第464話 煌赫獣


 その日はアルザード王国にとって落日となった。

 元からいつ滅びてもおかしくない立地であったが、民の多くは大丈夫だろうという楽観があった。それは百年以上にわたって国という形を維持してきた歴史があったからである。常に危険と隣り合わせな北部はそうでもなかったが、アルザードの王都周辺では自分たちが滅びるなどと考えすらしなかった。



「どうする……どこに逃げる……」

「落ち着けクロス。逃げ場は慎重に選ぶ必要がある。私たちは今だけは生き残る必要がある。君の研究は私たちを救うものだ」

「分かっている」



 苦々しくそう漏らす男の名はクロス。

 髪や髭は伸び放題で、服装も清潔とは言い難い。しかし彼は他にない才能があった。



「逃げるとすれば南か、東か」

「南はプラハ、東はルーインだな」

「この二国は赫魔の被害が少ないという。プラハについてはこの国と同じく英雄の王が治める国だ。希望はある。言葉は通じないらしいから、危険度は多少上がっても東の方がいいかもしれないが」

「私たちは産まれてこの辺りから離れたことはない。結局は運次第か……逃げた先で生き残ることを考えるなら東に行くべきか」

「理由は分からないが、突然赫魔化してしまう人もいた。どこも油断できないぞ」



 人々の多くは赫魔に食い殺され、あるいは連れ去られた。中には偶然にも赫魔の細胞片を取り込んでしまい、赫魔化してしまう者もいた。

 生き残った僅かな人間も逃げ切れるかどうかは完全な運である。



「赫魔……お前たちだけは必ずッ!」



 僅かな憎悪の火を灯し、アルザード王国は失われた。

 王都を含め多くの街が赤色に染められ、破壊の限りを尽くされる。生き残った人々は散り散りになって逃れ、その逃げた先でどうなったのかはそれぞれである。運悪く魔物に遭遇して殺された者。逃げた先で遭難して餓死した者。あるいは運よく安全な場所まで辿り着いた者。そして生き延びた者の一部は再起を図るために行動を開始していた。








 ◆◆◆







 赫魔の女王レギーナは赫魔の変異種であると言える。

 通常は赫蝋の業魔の破片である赫魔細胞によって侵食され、獰猛な精神性を獲得してしまう。消えない飢餓感に支配され、自己崩壊のリスクが常に付きまとう。

 そんな中、女王レギーナが食べる理由は一風変わっていた。

 美しくあるため。

 これこそが女王レギーナにとって最大にして唯一の理由である。なぜそのようなことを思うようになったのか、起源は彼女すら知らない。そもそも赫魔に性別はないが、精神性には元となった動物細胞が関係している。おそらくは彼女が過去に捕食したものの中に『美しさ』をアイデンティティとする存在ナニカがいたのかもしれない。



「ふむ。これはいらぬな」



 金色の獣に乗る女王レギーナは自らの身体から赤い塊を千切り取る。そして放り捨てた。すると赤い塊は地面に落ちて蠢き、獣の赫魔となる。おそらくはすぐにでも大量に肉を食わねば自己崩壊してしまう程度の貧弱な赫魔だ。

 赫魔は自己崩壊によって魔力を大量生成する特性を持った生命体だ。これは任意ではないため、食事を怠ればあっという間に餓死してしまう。だから自らを切り離すなど、ありえないことだ。寿命を縮めることと同義だからである。

 だが女王レギーナは赫魔の本能を抑え込み、自らの意思を優先できる稀有な個体であった。彼女は自らの『美しさ』に相応しくない部分を切り離すことができた。それは『美しさ』に対してより執着する結果となり、赫魔細胞は純度を増していく。

 騎士エケスの赫魔ですら彼女が切り離した不要な部分でしかなかった。



女王レギーナよ。新たな人間しょくりょうが迫っております。奴隷シュラヴが幾つか滅ぼされました」

「丁度良いな。煌赫獣インデラムを試すとしよう」



 赤い果実を口に運びつつ、女王レギーナは命じた。







 ◆◆◆







 プラハ王国軍は追撃のため、部隊を二つに分けていた。

 一つは北上してアルザードを目指し、もう一つは東に進んでルーインへ向かう。ウルヘイスでの勝利の勢いのままに、アルザード王国とルーイン王国の占領まで実行する予定なのである。そしてローランはアルザード側の部隊を率いていた。



「赤い獣を撃破した? 噂に聞く赫魔というやつか?」

「おそらくは。進行方向から予想するに、逃走中のアルザード軍とも接触している可能性が高いです。追撃する場合、赫魔との戦闘が予想されます」

「敵は近いということか……ならば黒魔術師団に通達。《召屍アズラ》により不死属を召喚せよ。数は二百で充分だ。先行させ、情報を探る」



 早速ローランの命令は周知され、クリフォト術式により地獄が開かれる。

 地獄を封じ込めている獄炎が現れ、その内側から不死属の魂が召喚された。魔力節約のため、それらは武装した死骨兵ボーン・ソルジャーのみで構成されている。また黒炎の加護もなく、強襲偵察を目的としていた。



「槍の力は使わないの?」



 戦闘準備が進んでいく中、ローランの近くを浮遊していたセフィラが尋ねた。彼女の言う槍とは、当然ながらゲヘナの鋲のことである。

 先の連合軍との戦いも、実質的にゲヘナの鋲による恩恵が大きかった。クリフォト術式で召喚できる不死属とは比較にならないほど強力かつ膨大な召喚が可能なのだ。また地獄の炎を操る能力も桁外れで、その気になればローランだけで敵軍を壊滅に追いやれる。

 だがそれは禁忌であるとローランは考えていた。



「ゲヘナの鋲は強すぎる。今回、使用して改めてそう思わされた。やはり緊急時以外は使うべきではない。追撃程度で使っていてはいつまでも国が育たない」

「ん、それもそうかも」

「使うとしても、その瞬間を見極めることでより効果的になる。今回のように多くの人目に触れた場で槍の力を使えば、敵国に対して衝撃を与えることができるだろう。シュリットは私の国の力を知ったはずだ。手を出せば何を敵に回すか理解しただろう」

「つまり『これだけ強い力を持っているぞ』ってことを見せつけた?」

「その通りだ。見せるからこそ有効となる手札もある」



 それは核抑止にも通ずる考え方だった。

 戦略性の高い兵器は、保有しているだけで威圧となり得る。たった一手で甚大な被害を受けると分かっているならば、敵国も安易な行動を取ることができない。今回、シュリット神聖王国の勢力はプラハ王国が無数の不死属を操ることができると知ったはずだ。つまりプラハ王国を攻めるならば、数という兵力は意味をなさない。なぜならそれ以上の兵力で圧し潰されてしまうからである。

 これは時間稼ぎを可能とする見せ札だ。

 質を高める必要性に駆られたシュリット神聖王国は、自国兵や聖石寮術師の練度を上げるため尽力するだろう。兵士は数を揃えるより、その質を高める方が時間も金もかかる。ただ兵数を底上げしたいなら、その辺りの農民に兵士という役割を与えるだけで良い。問題は相応の武装を揃え、軍の規律を覚えさせ、軍事行動に耐えうる体力と知恵を与え、更には一人一人の戦闘力を高めることだ。

 最低でも数年はシュリット神聖王国も直接的な動きができない。まして聖守を失った現状では魔族から国を守るだけで精一杯なはずだ。



「今回は叩けば叩くほどにこちらが有利となる条件が揃っていた。だからゲヘナの鋲を躊躇いなく使った。使わざるを得ない戦力差だったということもあるが」

「なるほどー」

「それに冥王とてこの兵器を『使わせない』ために私に託したと思っている」

「どういうこと?」

「私を試しているということだ。私が力に飲み込まれないか。セフィラを預けるのに相応しい王であるかどうか」



 実際にゲヘナの鋲を託された本当の理由までは聞いていない。

 しかしローランは自分なりに解釈し、かなり近いところまで理解していた。確かにゲヘナの鋲は明らかに強力過ぎる兵器だ。本気で扱えば大陸制覇も夢ではない。セフィラの加護も合わされば間違いなく帝王として君臨することも叶うだろう。

 これは誘惑の種だ。

 ローランはそれを見抜き、またこの槍が『贈与』されたものではないことを理解した。



「私は力を貸し与えられているに過ぎない。君の加護も含めて、私自身の力ではない。だからこれらの力を我が物のように振るうことは間違いだと思っている」

「うん。私はあなたのそういった……誇り高いところが好きだよ」

「ありがとう。それに私は常に初心を忘れないように心掛けている。君と出会ったウルヘイスの地での出来事をずっと覚えている。私は決して変わらないし、後継者たるフレーゼにもそのような王であってほしいと願っている。私の意思を代々伝えていくのは難しいかもしれないが、どうか後継の王たちが私の背を見て悟ってくれることを望むよ」

「大丈夫。ローランの想いは私が伝えていくから」

「ならば安心だよ」



 セフィラの加護で寿命の伸びたローランも、流石に衰えを感じつつある。今年で百六十五歳にもなるのだから当然と言えば当然だ。後継となる王たちに自分の考えるプラハ王国の在り方を残したいと思い始めたのも最近である。

 だからこうしてセフィラとも対話を重ねていた。

 ローランが人としての天命を遂げた後も、セフィラが想いを繋げてくれる。そう期待して、時間がある時は二人で会話することも多くなっていた。

 とはいえ、これも余裕がある時だけの話だ。

 戦場では特に、予想外のことが起こるものだ。



「陛下、報告申し上げます。先行させた不死属軍がほぼ壊滅しました」

「何? 二百ほど送ったのだろう?」

「はい。一瞬にしてその多くが破壊されました。幾つか『眼』を与えて観測させていたのですが、敵は巨大な獣に見えると。またその色は黄金であったと」

「黄金? ならば赫魔ではないのか……?」



 その報告を聞いてローランは軍の指揮者としての自分に戻り、情報を咀嚼していく。観測されたという黄金の獣について、ローランは一つ心当たりがあった。



黄金王ミダスの能力か? どう思うセフィラ?」

「私もそうだと思うよ。アルザード軍が赫魔と戦って、黄金王ミダスが力を使ったんじゃないかな」

「だとすればこちらに向かってくる理由は何だ? 赫魔を蹴散らしたのならアルザードに戻れば良いはず。それともあの姿になったことで私たちに勝てると踏んだのか……あるいは理性がないのか?」



 ほんの少し悩んだ後、ローランは命令を告げる。



「迎撃する。より高位の不死属を召喚し、《呪装ヴァリフ》も発動せよ」

「よろしいのですか? 《呪装ヴァリフ》まで使うと魔力消耗が大きくなりますが」

「敵は強靭な防御を備えていると思え。ならばこちらも黒炎の加護で耐久力を引き上げる」



 そう言いながらローラン自身もクリフォト術式を発動した。

 祈りを介して発動する精霊秘術は、ちょっとした訓練で簡単に身に着けることができる。必要なのは術式の大元であるセフィラの許可と、発動媒体であるセフィロトだけだ。ローランは不死属の魂を召喚する《召屍アズラ》に、黒炎の加護を与える《呪装ヴァリフ》を繋げて一体の不死属を顕現させた。

 黒い霧を伴い、黒炎を身に纏いながら現れたのは全身鎧の騎兵である。死滅霊騎ナイトメアという災禍ディザスター級の魔物で、召喚にはかなりの魔力を必要とする個体だった。



「これを指揮官として不死属による迎撃。我々は遠距離から《獄滅ゲヘナ》で攻撃する」

「承知致しました」



 死滅霊騎ナイトメアの周囲に死骨騎士スカルナイトが召喚されていき、一つの騎馬部隊となる。合計十体になったところで陣形を形成し、迫っているであろう敵を待ち構えた。

 この迅速な動きは正しく、準備が整うと同時に正面から『何か』が突撃してきた。展開した不死属騎馬隊が受け止め、それでも勢いを殺しきれずに数体が踏み潰される。しかしお蔭で敵の正体をはっきりと目視することができた。



「陛下! お下がりください!」

「ああ」



 ローランは素直に後方へと下がり、念のためにゲヘナの鋲を握りつつ見守る。展開した黒魔術師団はあっという間に敵を囲み、《獄滅ゲヘナ》の発動準備に取り掛かった。

 相手は巨大な獣である。

 その背から刃の翼を生やし、体表には鱗や外骨格が浮き出ている。一見すると肉食の獣のような見た目ではあるが、竜系統の魔物にも似た特徴を備えていた。金色の獣は激しく吼え、猛り、前脚の爪で不死属の騎士たちを叩き潰そうとする。

 だがそれは死滅霊騎ナイトメアが受け止めた。その間に死骨騎士スカルナイトたちが槍で突く。しかし刃は体表で弾かれ、全く効いていない。

 続けて黒魔術師たちの《獄滅ゲヘナ》が発動し、黒い火種が次々と射出された。ランプの灯を少し大きくした程度でしかないが、これは苦痛を凝縮した地獄の炎である。破壊力は伴わずとも、火で焼かれる苦しみを与えることが可能だ。

 黒炎に身を焼かれた黄金の獣は苦痛に悶え、力が弱まる。それによって死滅霊騎ナイトメアは押し返すことに成功し、死骨騎士スカルナイトたちは追撃した。



「やった!」

「いや、刃が通っていない! 油断するな!」



 ちょっとした歓声もすぐに掻き消される。

 黄金の獣は刃の翼を大きく広げ、その場で回転した。遠心力により刃の翼は目視不可能なほどの勢いとなり、黒炎の加護で守られていたはずの死骨騎士スカルナイトを真っ二つにしてしまう。死滅霊騎ナイトメアだけは黒霧を発生させ、その内側に消えることで回避してみせた。

 そしてローランの側に再び霧が発生し、死滅霊騎ナイトメアが現れる。



「セフィラ! 奴を捕らえられるか!?」

「うん!」



 危険と判断してセフィラは魔導を発動し、獣の足元から樹を生み出す。それはねじれながら獣を巻き込み、動けないよう拘束しつつ、更には圧迫ダメージを与えた。



(なるほど。正しく獣か)



 ローランは藻掻く獣に小さな憐れみを向けていた。

 確かにその力は凄まじく、魔力も膨大なのだろうと推察できる。黄金の鱗と外骨格は大抵の攻撃を無効化するだけの防御力も秘めていた。しかし決定的に獣なのである。そこに知恵や技が介入する余地はない。もっと身体の使い方を知っていれば、この状況から抜け出せたかもしれないのだ。

 また不死属など無視して黒魔術師団を攻撃すれば勝負は決していたかもしれない。



「ねぇローラン」

「ああ。できれば殺さないようにしてほしい。あれはおそらく黄金王ミダスだ。可能ならば捕らえてから処刑したい」

「んー。やっぱり自然現象に干渉する術式も必要だよね。クリフォト術式は幅が少ないし」

「前に話してくれていたセフィロト術式の拡張か」

「私の課題だね」



 これで決着しただろう。

 あとはセフィラが魔力吸収すれば、黄金の獣も真に動けなくなる。それは油断ではなく、確信だった。ただ一つ、勘違いさえなければこの判断は間違いではなかった。



(セフィラ、さっさと仕留めろ。それは黄金王ミダスではない)

「え? お父様?」



 突然の念話にセフィラは驚く。

 だがそれに返答するより早く、黄金の獣は動いた。一層激しく吼えた途端、黄金の外骨格が鋭く変化する。全身を刃と化した獣は身をよじり、ビクともしなかった樹木の拘束を引き裂いてしまったのだ。

 更には背から赤い触手が生えて何度も薙ぎ払う。鋭い鞭のような攻撃は不死属騎兵を吹き飛ばし、嵐のような斬撃を周囲に刻み込む。もしあの場にいたのが武装した人間だとしても、容易く両断されていたであろう威力だった。

 実際、地面にも深い傷が生じている。



「ローラン! あれ黄金王ミダスじゃない!」

「見ればわかる。かつて私の見たスリヤー殿もあんな化け物ではなかった!」



 流石にこれだけの異変だ。ローランも気付いた。

 そして獣が見せた赤い鞭。これはまさに赫魔の有する肉体変化能力である。ここまでくれば誰もがその正体を理解した。





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