魔族篇 3章・天鳴戦争
第467話 東方への進出
暗黒歴一五六〇年は大きな変化点となった。
六代目聖守ティアがアズローダの街を奪還するために業魔族と戦い、命を落とした。そして七代目聖守として選ばれた人物は当時王国だったプラハの王族であり、それを巡って戦争まで起こった。しかし結果はシュリット神聖王国……ひいては聖石寮の敗北である。
聖石寮は七代目聖守を失い、魔族に対する力の多くを落としてしまった。
代わりに九聖という聖石寮を率いる精鋭集団を結成するも、聖守の格には程遠い。聖守不在はシュリット神聖王国の民にも多くの不安を与え、洗礼による聖石の獲得の重要性を大きくさせていた。
聖守不在が続いて数十年。
シュリット神聖王国はプラハ帝国を敵国として置きつつも、その力は及ぶはずもなく聖守奪還はすっかり諦めていた。
「父上! あなたには聞きたいことがあります!」
「なんだオスカー。如何に親子といえど、何の連絡もなく私の部屋に入るとは……そのような無礼を教えたつもりはないぞ。それでもアルテミア家の長子か」
「そのようなことはどうでもいいのです。あの子を……私の妹を奴隷として売り払ったと聞きました。どういうつもりですか! あなたの娘でしょう!」
「ふん。誰かが口を滑らせたか……よく聞くのだオスカー。あの出来損ないの呪われた女は病死した。そういうことになっている。間違ってもそのようなことを口にするな」
「あなたは……!」
オスカーと呼ばれた青年は怒りを露わにする。
そして胸元に飾られた大きな聖石をギュッと握りしめた。
「オスカー。我が息子よ。お前は理解していない。あの呪われた子は存在するだけでアルテミア家の恥なのだ。だから無かったことにするしかない」
「呪われている? そんな風には思わない。あの子は優しく、誰よりも真摯に祈っていた。
「だが事実は事実だ。お前も知っているはずだ。生まれつき目が見えぬばかりか、洗礼を受けるたびにあの女は死にかける。大いなる
「それは」
「他の公家から我がアルテミア家がどのような評価を受けているか、お前は分かっているのか? 洗礼を拒絶する呪い子が生まれた家だ。呪い子がどうなるか、お前も知らぬはずがない」
「……」
近年、ごく稀に『呪い子』と呼ばれる子供が生まれるようになった。
表面的に誰が呪い子なのか分からず、洗礼の儀になって初めて判明する。洗礼の儀とは聖教会が行っている聖石抽出の儀式だ。大抵は十歳になる前に全ての子供が受けることになっている。才能のある子どもであれば聖石が生じるが、そうでない子供は何も起こらない。
しかしこの二つ以外の事象が散見されるようになった。
儀式の途中に子供が苦しみ始めるのだ。それでも無理に儀式を続けると、体の一部が欠けたり、場合によってはそのまま死んでしまうこともある。恩恵を与えるはずの聖なる儀式でそれが起こるとすれば、子供の側に原因があるに違いない。そう考えるのは聖教会において自然なことだった。
「呪い子はこの国に相応しくない。処刑か追放だ。そうしなければ生きている限り生まれながらの罪人として扱われることだろう。そして我が家の沽券にかかわる。この国から消えることこそあの子の幸せというものだ」
「それでも人の親ですか!」
「あれはもはや娘ではない」
「本当に……あなたという人は!」
「間もなく王選だ。アルテミア家は現王と同じく東進派。愚かな北進派の連中に王位を渡すわけにはいかんのだ」
「だから弱点となり得るあの子を無かったことにしたと? それこそ――」
「それこそ? その続きは何だ? 人々の見本となるべき我ら公家の人間が、呪い子を残すわけにはいかんのだ。例外はない。呪い子であり、産まれてから目も見えず、病弱な女だ。殺さず生かして追放しただけ温情に溢れているというものよ」
シュリット神聖王国は特定の王家を持たない。その代わり、公家と呼ばれる特権階級が存在する。税を徴収する権利、土地の開拓権利、統治の委任権利など様々な権利を保有するのだ。他にも法的例外を受ける立場ですらある。
しかし呪い子は別だ。
家系に一人でも生まれようものなら、公家の特権でも打ち消せないほど不利になる。それは信頼度の違いだ。呪いの子を内側に抱えているような家を信用できるはずもない。洗礼に拒まれたということから聖教会にも睨まれ、何一つ良いことなどないのだ。
「それほど王の地位を御望みか!」
「北進派に権力を握らせぬためだ。最も重要なことは東方へと進み、黄金域より古代遺物を見つけ、魔族への備えとすること。呪い子は早々に始末するに限る。ただでさえあれは不出来な――」
オスカーはにじり寄り、勢いよく父の襟を掴んだ。
「不出来? あなたよりよほど優れた妹だ」
彼は強く突き放し、背を向けて部屋を出ていった。
少し茫然としていた彼の父も、大きく溜息を吐いて立ち上がる。多少は驚かされたものの、怒り狂うほどのことではない。
「ふん。オスカーめ……小さな正義感に囚われよって。才があるからと聖石寮などに入れたのは間違いだったか。弱者の救済だけが国の在り方ではないのだ」
九聖の第五席オスカー・アルテミア。
彼の影響力によってアルテミア家は聖石寮を初め、ヴァナスレイにも強い影響力を持っていた。だから多少の反抗は気にしない。王選でもアルテミア家が有利なのは間違いないのだ。
だから娘を、呪い子を売り払ったことに何の躊躇いも後悔もなかった。
◆◆◆
スラダ大陸はかなり広く、その地下に迷宮を張り巡らすダンジョンコアを発見するのは困難を極めるだろう。ダンジョンコアの討伐を目指すシュウは主に大陸西側を管理しており、おおよそ流れを支配できているといえる。
プラハ帝国の成立に伴い、セフィラに任せても盤石になったと言えるだろう。魔法にまで成長したセフィラの能力ならば、大抵の敵はどうとでもなってしまう。
「そういうわけで余裕ができたみたいだからさ。こっちを手伝って欲しいんだ」
「シュリットも東方進出しているから、俺にとっても無関係ではないしな。構わないぞ」
「助かるよ。昔のように『死神』として働いてくれたらいいんだけどね」
一方で大陸東部は
たまに情報交換を行い、ダンジョンコアの捜索や文明の進化具合について共有していた。
「実は『白蛇』が面倒ごとを起こしてくれてね」
「面倒ごと?」
「街が一つ、滅びかけている。ヴァルナヘルってところだけどね」
「それがどうかしたのか? そのくらいよくあることだろ」
「まぁ、そうなんだけど」
黒猫はかつてのように組織を立ち上げ、幹部たちに証たる金貨を与えている。『白蛇』とは魔術道具を研究する者に与えられる称号である。その『白蛇』が面倒を起こしたということは、厄介な魔道具でも開発したのだろうと予想できた。
「で、わざわざ俺に頼むほどのことなのか?」
「問題は彼の実験だよ。『死神』としての君ではなく、冥王アークライトとしての君じゃなければ対処できないんだ」
「どういうことだ?」
「ヴァルナヘルはアリーナの南方にある都市でね。昔からヴェリト人の侵略や蟲魔域に悩まされてきた人たちの都市なんだ。規模としては中程度だけど、アリーナから古代遺物なんかも流れてくるし聖石寮もあるから結構な戦力だよ」
「アリーナ……というと奴隷国家か。黄金域を奴隷に探索させているとかいう」
大陸東部の情報はあまり詳しくない。
いくつか迷宮域が存在しており、それらに寄り添うような形で都市国家が点在している他、多数の民族が土地を奪い合っている。安定した大国が支配する西方とは異なった群雄割拠の世界だ。文明レベルも非常に低く、石器や木の棍棒を振り回すような民族がいるほどだ。
そして治安も驚くほど悪い。
シュウの基準で言えばプラハ帝国ですら治安が良いとは言えないが、大陸東部はそんなものとは比較にならないほど悪い。襲って奪うなど当たり前。金品、土地、水場、食料、人間、布に武器など、ありとあらゆるものを暴力によって強奪する。
アリーナという都市国家もそういった文化圏にある国家の一つであった。
「そうだね。僕も本体では近づきたくないかな。あっという間に襲われて奴隷にされちゃうよ」
「お前が現代の人間に負けるわけないだろう」
「それはそうだけど、襲われて気分がいいわけないじゃないか。人形に経営させている酒場だって『天秤』に手配させて安全を確保しているくらいなんだから」
「ああ、そう言えばアリーナの権力者が『天秤』だったか。金貸しじゃなく奴隷貸しをやってるらしいな」
「そうそう。彼は女は全て奴隷だなんて思ってるくらいだからね。僕は絶対に本体で会うつもりはないよ。実際、アリーナにいる女性は全員が奴隷階級だし」
「本体を使わないのは昔からだろ」
「それくらい面倒な奴ってことさ。愚痴の一つも言いたくなるんだよ」
確かに黒猫の本体はか弱い女の子の見た目をしている。
空間操作と人形操作の覚醒魔装を有する超古代の実験体ということは表面から分かるはずもない。彼女ほどの実力ならば、襲われた所で問題ないほどだ。しかし暗躍という目的がある以上、面倒は避けるが吉である。
だからかつてのように人形を使い、『黒猫』という組織を運用している。
「それで、ヴァルナヘルってのは? 聞いたことのない都市だが」
「さっきも言ったけどアリーナから南方、そして蟲魔域の東方に位置している都市国家だよ。特にヴェリト人と対立していて、ヴァルナヘルには自警組織が沢山あるんだ」
「固有の軍を持っていないのか?」
「そうだね。統治機構も存在しないよ。そもそもヴァルナヘルは幾つかの集団が一つになってできた町なんだ。各集団にはシマがあってね。そこのボスが統治者であり、法律なんだよ」
「思ったより無法地帯だな」
「東は大体そんなものさ。ただでさえ多数の蛮族たちが暴れまわっていて大変だからね。他にも土着宗教の違いで争っていたり、水場の奪い合い、迷宮域の利権の奪い合い、家畜の奪い合い……何でもアリさ。それもこれも
珍しく感情を乗せた口調だった。
シュウの方も彼女の告げた聞き慣れない単語には覚えがある。
「古代遺物とされる兵器か」
「
「西側でも心当たりがある。一つだけな」
「僕も報告書を見て思ったよ。
「ああ。東側では
二人の共通認識として、
「ヴァルナヘルは『白蛇』が組織した自警団の他にも幾つか権力を持った集団がいてね。その一つが迷宮の遺物を売りさばく……まぁ闇組織みたいな連中だよ。黄金域で発掘された神器は一度ヴァルナヘルを通って西へ東へ南へと流れていく」
「なるほど。察するにヴァルナヘルはアリーナとも繋がりが強いと」
「そう。迷宮黄金域から出てくる古代遺物の中継地点になっているからね。東側はかなり荒れそうだ」
「それがどう俺に関係するんだ? ヴァルナヘルが滅びると面倒だって話はよく分かったが、滅びないようにしてくれってことならお門違いだぞ」
「あ、ごめんね。余計なことを話しすぎたよ。まぁ、これについては見てもらった方が早いからね。ちょっと来てくれないかな」
空間を操る彼女の魔装が発動したのだ。
「この先が目的の場所……『白蛇』の失敗で赤い毒霧に包まれてしまった悲劇の都市、ヴァルナヘルだよ」
シュウは黒猫に誘われるがまま、空間の波紋を通り抜けた。
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