第469話 吸血種


 都市国家ヴァルナヘルは、いわゆる移民の国であった。

 スラダ大陸のほぼ中心部に位置しており、東西南北のあらゆる方向から人が集まってくる。東部や南部で争いに負けた部族たち、北部からは脱走した奴隷、西部からは蟲魔域から逃れた者たち。理由は様々であったが、元居た土地にいられなくなってヴァルナヘルに流れ着いたものがほとんどだった。

 しかしながら彼らは寄り添い合って生きていたわけではない。

 思想や出生、あるいは経歴を同じとする者たちで集まり、幾つもの共同体を形成していたのである。それは傭兵団であったり、独占営業を行う組合であったり、宗教団体であったり、血族を基盤とした集団であったりと色彩豊かである。

 その一つ、紅巾衆は西から流れてきたある男が創り上げた自警団であった。



「お前が『白蛇』か」



 不意に部屋で響いた声。

 その言葉の中の『白蛇』という単語に反応して、男はデスクの右上に目を向けた。紙束や試料の散らばる汚れた机の上に、一枚の黄金が光る。尾を噛む蛇の模様が描かれたその金貨は、彼の有するある身分を表していた。

 声のする方へと振り返った男は、その真っ赤な両目で睨みつける。



「何者だね。私はお前のような吸血種ノスフェラトゥは知らぬが」

「初めて会うな。俺は『死神』だ」



 そう口にしながら見せられたコインを目の当たりにして、男は……その老人は驚きを見せた。

 今の時代、国家間の移動は困難を伴う。隣の都市へ移動するだけでも命懸けなのだ。人々は産まれた土地で一生を過ごすことが多く、よほど強いられた理由でもなければ移住することなどない。だから黒猫もかつてのように幹部での会合を開くことなどなく、『黒猫』が人形を使って連絡役となり組織を維持していた。

 だからシュウも今代の『白蛇』と面会するのは初めてだし、『白蛇』も他の幹部を目にするのは初めてだった。それでこの驚きである。

 しかし彼も相応の歳を重ねた者だ。

 多少は驚かされたものの、すぐに落ち着きを取り戻す。



「私以外の幹部か。お初にお目にかかる。私の名はクロスという。そして『白蛇』の称号を与えられた者だ」

「改めて。『死神』だ」

「君は一体何者だね。この国は今、死の霧に包まれている。瘴血は肉体を溶かし、逃れられぬ死を与えるものだ。吸血種ノスフェラトゥとなり、耐性を身に着けなければ生きていられるはずがない。これは一体どういうことだね」

「世界は広い。お前の知識だけがその全てではないということだ」



 理由を答えるつもりがない、ということは『白蛇』にも伝わった。

 だが今の彼にはそんな個人的な事情を考慮する余裕がない。強い口調で再度問い詰める。



「言いたくなくとも君は語るべきだ。この国の惨状を知っているのなら、それが義務だと私は考える」

「よほど焦っているらしいな。吸血種ノスフェラトゥの欠点が露呈しているからか?」

「始祖の生み出す瘴血の霧は恐ろしい毒だ。耐えるためには始祖の体組織を移植し、私たちも吸血種ノスフェラトゥになるしかない。吸血衝動を代償としてな。今、この国に血液を提供できる人間は生きていない。私たちには時間がないのだ」

「期待して貰って悪いが、俺が無事な理由をお前たちに適用することはできない」



 溶けるようにしてシュウの姿が掻き消える。

 思わず『白蛇』は立ち上がり、シュウがいたはずの場所に近づく。だが何も痕跡を見つけることができない。

 どういうことかと首を捻っていると、後ろから声が聞こえてきた。



「この文字は西側のものか」

「なっ……いつの間に!」



 気付けば背後に移動し、まとめていた研究結果を堂々と読まれていたのである。慌てて奪い返そうと『白蛇』も動くが、彼の鈍い動きではシュウを捕らえることなどできない。

 彼は見た目の年齢よりも良く動ける。

 しかし身体能力が高いことと、身体を自在に動かせることは別問題だ。彼は普段、デスクワークばかりしている。すっかり老い、鈍った『白蛇』ではシュウを捉えることなどできなかった。



「紙といい、文字といい、西方の技術が色濃い。そしてこの内容……」

「か、返せ!」

「人間に赫魔の体組織を埋め込み、強化する研究か」



 慌てた『白蛇』がシュウに掴みかかるも、綺麗にすり抜けて、勢い余り床に倒れてしまう。その間にシュウは悠々と研究成果の紙束をデスクに戻していた。



「お前、アルザード州の人間か?」

「アルザードだよ。常闇の帝国になる前の」

「ああ、そっちか。どうしてこんなとこで『赫魔』なんて文字列が見られるのかと思ったが……王国が滅びた時に国外に逃れた生き残りだったってことか」



 『黒猫』からも深い事情を伺うことなく頼みを聞いたので、意外な繋がりに驚かされる。まさかここで赫魔がかかわってくるなど想像できないことだ。おそらく『黒猫』も詳しくは知らなかったのだろう。

 赫魔は今も深淵渓谷の奥底で繁殖しており、不定期にプラハ帝国やシュリット神聖王国を襲っている。現在は魔族の動きが大人しい代わりに、赫魔の脅威が増していた。今は西側の主な脅威といえば赫魔なのである。

 その対抗策は様々な面から考案されており、今は行動原理の分析に基づいて罠を仕掛けるといった方法も取られている。

 だが『白蛇』は全く異なるアプローチから赫魔と戦う術を研究していた。



「私の祖国は赫魔に滅ぼされた。私は知ったのだよ。人はあまりにも脆く、弱い」

「だから赫魔の力を取り込んだと?」

「それは常人には不可能だった。始祖だけが適合できたのだ。そのままでは暴走する赫魔の体組織を聖石に寄生させ、実験体に埋め込んだ。私は始祖の血液を採取し、吸血種ノスフェラトゥに進化する薬を開発した。『黒猫』には随分と世話になったものだ。多くの支援をしてもらった」

「で、結果がこれか」

「ふざけるな……ふざけるな! 私は……ッ! こんな……」



 目の前の老人は随分と不安定に見えた。

 ただ歳を取り過ぎたというだけではないだろう。多くの心労を抱え、重圧によって苦しめられ、結果として視野が狭まっている。『白蛇』は今を打開するため、手段を選んでいる場合ではなかった。



「化け物を滅ぼすには力が必要なのだ。始祖は打開策となるはずだった!」



 詰め寄る『白蛇』に対してシュウは再び姿を消す。

 まるで霞でも掴むかのようで、何の感触も痕跡も残らない。これを最後にシュウは姿を現さなくなり、声も聞こえなくなる。

 先程までのやり取りは夢だったのかもしれない。

 絶望的な状況のため幻覚を見ていたのかもしれない。



(そうだ。そもそも普通の人間が瘴血に耐えられるはずもないのだ)



 きっと疲れていたのだろう。

 そう結論を出し、ランプの明かりを消した。








 ◆◆◆








 赤い霧はヴァルナヘルを覆い尽くし、内側から決して逃がさない。外から入るのは簡単なのだが、赤い霧は強力な毒を含んでいる。これは始祖が放っている結界だ。

 吸血種ノスフェラトゥたちが瘴血と呼ぶこの霧は凄まじい毒素を含んでいる。摂取すれば全身の細胞を破壊され、最後には溶けてなくなる。

 これを回避する方法は吸血種ノスフェラトゥになるしかない。

 始祖の細胞を取り込み、その瘴血に対して耐性を付けるのだ。



「肉……肉ゥ」



 そして吸血種ノスフェラトゥのリスクは自滅。

 元が赫魔細胞の移植によって生み出された生命体なのだ。そのリスクも継承している。動物細胞を取り込まなければ自己崩壊し、死んでしまう。また激しい捕食衝動により理性が吹き飛び、人間らしさといったものは消失する。

 始祖は捕食衝動を抑え込み、血液の摂取のみで自身を維持できる。だから始祖の力を移植した吸血種ノスフェラトゥも赫魔の本能を抑制し、人間らしさをある程度は保つことができた。

 しかしこれは薄氷の上を歩くようなもの。

 血液は代用品であって、相変わらず捕食衝動は消えていない。一度でも口にすれば凄まじい快感に支配され、二度と血液摂取では我慢できなくなる。肉を求める獣になり果てるのだ。



「くそ……どこの馬鹿だ! 肉を食いやがったのは!」

「体格が小さい。腹を空かせた子供が食べたんだ」

「やりにくいな」

「だがここは残り少ない安全地帯だ。喰鬼グールになっちまったのなら殺すしかない……それが子供だったとしてもな」



 血液は常に不足している。

 始祖の放つ赤い霧の毒で何か月も前に人間は全滅しており、死体から採取できる血液も無いに等しい。あったとしても腐っていて飲めたものではない。腐蝕した血液を特殊な方法で精製し、ようやく僅かな量が得られる。そしてその血液も多くは始祖と戦う吸血種ノスフェラトゥたちへと送られ、一般の吸血種ノスフェラトゥに供給できる量は無に等しい。

 だから空腹に耐えかね、に手を出す吸血種ノスフェラトゥは珍しくなかった。



「肉、肉肉にくニクッ! オ腹空イタ!」

「来るぞ。子供だからって侮るな!」



 小さな喰鬼グールは一度の跳躍で距離を詰め、顎が外れるほどに口を開けて飛び掛かる。対応する吸血種ノスフェラトゥたちは金属片を張り付けた木の大楯を構え、衝突の衝撃を覚悟しつつ受け止める。子供とは思えない凄まじい威力に顔を顰めつつ、二人がかりで無事に受け止めることができた。

 また大楯に張り付けた金属片が喰鬼グールの身体に突き刺さり、一度受け止めたら簡単には離れられないようになっている。



「よし、今だ!」



 その合図と共に背後を取ったもう一人の吸血種ノスフェラトゥが錆びた剣を突き出す。それは鋭さこそ失われていたが、力づくで喰鬼グールの心臓部へと刺し込まれた。背中から急所の一撃を受けた喰鬼グールは力を失う。

 そのまま喰鬼グールを大楯から引き剥がして地面に叩きつけ、四人目の吸血種ノスフェラトゥが勢いよく杭を突き刺した。先端のみ金属で覆われた太い杭であり、腹を貫かれた喰鬼グールは地面に縫い留められる。

 再生力によって破壊された心臓部も元に戻り、再び喰鬼グールは動き始めた。しかし地面に縫い留められたままではもう動けない。



「これで処理完了だ。杭を破壊されそうになったら手足を潰すぞ」

「どうにか再生が尽きるまで保てばいいんだがな」

「口にした肉の量にもよる。だが腹の傷を再生し続けるとすれば二日か三日くらいだろう」

「一体どこで肉なんか……」



 紅巾衆は始祖の暴走に伴い、避難民へと吸血種ノスフェラトゥ化を施していった。進化に耐えられない老人や幼児を除き、ほぼ全ての人間に始祖細胞を移植したのだ。結果として十歳程度の子供も吸血種ノスフェラトゥになった。

 大抵の場合、子供には親も同伴している。

 そして何かの間違いで肉を口にしないよう、強く教え込んでいた。また吸血種ノスフェラトゥの開発者であり紅巾衆の頭領でもあるクロスは、信頼できる者にだけ血液の管理や死体処理を行わせていた。道理をわきまえない子供が喰鬼グール化しないようにと考えてのことである。

 だから子供の吸血種ノスフェラトゥが肉を口にすることなどないはずなのだ。



「そもそもこいつの親はどこにいるんだ? 監督問題だろ」



 仮に親のない子だとしても、紅巾衆の方で親代わりとなる者をあてがっている。また大人同士でも相互に監視し合う関係を作り、管理体制を形成していた。

 だから安全地帯内での喰鬼グール出現は、それ以上の問題を抱えている可能性が高いのである。



(親の消えた子供……子供の喰鬼グール……まさかな)



 ヴァルナヘルは既に限界を超えている。

 今はまだ紅巾衆による統治のお蔭で表面化していないが、いずれは信頼を失って個々に動き出す者が現れるかもしれない。そうなれば血を奪い合い、共食いまで起こりかねない。

 何かに気付いた吸血種ノスフェラトゥの男は、その考えを強く振り払った。







 ◆◆◆







 吸血種ノスフェラトゥについて概要を知ったシュウは、ヴァルナヘルの外周を訪れていた。そこは瘴血の霧の外縁部であり、どんな吸血種ノスフェラトゥも脱出が叶わなかった壁でもある。



「なるほど」



 シュウが実体化したまま外に出ようとすると、赤い霧が集まって壁となった。いや、正確に言えば凝縮することで液体のようになった。

 これは生命体にとって毒である赤い霧の濃度が増したということである。

 無理やり通り抜けるのは無謀という他ない。



(俺ぐらいの魔力があれば通れなくはない。あるいは死魔法で通過も可能。だが人間には荷が重いな)



 一応は脱出も難しくない。

 そもそもシュウは死魔法という万物に死を与える法則を得ているのだ。こんなものに阻まれるはずもなかった。

 しかし敢えて脱出することなく、身を翻してヴァルナヘルの中心部へと移動し始める。



吸血種ノスフェラトゥには再生がある。いつものように禁呪級魔術で滅ぼしたとしても殺し切れる保証がない。この霧を禁呪で晴らしてしまっては意味がない。吸血種ノスフェラトゥをコントロールできないままに解き放つ結果が目に見えるようだ)



 進化した人間たる吸血種ノスフェラトゥは、本来の力さえ出し切れば容易く人間を凌駕する。肉体能力も、魔力も、吸血種ノスフェラトゥを超えられない。種族差という覆しきれない壁が存在するのだから。

 それが何の制限もなく解き放たれたとき、新しい魔族の誕生となるだろう。



(万全を期すなら魔神術式で一帯を消滅させるべきか)



 仮に凍獄術式ニブルヘイムを顕現させれば、あらゆる物質エネルギーを冥界に落として消滅させることができる。しかし一方でエネルギーの低い霧が先に消滅し、吸血種ノスフェラトゥは再生力に任せて脱走してしまうかもしれない。

 覚醒魔装士の時もそうだったが、死魔法では一度で殺しきれない存在は死魔力で滅ぼしてきた。しかしそれでは効率が悪い。そもそも死魔力は万物を滅ぼし、根源量子へと還元してしまう法則だ。滅多なことで使うべきではない。

 そのため、シュウは新規の術式を用意していた。



「《忘迦レテ》」



 黒い術式がシュウの身体に浮き出て、足を伝って地面へと流れ始めた。それは急速に広がっていき、地上を黒く染め始める。赤い霧が漂うヴァルナヘルに新たな色が追加された。

 ここでシュウが発動した魔神術式は幽忘術式ヘルヘイム

 つまり魂を浄化するための階層だ。

 魔神術式の沼はそれ単体で何か効果を及ぼすわけではない。これはヘルヘイム汎用術式《忘迦レテ》の始まりでしかない。

 シュウの足元から漆黒の腕が現れた。それらは何かを探し出すかのように蠢き、更に数を増やしていく。まさに冥界へと手を招く誘いであった。






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