第463話 アルザードの落日


 シュリット、アルザード、ルーイン、および聖石寮の連合軍を撃退するため、ローラン率いるプラハ王国軍が取った策は実にシンプルだ。

 まずはセフィロト術式《御座ヴェッラ》により魔力を集め、その魔力を使ってゲヘナの鋲により地獄を開き、不死属の軍勢を召喚する。黒炎の加護を得た不死属はほぼ無敵となり、正面から壁のように押し寄せることとなる。連合軍は撤退を強いられ、数が多いゆえに伝達も上手くいかず、大混乱に陥った。

 撤退するのか、攻めるのか。どこに敵がいるのか。それらは兵士たちに全く伝わり切らず、動揺だけが先に広がっていく。更には恐怖した兵士が味方を殺してまで逃げようと試み、結果として同士討ちが始まった。そこに左右から不死属の騎馬兵を突撃させ、完全に陣形を瓦解させる。あわよくば指揮官を討ち取り、軍の指揮系統を解体する。

 もしも失敗すれば後詰として進軍していたローランたちの本隊で追撃を仕掛ける予定だった。しかしそれは必要なかったらしい。



「これで無事にウルヘイスを取り戻せたか」

「だね」



 豊かな農耕地として栄えていたウルヘイスはすっかり荒れ果てていた。食料だけでなく金品や民すら略奪されており、各所に何かが燃やされた跡も残っている。残っていた住民曰く、女神像を燃やした痕跡ということが分かっていた。

 豊穣の祈りセフィラ・キエナ発祥とも言えるこの土地は、今やかつての面影を残すのみとなっている。



「陛下」

「どうした?」

「東西に分かれていた黒魔術師の部隊も合流しました。また追撃の用意も整っております」

「分かった。三分の一はここに残し、他は私と共に追撃を行う。追撃部隊は二つに分けよ。それぞれで分かれ、アルザードとルーインを目指す」

「はっ!」



 戦いは間違いなくプラハ軍の勝利に終わった。

 数の上では勝利など考えられなかったが、それをゲヘナの鋲という兵器により覆した。精霊秘術クリフォト術式も勝利に一役買っているが、やはりゲヘナの鋲の功績は大きい。

 ローランはかつてセフィラと出会った始まりの場所、ウルヘイスの大樹の下で、取り戻した光景を眺める。



「捕囚となった民を救わなければな」

「じゃあ攻め込むの?」

「アルザード王国とルーイン王国、そしてベリア連合王国は攻め落とす。地理どころか方角すら曖昧なシュリットまでは難しいが」

「兵力、足りる?」

「問題ない。頭さえ押さえればこちらのものだ。貧しい者たちからすれば、統治者が変わったところでそれほど生活は変わらない。統治者を気にするのは裕福なものだけだ」



 プラハ王国民が多く攫われ、その行方は分かっていない。おそらくはルーインの方に連れ去られたのだろうという仮説はある。

 ただアルザード、ルーイン、ベリアを攻撃する理由は捕囚の奪還だけではない。プラハ王国は地理的な問題で、常に包囲されてしまっている。それを打破する必要があるという判断だ。包囲されている状況で放置すれば、時間と共に国力を取り戻させてしまう可能性がある。そのため早期に敵勢力を消し、プラハ王国を更に安定させようというのが大きな理由だ。



「私たちにとって問題なのは聖教会だけではない。魔族という存在も懸念される。国の力を底上げする必要があるだろう。土地も人間も現状では足りない」

「考えはあるの?」

「これから占領する三国から奴隷を買うつもりだ。その代価として食料を含めた我が国の財を分け与え、再建させる」

「人間を担保に支援するってことね。それなら統治機構はそのまま再利用するってこと?」

「その予定だ。残念ながら人手が足りない。それに落ち目の権力者こそ権力に縋るものだ。こちらの垂らす餌に食いつくだろう。こちらの大義名分を証明するためにも各国の王たちは処刑させてもらうが」

「うん。妥当だと思う」



 つまり占領後は頭を挿げ替えてコントロールしようということだ。

 だが一方で一つの国内に複数の王が存在することになる。ローランという大王の下に、小さな王が集合する形の国家だ。広大な土地を支配しきることが困難である以上、こういった形態になるのは仕方ない。ただでさえプラハ王国の領土支配も領主を置くことで成り立っているのだから。



「アルザードの王はこの戦いで確実に討ち取る。裏切りには相応の報いが必要だからだ」



 怒りより、悲しみを抱えつつローランはそう口にした。








 ◆◆◆








 黄金王ミダスとしてアルザードを率いていたグレゴリオンは、この戦いを後悔していた。

 彼はアルザード王国の軍人として順調になり上がった経歴を持つのだが、実家は聖教会の神官を生業としている。彼の祖父の代から神官を務めており、家族の中で聖石を得た者は必ず聖石寮に所属していた。故に軍人となったグレゴリオンはある種の異端なのである。

 だが彼は家族への反発として軍人になったのではない。軍と聖教会の橋渡しとして、当時神官長の候補者にもなっていた父に頼まれて軍人になったのだ。

 とはいえ実情は軍の中で聖教会勢力の発言力を高めるための策ではあった。



「一体どこから……どこから間違ったのだ」



 それはきっと、手段と目的が入れ替わった時だろう。

 確かにグレゴリオンは聖教会の教えの発展のため、その心意気を胸に軍人となった。神官だった父に頼まれたこととはいえ、彼自身にもその夢はあった。軍人として地位を得ることで、アルザード王国の中での聖教会の力を強めようとしたのだ。

 この背景には聖教会が邪教の国と呼ぶプラハ王国が関係している。祈りによって豊かさを与えるという豊穣の祈りセフィラ・キエナの台頭は聖教会にとって痛手だった。初めは言葉も通じない外国の教えだからと油断していたが、実際の効力が伝わることでその評価も覆ってしまったのだ。



「そうだ、私は」



 様々な記憶が思い出される。

 厳しい軍の訓練に耐え忍び、力を獲得したこと。初めての実戦で魔物を討伐したこと。魔族と戦い、死を覚悟したこと。功を上げて隊長となったこと。初めての部下を死なせてしまったこと。そして更なる地位と力を求めるようになったこと。

 人を守るためには力がいる。

 聖教会を守るためには地位がいる。

 戦闘力、権力、財力など、様々な力があってこそ目的を達成することができる。グレゴリオンはやがてそれらを追い求めるようになり、そして道を踏み外した。

 力を欲することが目的としてすり替わってしまったのだ。



「踏み外してしまったというのか。私が」



 決定的だったのは、先代黄金王だったイジャクトを毒殺したことだった。豊穣の祈りセフィラ・キエナを推し進める親プラハ派だったイジャクトを許容できず、また黄金王ミダスの地位に目が眩んでしまった。

 その答えに行き着いた彼は、遂に走るのを止めてしまう。

 今までずっと、不死属の軍勢から逃れるために走り続けてきた。気付けばアルザードとプラハを繋ぐ森の街道にまで辿り着いており、後ろを振り返ればもう不死属の追撃は終わっている。しかしアルザード兵も見てわかるほどに数を減らしていた。



黄金王ミダス陛下、立ち止まっている暇はありません」

「分かっている」

「急ぎましょう。いつ敵が来るかもわかりません」



 今回は勝利を確信して大戦力を捻りだしていた。それこそ本国の防備が薄くなってしまうほどである。だから彼の言葉は二つの意味を抱えていた。

 一つは背後から迫っているであろうプラハの軍勢。

 そしてもう一つはいつ攻めてくるか分からない魔族や魔物、そして赫魔である。



「これだけの大敗だ。私の失脚は免れまい」

「ですがそれも生きて帰ればこその話です。少なくとも蝕欲ファフニールは死守しなければなりません」



 アルザード王国にとって蝕欲ファフニールは失ってはならない宝剣である。黄金王ミダスは常に最前線で戦う勇敢な王であるべきという考えから、その死因の多くは戦死である。だからこそ黄金王の秘宝を戦場から持ち帰る者が必要だ。

 欲ではなく忠誠によって動くことのできる者だけが、黄金王の側近としていざという時に蝕欲ファフニールを預かる役目が与えられる。

 逆に言えば彼は黄金王ミダスが誰であろうと構わないと考える。

 王ではなく国に仕えているのだから。

 とはいえ今はグレゴリオンが蝕欲ファフニールを保有している。この宝剣を保有している限り、彼は黄金王としての役目を果たさなければならない。元は百人隊長として部隊を率いていた経験もある。生き残っている兵士を呼び集め、元気づけ、そしてどうにか隊列を整えて北へと進み始めた。







 ◆◆◆







 赫魔たちは迷宮山水域南部の深淵渓谷を根城にしている。彼らが地下深くを棲み処にする理由は、単純に棲み分けであるところが大きい。山水域の地上部は魔族の楽園となっており、七仙業魔を中心として幾つも魔族コロニーが存在している。よって赫魔たちが住もうとすれば、自然と包囲されてしまうのだ。

 だから赫魔たちはリスクを冒して地上に進出し、人間という食料を手に入れる。

 動物細胞を取り込まなければ自己崩壊により自滅してしまうという特性だけはどうにもならない。指揮官級が奴隷階級の赫魔を率い、人間を誘拐することを繰り返していた。



(これだけの大軍を用意できるとはな)



 シュウは魔術で姿を隠し、空から様子を眺める。

 魔族に次いでダンジョンコアとの繋がりが垣間見える赫魔の監視は重要事項である。今、シュウとダンジョンコアは互いの下僕シモベを使って探り合い、有利に立ち回るための戦いをしている。だから直接手を出さず、その動きにどのような意味があるのかを考察しなければならない。



「赫魔にどんな役割を与えているのか。それが見えるといいんだが。人間に代わる魔力タンクってだけなら話は簡単。けどそれ以外があるとなると……」



 普段は地の底で暮らす赫魔たちだが、今日ばかりは多くが地上に出てきた。

 しかも女王レギーナと呼ばれる個体までいた。その配下の騎士エケスという人型個体もかなりの数が追従している。他にも赫魔は多い。数えれば五百以上はいるのではないかと思うほどだ。

 今回に限って言えば、これだけの大軍を動かす理由は見えている。

 深淵渓谷の奥底にある赫魔の宮殿に潜入した際、女王レギーナはこのように命じていた。『黄金の力』を奪えと。

 騎士エケスが率いる赫魔の一団が突撃を開始する。その標的となったのはアルザード王国の街であった。対魔族、対魔物、対赫魔を想定して要塞化された街であり、外壁屋上には大量の射撃兵器が設置されている。

 だがそれらの兵器を操る人間がいない。



「数秒も防げなかったか」



 本当にあっさりと壁は破られ、赫魔たちは街の内部に侵入する。本来ならば街を守っていた兵士も、今はプラハ王国との戦争を目的に出陣している。この街の防衛戦力は本当に最低限であり、赫魔の軍勢を止められるほどではなかった。

 外壁は騎士エケスの拳で砕け散り、僅かな兵士は最弱の赫魔にすら苦戦する程度。

 抵抗する者は虐殺され、逃げ惑う人々も赫魔に喰われる。赫魔にとって人間はエネルギー豊富な食料だ。五百以上の赫魔が自滅することなく軍事行動を取るためには大量の食糧がいる。彼らにとってこの街は補給地点でしかない。



「なるほど。容赦なし」



 シュウは観察に徹して手は出さない。

 目の前で虐殺が起こっているのを見て何も思わないわけではないが、そもそも保護しているわけでもないので助ける理由がない。寧ろアルザード王国の人間はダンジョンコア側に属する勢力だ。彼らにそのつもりはなくとも、聖教会や聖石寮の影響が及んでいる時点でシュウはそのように見なす。

 そして何より、この国には蝕欲ファフニールという特異な武器が存在する。

 アルザード王国は英雄王アルザードが地下迷宮で発見した古代遺産であると信じているが、シュウからすればそれは違和感しかない。終焉戦争以前にそのような兵器は存在しなかったし、そもそも火器兵装や魔術兵装が主流だったので剣を作る理由もなかった。

 しかも使うほどに同化が進み、体が怪物と化してしまうなど欠陥品もいいところである。間違いなくダンジョンコアが作り出した兵器だとシュウは予想している。

 これらの情報を組み合わせれば、赫魔に大規模な侵略を行わせたダンジョンコアの意図も少しは見えてくるというものだ。



「アルザード王国に与えようとしていた役目を、赫魔に移行させようとしている……ってところか。しかしあの兵器。魔力回収用だとしても効率が悪い。奥底の目的がまだ見えない内は手も出しにくいな」



 ダンジョンコアはかつて指揮型九号機アゲラルド・ノーマンだった時と異なり、様々な勢力を作って制御しようとしている。シュウの管理しているスラダ大陸西側だけでも聖教会、魔族、赫魔と様々だ。

 どこに真の目的があるのか。

 ただシュウによって減らされた力を取り戻すことだけが理由なのか。あるいは別の目的が存在するのか。舞台裏に潜む敵との戦いは忍耐の連続である。ダンジョンコアの思惑を邪魔するために赫魔を滅亡させるか、泳がせて本質的解決を求めるか悩ましい。

 ただ今回の件は静観する方向で考えていた。








 ◆◆◆






 アルザードへの帰還を目指していたグレゴリオンたちは、その王都よりも南の街道で一時的な休息をとる予定だった。付近に川が流れており、軍事演習も行われる土地である。砦のような防衛拠点こそないが、兵士が休息するための最低限はあった。

 しかし命からがら逃げ延びてきた彼らに休息の時が与えられることはない。

 馬も失い、走ってプラハ・アルザード街道を抜けてきた彼らを待っていたのは赫魔の一団であった。



「ふ、ふざけ! ふざけるなあああ!」



 グレゴリオンの目に映るのは赤一色。

 それは赫魔の色であり、兵士たちの血肉の色である。だが地面を染める多くの赤は仲間兵士のものであった。もはやアルザード軍に赫魔を倒せるだけの力はない。士気の低下は勿論、体力も残っていないのだ。如何に実力者といえど、動くだけの力がなければ能力を発揮できない。

 当のグレゴリオンも体力など残っていない。

 逃げるために精一杯を尽くしてきたのだ。 

 彼は蝕欲ファフニールの同化を恐れず使い続け、近づく赫魔を黄金オリハルコン化させていく。しかし数体ほど倒しただけで彼は倒された。何の変哲もない獣型の奴隷階級赫魔によって背後から首を噛み千切られ、あっさりと失血死してしまう。

 どれだけ武勇に優れた人物だとしても囲まれたら終わりだという事例である。

 最期の言葉は絶望と怒りの入り混じった罵声であった。



「待て。それを食い尽くすな」



 獣型の赫魔を支配する騎士エケスが命じる。するとグレゴリオンを食い殺した赫魔はピタリと停止する。勿論、止まった赫魔の他は現在進行形でアルザード兵を虐殺し続けている。

 騎士エケスの赫魔はグレゴリオンの遺体から蝕欲ファフニールを奪い取る。真っ赤な騎士は黄金の剣を手に、悠然と後方へ移動し始めた。彼――赫魔に性別の概念はないが――の目的は自身の支配者たる女王レギーナ蝕欲ファフニールを献上することだ。

 女王レギーナは戦場の後方にて巨大な獣に腰かけている。その獣は当然の如く赫魔であり、獰猛な瞳に加えて鋭い爪や牙を持っている。体表には鱗や外骨格のようなものもあり、見た目からして凶悪であった。



「偉大なりし女王レギーナよ。お望みの力をが手にお納めください」

「ふむ。これが預言の力か。『黄金の力』とは美しくない」



 女王レギーナの感性では剣を美しいものと思えなかったらしい。

 そこで自分の座する獣に命じた。



「お前が喰らえ。妾の下僕として力を得よ」



 命じられるがままに赤い獣は蝕欲ファフニールを喰らった。とはいえオリハルコン製の武器なのでどれだけ鋭い牙でも噛み砕くことは敵わない。丸呑みした形になる。

 そして変化はすぐに表れた。

 体表の鱗や外骨格は金色に染まり、その爪や牙もオリハルコンと化す。また獣の姿にも異変が生じ、同化した黄金王ミダスのように背から刃の翼が出現する。

 変貌したその姿をみた女王レギーナは告げた。



「特別な名をくれてやろう。お前は煌赫獣インデラムだ。妾の力の象徴として敵を喰らえ。魔族を喰らえ。妾が世を支配するその時、お前は最も偉大な獣として称えられるだろう」



 それと同時にアルザード兵の殲滅も完了する。

 兵士階級や奴隷階級の赫魔たちはエネルギー補給のためにその死骸を喰らい始め、勝利の味を噛みしめていた。



「この地は喰らい尽くした。人面樹に与える生餌も充分。そして預言の通り、黄金の力も妾の手中に収めた。万事順調であるぞ」

「どうか命令を。我らシモベに偉大なる躍進の命令を」

「うむ。この力を魔族で試してやりたいところだが、妾は慎重なのだ。まずは煌赫獣インデラムの力を理解せねばな」



 女王レギーナは手元の篭から赤い果実を取り出し、口元に運ぶ。

 血のような果汁が滴った。





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