第474話 ノスフェラトゥの訓練


 ノスフェラトゥの魔装訓練は順調に進んでいた。

 頻繁に現れる豚鬼系の魔物たちは全て彼女の糧となっていた。暴走気味ではあったが、魔装を使いこなすための下地はあったのだ。意識的に力を引き出すきっかけさえあれば、シュウから教えることは格段に少なくなる。



「かなり力を付けてきたな」



 豚鬼オークたちを虐殺するノスフェラトゥを眺めつつ、シュウも彼女の成長には驚かされていた。常に魔装を発動することで血液の塊を周囲に浮かべ、魔物を発見すると同時に血の槍を射出している。血の槍は豚鬼オークを貫くと同時に弾け、内側から無数の刃を発生させる。

 豚鬼系の魔物は体格がよく、筋肉が発達している。そのため並みの武器は通用せず、基本種の豚鬼オークですら中位ミドル級と位置付けられている。しかしながら魔装と赫魔の能力を有するノスフェラトゥからすれば雑魚同然であった。



「この先に広い空間があります」

「そんなものが分かるのか?」

「はい」



 目を閉ざすノスフェラトゥにとって、光を介した視覚は意味をなさない。明るいか、暗いか。その程度しか感知できない。

 代わりに他の感覚を用いて周囲を知覚している。音、匂い、空気の流れ、魔力など、様々な要素を組み合わせているというのがシュウの予想だ。感知範囲はかなり広く、空間把握能力も非常に高い。また瘴血の霧にも感知性能が備わっているらしく、戦闘時の感知精度は更に高まる。



「水の匂いがします。とても広いようです」

「おそらく領域か」

「それは何でしょうか」

「迷宮の中に存在する古代の残骸だ。終焉戦争は聞いたことあるか?」

「はい。聞いたことがあるかもしれません。しかし思い出せません」

「遥か昔、栄えた文明があった。誰でも魔術が使える時代があった。魔物などほとんど脅威にならないほど人間は強かった。それが滅びたのが終焉戦争だ。迷宮にはその時代の遺産が眠っている。迷宮を進むと古代遺産が眠る広い空間を発見することがあるわけだが……それを領域と呼ぶ」



 神奥域の迷宮はマギアの大穴を中心に広がる回廊型だ。

 大穴の周囲を取り囲む回廊の中に領域が点在し、そのどこかの領域が更なる地下の回廊へと繋がっているのだ。深層にいくほど希少な古代遺産が見つかる。そして神奥域の深層にまで向かうためには回廊を繋ぐ領域の発見が必須だ。

 ノスフェラトゥが感知したのはそんな領域と呼ばれる空間の一つだった。

 道中は大量の豚鬼系魔物が巣食っていたので、普通は辿り着くのも困難な領域だ。つまりは古代遺物が発掘されることなく残っている可能性が高いということである。



「群れの豚鬼オークが回廊に追いやられていたことから、領域にはより強い魔物がいると思われる」

「大きな魔力を感じます」

「感知能力が高いな……」

「それと、こちらを見ている者たちがいます」



 シュウは小さく頷いた。

 それについてはシュウも分かっていたからだ。豚鬼オークを始末し、回廊を進んでいる内に何者かがこちらを観察するようになった。何かの視線を感じたとか、そういうわけではない。ただ小さな魔力が一定の距離を保ちながら付きまとっている。それで監視されていると判断したのだ。

 魔力が小さいのは隠蔽して押さえているからだろう。



「対処するべきですか?」

「無視でいい。まずは領域を目指すぞ」

「はい」



 この先にあると思われる領域へ向かえば、二人を取り囲む魔力の反応も同じく移動する。ただ、心なしか空気がぴりぴりと殺気立ったような気がした。

 監視者たちは二人に領域へ侵入してほしくないのだろう。

 そんな思惑が何となく伝わってきた。







 ◆◆◆







 都市国家サンドラが保有する軍は大きく分けて二種類存在する。

 一つが直轄軍。これはサンドラの国主、火主カノヌシと呼ばれる君主のために存在する軍隊だ。いわゆる正規軍であり、整った装備が与えられる。主に都市防衛を担うのだが、大きな特徴として火主カノヌシから加護を与えられている点が挙げられるだろう。剣を握れば灼熱を宿し、矢を放てば爆炎を巻き起こす。死者が出るほど厳しい訓練の果てに鍛え上げられた精強なる者たちであった。

 そしてもう一つが探索軍である。こちらは軍隊と呼べるほど整った部隊ではない。しかしながら間違いなく国に仕える者たちであり、主な仕事は古代遺物の捜索だった。迷宮に赴き、古代の遺産を手に入れるために活動する。その多くは職のない寄せ集めに過ぎない。実力もピンキリで、下級兵士ともなれば奴隷の如く扱われるほどである。



「バラギスの旦那。軍の備蓄倉庫がまたやられたらしい」

「何の倉庫だ?」

「武器だ。剣や盾が盗られた」

「また例の泥棒か」

「軍の倉庫を狙ってくる奴なんざ、アレくらいなものだって。最近噂の……鼠野郎」



 バラギスと呼ばれた男は深く溜息を吐いた。

 黒に近い灰色アッシュの髪が垂れ下がり、陰鬱な彼の表情を隠す。



「また探索軍の物資が制限される。私たちは寄せ集めの成り上がりに過ぎない。優先されるのはいつも直轄軍だ。しばらくは物資調達に悩むことになるだろうな」



 直轄軍は特定の血族だけが所属する、いわゆる正規軍だ。サンドラ人が迷宮にいた時代から軍人だった特権階級者であり、武器を保有する権利が与えられている。武具の購入権利、土地の売買権利、酒の取引権利、税の一部免除など、あらゆる面で優遇されている。

 一方で探索軍は身分を問わない寄せ集めの集団だった。

 産まれは農民階級だが、兄弟が多く土地を相続できない場合もある。そういった者たちは生きるために犯罪者となってしまう場合が多く、探索軍は受け皿として創設された部隊だった。だから同じ軍でも直轄軍の方が優遇されるし、武器保有以外の特権もない。



「旦那の権力でどうにかならないんですかい? バラギス団長・・

「私は最高戦力などと言われているが、できることなどそう多くはない。所詮は成り上がりだからな」

「だけど最近は魔族の動きも激しい。武器がなきゃ俺たちだって戦えない」

「個々人の魔装・・が頼りだ」

「……はぁ。わかりましたよ。ひとまずどうにかするんで、旦那はできる限り武器を集めてくれ。どうにか俺の方で割り振ってみるさ。花河庭園領域で高位豚鬼ハイ・オークが復活したって噂もある。そっちも討伐しておかないと、第二回廊を探索できないしな」

「そう言うな。レベリオ人の襲撃が多くなった影響で直轄軍も入用なのだ」

「へいへい」

「頼りにしている。我が副官よ」



 サンドラは大きな軍事力を保有しているが、それは必要に駆られてのことだ。人が生きていくためには奪い合うしかない。氷河期が終わっても、大自然は人にとって脅威的だからだ。

 故に人は地上を奪い合う。

 故に人は迷宮へ挑み、古代遺物を探す。

 スラダ大陸東部はまさしく戦国時代となっていた。







 ◆◆◆







 その領域は巨大な湖であった。

 視界いっぱいに水が広がり、全体像を視界に収めることができない。

 ノスフェラトゥが感知したこの領域へと足を踏み入れた瞬間、二人は攻撃を受けた。木の枝を削った槍、人の頭部ほどもある石、よく分からない瓦礫などが投げつけられる。殺到するそれらは回避できる密度ではなかった。

 シュウはベクトル反転術式で弾き返すが、反応できなかったノスフェラトゥには直撃する。槍が彼女の肉を抉り、石や瓦礫が骨を打つ。少しだけ眉をしかめたが、すぐに傷は再生した。反撃として即座に瘴血の霧を展開すると、すぐに悲鳴が上がり始めた。



「―――! ッ!」

「――!?」



 霧の向こう側で次々と叫び声が上がる。

 それが意味するところは理解できなかったが、言語らしきものであることは分かった。ただシュウは霊系魔物としての能力を使い、その思念から会話を読み取ることができる。



「探索軍なのか!?」

「分からない。だがこの異能……魔装とかいうやつじゃないのか」

「この赤いのに触れるなよ。身体が溶ける! 怪我した奴は下がらせろ!」

「くっ……周りがよく見えない」



 それは明らかに知能ある者たちの会話である。

 少なくとも魔物ではありえない内容について語っている。



(探索軍か。サンドラを意識しているな)



 感知能力の高いノスフェラトゥは、何も見えない深い霧の中ですら正確な狙いを定めることができる。そもそも彼女は目が見えないので、視界を遮る霧などあってもなくても同じである。

 血を固め、鋭い槍を形成する。

 それらは豚鬼たちを即死させてきた攻撃だった。

 瘴血の槍が射出されようとした瞬間、巨大な壁がせり上がる。そのため放たれた槍は壁に受け止められ、敵に届くことはない。更にはノスフェラトゥの足元の土が割れて、太い荊が現れた。蠢く荊は彼女の足へと巻き付き、全身を絡めとる。



「こっちも来たか」



 同じくシュウをも捕らえようと荊が現れたが、即座に《斬空領域ディバイダー・ライン》で引き千切られる。

 続けて飛んでくる炎の槍や雷撃も当然のように死魔法で無効化した。

 どうやら相手はシュウやノスフェラトゥの存在を感知できているらしい。濃い霧の中でも狙いは正確であった。積極的に手を出すつもりがないシュウはしばらく防戦に徹する。その間にも大量の魔術らしきものが撃ち込まれたが、その全てを消し去っていた。

 しかし次の瞬間、凄まじい地響きと共に濁流が押し寄せる。

 瓦礫、木々の破片などを巻き込み、突如として湖の水が溢れ出たのだ。このままではノスフェラトゥを見失いかねない。そこでシュウは霊体化することで津波を回避し、荊に捕らえられたノスフェラトゥに触れる。



(ある程度の目的は達した。引くぞ)



 ノスフェラトゥは濁流に呑まれて半分ほど意識が飛んでいた。すっかり人外となっている彼女だが、肉の身体を持つ生命体である。即死せずとも、一気に酸素を奪われれば意識を失う。

 今回は未熟なりにやれることはやった。

 転移魔術を発動し、この場から離れる。迷宮魔法で閉ざされているため迷宮の外に脱出することはできないが、同じ迷宮域であれば問題なく移動可能だ。これによって二人は一時離脱を果たしたのだった。









 ◆◆◆








 湖城領域はその名の通り、湖に囲まれた古代の城を中心とした空間である。現代人はそれを城と表現するしかないだろう。だが、終焉戦争以前は囚人の収容施設として利用されていた場所だ。難攻不落のマギア刑務所である。橋のように足を使って渡る手段はなく、必ず船を使わなければならない。

 脱出不可能。侵入不可能。

 それすなわち、防衛にも適している拠点ということだ。



「反応が消えた」

「死んだのか?」

「……分からない。死んだ……と思う」



 元刑務所であった城の上層から見下ろす人物が二人。

 その内の一人は手に大きな杖を抱えていた。



「殺せていたらいいんだが、もしも生きていたら俺たちの拠点の存在が……」

「心配するなハーケス。お前が力を使ったんだ。あれで死んでいないわけがない」

「だといいが。仲間を巻き込まない様に気を使ったし、全力とは言えない威力だった」



 領域内はすっかり水に沈んでおり、少しずつ少しずつ引いていく。これらは湖の水を利用した津波攻撃の跡だった。新しく水を生み出しているのではなく、湖の水を寄せ集めた攻撃に過ぎない。そのため、城の反対側では湿った水底が見えていた。

 ハーケスと呼ばれた男は杖を掲げる。

 それは七つの頭を持つ蛇が絡み合ったような形状であり、魔力を込めると湖の水が一塊となって元の位置に戻り始めた。



「俺たちはいずれ世界を変える。今はまだ力が足りないけれど、きっといつか……いつか皆で一つの炉を囲むために」

「ああ、目指そう。俺たち半端者が虐げられない世界を作ろう」

「希望を持って戦い続ければ、いつかきっとくる。半魔族が受け入れられる時代が」



 彼らは人間の見た目をしていない。

 肌が青白かったり、鱗があったり、爪が鋭かったり、獣のような顔だったりと様々な特徴がある。ハーケスと呼ばれた男にも額から角が生えていた。



「外に出ているジョリーンとガルミーゼにも注意しておくべきだ。それと情報も集めておきたいところだな。二人が帰ってきたら頼もう」

「確か黒猫……だったか。信用できるのか? いや、ハーケスが信じるならそれに従うまでだが」

「代価を支払う限りは大丈夫だ。それに黒猫は俺たちのような半端者でも区別なく取引してくれる希少な存在でもある。信じるしかない。それに……何があっても俺がここを守ってみせる。この瀑災渦アシュタロトがある限り、どんな敵も近づけない」



 蛇が絡み合った黄金の杖が僅かに震える。

 敵を足止めしていた仲間たちが帰還したのを確認し、ハーケスは軽く床を打った。すると湖城領域の大半を占める湖の水が渦巻き始め、中心の城には誰も近づけなくなる。元から城に続く橋のようなものはないので、舟は必須だ。しかしこの渦の中で舟を出そうものなら、転覆すること必至である。

 脅威になる敵はもういない。

 安全を確認し、ハーケスたちも城の中へと戻っていった。







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