第462話 ウルへイス奪還戦②


 プラハ王国北部ウルヘイスの丘陵地から少し南下したところに位置する平原にて、二つの軍隊が正面からぶつかった。片方は聖守フレーゼを手中に収めるべく集結したシュリット、アルザード、ルーインの連合軍にヴァナスレイの優秀な術師たちも混じっている。そしてもう片方は国土の侵略を許さないプラハ王国軍……ではなく、ローランが召喚した地獄の軍勢であった。

 ゲヘナの鋲により開かれた地獄から現れた不死属たちは黒い炎を纏っている。それはまさしく闇の軍勢であり、連合軍兵士たちは酷く怯えていた。



「アイコス様、あの軍勢は異様です」

「邪悪な……それに兵士の士気も問題か」

「術師の中にも恐れ慄く者が多くいます」



 九聖が一人、アイコスは強い怒りを露わにしていた。早く聖守を取り戻し、魔族に怯えることのない日々を取り戻さなければならないのだ。命を投げうつくらいの覚悟がなければそれは成し得ない。しかしながらそこまで深い信仰心と献身を見せてくれる術師はそれほど多くなかった。



「増員を急いだ結果、ということか。儘ならんな。これほどまで質が低下しているとは」



 アイコスは九聖に選ばれているという事実から分かる通り、実力もさることながら古株の術師でもある。近年の聖石寮は魔族への対抗手段として術師を増やす方向にシフトしてきた。かつてよりも人数が増えたことで教育は行き届かなくなり、昔ならば不適合だった者も正式な術師になることができてしまう。

 昔よりも増えた人々、開拓された領土を守るためには数を増やすという方針も間違いではない。

 しかし成長速度に対して、質を維持するための機構が追いついていないのが問題なのだ。二代目聖守が創り上げた仕組みは当時の規模に即したものでしかなく、現代には合っていなかった。聖石寮本部が存在するヴァナスレイでもこの問題は大きく取り上げられ、新しい聖石寮の形を模索しているところだ。



「私が先手を担おう。恐怖を打ち払えるのは、それ以上の強さのみだ」

「よろしくお願いします」

「うむ。九聖だけが所持を許された、この大聖石の力をとくと見るがいい」



 彼の胸元には深い青の石が光っている。

 これこそが九聖に与えられた聖石を越える聖石である。通常よりも多くの魔力を溜め込み、また運用することができる。



「これぞ神話の大魔術……第七階梯である!」



 聖石が魔力を発し、内部で術式を処理する。

 発動したのは炎の第七階梯《大爆発エクスプロージョン》。今となっては発動できる人間がいない、ロストテクノロジーと化した大魔術である。大聖石の補助演算機能によって本来の射程よりも更に引き延ばされ、まだ遠くにいる不死属の軍勢の中心で大爆発が起こった。

 激しい炎が巻き起こり、何秒か遅れて爆音が届く。

 平野を埋め尽くす不死属が宙を舞い、衝撃波がそれらを薙ぎ倒す。その様子は常識では考えられないもので、連合軍の中でどよめきが起こった。



「流石は九聖……あれで末席だというのだから恐ろしいものだ」

「ええ。あの方こそ人類の救世主の一人です」

「アイコス様さえいれば邪悪なプラハから聖守様を取り戻すことも難しくないだろう」



 黒炎を纏った不死の軍勢を目の当たりにして聖石寮の術師たちですら戦う気力を失いかけていた。平野を埋め尽くす魔物をどうにかできる魔術など扱えないからだ。

 術師たちのが聖石を介して行使する魔術は最大でも第四階梯だ。存在の記録はあるのだが、使い手の存在しない第五階梯以上ともなると途端に難易度が増す。曖昧な感覚だけで魔術を発動しようとすれば、聖石の負担が大きくなるため、大聖石ほどの性能でなければ実現できない。

 だから第七階梯を行使したアイコスは誰の眼から見ても伝説級の存在であった。

 しかも彼の放った《大爆発エクスプロージョン》は一度きりではない。次々と爆発が発生し、不死属の軍勢を薙ぎ払っていた。








 ◆◆◆








 埋め尽くすほどの不死属軍を送り出したローランたちは、砦に留まったまま時が来るのを待っていた。不死属軍の先頭集団はもはや平原の彼方にまで進んでおり、砦から確認することができない。ただ状況だけはセフィラを介してローランに知らされていた。



「思ったより蹴散らされているかも」

「だが倒されてはいないのだろう?」

「そうだね。黒炎の加護があるから、あの程度の魔術なら効かないよ」



 ゲヘナの鋲によって地獄は開かれた。

 獄炎の魔法が封印する不死属の世界は、既にセフィラの手中に収められている。黒炎そのものを操ることはできないが、不死属と黒炎を『接続』することはできた。そうして誕生したのが地獄の炎によって守られた不死属である。

 状態を固定する黒炎は、通常ならば永久に身を焼かれる苦痛を味わうという効果となり得る。しかしそのような通常の感覚がない不死属であれば、単純に加護として機能してしまう。

 触れた対象を黒炎で苦しめ、外からの攻撃は黒炎の状態固定によっておおよそ無効化する。付与された黒炎を越えるエネルギーでない限りダメージがない。



「国中の祈りを集めて召喚した不死兵だからね。そう簡単に倒せないよ。潰すなら禁呪くらいは持ってこないと」

「禁呪? それはどういうものだ?」

「使ったら都市が消滅する規模だね。たぶん、人間には使えないよ。お父様が言うには昔は使える人もいたみたいだけど」

「どちらにせよ。敵に地獄の軍勢を攻略することはできないということか。正面を任せるには丁度いい」

「うん。あとは両側に展開した部隊次第だね」

「このまま押し返す。そろそろ私たちも出陣しよう」









 ◆◆◆








「馬鹿な! あれはどうすれば倒せる!? あれはどこから来たのだ!?」



 連合軍は初めこそ九聖の放つ大魔術に興奮し、士気を高めていた。アイコスの行使する第七階梯魔術は分かりやい大爆発で、不死属の軍勢も容易く吹き飛んでいたからだ。

 しかしそれだけである。

 大爆発は不死属を吹き飛ばしている。それは事実だ。ただそれによって不死属がダメージを負うことはなかった。不死属に宿る獄炎により魔術を無効化しているのだ。この事実は徐々に明らかとなり、やがて連合軍に絶望を与えた。



「アイコス様! どうか助けてください!」

「あれはただの魔物ではありません」

「我々の攻撃が通じないのです!」



 もはや連合軍は総崩れとなっていた。

 立ち止まることのない不死属軍の先頭と接触したことで、連合軍の前衛は壊滅的な状況に陥っている。前衛を担っていたアルザード軍とルーイン軍の兵士たちは多くが殺され、それを目の当たりにした聖石寮の術師たちは恐れ慄いてしまう。

 頼りとなるはずのアイコスでさえ、この状況には混乱していた。



(なぜ……魔物如きが伝説級の魔術を無効化できるのだ!)



 撤退を繰り返す連合軍はまともな陣形をしていない。それぞれが命懸けで逃げ惑い、とにかく不死属から距離を取ろうとしていた。幸いなことに不死属の軍勢は一定の速度を保ったまま進軍している。そのため追撃されることなく撤退はできている。ただ総勢八万を超える兵士が一斉に背を向けて逃走を図れば、どうしても詰まってしまう。

 各地で転倒事故が発生し、彼らの自滅によって千人以上が失われていた。

 中には発狂して味方に魔術を放つ者まで現れる始末。指揮系統は早期に失われ、彼らは恐怖によってのみ突き動かされていた。



「アイコス様!」

「分かっている。《空翔フライ》が可能な術師は私に続きなさい。空から魔術を放ち、不死属を止める。あの黒い炎が我々の魔術を阻んでいる可能性が高い。弱点を見つけなければならないだろう。黄金王ミダスグレゴリオン陛下はどこに? 彼の防御力を頼りにしたいのだが」

「おそらく後方に撤退したものかと」

「なんだと!? 臆病者め!」



 アルザード王国は戦士の国だ。

 初代王アルザードは地下迷宮で発見した蝕欲ファフニールによって、迷宮で隠れ住む人々に勇気を与え、偉大な指導者として戦いの先頭に立った。イレギュラーゲートによって地上に出た後は、そこを定住の土地として王国を作った。

 ただそこは西を不浄大地、北を魔物や魔族に囲まれた脅威の減らない土地だった。

 故に男たちは勇敢な戦士となり、アルザード王も戦士であり続けるしかなかった。その初代王の思想を受け継ぐ者こそが黄金王ミダスなのである。血筋は関係なく、戦いの実力だけがその証である。

 その点、現王グレゴリオンは初めて政治的な理由によって黄金王ミダスとなった異質な王であった。百人隊長だったということもあり実力は最上位として保証されているが、誰よりも前に立って兵士に勇気を与える王としての資質はなかった。

 故に臆病者と謗られても仕方がないだろう。

 黄金王ミダスに求められているのは、その大いなる力なのだから。



「……ないものは仕方ない。我々だけで不死属と戦う。せめて情報を持ち帰らなければ」

「はい。お供いたします」



 九聖の一人として、最低限の成果が求められる。

 伝説とすら言われる大魔術を以てしても撃破できなかったのだから、もはや不死属の軍勢を討伐する手段はない。そんな報告だけでは九聖として失格だろう。

 アイコスはまだ平静を保つことのできている術師たちを引き連れ、空高く飛び上がった。聖石寮の戦力は各所に配置されていたのだが、アイコスたちは目立つよう陣の中心部に配置されていた。故に空へと上がり見渡せば、戦況を全て目にすることができる。

 そしてアイコスたちは気付いた。

 南方から迫る黒い炎を纏った不死属軍は確かに驚異的だ。しかしその役目は連合軍を撃破することではなかった。



「な、なんだ? 奴ら左右に広がっている……?」



 真っすぐ連合兵士へ向かっているのではなく、少しずつ東西に広がって進んでいた。その陣形は深い器のようである。一見すると包囲を試みているようだが、それにしては進軍が遅い。

 現状は連合軍の最前線にいた部隊が不死属軍に巻き込まれて混戦状態にあり、それを意図しない殿軍として中央から後方の部隊は撤退している。その中央や後方とてまともに動いているわけではなく、もはや方向感覚すら失われていた。最後方に至っては何が起こっているのかすら分かっていないだろう。



「アイコス様! 右手をご覧ください! 敵が……騎馬の不死属が来ます」

「なんだと!? それは――」

「左からもです! 何て速度だ……」



 彼らは戦場を俯瞰できる視点を手に入れたことにより、敗走する連合軍へ迫る更なる脅威を目にしてしまう。それは両脇より迫る不死属の騎馬隊であった。

 死骨騎士スカルナイトと呼ばれる中位ミドル級の魔物が群れを成して突撃を仕掛けてきたのである。この魔物は魔導により骨の騎馬を生み出し、自在に操る。人馬一体の突撃力が厄介であり、群れともなれば凄まじい攻撃力となる。更には南から攻め寄せる不死属の軍勢と同じく、黒炎を身に纏っていた。



「南の軍勢は包囲の網……騎馬で食い破るつもりか!」



 戦術としては真っ当なものである。

 正面から圧力をかけつつ、両脇から突撃力の高い兵科で食い荒らす。混乱した敵軍は包囲殲滅されるのを待つだけだ。しかもそれを魔物を使役することによって成し遂げているため、プラハ軍には何一つ人的損害がない。

 すなわち連合軍は覚悟を決めて死兵化したとしても、意味のある玉砕にはならない。本当に無意味な死となってしまう。



「……何と邪悪な。正しく闇の国。死の穢れに染まった国」

「アイコス様。我々はどのようにすればよいのでしょうか。どうか導いてください。聖守亡き今、頼りは九聖だけなのです」

「分かっている。我々は撤退する。他は見捨てる」

「よろしいのですか!? それではアルザードとルーインを見捨てるということに……私は難しいことは分かりませんが、二国との繋がりが悪化する要因にならないでしょうか。私は心配です」

「その責任は私が負うべきものだ。提言は感謝しよう。しかし君たちが気にする必要はない。私たちはより先を見るべきなのだ」



 もはや術師が百人や二百人いたところで変わる戦況ではなくなった。

 連合軍はますます混乱しており、もはや不死属軍の攻撃で死んだ兵士より、同士討ちで死んだ者の方が多いほどにまでなっている。仮にアイコスたちが不死属軍を撃退しようと試みたところで、この混乱は終わらない。つまりどう足掻こうとも助けることはできないのだ。

 ならば不死属と戦って無駄な消耗をするより、少しでも戦力を残したまま情報を持ち帰った方が良い。



「不死属に幾つか魔術攻撃を行い、奴らの反応を確かめる。その後離脱してヴァナスレイに帰還する。魔力に余裕のない者はいるか?」



 彼の問いかけに首を縦に振った者はいない。

 アイコス率いる総勢三十人と少しの術師たちは、飛行魔術を維持したまま不死属軍に攻撃を実行する。連合陣地に食い込んだ不死属騎馬兵は手が出せないので、その対象は南から迫る軍勢である。

 しかし黒炎を纏う不死属を一兵たりとも討伐できないまま、彼らは戦場を飛び去ることになった。








 ◆◆◆







 ベリア連合王国を成す三国の内、ウレイアス王国は早々に陥落していた。そのためウレイアス王は中心都市ベリアへと亡命していたのだが、そのベリア陥落も時間の問題であった。

 いや、もはや降伏寸前であった。



「もはや一刻の猶予もなし。シュリットから救援は来なかったか」

「そのようですな」



 カルトとテメグラスの王は互いに諦めを口にした。

 もう一人の王であるウレイアス王はこの場にすらいない。彼はウレイアス王国領土が不死属の軍勢に飲み込まれた光景を目の当たりにして絶望してしまった。どんなに強い兵士でも勝てないと直感してしまったのだ。

 実際、ウレイアスが誇る兵士は不死属の軍勢に対して歯が立たなかった。

 そしてカルト王もテメグラス王もベリアでの抵抗を試み、二の舞となった。初めはウレイアスを臆病者の王だと侮っていたが、彼の言葉は正しかった。過言などなかったのだ。



「『百魔斬り』の英雄も歯が立たないか」

「我ら連合王国の精鋭騎兵は壊滅した。もはや抵抗できる戦力などいない」

「聖石寮の術師も早々に全滅。残っているのは近衛くらいなものか」

「街は治安も酷いと聞く。誰も外に出ることが叶わず、物価は上がるばかり。食べる物を求めて犯罪が横行しているとか」

「軍の指揮系統も機能しておらん。敵軍に降伏する部隊は日に日に増えるばかりとか」



 もはやベリアは耐久限界を超えている。

 不死属に包囲され、戦力は限りなく消耗させられ、食料倉庫も空になったものばかり。



「覚悟は決まったかね?」

「無論」

「では次の降伏勧告を受け入れるとしよう」



 この苦痛が続くくらいならば、死んだほうがましだろう。

 彼ら三国の王たちは死刑すら受け入れる覚悟であった。そして覚悟の通り、ベリアは数日後に完全武装解除しての降伏を受け入れる。

 ベリア連合は一足先に敗北を認め、プラハ王国の支配下に入った。

 小国の王たちは捕えられ、処刑の日を待つ身となったのだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る