



「来たか、ノスフェラトゥ」



 それは合図だ。

 宮殿の照らす周辺に赤い霧が立ち込め始めた。明らかな異常が火主カノヌシの周辺で起こったのならば兵士はそこに着目せざるを得ない。この陽動こそが作戦の第一段階である。

 広場に集まった民衆も、中央で磔にされた死刑囚よりも火主カノヌシの方に目を向けるのは当然のことだった。しかしこの時点では『何か異変が起こっている』という程度でしかない。彼らはこれから何が起こるのか目にするため、この場に留まっていた。

 それを合図として動き始める。

 『赤兎』は少しずつ中央の柱に向かって近づき始めた。

 周りを直轄兵が囲って封鎖しているので、ある程度までしか近づくことはできない。だがその兵士たちも霧に包まれ始めた宮殿の方に注目しているので、『赤兎』が少々不審な動きをしても気に留めなかった。

 赤い霧は徐々に濃くなり、広がっていく。

 その裾がこの広場にまで到達し始めたことで民衆はそこから離れ、自分の家に戻ろうとする者も現れ始める。ここまでゆっくりと変化してきた状況だが、唐突に事件が起こった。

 宮殿のテラス付近を包み込む赤い霧の内側から、凄まじい勢いで真っ赤な蝙蝠が現れたのだ。それも一匹や二匹ではなく、百匹以上はいた。



「なんだあれは!」

「きっと魔物に違いない! どこから出てきたんだ!」

「迷宮じゃないのか? 探索軍は何をしてやがる!」

「いいから逃げろ! 早くに逃げろ!」



 大混乱に陥った民衆たちは逃げ惑い、我先にと広場から離れる。赤い蝙蝠は直接的に人々を襲ったりはしなかったが、鳥肌が立つような高い鳴き声で輪唱する。その羽音は不快感を生み、民衆は本能的な恐怖を感じた。

 誰かが転んでも、それを踏みつけて逃げていく。

 根源的な恐怖を前にすれば道徳心など塵以下にしかならない。踏みつけにされ、将棋倒しになり、そのせいで何十人もの民衆が死んだ。



(危なかった。できる限り中心に近づいておいて良かった)



 『赤兎』は周囲の混乱を見て安堵する。

 この処刑イベントを目撃するため、あるいは当事者となって石を投げるため、多くの民衆が集まっていた。これだけの人数が混乱し、逃げ惑えば非常に危険だ。だから『赤兎』は巨体を生かして周囲を押しのけ、可能な限り前に出ていた。お蔭で逃げようとする人々に巻き込まれず済んだのだ。

 半魔族だけあって、その肉体は人間よりも強い。だからこの程度の事態で圧し潰されるようなことなどない。だが、必要なのは圧し潰されて死なないことではなく、『灰鼠』を助け出すことである。



(今だ)



 そう考えた『赤兎』はマントの覆いを外し、自らの腹を曝け出した。そこには巨大な牙の並ぶ大きな口がある。これこそが『赤兎』ことガルミーゼの有する異能の力だった。豚鬼の力を有する魔族の親を持つ彼は、生まれながらにして力を受け継いでいた。腹の口から呑み込んだものを『保管』する魔導を引き継いで生まれたのである。

 この異能の力は運び屋としての役目を決定づけた。

 『灰鼠』と共にサンドラの物資を盗み、自らの異能によって保管してアルナに持ち帰る。そうすることで幾つもの盗みを成功させてきたのだ。

 彼の腹が大きく開口し、その奥から二人の人影が飛び出す。



「急ぐぞ」

「分かっている!」



 現れたのはハーケスとアラージュの二人だ。

 共に『赤兎ガルミーゼ』の腹の奥に隠れ、時を待っていた。特にハーケスの神器ルシス瀑災渦アシュタロトは華美であるがゆえに目立ちすぎる。このへ持ち込むためには、このような工夫が必要であった。



(ノスフェラトゥの霧に隠れながら地上へ。そしてガルミーゼの腹に隠れた俺たちが奇襲で救出する! 機会はこの一度だけだ!)



 ハーケスは神器に命じて地下水を操る。

 地面が罅割れ、噴き出た水が磔にされた『灰鼠』の周囲を渦巻き、サンドラの兵を薙ぎ払う。この不意打ちには反応できず、兵士たちは容易く無力化されてしまう。その間に『赤兎』とアラージュの二人で『灰鼠』を助け出す算段だ。

 また救出した『灰鼠』は『赤兎』が吞み込み、安全に連れ帰るのである。



「固く結び過ぎだ! 解くのは無理だぞ」

「仕方あるまい。噛み千切る」



 刃物のような高級品は流石に持っていない。それならば顎の力で食い千切る方が現実的である。二人がかりで『灰鼠』を縛り付ける紐を千切ろうと苦戦する間、ハーケスは誰も寄せ付けないように渦の防壁を張り続けた。

 空には赤い蝙蝠が飛び交い、渦の向こう側からは悲鳴と怒声が絶えず聞こえている。



「ここまでは計画通りだ。急いでくれ」



 そんなハーケスの言葉に対する返事は無いものの、『赤兎』もアラージュも更に力を込めた。もうまもなくロープが千切れる。本当にもう少しと言ったところで状況が転じた。

 宮殿テラスを包んでいた赤い霧の中から、銀色の槍が出現した。正確に言えば枯れ木のようであり、枝の如く伸びたそれらは激しく宙を舞う赤い蝙蝠を次々と貫いていく。貫かれた赤い蝙蝠は弾け飛び、霧の一部となって消えていった。

 更には霧の内側から激しい炎が巻き起こる。

 熱風は赤い霧を吹き飛ばし、銀の槍を回避していた蝙蝠を蒸発させる。熱気はサンドラ全体を撫で尽くし、人々は我に返った。



「熱いですね」



 吹き飛ばされた赤い霧は、『灰鼠』を磔にしている柱の上で凝集する。霧から人体へと変化したノスフェラトゥは、まるで熱さを感じていないかのような口調で呟いた。両の目を布で覆い隠しているにもかかわらず、彼女はしっかりと宮殿テラスの方を向いている。



「無事かノスフェラトゥ!」

「すみません。与えられた役目に失敗したかもしれません」



 ハーケスの心配に気も留めず、ノスフェラトゥはただ謝罪した。

 赤い霧は完全に消え去り、熱気が肌を焼く。宮殿テラスに座す火主カノヌシヘルダルフは、その手に持つ迷宮神器アルミラ・ルシス無限炉プロメテウスを掲げた。

 短い杖の先端に吊り下げられたランタンに激しく炎が灯っている。

 その炎から分裂した火種が周囲の兵士へと力を分け与えていく。炎は兵士の持つ剣や槍に宿り、サンドラの誇る最強の軍団がここに顕現した。






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