第460話 地底の王国


 プラハ王国は絶えず送り込まれる暗殺者問題を解決するため、まずはベリア連合王国を征伐することにした。東部に向けて黒魔術師団を動かし、大量の不死属を地獄より召喚した。一人の黒魔術師が複数の不死属を召喚すれば、戦力は何倍にもなる。

 派遣した黒魔術師は千人。

 故に最終的な戦力は不死兵だけで三千ほどもある。ただでさえ死ににくく、しかも再召喚すれば減らされたとしても簡単に補充可能な兵士。決して恐れない忠実な兵士がこれだけ揃っている。



「魔力を捧げよ! 我らが女神に捧げるのだ! 見よ。我々が感じたこともない加護が満たしてくれるではないか!」



 そしてこの戦争のために、セフィラは精霊秘術を最大効率化させた。通常は捧げられた魔力を術式として返す際、幾分かをセフィラが回収している。いわば手数料のようなものだ。しかし今回ばかりはそれを無くして捧げた分の魔力に相応しい規模を発動できるようになっている。

 効率が何倍にも増幅されるわけではないのだが、千人分ともなれば余剰魔力は相当なものとなる。



「不死兵を進ませよ! 我らには万軍をも寄せ付けぬ神々の守りがあるのだ!」



 豊穣の女神セフィラ。

 秩序の魔女アイリス。

 そして冥界の王アークライト。

 プラハ王国は三柱の超常の存在を神と見なしている。そもそも伝承から冥王アークライトが魔物であることは明白だし、セフィラについても霊系の一種なので区分としては魔物だ。また魔女アイリスもかつては人間だったと伝わっている。

 しかし『神』であるかどうかは関係ない。神がいるから人が崇めるのではなく、理解の及ばない超自然の存在を人は神と呼んでいるに過ぎないのだ。

 プラハ王国にとってこれらの神々は豊かさを与え、死をも支配してくれる存在である。だからこそ契約を交わしたローラン王は神聖視されるのだ。



「我らには豊穣を! 敵には滅びを与えたまえ!」



 戦争の準備を整えたプラハ王国は遂にその力を解放する。

 ベリア連合王国の内、ウレイアスと呼ばれる小国は僅か八日で陥落することになった。









 ◆◆◆








 プラハの東方に位置するベリア連合王国は、三つの小国から成り立っている。それぞれウレイアス、カルト、テメグラスという小国で、それぞれに王家が存在しているのだ。かつて魔族による滅亡の危機に晒され、復興のために連合王国としての在り方を選んだ。

 だがプラハ王国の反抗作戦によって三つの内の一つが落とされてしまった。ウレイアス王都は不死の軍勢によって破壊され、王はそこから亡命する羽目になったのだ。



「おのれ! おのれおのれおのれ! 邪悪な王国め!」



 中央都市ベリアまで逃れたウレイアス王は苛立ちを露わにしていた。王のために用意された金の盃を床に叩きつけ、剣を手に取って水の壺を破壊し、献上された木像の芸術作品をも切り倒した。息が上がるまで怒りを放出し、ようやく収まったのはそれからしばらくの後。

 手にしていた剣を投げ捨て、その場で頭を抱える。



「あんな……あんなもの、どうしろというのだ」



 彼は王都から脱出する際、押し寄せる不死身の軍勢を目の当たりにしてしまった。聖石による攻撃もほとんど意味をなさず、地獄の炎を纏った不死者たちは瞬く間に王都を蹂躙した。

 不死の軍勢は大きく分けて二種類あった。

 一つは普通の魔物と変わらない個体。そしてもう一つが問題の個体である。それらは黒い炎を身に宿しており、魔術攻撃が全くと言っていいほど通用しなかった。しかも触れるだけで黒い炎に焼かれ、兵たちはこの世のものとは思えない絶叫と共にのたうち回っていた。



「わ、私はあんな終わりは嫌だ。あんなものと戦えない……」



 今頃はベリア連合軍としてプラハ王国を撃退するため、軍議が開かれていることだろう。本来ならばウレイアス王も参加すべき会議だが、心労のためと言って部屋に引き籠っていた。

 一般兵では歯が立たない。

 聖石を保有する術師ですら黒炎を纏う不死者には敵わない。



「私は間違っていたのだ。眠っていた化け物を叩き起こしてしまった。怒りを買ってしまった。恐ろしい邪悪な国に歯向かってしまった。私は終わりだ」



 激しく怒ったかと思えば突然泣き始め、そして渇いた笑みを浮かべ、再び怒り始める。ウレイアス王の世話役たちは王の乱心に心を痛め、亡国の王となってしまった彼を労わった。

 あまりにも恐ろしいプラハ軍のことは、ウレイアスからの亡命者たちによってまことしやかに囁かれている。現実離れしたその話を信じる者は半数程度で、残り半数はウレイアスが自分たちの敗北を正当化するための嘘だと考えていた。

 どちらが正しいのか。

 それはすぐに理解されることになる。









 ◆◆◆








 アルザード王国は黄金王ミダスイジャクトの命でプラハ王国に力を貸していた。国としてはプラハと同盟関係にあるので、これは何も間違ったことではない。だがアルザードは内部で複雑な事情を抱えている。というより、実質分裂状態といってもいい。

 聖石寮と聖教会を頼りにする一派と、女神セフィラを信じて豊穣の祈りセフィラ・キエナを実行する一派で対立しているのだ。聖石寮のお蔭で魔族の撃退に成功している一方、豊穣の祈りセフィラ・キエナのお蔭で農地の再生が早くなっている。どちらもあるからこそアルザード王国は保っていられるのだ。

 今代の黄金王ミダスは先代の遺言に従い、プラハ王国に傾倒している。

 しかしそれが我慢できない者たちも多くいた。



「ふん。これで愚かな王の統治も終わりだ」



 聖教会の思想に偏る一派の中で、最も過激な男が叛逆を試みた。

 その男の名はグレゴリオン。彼はアルザード王国軍の百人隊長であり、今日は宴会のため多くの有力者を彼の家に集めていた。

 この催しの名目はシュリット派の人間とプラハ派の人間の融和を図るというもの。会議の場では互いの主張が正反対であるため、とてもではないがまともに進行しない。故に宴会の場で互いに語り合い、思想を理解し合おうという催しなのだ。これは双方の派閥の人間が交替で主催者となり、既に何度も開かれている。流石に宴会の場で紛糾するような無粋はなく、徐々に距離を詰めつつあった。



「グレゴリオン隊長、邪悪に魂を売った者どもはすべて剣によって討ちました」

「そうか」

蝕欲ファフニールの加護を持つ黄金王ミダスも、毒でこの通りですか。しかもプラハより取り寄せた毒で死ぬとは、皮肉なものです」

「うむ。鉱物を精製する際に生じる毒らしい。内臓の病気に見せかけられる」

「正当な王位継承のためにも、病死と公表した方が都合もいいですから。有象無象はどのようにでも隠せますが、王の死を偽るのは困難です。謀殺を疑って様々な派閥の医者に調べられてしまいますから。そして軍の中で最も武勇に優れるグレゴリオン隊長が次の王になることは確実……」



 深く頷くグレゴリオンは、遺体となったイジャクトから一本の剣を取り上げた。鞘から抜き放てば黄金の輝きを見せる刀身が彼の顔を映す。それによって不必要に笑みを浮かべていたことに気付いた。



(本当に上手くいった。全ては夢のお告げの通りだ)



 今回のことでグレゴリオンの邪魔になる者たちは全て始末することができた。そして黄金王ミダスにさえなってしまえば、更なる強硬策を執行することもできる。



「動け、あまり時間はない」

「承知しました。まずは偽造したイジャクトの遺言書を公布し、グレゴリオン隊長を正当な黄金王ミダスとして認めさせます。その後は隊長の……いえ、黄金王ミダスグレゴリオン陛下のお心のままです」

「まだ確定ではないがな」

「異議を唱える連中も王選闘戯おうせんとうぎで勝てば何も言えません。隊長の実力であれば負けはないでしょう」

「うむ。それとプラハの連中に情報を制限するのだ。奴らに行動の余地を与えるな」

「はっ」

「全ては偉大なる星盤祖マルドゥークの御心のままに。それを忘れるな」



 それはまさしくクーデター。

 内部分裂を起こしかけていたアルザード王国は、その片方が完全掌握を成し遂げる。いわゆるシュリット派により、プラハ王国との同盟は破られることになった。








 ◆◆◆








 迷宮山水域は地上にまでその影響が進出している。空間を切り取って自在に独立運営する迷宮魔法のお蔭で氷河期の影響すら無効化していた。かつては西グリニアが安住の地を切り開いていたのだが、現在は魔神の領域となっており、魔族と魔物が闊歩する危険な土地になり果てた。

 心臓部の魔石を砕かれない限り、あるいは魔力が尽きない限り無尽蔵に再生する魔族は一見すると不死身にも思える。だからこそ、対抗するためには魔石を一撃で破壊できる聖王剣が必須で、聖王剣を操れる聖守の存在は欠かせない。

 しかしそんな魔族にも、一つ危険が迫っていた。



「イスカの民が行方不明……?」

「はい。あの地は南部の開拓地でした。家畜ニンゲンを飼育するために集落を作っていたのです。イスカに統治を任せていたのですが、連絡が消えました。確認したところ、集落があったはずの場所はもぬけの殻となっていたのです」

「現場の状況は?」

「争った跡がありました。人間に襲われたのかもしれません」



 報告を聞いた廻炎魔仙フェレクスはしばらく口を噤む。

 だがすぐに首を横に振った。



「いえ。人間が相手というのは考えにくいでしょう。そんな力があるとは思えません」



 魔族は強い種族だ。

 人間に襲われたとしても、一人として逃げることができなかったという状況は考えにくい。フェレクスの脳裏に浮かんだのは冥王アークライトのような理不尽な存在だった。



(いや、まさかそんなことは)



 あの冥王が直接手を下したというのも考えにくい話だ。

 そもそも相手が冥王であれば戦闘跡など残らないほど容易く滅ぼされてしまうに違いない。戦いが成り立っていたことがその証拠である。



(おそらく包囲殲滅されたのでしょうね。実際にイスカの集落を目にしてみないと確実な判断はできませんが……ここはやはり直接確かめるべきでしょう)



 フェレクスは鳥系魔物と融合した業魔族だ。だから空を飛んで移動することができる。彼は業魔族の中でも九尾魔仙アンヘルに次いで知能が高く、バランス感覚に優れている。魔神領域を安定させるべく、すぐに動き始めた。








 ◆◆◆








 山水域南部に開く大裂け目、深淵渓谷は侵入困難な領域となっている。まずその深さは恐るべきものであり、生身で降りようとすれば確実に事故を起こすだろう。《空翔フライ》のような魔術は必須だ。また深い渓谷の底はかつてマグマ溜りだった。有毒ガスも発生しているため無事に降り立ったとしても死を免れることはできない。

 何より危険なのは、渓谷の底が赫魔たちの王国に変貌している点だった。



「技術といい、人間に近い姿といい……それにいつの間にこんな増殖していたんだ?」



 赫魔を追跡していたシュウは、深淵の底で文明らしきものを発見することになった。それは当然、赫魔たちによって築き上げられたものである。

 自壊して魔力を増大させるという性質を受け継ぐため、赫魔たちは常に捕食し続けなければならない。だがその大元になった赫蝋の業魔のもう一つの性質として、捕食した細胞の性質を取り込むというものがあった。だから人間を喰らえば、人間に近しい姿になっていく。そしてそこに宿っていた記憶の片鱗すらも受け継ぐのだ。

 多くを喰らった赫魔が文明を生み出すほど知能を獲得するというのは、当然の帰結ではあった。



(あんな欠陥種族、すぐに自滅すると思ったんだが……)



 常に動物細胞を捕食しなければならないという性質上、長くは生き残れないと考えていた。だからシュウも赫魔のことは放置し続けていたのだ。

 何年経っても消滅する様子がないので重い腰を上げたのだが、予想外の……いや、ある意味で予想通りの結果だったことを思い知らされる。



(これは当たりかもしれないな)



 統率された赫魔の動きから見て、上位種のような個体が存在しているのは間違いない。魔物とも魔族とも言い難いこの存在について、シュウも知っていることは少ない。しかしある程度の性質を引き継いでいると思われるため、赫魔を従えることのできる強個体が出現したという仮説は正しいだろう。

 そしてもう一つ、この不自然さには理由付けができる。



(ダンジョンコア……俺が介入した魔族とは別に、赫魔に目を付けたか。だとすれば色々と説明も付けられる)



 ここまでの追跡も山水域の地下迷宮出入口を通ってきている。如何に赫魔といえど、深淵渓谷を直接昇り降りしているわけではない。つまり赫魔たちはわざわざ迷宮を通って地上まで向かい、そこで食料となる人間を確保して再び地下深くまで降りているのだ。

 非常に効率が悪く、むしろ地上に移住した方が良さそうに思える。知能が原始的であるほど、より効率的な住処へと移動するものだ。つまり、こうして赫魔が深淵渓谷の底で文明を作っていることに何かの意味があると考えるべきなのである。

 シュウは霊体化して浮遊しつつ赫魔たちの住処を観察していく。マグマが湧き出ることもある危険地帯ということもあり、粘土や石で作られた建物ばかりだ。中には岩壁や地面に穴を掘って作った住居まである。文明レベルとしてはそれなりのものに思える。

 だが、その中でひときわ目立つ建造物を発見する。

 まず目につくのが、深淵渓谷の底が更にくり抜かれた深い円形の大穴である。その大穴の底にはマグマが湖のように溜まっており、貴重な光源となっていた。問題はその大穴ではなく、マグマの湖にそびえ立つ巨大建造物である。一つの岩石を削って造り出したような一体感があり、まさに宮殿と呼ぶに相応しい威容であった。

 そこだけ文明レベルが飛びぬけているという点で不自然さが拭えない。



「なるほど。赫魔の王国ってところか」



 折角発見した手掛かりだ。

 宮殿に侵入しない理由はない。シュウは光屈折による透明化魔術を発動しつつ、マグマの上にそびえる宮殿へと向かった。





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