第473話 都市国家サンドラ


 神奥域はマギアの大穴だった場所である。

 そこは恒王ダンジョンコアが誕生した場所であり、迷宮の始まった地でもある。そのため構造は最も複雑であり、最も深い。

 また飛行の魔術で大穴を降ろうとしても、迷宮魔法により惑わされる。だから神奥域に挑む者たちは大穴の内壁に張り巡らされた、『回廊』と呼ばれる迷路を通って深層へ進まなければならない。



「魔力の使い方は分かるか?」



 歩きながら訪ねるシュウに対し、ノスフェラトゥは小さく頷いた。



「見えています。使い方も、分かります」

「それなら話は早いな」



 ノスフェラトゥは目が見えない。

 両目を布で覆い隠しているのは、余計な光刺激を防ぐためだ。彼女の場合、光を感じることはできる。しかしながら色の識別や映像の処理など、光を意味ある情報として解釈することができない。それはつまり目が見えていないのと同義である。

 だからこそ、彼女は見捨てられた。



(魔力の使い方が分かるのは育ちがいいからか、本能的な部分か。あるいは目が見えないから魔力感知が発達したお蔭か……まぁ好都合には違いないな)



 言葉遣いや仕草から、ノスフェラトゥは奴隷として売られていたのは不自然だ。しかしながら障害を抱えていたという前提があるならば説明できなくもない。

 残念ながら彼女の記憶は曖昧であり、調査するにも時間がかかる。

 まずはノスフェラトゥの能力を具体的にするところからだ。



「魔装、魔術。それは分かるか?」

「申し訳ありません。魔術は分かりますが、魔装は聞いたことがありません」

「なるほど。やはりシュリットの出身なのか……? まぁいい。先に魔装の説明からか」



 シュウは区分としては魔物であるため、魔装は保有していない。とはいえ魔導という固有の能力は持っていたし、感覚的な部分は理解しているつもりだ。

 魔装の訓練方法は終焉戦争以前、既に確立されていた。その時代の知識を有するシュウからすれば、魔装の訓練も難しくはなかった。



「魔装はお前が持つ固有の能力だ。想い、願うだけで発動できる。魔力の使い方が分かるのなら、すぐに自覚できるはずだ。お前自身の魂に刻み込まれた能力が、はっきりと分かるようになる。魔力の放出を意識してみろ」

「はい」



 自己申告の通り、ノスフェラトゥは魔力を放出し始めた。

 魔装の訓練には定型化された手順がある。第一段階は魔力を認識し、操ることだ。魔装は魔力を用いて発動するため、これができなければ話にならない。そして次の段階では意図的な魔力の放出を試みる。それによって偶発的な魔装の発動を狙うのだ。

 魔装に限らず、魔力を用いた技術は個人の感覚に委ねられる。それは二輪車を乗りこなす訓練とも類似しているだろう。一度でも感覚を掴めば、そこからようやく本格的な訓練へと移行できる。



「こうでしょうか」

「ああ、その調子だ。歩きながら続けろ」

「はい」



 通常、この訓練は長く続けられない。魔装を使ったこともない未熟な状態での訓練だからだ。あっという間に魔力が尽きてしまうため、人によっては何十日もかけて魔装を自覚する。しかしながらノスフェラトゥは例外的だ。自覚がないにもかかわらず既に魔装を目覚ざめさせている。

 実際、効果はすぐに表れた。

 きっかけは魔物との邂逅である。神奥域の第一回廊に入ってからしばらく。豚鬼系の群れと遭遇することになった。

 数は三十を超える。

 豚鬼オークと呼ばれる魔物は巨漢の人型であり、頭部は獣のそれだ。食欲が旺盛なので人里に降りて来ては畑や貯蔵庫を荒らしまわる厄介な魔物である。中位ミドル級に属するため、三十体以上も群れを成していれば現代の人では抗うことすらできない。



「あ、え?」



 悠長にしていたノスフェラトゥはあっという間に囲まれ、豚鬼オークに殴られる。あるいは掴まれ、牙を突き立てられる。肉を貪る音が洞窟内で木霊した。

 当然ながら豚鬼オークたちはシュウの方にも襲いかかるが、それらは死魔法で消滅させられる。結果として豚鬼オークたちはシュウを恐れ、ノスフェラトゥの方へと集中してしまった。

 そして次の瞬間、豚鬼オークたちは次々と爆散する。

 あっという間に周囲は赤い霧に満たされ、驚き逃げようとしていた豚鬼オークたちも巻き込んで溶かしていく。霧は豚鬼オークが死ぬ度に濃くなり、それらの血が空気に溶け込んでいるようであった。



(早速発動したか。だがこれは始祖としての能力……のはず。いや、まさか……そういうことなのか?)



 霧に紛れて血が結晶化し、枝分かれして枝葉の如く広がる。それらは豚鬼オークを刺し貫き、内側から突き破ってその肉を爆散させていたのだ。

 更には赤い霧が凝縮して槍のようなものが形成される。形成と同時に射出された赤い槍は豚鬼オークだけでなくシュウにすら襲いかかった。それらはシュウからすれば大した攻撃にならず、死魔法により分解されるだけ。だが豚鬼オークたちは一瞬にして全滅させられてしまった。



「……私はいったい」

「それが魔装だ。てっきり赫魔細胞由来の能力だと思っていたが、魔装だったのか。感覚は掴めたか?」

「はい」



 ノスフェラトゥに恐怖のような感情は見られない。

 それは《聖印セフィラ》によって魔力流量が制限されているからだ。それによって感情の動きは最低限となり、恐怖も、喜びも、怒りも、悲しみも、全てが消失していると言ってよい。魔物に襲われても、突如として発現した力にも、何の感情も抱いていない。

 強いて言うなら戸惑いがあった程度だった。

 豚鬼オークによって噛まれた跡からは血が流れており、それが赤い霧の元になっている。赤い霧は遺体となった豚鬼オークを完全に溶かし、あっという間に腐敗させてしまった。最終的には魔力として霧散してしまったのだが、実に殺傷性の高い能力である。



「魔装には幾つかの種類がある。お前のそれは、おそらく置換型と呼ばれる魔装だ。自分自身の血液が魔装に置き換わっている……ということで間違いないだろう。赤い霧を消すことはできるか?」

「できます」

「おお、傷から戻っていく。そうなるのか」



 拡散された赤い霧は集まり、ノスフェラトゥの傷口へと戻っていった。明らかに彼女の身体に見合う容量ではなかったが、問題なく吸い込まれていった。

 人体における血液の割合は質量換算で八パーセントほどと言われている。ノスフェラトゥは十歳程度であり、見た目から推察される体重は三十キログラムにも満たないだろう。よって彼女の体内にある血液は合計二リットル程度となる。

 しかしながら彼女へと吸い込まれた血液はその倍以上。どう考えても質量保存の法則に反している。置換型魔装という見立ては間違いないだろう。



「その魔装のお蔭で赫魔細胞と適合できたわけか」

「いったい何の話でしょうか」

「お前に与えられた力のことだ。その内分かる。それより体の調子はどうだ」

「痛みはありません」

「吸血衝動は?」

「少しだけあります。ですが問題ありません」



 先程の能力を見た限り、ノスフェラトゥの魔装は単純に血液を操るというだけではないだろう。血液を霧状にしたり結晶化したりと状態変化、形状変化させるだけでは説明できない部分があった。それは豚鬼オークたちを溶かしていた現象のことだ。



(毒か。ヴァルナヘルを包んでいた霧も毒を含んでいたな)



 そもそも今回の件でシュウにまで話が回ってきた理由が、ヴァルナヘルを満たしている毒だった。人間の『黒猫』ではヴァルナヘルの状況を調べるにも困難だったというのが全ての始まりである。

 始祖吸血種として開発された彼女は、実質ただ一人でこの都市国家を滅ぼした。吸血種とは赫魔の体組織を移植することで生み出された強化人間だ。本来ならば赫魔の力に取り込まれてしまうところを、彼女は抑え込んで適合してみせた。

 細胞は血によって養分が供給されている。

 そしてノスフェラトゥは血液そのものが魔装であり、毒素のようなものを含んでいる。

 つまり赫魔細胞と適合できたのは魔装の力が大きいということだ。



(もしも赫魔細胞と魔装がせめぎ合っていたとすれば、四六時中、魔装を行使しているに等しい。年齢に見合わず強化されている理由はそれか? どう考えてもアイリス並みにぶっ壊れだからなぁ)



 魔装は身体機能と同じく、使うほどに成長する。たとえばアイリスの魔装は極まっており、魔術と組み合わせることで虚数時間にすら干渉する能力を手に入れた。

 始祖吸血鬼の能力はそれに通ずるものがある。

 魔装という特化能力に別の要素が加わり、能力の幅が広くなっている。また赫魔の力を得る代償を魔装によって緩和している。赫魔は自己崩壊によって魔力を生成する特性を備えており、常に新鮮な細胞を取り込まなければ自滅してしまう哀れな生物だ。『細胞』と密接な関係のある『血液』が魔装化しているからこそ、ノスフェラトゥは赫魔細胞を支配するに至った。始祖吸血種と言う一つの完成系となったのだ。



「怪我が治っているようだが、どんな感覚だ?」

「痛みはありません。違和感もありません」

「自分の意思で血を放出し、操ることはできるのか?」

「できると思います」

「この場で少し試してみようか。血の霧は出せるか? 確か……瘴血とか呼ばれていたな」



 《忘迦レテ》で集めた記憶の結晶からは幾つかの情報が読み取れている。まだ解析できていない部分も多いが、ヴァルナヘルで集めた情報の裏付け程度には活用していた。

 そしてヴァルナヘルを満たしていた赤い毒霧。吸血種たちはこれを瘴血と呼んで忌み嫌っていた。人体を融解させ、破壊する強烈な毒の霧である。魔装の効果でもあるため魔力を帯びており、一定以上の魔力を持たない魔物にも有効だ。

 つまり雑魚狩りには打ってつけの能力なのである。

 また直接的に毒が効かずとも、瘴血の霧は魔力を妨害する性質すら備えている。使い得の能力なので、自在に扱えることのアドバンテージは大きい。

 ノスフェラトゥは少し悩むような、心地悪そうな素振りを見せた後、霧を発動してみせた。



「こう、でしょうか」



 彼女の顔、首筋、手など露出している部分の肌が裂ける。常人ならば泣き叫んでも不思議ではない大怪我だ。だがその裂傷からは血が流れるようなこともなく、代わりに赤い霧が発生する。血の魔装を霧状へと形態変化させたのである。

 少し心地悪そうにしていたものの、ノスフェラトゥは痛みをまるで感じていない。細胞を操り、身体変化を引き起こす赫魔の特徴であった。



(魔装は置換型。血液が魔装に置き換わっているだけ。事前の手順として流血する必要がある。そのリスクを赫魔細胞が補っている状態か)



 考えれば考えるほど、彼女の魔装と赫魔細胞は相性が良い。まさに奇跡的な確率によって二つが出合い、吸血種ノスフェラトゥという種族が生まれた。赫魔が魔族由来であることを考慮すると、吸血種ノスフェラトゥとは魔族と分類ができるかもしれない。

 赫魔由来の衝動は《聖印セフィラ》が抑えてくれている。精神の揺らぎは極限まで小さく、記憶を失ったことで性格矯正も必要ない。駒としては理想的だということがよく分かった。



「魔装のきっかけは掴めたようだな。後は実戦経験を積む。魔物を発見したら仕留めろ」

「はい」



 ノスフェラトゥは自身の力に恐怖することもなければ高揚することもない。

 淡々と事実を受け入れ、素直にシュウの言葉に聞き従っていた。








 ◆◆◆








 都市国家サンドラは歴史の浅い国だ。

 二十八年前に迷宮神奥域から地上に出てきたサンドラ人は、そこに定住していたレベリオ人を追い出して国を築いたのである。とはいえ、サンドラ人は移民として迷宮内を転々としながら歴史を紡いできた民族である。神奥域に生息する魔物と戦い続け、時に撃退し、時に敗北し、少しずつ地上へ移動し続けた。

 国家としての歴史は浅いが、民族としては長い歴史を有する。

 彼らはそんな人種なのである。



「角笛を鳴らせ! 石を投げろ! 松明を掲げろ!」

「おおおおおおおおお!」

「サンドラ人を殺し尽くせ! 根絶やしにしろ!」

「我らが祖先の土地を返せ!」



 土地を追い出されたレベリオ人は祖先の地を取り戻すべく、頻繁に攻め寄せてきた。サンドラは大きな山の麓に広がっており、都市の周辺には木の柵が張り巡らされている。また堀が外からの侵入を邪魔しているため、攻略は困難であった。

 レベリオ人の装備は皮と木を組み合わせた防具の他、武器は石や松明くらいなもの。辛うじて将兵クラスだけは青銅の剣や斧を持っており、全体的に原始的だった。



「弓を構えよ!」



 そして迎撃するサンドラの兵士たちは弓矢を構え、一定の角度でレベリオ軍に向けて狙いを定める。五十人の弓兵たちがつがえる矢の先には炎が灯っており、強い光を放っていた。指揮官は柄の長い槍を掲げており、穂先には火矢と同様、赤く輝いている。そして指揮官が槍を振り下ろした途端、寸分違わず弓兵たちは矢を解き放つ。

 火矢は弧を描き、必死に石を投げるレベリオ軍へと降り注いだ。すぐに散会して矢の命中率を下げようと試みるも、その行為は無駄である。

 矢が地面に落ちた瞬間、凄まじい勢いで爆発したのである。



「次の矢ァ! 構えよ!」



 サンドラ軍は容赦しない。

 再び矢を取り、弓兵は構える。すると何の変哲もない矢の先に炎が灯った。既にレベリオ軍は統制を失い、勝手に逃げ出す者までいる。死傷者はそれほど多くなかったが、軍隊としては死んだも同然だった。

 しかしながらサンドラ軍は容赦なく、二射目の火矢を放つ。再び弧を描いた矢の群れは、逃げ惑うレベリオ軍を追撃する。もはや敵わぬと悟ったレベリオの指揮官は叫んだ。



「おのれ火の化身ども……嵐神ベアルよ! 彼らを呪いたまえ! 撤退……撤退ィ!」



 レベリオの指揮官は呪いあれと祈り、逃げ去っていく。それに対してサンドラは追撃することもなく、兵士たちは勝利の雄叫びを上げた。レベリオ軍の背に向けて聞くに堪えない罵声を言い放ち、威嚇するように絶叫する。

 ルール無用。

 勝者こそが正義。

 敵は容赦なく殺し、尊厳を破壊し、全てを犯し尽くす。

 ここは千五百年以上前に聖なる都があったなどとは思えないほど、残酷な世界になり果てていた。








 ◆◆◆








「今日もレベリオ軍が攻めてきたのかな。随分騒がしかったけど」

「そのようだな」



 サンドラにある酒蔵の一つで、二人の人物が言葉を交わす。

 一人は印象に残りにくい顔の青年。そしてもう一人は全身をマントで覆い、フードで顔を隠していたので容姿が分からない。だが明らかに体格がよく、声からして女であろうと予測できた。



「そんなことはどうでもいい。早く交換してくれ」

「急かさないでくれよ。君が求めるものは倉庫に入れておいた」

「なら、いい」

「それと連絡だよ『灰鼠』。この街に『死神』が来ている」

「黒猫の幹部……確か暗殺者だったか」

「そうだね。いずれ顔を合わせることもあるかもしれないから、先に教えておこうと思って。ああ、一応言っておくけど、『死神』と戦うことだけは避けた方がいい。君では絶対に勝てないからね。一瞬で死ぬよ」

「……お前がそういうのなら、心に止めておこう。感謝する『黒猫』」



 この国では酒を造り、販売するためには免状が必要となる。『黒猫レイ』は酒蔵を経営しつつ、黒猫の拠点としても扱っていた。

 酒は国民にとっての娯楽だが、それと同時に犯罪率も上昇しやすくなる。酔った人間は何をしでかすか分からないからだ。そのため無秩序に販売するのではなく、許可制を採用していた。また許可制ということは、サンドラ上層部から信用されている証でもある。



「先に代価を置いておく。迷宮で発見した遺物だ。術符が三枚。それとよく分からない古代の品が四つ」

「うん。事前に聞いた通りだね。取引成立だよ」



 そして国家から信頼されるために必要なものが、奉納品だ。

 つまるところ『袖の下』というやつである。権力者に対して媚を売り、便宜を図らってもらうことが重要なのだ。『黒猫』は自身の経験を活用し、上手く権力者へと取り入ることで組織として根を張り巡らせていた。



「それと情報の取引もしたい」

「構わないよ。情報の種類は?」

「花河庭園領域で高位豚鬼ハイ・オークが復活している。この情報でどうだ?」

「いいよ。ならば君はどんな情報をお望みかな?」

「サンドラ軍の備蓄倉庫。その警備の情報だ。また『赤兎』と攻める」

「交渉成立だ」



 黒猫の、幹部が赴くまま好きにするというスタイルは変わっていない。だから『黒猫』も幹部たちの立ち振る舞いについて何か苦言を呈することはない。

 また現在は人手が不足していることもあり、『黒猫』が『鷹目』も兼任している状況だ。このような情報取引も行っていた。




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