第466話 プラハ帝国
ローラン王暦百五十二年、プラハ王国には大きな変革があった。
それは体制変更である。
かの戦争から三年が経ち、アルザード王国、ルーイン王国、ベリア連合王国は完全に解体された。正確に言うならば三国は元のまま残っているのだが、属国として完全に吸収されている。その名をアルザード州、ルーイン州、ベリア州と変えて残された。
戦勝国となったプラハ王国はというと、三国の土地と民を吸収することで破格の版図を保有するようになり、その名をプラハ帝国へと変えた。王の中の王ということでローランは皇帝を名乗り、その権力は揺るがぬものとなった。
「ようやく回り始めた、か」
ここまで来るのに三年かかった。
戦争の終結に二年、復興と体制変更に三年。怒涛の五年間だったと言える。ローランも少し前までは考えもしなかった現状に感慨深さを覚える。
目下の深刻な問題であった、労働力不足の解消が最も大きい。
支配下に置いた三州に
特に酷かったアルザード州については今も復興途中であり、赫魔や魔族のこともあって多くの戦力を常に配置している。アルザード軍は完全に解体され、プラハ軍管理下のもと治安維持部隊として再編された。主に外からの脅威はプラハ軍が担当し、内側の問題を新生アルザード軍で解決している。どちらかと言えば警察業務に近くなった。
「陛下、現在のウルヘイスは三千人の奴隷を抱えております。単純農作業や荷運びを行わせ、お蔭で街は元の活気を取り戻しつつあります。五年前の惨劇からここまで取り戻すとは思いもよりませんでした」
「そうか。視察に来た甲斐があったな」
「この後は祈りの館をご紹介させていただきます。復興の証として建てた祈りの場です。陛下が送ってくださった女神像を安置しております。かつてのものは切り倒され、燃やされてしまいましたから」
視察の案内役を担うウルヘイスの責任者は悲しそうに言葉尻をすぼめる。
ウルヘイスの丘陵地は豊穣の祈りが始まった土地だ。北部なのでアルザードとも近く、主に輸出用の食糧生産地として利用されていた。そのためもあって戦争中は標的にされ、激しい攻撃に晒され、人も物も多くを奪われた。占領されていた時には女神像も焼かれてしまっている。
だからこそ、女神像を安置する祈りの館は復興の象徴であった。効率を求めるならば他にも優先すべき建物はあったのだが、ウルヘイスの責任者は人々の心の安寧を第一に優先的な建設を進めた。そしてそれは正解だったというわけである。
「東方の復興は少し遅れている。ここを参考にするとしよう。確かに、人々の拠り所はあるべきだ」
「それも皇帝陛下の威光あればこそです」
実際、気合だけで物事を成すのは難しい。
ウルヘイスが早急に復興しつつあるのは、やはりローランが大量の物資や人を手配しているという理由が大きかった。攫われた人をルーイン王国から取り戻し、労働力として奴隷を用意した。どうしても取り戻せなかった民がいたことだけは残念だが、それは諦めるしかなかった。
ローランにとっても失われたものは大きい。
それ以上を手に入れたとしても、失ったものが戻ってくるわけではないのだ。
「あの子が国を継ぐ前に……完全にしなければな」
国土は四倍近くにまで増大し、管理するべき地域が増えた。何しろかつての不浄大地も開拓中なのでこれからも領土は増えていくだろう。
しかもこれまでと異なり魔族の脅威も直接的になりつつある。まだまだ不安定な部分が大きい。次代皇帝たるフレーゼにこれらの問題を残すわけにはいかない。
そんな思いを抱きつつ、ローランは視察を続けた。
◆◆◆
プラハ王国が大躍進して帝国化した一方、シュリット神聖王国は弱体化させられていた。元から食料生産能力に限りがあり、人口を増やしにくい環境だった。その上での敗戦は地盤を崩すこととなってしまったのだ。
しかしながら聖教会と聖石寮の活躍もあり、国家崩壊までは進んでいない。
責任を取る形で国王は退任したが、結局は元の体制のままであった。
「最高神官様、ご報告を申し上げます」
書類の束を手にした神官が急ぎ足でやってくる。
膝を折って祈っていた老人はそれを中断して立ち上がる。本来ならば最高神官たる彼の祈りを邪魔してはならないと暗黙の了解が定められている。しかしそれを破っても必要な急を要する報告であるという証拠であった。
「何か。言ってみなさい」
「東方遠征隊が帰還しました。六席殿と七席殿がお戻りになっておられます」
「成果は?」
「簡単に申し上げますと、新たな迷宮域を発見したとのことです。蟲魔域より更に先、そこに新たな迷宮域が存在する。まさに預言の通りです」
「それは素晴らしい」
シュリット神聖王国は南部への干渉を諦めるしかなくなった。プラハ帝国はもはや手出し不可能なほど強大な国家である。三国を吸収した当初こそ何度か軍を送り込んで小競り合いも発生したものだが、どうしても守りを突破することができなかった。
不死者を使役するクリフォト術式が大きな壁として立ち塞がるのだ。
だから方法を変え、まずは東へ進出することにした。
「西は魔族、南は常闇の帝国、そして北からは強力な魔物、更に東は迷宮蟲魔域……どこかに突破口が必要だと考えていたが、やはり東が正解だったか。預言の通りだ」
「蟲魔域南部を迂回したところに幾つかの部族を発見したようです。その部族と交友を深め、周囲の情報を集めた結果……」
「新たな迷宮域を発見したと」
「位置としては蟲魔域の北東辺りのようですが、厳しい環境が広がっているようです。遠征隊の手記によると一面に砂が広がり、聖石で水を生成しなければ進むこともできないと。ただその先には黄金の都市のようなものがあったとのことでした。おそらくは伝説に聞く古代の残骸でしょう。地下迷宮と繋がっていることが確認され、迷宮域であると証明されました」
「黄金? 金なのですか?」
「いえ、色は金そのものなのですが、本物の金ではないようです。武器でも聖石でも傷一つ付けられません。おそらくはオリハルコンだろうと考えています。持ち帰ることのできる大きさの破片が落ちていたようで、調査のため学者を集めております。我が国に現存するオリハルコンと比較すればすぐに判明するでしょう」
「その判断は正しい。よくやった」
これは久しく喜べる成果だった。
もしもオリハルコンが本物だとすれば、それを研究することで大きな力が得られるだろう。聖都シュリッタットやヴァナスレイからは距離があるものの、脅威しかない蟲魔域と比べれば雲泥の差である。
「黄金域……遠征隊がそう名付けた新たな迷宮域は古代遺物が多く眠っていると考えられます。古代では何かを生産する場所だったのではないでしょうか。住むための設備には見えなかったとのことです」
「もしや鍛冶を行う場所だったのかもしれぬな。預言では新たな迷宮域こそ大きな力を得る鍵だという。我々の予想通り古代兵器が眠っているのか。だとすれば……すぐに再調査をさせるのだ」
そう興奮する最高神官に対し、報告する彼は首を静かに振った。
彼の報告は終わりではなかったのだ。
「そう簡単でもないようです。黄金域には恐ろしい番人がいます。調査中に遠征隊の一部は番人に出くわし、大きな損害を被ったとあります。生き残った者が見たというその番人について、証言を基に姿を再現しました。こちらをご覧ください」
彼は書類の一枚を抜き取り、最高神官へと差し出す。
そこにあったのは不気味な絵であった。蜘蛛のような多脚であり、体の中央部には巨大な単眼が存在している。蟲魔域の近くということで蜘蛛の魔物も頻繁に出現するシュリット神聖王国だが、このような魔物は確認されたことがない。
最高神官も困惑した様子だった。
「魔物……というには違和感がある」
「はい。手記にも遺跡を守る古代兵器に違いない、などと記されています。これは根拠のない主観に過ぎません。しかしその場にいるからこそ感じ取れたものもあるでしょう」
「古代遺物を守る番人、か。しかし諦めるには旨味が多過ぎる。古代の遺物を研究し、力とすることができるなら……魔族や赫魔、そして常闇の帝国に対抗する力となる!」
「今は遠征隊も疲れています。落ち着けば事情を伺い、より詳しい報告ができるでしょう。また明日中には六席殿と七席殿から直接報告もあるはずです」
「そうだな。方針はそれを聞いてから決めても遅くはない。だが、東方の開拓はほぼ決定だろう。成果を出した遠征隊の者たちをよく労うように」
「承知しました」
シュリット神聖王国、というより聖教会も帝国だけに執着するわけにはいかない。聖守を奪われたということで聖石寮の中には躍起になっている勢力も存在するが、今は国力を高める方向性が主流となっている。それだけ三年前の敗戦は大きな事件だったのだ。
聖守を奪うため帝国に挑み続けるより、聖守なしに人々を守る新しい方法を模索する方が建設的である。現最高神官たる彼はそのように決定しており、国王もそのような考えの人物が選ばれていた。
(自ら魔族を崇め、魔族になろうとする者まで現れると聞く。土地を広げ、人を増やし、安心して生活できる防衛力を手に入れなければならない)
聖守の不在はこれから長く続く。
その地盤作りを担う者として、最高神官は更に奮起していた。
◆◆◆
シュウにとっての関心事。
それは幾つか存在する。ダンジョンコアの本体捜索、虚数時間の世界、魂の生成などなど。しかし娘として創造したセフィラのことは一際気にかけていた。
プラハ帝国の女神として君臨し、百五十年以上も皇帝ローランを支えてきた。彼女の力なくして帝国の躍進はあり得なかったことだろう。更には精霊秘術という新しい魔術形態を構築してみせた。これはシュウから見ても満足できる成果だったと言える。
「やはり、か」
「ですよね。あまりにも変化が緩やかですから気付くのが遅れました」
「ああ、本人も自覚がないだろうな。俺の時ははっきりと分かったものだが」
アイリスと共に同じデータを眺めつつ感嘆の息を漏らす。
精霊秘術は特殊な魔術だ。セフィラの展開するセフィロトとクリフォトの術式を他者が借用するという形式になっている。だからセフィラの許可次第で発動不可にもできるし、発動に必要な魔力効率もセフィラの意思次第である。
全コントロールとなると面倒だが、それこそローランだけは精霊秘術の発動コストを最小限化するなど贔屓が可能だ。
祈りに応えて豊穣を与え、彼女の意思一つで加護すら加わる。
正しく女神の御業と言えるだろう。
プラハが帝国として巨大化し、セフィラに対する信仰は大きく強まった。その結果、各地に安置される女神像の数は増大し、よって捧げられる魔力も桁外れに多くなる。
「こういう形の『覚醒』があると知れて良かった」
「はい。魔法について、一つ知見が得られました。瞬間的であっても特異点となり得る魔力量、そして質量……それが魔法に至る鍵です。同時に人間ではどうしても獲得できない力だということも分かりました」
「理論上は人間も覚醒可能だが、そこに至るまで肉体が持たない。それこそ魔力汚染なんて比じゃない魔力が求められる。魔力量に応じて進化する魔物だからこそ得られる力だな」
あるいはだからこそ神に近しいのかもしれない、とシュウは心の中で続ける。
「セフィラの場合は自己進化による瞬間出力ではなく、外部から注がれる信仰という魔力が代わりになった。感情の高まりに呼応した魔力の『覚醒』じゃない。じっくりと時間をかけた『変質』だ」
「神秘ですねー」
「魔法としての性質も『接続』の魔導を拡張したような印象がある。寧ろ『接続』の成長に伴って徐々に魔法化したのか?」
「だとすれば今も変化の途中かもしれませんよ」
「あり得る話だな。死魔法も初めはエネルギーを奪う力だった。その本質たる魂にまで触れる能力まで発展したのは後のことだ。あれも俺が本質を見つけていなかったのではなく、魔法が成長したからこそだったのかもしれん」
思い返せば死魔法も大きく進化している。
今や冥界という新しい世界を構築し、《魔神化》という切り札をも手に入れている。この力を手にしてそろそろ二千年が経とうとしている今でも、魔法について分からないことは多い。セフィラの能力が魔法化している件は、この停滞に対する一歩となるだろう。
そんな予感があった。
「そう言えばセフィラはどこに行った? 姿が見えないが」
「あ、忘れてました! シュウさんが冥界で魂の実験をしている間に伝言を貰ったのですよ。ローランさんの寿命がそろそろだからしばらくあっちにいるみたいです」
「ほう。しかし加護があるとはいえ随分と長生きだったな」
帝国成立から十六年。
百八十六歳になったローランは死に目を迎えようとしていた。
◆◆◆
プラハ帝国の本州、その帝都アンブラ。
国の中で最も巨大な都市であり、凄まじいまでの豊かさを誇っている。多くの単純労働を奴隷にさせることで市民は一つ上の地位を獲得し、飢えることも渇くこともなくなった。『特権階級者』が『市民』に仕事を与え、『市民』は『奴隷』を活用して仕事をこなす。そんな社会が形成されていた。
そしてこの帝国社会の頂点に君臨していた人物、初代皇帝ローラン=カイル・ファルエル・パルティアも長い人生の終わりを迎えようとしていた。
「……セフィラ、そこにいるのか」
「うん。いるよ。フレーゼも一緒にね」
「そうか。クレスも来てくれたか」
横たわるローランはかつての姿が想像できないほど老いている。髪は真っ白に染まり、色艶も失われていた。筋肉も衰え、肌には皺が多い。正しく老人の姿であった。
彼の死因は実に単純。
老衰である。
人間であるならば決して逃れることのできない、肉体の限界。セフィラの加護を受けた彼もそこから逃れることはできなかった。
「ローラン様、私はここにいます」
「クレスか」
「はい。フレーゼ=クレス・ファルエル・パルティアです。
「安心した。私は……今日が最後の日になるだろう。残すべき言葉は既に伝えた。お前が引き継ぐべきものは全て見せた。後のことはセフィラに託している。心配することはない。クレス、は……相応しい皇帝になった」
言葉は弱々しく、所々で荒い息が混じる。
しかしセフィラもフレーゼも慌てず騒がず、静かに耳を傾ける。
三年も前に皇位は移っており、現在はフレーゼ皇暦となっていた。皇帝としての在り方は幼い頃より教え込まれ、その仕事についても不足はない。遺言も一年以上前から受け取っている。
ここで語られる最期の言葉はもっと個人的なことである。
「クレス、もっと近くに」
フレーゼは側に寄り、皺だらけの手を握る。
「お前は王の中の王……誰にも屈してはならない。他の王にも、神にも」
「はい」
「誰よりも長く生きるだろう。だが孤独ではない。友たるセフィラがいる」
「はい」
「幸福な最期を迎えるのだ。私のように」
「必ず」
安心させるように、フレーゼは手に力を込めた。それを感じ取ったローランも優しく微笑み、続けてセフィラの気配がする方へ目を向ける。
「今までありがとう。私は君と出会えて幸せだった」
「うん。私も楽しかったよ。きっと生まれ変わってもまた会えるから……大丈夫。淋しくないよ」
「ならば、再会の日までこの国を見守っていてくれ」
「任せて。どんな悪い奴も手出しできないよ。私の樹界魔法が守っているから」
魔法とはまさしく神の如き力だ。
いや、人間からすれば超自然の権能そのものだ。女神としての役割を続け、魔法にまで至ったセフィラがいる限り、プラハ帝国の衰退は心配しなくても良い。
「誇っていいよ。私をここまで強くしたのはローランと、この国の人たちだから」
それはどんな称賛よりも嬉しい言葉だった。
セフィラの力に頼り切るわけでもなく、共に成長してきたのが今の帝国だ。セフィラ自身もプラハ帝国に愛着を抱いているし、二代目皇帝たるフレーゼのことも大切に思っている。シュウが妖精郷を一から作り上げたように、この国はセフィラが一から携わっているのだから当然だった。
一緒に成し遂げてきた。
そう強く思うからこそ、これまでの記憶が泉のように湧き上がってくる。
「眠く、なってきたな」
暗黒暦一五八一年。
あるいはフレーゼ皇暦三年。
百八十六年にも及ぶ人生に終止符が打たれる。プラハを偉大な国家へと導いた初代皇帝の死は全ての民に悲しみを与え、誰もが喪に服した。
女神と契約を交わした英雄の王。
地獄を縫い留める槍を手に持つ裁定の王。
そして大いなる帝国を築き上げた始まりの皇帝。
彼の歩んできた歴史はプラハ帝国に深く刻み込まれた。
―――最も親しい友であった、セフィラの心にも。
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