第471話 始祖吸血種
始祖は周囲に瘴血の霧を浮かべ、その形状を変化させる。佇む彼女は赤い槍を掃射し、シュウを串刺しにしようとした。
しかしそれらは死魔法により消滅し、シュウの一部に変えられてしまう。《
元より《
「声も出さない、か。暴走しているのか?
「……」
「だんまりか」
再び始祖は赤い霧を放出し、そこから竜のようなものを具現化する。それはシュウに向かって巨大な爪を振り下ろした。
跳んで回避したシュウは死魔法で竜を破壊しようと狙う。
すると血の竜は途端に弾け、無数の蝙蝠に変化した。赤い蝙蝠は全方位に広がってシュウに殺到する。更には地面が罅割れ、血の剣山が現れて着地点を奪った。
仕方なくシュウは浮遊に切り替え、血の蝙蝠は死魔法で潰していく。
その間に頭上で赤い槍が生成され、雨の如く降り注ぐ。それは破壊力のみならず、貫いた者を毒で侵す凶悪さが宿っていた。
(透過は……無理そうか)
霊体化によって物理攻撃ならば無効化できるシュウだが、魔力の宿っている攻撃だけは気を使わなければならない。霊系魔物は他と比べて魔力の結合が緩く、脆いからである。武器型魔装と戦う際などが最たる例だ。
赤い槍も例に漏れず多くの魔力が込められており、霊体化による透過は寧ろ危険だった。
そこでベクトル操作の魔術を発動した。
すると血の霧を固めた赤い槍は霧散してしまう。元から流体を放射する系統の魔術は絶妙なベクトル制御によって実行されている。そのため少し乱してやるだけで比較的簡単に無効化できるのだ。勿論、相応の魔力が必要になるのだが。
「
死魔法を行使することで一気に魔力を奪い取った。通常であれば即死であるはずの魔法だが、始祖はそこまで至らない。覚醒魔装士のように一時的な喪失だけで済んでいた。赫魔細胞による細胞崩壊により新しい魔力を生成し続けているためだ。
ただシュウの目的も死魔法による殺害ではなく、一瞬だけ動きを止めることだった。
「魂を直接抜き取れば流石に死ぬだろ」
接近したシュウは始祖から魂を直に抜き取ろうとした。魂に触れるこの能力がこそが死魔法の本質。そうすれば覚醒魔装士であったとしても耐えることはできない。
ただし直接魂に触れる必要があるうえ、片手間に行使できる能力ではない。
死魔法で一瞬だけ停止した始祖へと、シュウの指先が触れる……寸前に彼女の姿が掻き消えた。いや、血の霧となって霧散した。
「っ! なんだ?」
血の霧は蝙蝠となって飛び散り、シュウの背後で集結して始祖の姿に戻る。また霧の一部を使って赤い槍を生み出し、ゼロ距離で放った。
物理的な回避は不可能なタイミングだったので、マザーデバイスを介した転移で離れる。空を切った槍は瓦礫を粉砕する。崩れる廃墟を上空でそれを確認した。
「なるほど、惜しい奴だ」
「確かに僕の予想を上回る逸材だよ。あれが『白蛇』の最後の作品ということかな」
「なんだ。来たのか『黒猫』」
「毒の霧が晴れたからね」
だが毒の霧さえ消えてしまえば話は別だ。
「あの子、ちょっと欲しくなっちゃったな」
現れるなりそんなことを言った『黒猫』は幾つか人形を召喚して始祖に向かわせる。どうやらシュウの意見を聞くつもりはないらしい。
彼女が欲しいというのは、すなわち黒猫に入れたいということである。
主に東側で活動する彼女は手足となる才能ある人物を探している。その中でも戦闘力の高い人材を探すのは非常に困難だ。たとえば『暴竜』は破壊活動を生業としており、依頼さえあれば個人の家から都市まで何でも破壊する。だがそこまで高い戦闘能力を保有する人間は現代でも稀だ。仮にいたとしても表世界で既に王として立場を得ており、勧誘は難しいことの方が多い。
「あまり勝手なことを言われても困るんだが」
「やだなぁ。元は僕からの依頼なんだから、ちょっとくらい予定が変わってもいいじゃないか」
「変な種族がぽんぽん誕生するのは困るって話だ」
「黒猫はいつでも人材不足だからね。なんなら、『死神』の後継にでもするかい? 最近は君も忙しいみたいだからね」
シュウは今でも『死神』としての立場を保有している。幹部の証である金貨も持ったままだ。しかしながらかつてのように暗殺任務を請け負うことは稀である。シュウ自身が忙しいということもあり、頻繁にコンタクトすることができないからだ。
今、『黒猫』が監視している大陸東側は戦乱の時代となっている。
つまり暗殺という手段が状況コントロールをする上で有効な手段となっている。彼女としては必要な時、好きに動かせる手駒が欲しいということだ。
「はぁ……」
溜息を吐き、シュウは無言で《
アポプリス式の魂属性魔術だ。第十四階梯という現在ではまず扱う者のいない術式である。この領域内では魔力ベクトルが乱され、思うように魔術や魔装が使えなくなる。とはいえそれを上回るパワーで魔力を行使すれば発動できなくもない。ただし、そのようなことができるのは一部の特別な存在だけである。例えば覚醒魔装士である『黒猫』もその一人だ。
「これで大体の術式は止まる。お前にはほぼ効かないだろうが、一応俺がやっておこうか?」
「おや? 意外と協力的だね」
「『死神』の後継という点では望ましい。それに」
「それに?」
「同情しているんだろう」
「まぁね」
始祖は不幸な少女だ。
実験体として人間らしさを失わされ、暴れまわっている。それは『
望まぬ力を植え付けられたという点で類似するところは多かった。
「まぁいい。今時珍しい魔装の力まで持っているようだからな」
「そうだね。かなり幼くして目覚めてしまったみたいだ」
「だが生まれた場所が悪い。異質な力は大抵の場合、不幸を呼ぶ。強大な力を持つのかもしれないが、平穏ではいられない。何より制御できない力は呪いでしかない」
そう言ったシュウは襟の内側から首飾りを引き抜いた。
木製のそれは三つの円が正三角形の頂点の位置に配置され、重なっている。素材はセフィロトの大樹だ。娘であるセフィラの樹界魔法と繋がっており、精霊秘術の発動媒体となっている。
「《
娘の名を呼んだのではない。
これが術式の名称だ。始祖は『黒猫』が使役する人形たちと戦闘中で、シュウの方には目も向けない。セフィロト術式に含まれる精霊秘術、《
そして精霊秘術の優れている点は、《
つまり信仰心と魔力さえあれば発動する。
人形と戦う始祖の背が少し輝き、動きが鈍った。その間に人形たちは始祖を取り押さえようとするが、血の刃によって応戦する。
「まだ動くのか」
「今のは封印系の魔術かい?」
「本来は呪いなどを封じ、無害化する目的で生み出されている。再び不浄大地のような脅威が出てきた時、一般兵でも対応できるようにな」
プラハ帝国は二代目皇帝フレーゼの下、今も繁栄を続けている。その秩序は留まることを知らず、皇帝の求心力は増すばかりだ。王権神授とはまた異なるが、皇帝と女神セフィラの間には密接な関係がある。人々は皇帝を通して女神を崇めているのだ。
しかしながら神に頼り切りというわけではない。
セフィラによって与えられた精霊秘術を用いて人の技術を生み出し、脅威に備えている。その一つとして《
「封印一つで足りないなら、追加するまでだ」
《
この術式は呪いの魔力を溜め込み、無害化してくれる。しかしながら始祖の精神を蝕む赫魔細胞の衝動は簡単に抑えきれるものではなかった。シュウは追加の封印を施していき、最終的には合計で十の《
それは《
この術式は魔力の流れに対するフィルターのようなもので、数が多いほど魔力が制限されることになる。赫魔細胞の衝動に侵される始祖もようやく大人しくなった。
「魔力は魂のエネルギーだ。魔術や魔装の元であると同時に、感情の発露にも関係している。あれだけ枷で固めてやったんだ。強い情動は消失しているはずだが……あれだけの魔力にどこまで効力があるのかはまだ謎だな」
「でも動きがなくなったね」
禁呪《
「これで暴走することもない。後は好きにしろ……と言いたいが、もう少しこちらで面倒を見る」
「僕もそれでお願いしたい。赫魔についてよく知るのは君の方だから」
「常識的じゃない異能だ。西側では特に生きにくいだろう。丁度俺も東側を直接目で見ておきたいと思っていたところだ。ついでに面倒を見ておく」
「ありがとう。僕はこの街の死体を始末しておくよ」
「まだ死体じゃない。精神を抜き取っただけだ。魂はまだそこにある」
「死んでるようなものじゃないか」
呆れたような『黒猫』の台詞を背に受けつつ、シュウは始祖の方へ向かう。
確かに始祖の能力は代えがたい。冥王アークライトと戦闘が成り立っていたからだ。黒猫の幹部たる『死神』の後継者としてこれほど相応しい人物はいないだろう。
引継ぎも重要な仕事だ。
忙しい身ではあるが、後のことを考慮すれば悪くないとも思っていた。
◆◆◆
オスカー・アルテミアは聖石寮に所属する最上位の術師だ。
既存の聖石を遥かに超えた性能を有する大聖石の所有が認められている。そんな九聖という選ばれし術師の一人なのだ。彼はその中でも五席という立場にいる。
「ようやくアリーナの滞在許可が下りましたか」
「気を付けましょうオスカー様」
「分かっていますよ。奴らも我々に手を出すとは思えませんが、搦め手を使って奴隷化してくる可能性はあります」
「はい。冷静になるよう周知させます」
アリーナは蟲魔域より更に東側に位置しており、黄金域と呼ばれる迷宮域に近い。そして黄金域とは大量の古代遺物が眠るとされる非常に重要な迷宮域だ。
だからそこにほど近い都市国家アリーナでは、大量の奴隷を投じて探索させている。住人の九割以上が奴隷階級という異質な社会形態でありながら一定の秩序が保たれているのは、奴隷の中にも階級が存在するからである。最下級の奴隷ともなれば悲惨だが、逆に最上位は主人の財産管理を任されることすらあるほどだ。
「いつ見ても気分がいいものではありませんね」
部下を率いてアリーナに入ったオスカーは、まず街で働く奴隷たちに目を向けた。こうして大通りで働いているのは一等奴隷や二等奴隷が大部分である。この二つの奴隷階級は比較的まともな仕事を与えられる身分だ。だからそれなりに笑顔も見えるし、雑談している様子も見受けられる。一等奴隷ともなればシュリット神聖王国の市民より良い生活をしているほどだ。
奴隷とその階級の見分け方は簡単である。
頬に刻まれた黒い線だ。
その数が多いほど等級の低い奴隷ということになる。
「オスカー様、我々は黄金域の探索申請をします。ですので妹君の件を……」
「悪いとは思っています。ですが頼みます」
「いえ、雑事はお任せください。宿泊はいつも通り、アリーナ教会堂に」
「わかりました。少し外します」
「お気をつけて」
オスカーは一人、術師たちの一団から抜けて別行動を開始する。
今回の東方遠征は九聖の五席としての任務の他、個人的な目的もあった。それは彼の妹の捜索である。
「さて、奴隷商から当たってみましょうか」
奴隷身分はシュリット神聖王国にない概念である。
それもそのはずだ。そもそも建国の歴史を鑑みても、この国の民は迫害された側なのである。ある者は感染症のため、ある者は犯罪者の一族だから、ある者は権力者に騙されて。様々ある理不尽な理由により
だから時が移ろおうとも、彼らの中には弱者を救済すべきという考え方が染みついていた。奴隷という身分は文化的に気分の良くないものに思えてしまう。当然、奴隷商人に馴染みなどいない。オスカーの父はその例外だったようだが。
「確かこの辺りにあったはずですが……」
彼が探していたのはアリーナでも大きな奴隷商の館である。
幾つかの行商人とコネを有しており、彼らの仕入れた商品を購入して店舗に並べる。それが大きな商館によくある形だ。店を構えて商売をするためには許可証を得る必要があり、その許可証は入手するためだけでなく、維持のためにも大金を支払い続ける必要がある。
だから他所からやってきた行商人は、この土地で古くから商売をしている商人に持ってきた品を売り込む必要があるのだ。行商人は流通に必要な存在として商人同士での取引のみは許可されているものの、店を出して販売することはできない仕組みとなっている。しかも荷に応じた関税も取られるため儲けを出すのは難しい。
その例外となるのが奴隷の売買なのである。
アリーナが施行する関税の中で、最も安い商品は奴隷なのだ。また奴隷は品質が良ければ一人でも大儲けが狙える。あるいは質の悪い大量の奴隷を『まとめ売り』しても良い。
そういうわけでこの都市は奴隷が増え続け、歪な身分階級の社会構造になったのである。
奴隷を売るならばアリーナ。
それは行商人たちの間で共通認識であった。故にシュリット神聖王国に訪れる商人が『何かの手段』によって奴隷を仕入れた場合、その販売先は必ずアリーナとなる。そうでなければ『利益を無視してさっさと売り払った』か『法外な値で奴隷を購入したもの好きがいた』ということになってしまう。
「おや、これは珍しいお客様ですね。まさか聖石寮の術師の方がお越しになられるとは」
目的の店舗を発見したオスカーが入るなり、そんな声をかけられた。ただの
ただ、彼はオスカーのことを警戒しているように見えた。
(これは前途多難かもしれませんね。必ず見つけますから、無事でいてください)
強く願いながら、彼は妹の手がかりを探し続けた。
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