第461話 ウルへイス奪還戦①


 シュウが潜入した赫魔の宮殿は、内部にほとんど照明がなかった。しかしどういうわけか目視が機能する程度の光はある。この特徴は地下迷宮と共通していた。

 岩石を掘削した、彫刻を思わせる建造物だ。植物由来の素材は一切なく、絨毯すら敷かれていない。芸術的な重みは感じるものの、豪華さとは程遠い。



「王宮っぽい見た目だし、そういう地位の個体が見つかればいいんだが」



 変わり映えのない色合いにうんざりしつつ、それを振り払うようにして声を出してみる。このためにわざわざ魔術で音を遮断する程度の手間は惜しまない。そもそもマザーデバイスが自動で術式制御してくれるので手間ですらないのだが。

 この宮殿は各所に人型の赫魔が配置されており、警備を行っているような仕草が散見される。本当に警備しているのか、細胞に残る記憶を再現しているだけなのかは分からないが。

 シュウはひとまず、下へ下へと降りていくことにする。床をすり抜けて下っていると、不意に広い空間へと出た。そこはこれまでより一層光が強く、部屋全体がはっきりと見渡せる。陰鬱とした不気味さとは一転した色合いであった。

 部屋の中央にあったのは一つの樹である。

 鮮やかな緑の葉を茂らせ、宝石のように美しく赤い果実を実らせている。



「悪趣味な」



 だがシュウはそれを綺麗だとは思わなかった。

 何故ならこの樹の幹には何十人もの人間が張り付いていたからだ。いや、樹に取り込まれているという表現が相応しいのかもしれない。人間を養分にしているとしか思えない風貌なのである。

 もう少し近づいて観察しようと思い始めた時、一段と強い魔力の接近に気付いた。

 そこで気味の悪い樹の観察を中止し、こちらに向かう何者かの存在を待った。



「偉大なりし女王レギーナよ。今日の果実も麗しく実っております」

「ふん。そのようだな」



 シュウが目にしたのは三体の赫魔であった。

 その内の二体は赤い細胞を全身鎧に擬態させた個体だった。深紅の鎧をまとった人間ではないかと見間違うほど精巧な擬態であり、よほど多くの人間を喰らったのだと推察できる。そして二体に挟まれた女王レギーナと呼ばれた個体はそれ以上であった。



(色以外は人間と変わりない。そこまで進化していたのか)



 かつて目の当たりにした赫蝋の業魔はまさしく化け物であった。目につくものを喰らい尽くし、全てを取り込もうとしていた。

 これだけ人間に近しいのだとすれば、よほど人間ばかりを捕食したということだろう。驚くばかりの偏食である。そして人間を襲い、攫っていた理由もよく分かる。



「今日も人面樹の養分が届きました。ご指示通り、苗木のために活用しております」

「ふむ。もっと増やすのだ。この樹は人間を養分とし、その血肉を果実に変える。そのまま食すより遥かに多くの血肉を喰らうことができる。より多くの人面樹を作るのだ。妾たちが滅びぬために。妾がより美しくなるためにな」

「はっ! 女王レギーナの仰せのままに」

「任せるぞ。忠実なる騎士エケスよ」



 そう語る女王レギーナは人面樹に実る赤い果実をもぎ取り、口元に運ぶ。齧られた果実はその中身までも深紅であり、血のような果汁を滴らせていた。

 食べ尽くし、指に付く果汁を舐めとりつつ女王レギーナは告げる。



「預言があった。妾に相応しき黄金の力が地上にあるという。それさえあれば忌まわしき魔族など容易く打ち滅ぼし、この人面樹の養分にできるだろう。分かるな騎士エケスよ」

「承知しております」

「ご用命のままに。我らが女王レギーナよ」

「ならば進撃せよ。全ての騎士エケスに命じる。黄金の力を持つ人間を刈り取り、その力を妾に献上するのだ。これは導きの預言である。故に妾も戦場に出よう。そう、これは第一歩なのだ。妾が覇者となり、世界で最も美しい存在として君臨するためのな」



 そう語る女王レギーナの胸元には青く輝く石があった。

 また全ての様子をシュウがジッと眺めていた。



(預言……やはりそういうことか)










 ◆◆◆








 プラハ王国はベリア連合を陥落させるため、軍の多くを東方に送り込んでいた。主力である黒魔術師団は国内の防衛戦力を除き、ほぼ全てを送り込んでいる。がら空きになる北部は同盟国たるアルザード王国を頼りにして、また傭兵を雇うことで戦力の補充を試みていた。

 だがその方針は容易く崩れ去る。

 アルザード王国の裏切りが起こったのだ。ルーイン王国の侵略から守ってくれていたアルザード軍が突如として反旗を翻した。それによってウルヘイス地方がほぼ占拠されてしまったのである。



「陛下、一度ベリアに向かわせた軍を撤退させましょう」

「それでは遅すぎるだろう。セフィラが言うにはウルヘイスの女神像は破壊されたそうだ。《導護ゾディア》を使うにも、あれは目標地点に女神像がなければならない」



 ローランは国防省の上層部を集め、緊急の対策会議を開いた。 

 しかしながらこれといった対策はない。ウルヘイス地方の惨状について情報共有が行われたのみであり、そこからは進展がなかった。



「他から防衛戦力を集めようにも、今度はそこが危険に晒される。やはり……私が出るしかないか」



 プラハ王国に残る兵力としては、王都の守護くらいしか余力を残していない。王都から街道で繋がる全ての都市に黒魔術師団の防衛戦力が配備されているので、すぐに落とされる心配はない。だが北方を守るにはどこかで危険を冒すしかない状況だ。

 アルザード王国から裏切られた以上、万全など存在しないのだから。



「彼の国に駐留していた大使たちも気になります。何の情報もないのでしょう?」

黄金王ミダスイジャクト……何という恥知らずな男だ!」

「私も以前お会いする機会に恵まれましたが、穏やかでこのようなことをする方には見えなかった。何か事情があるのでは?」

「重要なのは我らが王を裏切った許しがたい行いだ。あちらの事情など考慮に値しない」

「落ち着けお前たち。国と国との在り方は外務省が考えてくれることだ。国防省に求めるのは北部奪還と防衛について。さぁ、続きを話そう」



 白熱しかけた会議の場を落ち着かせるため、ローランは少し大きな声を出す。

 防衛と奪還についてどこまで話しただろうか。少しだけそれぞれで思い出す時間が流れる。一番に口を開いたのは国防省長官だった。



「我が王が自ら出陣なさる、と仰いましたな」

「ああ。それが最善だと考えている。ゲヘナの鋲を解放するつもりだ」

「かつて神々が不浄大地を地獄へと封じ、そこを開く鍵を王に託されたという。まさに生ける神話。それを解放されるのであれば、王に仇為す者どもは自らの過ちを理解し、激しく後悔することでしょう。私は王の雄姿を目にしたく思っております」



 長官の言葉に他の者たちも次々と頷き、同意する。

 この場にいる者たちはローランを英雄だと信じている。それは眉唾でも伝説でもなく、歴史の事実が証明していることだ。女神セフィラと契約して滅びかけていた国を救い、神々と共に不浄大地を消し去り、プラハ王国を百四十九年も統治し続けている。

 そして今回も、窮地に陥ろうとしているプラハ王国を救い新しい伝説を歴史に刻むことだろう。

 皆がそう信じていたのだ。

 その後は細々とした部分を話し合い、すり合わせを完了させて会議は決着する。



「では方針をまとめます。東方に派遣しているベリア侵攻部隊はそのままに、北の奪還と守りは王都の戦力を使用します。またローラン王が自ら出陣なさるとのことで、国民を力づけることにもなりましょう。国防省は宮内省と連絡を密に、部隊編成を急いでください。また外務省と連携し、アルザード王国の内情も探ります。可能ならば大使も救出する必要があるでしょう」



 王の書記官が議事録を読み上げ、会議の内容をまとめる。

 これはある意味で最悪の事態と言えるだろう。封じておくことに意味がある、ゲヘナの鋲を解放しなければならない事態になったからだ。しかし護国のために躊躇う理由もない。

 おそらくこの世に恐ろしい光景が具現化する。

 ローランはそんな確信があった。







 ◆◆◆







 プラハ王国にとってアルザードの寝返りは致命的だった。一方で聖守の奪取を目的とするシュリット神聖王国からすれば最大のチャンスとなる。プラハ王国は戦力の多くをベリア連合王国に差し向けており、北部はアルザード王国の離反によって守りが崩れたからだ。

 戦力の集中は戦略の基本。

 そして兵力の薄い場所を見出し、勝ち得る戦力をぶつけることも戦いの定石である。



「よくぞ来られました! あなたが聖石寮の第九席殿ですか」

「如何にも。九聖の第九席アイコスと申します。そしてあなたは黄金王ミダスグレゴリオンですね。邪教にかどわかされた先代王の統治を破った偉大な王だとか。聖教会最高神官様からはあなたに大神官の位を授けると言葉を預かっています」

「なんと! それは身に余る光栄です」

「ご謙遜を。私はグレゴリオン陛下にこそ相応しいものと確信しておりますよ」



 聖教会は聖石寮に対し、新しい柱となる戦力を組織を要請した。聖守不在という状況に対して、多くの人々が不安を抱えていたからである。かつては聖守親衛隊のような組織があった。しかしそれは聖守直属の術師という立場であって、聖守が変われば消える組織だ。

 だから聖守に依存しない術師の上位集団を組織することにしたのだ。

 それこそが九聖である。

 アイコスと名乗った彼はその内で最弱を意味する第九席の地位にある。しかしながら並の術師と比較にならないほど強大な力を手にしている。



(まさかこれほどとは……)



 初め、グレゴリオンは少しばかり侮っていた。

 国を正しい形に戻した英雄たる自分のために現れたのが、九聖の最下位だったのだから。しかしこうして直接目にしてみれば『格』というものを感じ取ることができる。思わず腰に差した蝕欲ファフニールに意識を向けてしまったほどに。



「さて、私がここに来たのは他でもありません。神を名乗る邪悪な存在を祀り上げる者どもを討ち滅ぼし、真の教えを広めるためです。このアルザードで貴方様が……黄金王ミダスグレゴリオンが成し遂げた偉業と同じことを、プラハの地にもたらすためです」

「素晴らしい。ウルヘイスの丘陵地は奴らの隙を突いて占拠することができました。手に入れた食料はシュリット神聖王国にも輸送する手筈を整えております。そして聖石寮の最高戦力たる九聖がいらっしゃるなら、残るプラハの領土も占領することができるでしょう。我々の抱える食糧問題は、あの豊かな地によって解決されるはずです」



 シュリット神聖王国は聖守を取り戻すため、我慢の二年間を過ごした。先代聖守ティアが魔族に殺され、よりにもよって次の聖守はプラハ王国の王族である。そしてこの間にも平穏が訪れることはない。魔族による襲撃は少しずつ減っているが、代わりに魔物や赫魔による襲撃が増加傾向にあるのだ。

 だからヴァナスレイの聖石寮本部は力を蓄えることにした。

 お蔭で術師は充実し、聖石の量も増えている。更には九聖という強大な力を行使する術師も揃った。

 そしてプラハ王国は多くの戦力を東部に派遣し、攻めるには絶好の機会となっている。



「ベリア連合が引き付けてくれている間に、こちらも決着を付けましょう」

黄金王ミダスの名において全軍に命じます。今こそ邪悪なプラハを討ち滅ぼすときです」

「ええ。同じくルーイン王国にも聖石寮の使者が訪れ、軍を用意してくださっているはず。プラハ王国に救いの光をもたらすまたとない機会です」



 ここにシュリット神聖王国、アルザード王国、ルーイン王国による連合軍が結成される。隙を突いて占領したウルヘイス地方を拠点に、一気に南下する計画となっている。

 近い内に三国の兵士は集結し、休む間もなくプラハ王国を攻め立てるだろう。

 彼らは圧倒的な兵力差を理解しているため、勝利を疑っていなかった。








 ◆◆◆








 ウルヘイスの丘陵地に集結したシュリット神聖王国、アルザード王国、ルーイン王国の連合軍は、夥しい数を誇っていた。見渡す限り陣地が広がり、三国の紋章が旗として掲げられている。一部では聖石寮の術師たちが統一された衣服をまとい、同じく旗を掲げていた。

 聖石を持たない一般兵が六万三千。

 洗礼により自分の聖石を手に入れた軍属術師が一万六千。

 そして九聖の一人、アイコスの率いる聖石寮の高位術師が千五百。

 普段は対魔族の戦力として外に出されることはないのだが、今回ばかりは惜しみなく投入した。その補完のために他の九聖が術師たちと共に各地の拠点に配置して魔族や魔物、また赫魔の備えとしている。これは多少のリスクを冒してでもプラハ攻略に戦力を注ぎ込み、短時間で勝負を決するという戦略によるものだった。またウルヘイスを占拠したことで多少の改善は見られたが、食糧問題は未解決である。早急にプラハ王国の安全で豊かな土地を手に入れる必要もあった。



「想像を遥かに超える戦力差、というわけか」

「だね」



 総勢八万を超える敵軍に対し、王都アンブラから発ったプラハ王国軍は僅かに五百人。その全てがクリフォト術式を操る黒魔術師だが、地獄の不死属を召喚したとしても数的格差を補うのは難しいだろう。

 だからこそ、戦場にローラン自ら現れた。

 しかも豊穣の女神として崇められるセフィラも共にいる。



「砦がなかったら本当にどうしようもなかったんじゃないかな」

「重要な場所にはもしもに備えて砦を用意させていた。ひとまず私たちはここを拠点にウルヘイスの奪還と敵軍の撃退を目指す。偵察兵の報告が事実なら、一計を案じる必要はあるだろうが……」

「ゲヘナの鋲を解放すればすぐに決着がつくと思うけどね」

「だからこそだ。ウルヘイスには多くの民がいる。それにお前との出会いの地だ。あまり地獄の炎で汚したくはない」



 不浄大地を封印し、地獄として異空間へと縫い留めた。それを成したのがローランへと託されたゲヘナの鋲である。解放すればクリフォト術式とは比較にならないほど膨大な黒炎と不死属を召喚することができるだろう。

 とはいえ、数の差は甘くない。

 百倍以上の数的な差は想像を絶する不利なのだ。

 万全を期すため更なる策を講じる。



「総力戦だ」

「うん。全ての人の祈りが私に届いている。それを分けてあげるよ」



 新しい精霊秘術、セフィロト術式《御座ヴェッラ》。

 かねてより開発され、ようやく実用化へと至った術式である。セフィラの張り巡らせた『接続』の魔導を介して魔力を集め、再分配する。これにより国民の祈りがそのまま兵士の力に変換されるようになった。



「これだけ魔力があれば、人数差も覆せる」



 ローランは金色の槍を掲げた。

 その穂先には黒い炎が灯り、徐々に巨大化していく。



「力を貸せ。滅びきれぬ亡者たちよ!」



 地獄の蓋が開き、無数の不死属がこの世に現れる。

 黒い炎を纏うそれらは数にして五万ほど。それでも敵連合軍の数には及ばないが、個体の性能は間違いなく上回っている。砦正面を埋め尽くす不死の軍勢が、ウルヘイスに向かって進軍を開始した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る