第465話 女王の失策


 ローラン率いるプラハ軍と煌赫獣インデラムの戦いは一進一退の激戦であった。何故なら互いに決定打を持たないからである。

 黒魔術により召喚された不死属は地獄の炎を宿しており、大抵の攻撃を遮断する。正確には固定の性質により防御力が向上しているだけなので、無敵ではない。しかし消耗すれば再召喚すればいいだけの話だ。この場にセフィラがいる以上、魔力譲渡もあって戦力が尽きることはない。

 一方で煌赫獣インデラムは生物としての格が高い。体表はオリハルコンの外骨格や鱗に覆われ、ほぼ全ての攻撃を防ぐ。そもそもオリハルコンは禁呪級の威力を誇る攻撃すら防ぐ硬い魔術金属なのだ。現代ではほぼ間違いなく貫くことができない。



(これを使うか……?)



 だがローランにはこの状況を覆せる手札があった。

 ゲヘナの鋲に備わった基本能力、地獄送りである。黒い炎を介した亜空間操作能力により、生物だろうが物質だろうが強制的に地獄へ落とすことができる。

 この能力は既に何度か使っている。

 プラハ王国において最も重い刑罰が『地獄送り』であるからだ。死すら生温いと判断された者は等しくゲヘナの鋲で突き刺され、地獄へと送られる。この戦争に勝利した後、アルザード王国の黄金王ミダスには『地獄送り』を適用する予定になっていた。

 死の先にある生まれ変わりすら許されない者には永劫の苦痛を。

 そんな意図が含まれている。



「陛下、このままでは消耗するだけかと」

「そのようだな」



 互いに決め手がないのは確かだが、不利なのはプラハ軍だ。何故なら煌赫獣インデラムは素の防御力が優れている。どんな攻撃も弾く体表は凶器そのものであり、触れるだけで人間など粉砕してしまうだろう。つまり適当に暴れるだけでも強いのだ。

 一方でプラハ軍はクリフォト術式による不死属の召喚を利用し、不死身の盾を上手く利用したによって戦っている。一つの間違いで全滅しかねない。残念ながら戦術で覆せるような戦いではなく、ローランは神話級の力に頼らざるを得なかった。



「皆、槍を起動する。不死属を追加召喚して奴を――」



 ローランが決意と共に陣形の変更を命じようとした。

 それと同時に煌赫獣インデラムの動きが停止する。そして後ろを向き、一目散に元来た道を戻り始めた。あまりにも突然のことでローランですら茫然としてしまう。



「……撃退できたのかな」

「そのようだ」



 状況が理解できず、セフィラも首を傾げていた。









 ◆◆◆







 煌赫獣インデラムが逃げるように去っていたのには相応の理由がある。それはこの獣の主である女王レギーナの危機だった。現代の人間では到底敵わない赫魔が、しかも上位個体たる女王レギーナが危機と感じる相手などそうそういない。

 だが、今回はその例外とも言える存在に彼女は襲われていた。



「私たちの領域を侵す害虫は……駆除しますよ」



 空から無数の火炎弾が落下し、次々と赫魔を燃やしていく。

 女王レギーナに対しても無数の火炎が降り注ぎ、それを騎士エケスたちが防いでいた。地上は激しく燃え盛り、炎の壁となって赫魔たちを囲い込む。

 これを成したのは七仙業魔、そして廻炎魔仙の称号を持つ魔族フェレクスであった。魔神の側近のような立ち位置である彼は重要な目的をもってこの場にいた。



「赫魔など所詮は自滅する運命の欠陥種族。統率個体さえ消えれば恐れることはないのです。イスカに手を出したのは失策でしたね。私たち魔族に手を出したこと、後悔させてみせますよ」



 魔族は赫魔によって攻撃されていた。

 より正確には赫魔にとっての狩りだったのだ。魔物と異なり肉の身体を有する魔族は、赫魔にとって非常に有力な食料である。更には魔力量も人間より多く、赫魔の視点で言えば『栄養価に優れている』ということになる。

 それで深淵渓谷の底に住む赫魔たちは山水域の魔族集落を幾つか襲っていたのである。

 フェレクスは優秀な業魔族だ。

 戦闘能力という点は勿論だが、何よりも非常に知能が高い。情報を集め、分析し、魔族集落を襲っているのが赫魔であるという結論に辿り着くこともできた。



「何をしておる。さっさとアレを落とさぬか」

「偉大なる女王レギーナよ。我々には空を飛ぶ手段がないのです」

「黙れ。飛べぬなら飛べるように変異すれば良い」



 女王レギーナが命じると、騎士エケスたちは次々と体を震わせ始めた。深紅の騎士たちはその背から蝙蝠のような翼を生み出し、羽ばたいて空へと上がった。しかしフェレクスが軽く羽ばたくだけで火の粉が散り、それらは大爆発を引き起こす。

 その威力は騎士エケスを砕くほどではなかったが、地上へ叩き落とすには充分であった。

 更には地上に爆炎の渦を巻き起こし、周囲の森ごと焼き尽くしてしまう。あっという間に焦土が出来上がっていた。



「かなり数は減らしましたが……」



 上空より見下ろすフェレクスは魔力の感知を行い、赫魔の生き残りを確認する。獣型の弱い奴隷級赫魔は今の爆炎でほぼ消滅した。辛うじて生き残っている赫魔も瀕死であり、放っておいても勝手に死滅することだろう。

 しかし流石と言うべきか、女王レギーナ騎士エケス、そして兵士ミレと呼ばれる戦闘個体は生き残っていた。



「これならルフェイにも手伝って頂くべきでしたね」



 対個人に特化した七仙業魔のことを思い浮かべつつ、次の炎を浮かべていく。

 手の届かない場所で滞空するフェレクスは、こうした一方的殲滅を得意とする。個の戦闘力でいえば七仙業魔の中でも高い方とはいえず、寧ろ格下殺しに特化している。彼では赫魔の上位種たちを滅しきることができなかった。

 そしてこのタイミングで殺しきれなかったことにより、この戦場へと獣が乱入する。金色の外骨格と鱗を持った、竜を思わせる獣の赫魔である。刃の翼を持つこの個体は女王レギーナが生み出した新しい戦力であった。

 フェレクスはそれに構わず次々と火炎を放った。

 すると煌赫獣インデラムは刃の翼で火炎を切り裂き、掻き消してしまう。そればかりか大きく体を沈めたかと思うと、跳躍してフェレクスに迫ってみせたのだ。とはいえ空中戦となればフェレクスに一日の長がある。容易く回避してみせた。



「甘いですよ」

「それはお主の方よ」

「なっ!」



 しかし回避した先でフェレクスは驚愕させられる。

 全く気配を悟らせず、女王レギーナに背後を取られていたのだ。彼女の背には蝙蝠の翼があり、それによってここまで昇ってきたのだと推察できる。完全に隙を突かれたフェレクスは女王レギーナの攻撃を防御することもできなかった。

 肉体変化により女王レギーナの右手が刃と化す。五指を鋭く変化させた斬撃がフェレクスを割断してしまった。



「ふん。他愛ない……む?」



 蝙蝠の翼で滑空する女王レギーナはバラバラに切り裂いたフェレクスから強い魔力を感じた。次の瞬間、飛び散った肉片が激しく燃え上がる。炎は渦を形成しながら圧縮されてゆき、やがてフェレクスが元通りに復活した。

 廻炎魔仙フェレクスの最たる能力は攻撃性能ではない。

 この復活能力こそ最も価値ある力だ。そもそも魔族は魔石を破壊しない限り殺せず、肉体の欠損も魔力で再生してしまう生き物だ。しかしフェレクスの再生はそれをも上回り、肉体欠損程度ならば即時再生するばかりか魔石が破壊されても再生してしまう。

 復活したフェレクスは大きく羽ばたき、暴風と共に爆炎を打ち出した。

 再び地上は灼熱に包まれ、紅蓮に染まっていく。



「思いのほかやりますね」

「その能力。喰らえば役に立ちそうよな」

「その力、危険です。私たち魔族の繁栄のためにも駆除する必要がありますね」

「来るのだ。妾の下僕たちよ」



 女王レギーナの号令に従い、騎士エケスたちが蝙蝠の翼を生やして空へと上がってくる。そして無傷の煌赫獣インデラムは跳躍によってフェレクスへと迫った。



「甘いですね。この私が何の策もなく単騎で戦うとでも?」



 幾つもの熱線が周囲を貫く。

 それらは周囲に広がっていた森の中から放射されており、無防備に地上へと背を向けていた赫魔たちは次々と貫かれた。唯一、煌赫獣インデラムだけがダメージを受けることがない。



「この辺りは身を隠す森が多い。私でもそう簡単には燃やし尽くせないほどにね」



 煌赫獣インデラムをいなしたフェレクスは周囲に強く輝く球体を浮かべた。それらはプラズマ化した軽い元素の凝縮体である。強いエネルギーを発するそれは、質量不足で核融合こそ引き起こしていないが太陽に近い性質を備えている。

 輝く球体から複数の光線が放射され、煌赫獣インデラムを地に叩き落す。残念ながらダメージにはなっていなかったが、衝撃だけは打ち消せない。



「お、おのれ! 妾の食糧に過ぎぬ貴様如きに!」



 周囲の森から次々と魔族が飛び立つ。

 それらはフェレクスと同じく鳥系魔物と融合した魔族たちである。彼らはかつて西グリニアだった国の民たちだ。火の属性を有する鳥系魔物と一つになり、今はフェレクス直属の配下として活動していた。彼らの強みは機動力と殲滅力である。

 赫魔も肉体変化能力で翼を生み出せるが、空中戦においてはフェレクスたちが優れている。また一度制空権を奪された以上、奪い返すのは非常に困難である。このままでは一方的に空から爆撃される未来が変わらない。

 だから女王レギーナは逃走を決意した。



「許さぬぞ! この屈辱は決して忘れぬ」

「いいや逃がさない。お前たちは魔族にとっての害悪だ。ここで駆除する」

騎士エケスたちよ。兵士ミレたちよ。妾を守れ。妾の盾となれ。煌赫獣インデラムよ、妾を連れて逃げよ!」



 女王レギーナの命令は絶対である。

 騎士エケス以下の赫魔たちは死をも恐れずに足止めを開始する。女王に向けられた熱線はその身を盾として受け止め、自爆特攻する勢いで攻め立てる。死兵となった赫魔は手強く、フェレクスたち魔族軍団は上手く足止めされてしまった。

 それでも自在に空を飛ぶ彼らは幾人かで女王レギーナの乗る黄金の獣を追跡するも、先程のような包囲網ではないので取り逃がしつつあった。



「あの獣、厄介ですね。空を飛ぶ私たちより速いとは……ここの殲滅は任せます。手の空いている者は私と共に奴を追うのです」



 熱線や火球を放ちつつ煌赫獣インデラムを追うが、女王レギーナは刃の翼により守られている。攻撃の全てが弾かれていた。

 フェレクスは実に厄介と思いつつも爆撃を止めない。

 こんなことなら同僚たる死兎魔仙にも手伝いを頼めばよかった、とは戦いの当初に思い浮かんだ感想だったが、ここに来てそれがますます強くなっていた。



「この屈辱、決して忘れぬぞ。がこの地に降臨する時、お前たちは奴隷となるのだ。それまでの僅かな安寧に微睡み、いずれ来る支配の日を恐れ慄くがいい!」

「散り際の台詞はそれだけですか? 私は逃すつもりなどないと言ったはずです!」



 元居た深淵渓谷へと逃げる女王レギーナと、それを追いつつ爆撃するフェレクスら魔族たち。その戦闘の影響でアルザードの地は更に荒れ果てることになるが、魔族にとっても赫魔にとっても関係ない話だ。



(暗黒星……?)



 そして更なる上空で冥王が争いの行く末を観察していたことも、関係のない話だった。

 今は、まだ







 ◆◆◆







 強大な赫魔、煌赫獣インデラムとの戦闘を凌いだローランたちはそのままアルザード王国にまで突入する。そこで王国の酷い有様を目の当たりにした。

 破壊されつくした街々。

 血と肉に塗れた瓦礫。

 そして悲嘆に暮れる人々。

 ついでとばかりに盗みが横行し、最悪となった治安。

 もはや国としての体を失っている光景であった。



「かつての都ですらこれとはな」

「陛下、危険ですので決して我々から離れぬようにお願いします」

「ああ、気を付けよう」



 ローラン率いるプラハ軍はアルザードの王都に到達していた。既にここで一夜明かしているのだが、悪い情報ばかりが集まってくる。



「アルザードに設置していた貿易館も破壊されつくしていました。デスカール大使も家族と共に遺体で見つかっています。屋敷も荒らされ、貴重品などが強奪されたと思われます」

「そうか。残念だ。彼の部下たちは?」

「捜索しておりますが、生き残りを発見することはできておりません。五人が遺体として見つかり、二十六人が行方不明です。重要書類も幾つか紛失している可能性があります」

「書類はどうでもいい。もはやアルザード王国は存在しないのだからな。それよりも私の国の民を可能な限り探してくれ。私はこれから王都責任者と面会予定だ。次は日が沈む前に報告を頼む」

「はっ!」



 念のために別動隊を動かして本国に応援部隊を要請すると同時に、黄金王ミダスの捜索も行っている。どちらにせよ、この国は新しい指導者を必要としている。ローランはこれからその候補者と会談を行い、今後の方針を決める予定だ。

 指導者がいない現状、敗戦処理も困難な状況だ。

 またローランもアルザード王国ばかりに構っている暇はなく、ルーイン王国やベリア連合王国の対処も必要だ。実際の戦争期間であった二年よりも長い戦いになると予想される。



「さて、忙しくなるな」

「当てはあるのローラン?」

「まずは豊穣の祈りを広めるとしよう。土地を豊かにしなければ始まらない。戦略とはいえ、食糧輸出をしばらく絞っていたからな」



 学のない人間ほど目先の利益に囚われやすい。

 そして追い詰められた状況であるならば、いわゆるエリートと呼ばれる人間ですら長期的なスパンで物事を考えられなくなる。尤も、命がかかっている状況なのだからどんな人間も同じようなものかもしれない。

 ローランは彼らの生活を盾に豊穣の祈りセフィラ・キエナを広める予定だった。



「あまり人として優れたやり方ではない。だが私が生きている内に始末を付けなければ、次の代に問題を残してしまう。それだけは避けなければならない」

「ローラン……」

「私は長くない。君のお蔭で常人の三倍は生きてきたつもりだが、流石に衰えを感じている。これが人間という種の限界なのだろう……セフィラ、私はあと何年生きられる?」

「それ、結構前から言い続けているけど割と長生きしているよね」

「次代に残すべきものがある立場だからな。自分の限界を知りたくもなるさ」

「こればかりはローラン次第だよ」



 残された時間をどのように活用するべきか。

 ローランにとってそれは大きな関心ごとであった。



「始めよう」

「うん」

「帝国計画……ここからプラハ帝国が始まる」



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