第458話 エンリケの防衛戦②


 エンリケ攻略を指揮するベリア連合王国軍の軍団長アルヘリオスは焦りを覚えていた。本国の軍師に託された作戦によると、間もなく本国から追加の軍が送られてくる。今頃は落としていたはずの大都市に駐留し、攻略戦で減った人員の補充と部隊の再編成を計画しているはずだった。

 何も問題ないと思っていた作戦は思いもよらないエンリケの防衛により阻まれている。

 だからアルヘリオスの焦りは相当なものであった。



「ご報告申し上げます。攻め込まれていた左翼の立て直しに成功いたしました。戦線は一時下げざるを得ませんでしたが、中央から寄せた部隊で厚みを増しております。次の攻撃も問題ありません」

「よし。次の一斉攻勢はどうにかなりそうだな」



 アルヘリオスは手元のカップに酒を注ぎ、口に含む。

 飲み物というより怪我人の消毒に用いるための酒なので、お世辞にも美味いとは言えない。だが彼のストレスを和らげるのには役立っていた。



「破城車の組み立ても完了しました。あまりの防衛戦力に優先度を下げておりましたが、ようやくです。また少量ですが食料調達のついでに油を採取できました。火矢の足しにはなるでしょう」

「術師さえいればそのような工夫も必要ないのだがな」

「それは仕方ありません。ただでさえ精鋭の騎兵を三百も出しているのです。術師までも出せば国の守りがなくなります」

「ふん。シュリットの馬鹿どもめ。少しばかり聖石を融通したからとこちらに厄介事を投げよる」

「アルヘリオス様、今は……」

「分かっておるわ。部隊を前線近くまで押し上げよ。連続一斉攻撃により道を切り開き、破城車を突撃させるのだ。次こそあの壁を破ってくれる!」



 ベリア連合王国の大軍が包囲を開始して七日目。

 これまでにない大規模攻勢がエンリケを襲おうとしていた。









 ◆◆◆







 エンリケから続く街道の先にある宿場町はベリア連合王国によって完全に占拠されていた。プラハの抵抗勢力は皆殺しとなり、物資は強奪され、住人は奴隷の如く扱われた。更には人々によって重要な女神像も多くが切り倒され、あるいは燃やされてしまった。

 しかしプラハ王国もそれを放置するわけにはいかない。

 黒魔術師団を派遣し、宿場町の奪還と敵軍の撃滅を試みた。



「我に続け! 勇士たちよ!」



 宿場町の守備を任務とする精鋭騎兵は角笛と太鼓によって巧みに陣形を切り替え、突撃と撤退を繰り返す。『百魔斬り』の英雄オルディナスは自ら前に出て槍を掲げ、不死属を討伐した。



「オルディナス隊長! 左から新しい不死属が現れました! 数はおよそ二百!」

「何? こちらの隙を突くように……仕方あるまい。貴様が四十を率いて離脱し、新しく現れた敵を足止めせよ」

「はっ!」



 彼らはプラハ王国の黒魔術師団を知らない。

 だから突如として現れた不死属を魔物の襲撃であると判断していた。占領した宿場町はエンリケを攻めるベリア軍本隊の後方を守る要である。誰が相手であろうと手放すわけにはいかない。不本意ではあるがオルディナスとしては街の守護をする他ない。



「あれはまさか……死骨騎士スカルナイト!」



 更にはオルディナス率いる百騎の正面より新たな不死属の一団が現れる。死骨騎士スカルナイトと呼ばれる種だ。骨の騎馬を駆り、突撃力に優れる厄介な魔物である。中位ミドル級に属するため、一体でも出現すれば軍や術師の出動によって対処しなければならない。

 それが群れという形で現れたのだ。

 これにはオルディナスですら冷や汗を流す。彼の異名『百魔斬り』が英雄の名として知られるようになったかつての戦い以来の緊張であった。

 だが命が惜しいからと引くわけにはいかない。

 手信号を出すと少し後方を走る者に合図が伝わる。すぐに角笛が規則正しく鳴らされた。



「気力を振り絞れ! 死骨騎士スカルナイトを討つ!」



 長く馬上で戦闘を続けていることもあり、隠しきれない疲労が滲み出ている。

 戦いの興奮がそれを誤魔化しているものの、限界は近い。オルディナスはそのことをできるだけ考えないようにしつつ、目の前の敵に集中した。








 ◆◆◆








 プラハの北部に位置するウルヘイス地方では断続的な襲撃が行われ、住民たちは日々恐れながら過ごしていた。元からウルヘイスの丘陵地一帯は食料生産の土地として開拓されており、ある程度の防衛戦力が整っていた。

 しかし土地の広大さからすれば心許ない。

 そもそもプラハの軍も民衆を守るために存在するのであって、その他は優先度が低い。土地の広さに相応しい戦力であるかどうかという意味では、残念ながら不足という他なかった。



「全く容易い仕事だ」



 プラハ王国を襲い続ける一団のリーダーがそう零す。

 彼らは一撃離脱を何度も繰り返し、略奪を繰り返した。余裕があれば人間も攫い、労働力にした。その一部はへと輸送もしている。



「そろそろ移動のお時間です。この天幕も畳みます」

「もう、か。分かった私も出立準備しよう。必要物資はルーインの土地まで無事届いただろうか」

「はい。間違いなく。代わりとして長老たちが追加の聖石を送ってくださいました」

「であれば、略奪もより容易くなるというものだ」



 ルーイン王国より派遣されたこの者たちは、プラハ王国を攻め落とし聖守を奪うことを目的としている。そうして手柄を立てればシュリット神聖王国はルーインを更に支援しなければならなくなるだろう。戦力を求め続けるルーインの長老はこの戦いをチャンスだと捉えていた。

 同時に、これは絶対に成さなければならないことだとも考えていた。



「移動後は次の戦いを仕掛ける。最近は抵抗も激しい。別の場所を狙う必要があるかもしれない」

「攻め口を変えるということですか?」

「うむ。充分に引きつけることもできただろう。もう少し暴れれば戦力がこの辺りに集中されるはず。いずれは奴らの中心地域の守りが薄くなる。その時こそ浸透し、聖守様を奪う。あわよくば土地も奪う予定だったが、それは難しいようだ」

「承知しました。調査に行っている者の報告次第となりますが、より深く潜り込みましょう」



 彼らルーインの民は土地を渡り歩く遊牧民族だ。特定の家を持たず、天幕を立てて生活する。軍事行動をしている彼らも、普段は家畜の世話をする者たちだ。しかしひとたび戦いとなれば剣を取り、あるいは槍を握って戦う。ルーイン人は特定の軍を保有せず、一方で全ての男たちが戦える。



「ゆくぞ。愛すべき同胞のため、私たちは戦わなければならない」

「はい。血を分けた一族の繁栄のために」



 ルーイン人はどんな険しい土地をも踏破し、血族のために命を懸ける。

 軍事行動に優れた民族性であるといえた。

 彼らは荷を畳み、移動を開始する。その目的地はを拷問して聞き出したプラハの王都。聖守となった王族フレーゼがいるはずの場所だった。








 ◆◆◆






 エンリケ攻略のために死力を尽くすベリア連合軍は、遂に大規模攻勢を仕掛けていた。軍団長アルヘリオスの号令により角笛が鳴らされ、激しく太鼓が叩かれ、各地で旗が振り回される。兵士たちは組み立ての完了した破城車を力いっぱい押し、城壁を破壊するべく勢いを付けた。

 当然ながらそれを防ぐべく、エンリケ城壁の上に設置された迎撃兵器が激しく稼働する。勢いよく青銅の槍が射出され、あるいは内側に油がたっぷり注がれた砲弾も投石機によって投げ出されている。それらはベリア連合の攻勢を挫く威力を誇っていたが、数が違い過ぎた。



「押せ押せ! 破城車コイツをぶつけてやれ!」



 破城車の上で太鼓を叩く工作兵は高さを利用してエンリケの動きを観察しつつ、太鼓によって破城車を押す兵士たちに指示を出す。

 攻城兵器は集中して狙われやすく、激しい攻撃により兵士たちは次々と倒れていた。しかしそうして生じた屍を踏み越え、後続の兵士が破城車を押し続ける。



「進め進め! あの化け物共は現われんぞ! これは好機だ!」



 そして何よりもベリア連合によって都合が良かった点として、今日に限ってエンリケから不死属の軍団が出現しなくなったのだ。数が少ないなどというレベルではなく、皆無なのである。

 急所を槍で突こうとも、四肢を切り落とそうとも不死属は止まらない。完全破壊するまで動きを止めない化け物の相手をしなくても良いのだから、兵士たちの顔も幾分か明るく見えた。

 好機であるという情報は伝言ゲームの要領で部隊から部隊へと伝わり、後方の本陣にまで伝達されるまでそれほど時間はかからなかった。これによって軍団長のアルヘリオスは全部隊の前進を命じた。陣形を丸ごと前に進め、エンリケに対する圧力を強めるのだ。

 防御を考えない攻撃に集中する陣形が功を奏したのか、次々と破城車がエンリケ城壁へと到達する。その間におよそ千人の兵士が斃れた。



「城壁を壊せ!」



 破城車は攻城を目的とした巨大兵器だ。人力で押して城壁に直付けして使用する。ある兵士は破城車の下部にある青銅の輪へと木の杭を通し、槌で打ち付けて固定した。その間に上に乗っていた兵士たちが破城車を壊されないよう柄の長い槍や弓矢で城壁の上を攻撃する。しっかりと固定して準備が整った段階でようやく破城車は効果を発揮する。



「引けええええ!」



 号令と共に兵士たちが破城槌を引っ張った。先端が鉄で覆われた巨大な槌を振り子のように叩きつけるのがこの兵器だ。石の壁であろうと数回も叩けば貫ける。

 その第一発目がエンリケ城壁へと打ち込まれた。

 これによって城壁が僅かに揺れ、表面に亀裂が走る。飛び散った破片で幾人かの兵士が怪我をしたものの、そんなことを気にしている暇はない。即座に二度目を打ち込むべく破城槌を引き始めた。十人以上の兵士が力を合わせて限界まで引き、掛け声一つでそれを押し込む。槌はかなり深くまで城壁を抉り、たったの二回で表面がかなり崩れた。



「よし! 次だ! 次でぶち壊してやれ!」



 休む間もなく三度目の準備を始める。

 周りを見渡せば他の破城車はまだ城壁に到達しておらず、自分たちが一番乗りの功績を打ち立てられる可能性は高い。そしてもしもそんな功績を手に入れれば、他より優れた褒美と栄誉が与えられるはずだ。何よりも真っ先に城壁内へと乗り込んでしまえば、略奪品も選び放題である。

 そうした『ご褒美』が待っているからこそ彼らは命を懸けて前に進む。死ねば終わりだが、生き残って功績を打ち立てれば、取り立てられて今よりいい生活ができるかもしれない。

 武勇によって前へ進むほどに彼らの未来は開ける。



「よし、行け!」



 シンプルな掛け声によって三度目が放たれる。

 そしてこの一撃はどこか衝撃が軽い気がした。兵士たち全員が感じたその感覚は、すなわち破城槌が貫通したことを意味する。彼らは顔を見合わせ、雄叫びを上げる。そして槌に括りつけたロープを引き抜いた。何度も破城槌を叩きつけたことで城壁には亀裂が走っており、かなり脆くなっている。槌を引き抜いた拍子に大きく崩れてしまい、勇んで前にいた兵士が数人ほど巻き込まれてしまった。

 だが他の兵士たちは怯むことがない。

 城壁だった瓦礫を登り、いよいよエンリケへと乗り込もうとする。城壁が破壊されたことは一目瞭然だったので、何百もの兵士が破損した城壁に向かって進み始めた。崩れた部分を登って乗り越え、後続も罵声を浴びせながら自分の番を待つ。



「早く行け!」

「まだなのか!」

「いいから手を動かせ、瓦礫をどかせ!」

「どけろ。俺がやった方が早い!」

「なんだと!?」



 ある者は仲間を踏みつけて瓦礫をよじ登ろうとすらしている。そうした兵士は怒鳴られ、罵声を浴びせられるが気にする様子はない。他の兵士を足場とし、時に押し倒してまで先に進む。ここから先は早い者勝ちの世界だ。

 最も早く城壁内へと切り込み、敵を討ち取り、望むものを略奪する。

 大きな物は軍に徴収されてしまうが、小さな宝飾品くらいならばバレずに隠し通せる。小金を稼ぐために隠しポケットを作ったり背負い袋を用意している兵士すらいるほどだ。そして味方を踏み越えて瓦礫を登り切った、この欲深い男もそういったクチだった。



「オオオオオ! アアアオオオ!」



 彼は人の言葉を捨て、獣のように叫んでついに登り切る。

 しかし次の瞬間、彼は黒い炎に包まれて悲鳴を上げた。そのままバランスを崩して倒れ落ちてくる。兵士の幾人かは巻き込まれ、黒炎が燃え移ってしまっていた。

 それをきっかけとして壊れた城壁周りに黒い炎が次々と浮かび上がる。それらは破城車や城壁に取り付く兵士たちへと燃え移り、慌てて引こうとする。しかし城壁内へと攻め込むべく千人を超える兵士が崩れた一か所に向けて押し寄せていたのだ。無理に引き返そうとすれば、それは恐ろしい転倒事故へと繋がる。

 我先にと逃げる兵士は倒れた仲間を踏み越え、そしてさらに踏み越えられ、たった一つの恐怖によって凄惨な現場へと変貌してしまった。武装した屈強な男たちが踏みつけにするのだ。下敷きになってしまった者は容易く命を落とす。

 そうして背を向けたベリア連合軍を追撃するべく不死属の群れが現れる。



「ば、馬鹿な。誘い込まれたというのか……」



 破城車の上に乗っていた部隊長は一部始終を目の当たりにしていた。

 壊された城壁の向こう側にはプラハ軍が待ち構えていたのだ。そしてこれまでベリア連合軍を苦しめ続けてきた不死属軍団は城壁の内側で待機させていたのである。こうして誘い込み、逃げられない状態にしてから確実に迎撃するためだ。

 そして部隊長の乗る破城車も既に黒炎で覆われ始めている。

 下は兵士たちが他を顧みず逃走を試みており、不死属の軍団もそこに混じっている状態だ。安易に降りようとすれば巻き込まれ、死んでしまうだろう。だからといって留まれば黒い炎に焼かれる未来が待っている。

 だから彼は絶望を浮かべて最期の瞬間まで立ち尽くしていた。







 ◆◆◆







 後方にて吉報を待つアルヘリオスは機嫌よくカップを傾けていた。その中身は上官のみが口にすることを許される綺麗な水である。ここでじっくり陣を構える際、幾つか井戸を掘った。残念ながら当たりは一つしかなく、その貴重な水は上官にだけ利用の権利が与えられている。

 本来ならばその重要な井戸は陣形の中央付近で守られるべきもので、総大将たるアルヘリオスのいる本陣天幕同様、全方位に兵を配置して守護させていた。しかし今だけはそれらの兵士を全て前に出し、エンリケを落とすために守りを捨てていた。



「さて、あとどのくらいであの都市は落とせるか」

「今日の内には決着がつくかと。何とか間に合いそうです。援軍を受け入れるだけの用意が」

「ふん。予定以上に兵を損耗してしまったがな」



 一万五千もいた兵士が、今は一万ほどにまで減らされている。割合としては三分の一が壊滅したことになるわけだ。これはアルヘリオスの失態として報告されてしまうだろう。しかしエンリケを落とせないよりは遥かにマシである。

 プラハ軍が不死属の兵団を出してこない今日こそが最後のチャンスだ。そう考えて背後の守りを捨て、全ての兵を前進させた。後方は精鋭騎兵団が宿場町を占拠することで守ってくれているはずなので、問題ないだろうという判断だった。



「アルヘリオス様!」



 後は勝利を待つだけだと考えていた彼の元に伝令兵が訪れる。すっかり息を切らしており、アルヘリオスの前までやってきてからも少し呼吸を整えていた。ようやく一息ついた後、彼は一気に捲し立てる。



「城壁で敵の激しい反撃が! 最前線は混乱状態にあり、味方同士での殺し合いにまで発展しています!」

「な、なんだと!? どういう――」



 そしてアルヘリオスが驚愕を露わにしている最中に新たな伝令兵が入ってくる。



「緊急! 緊急です! 後方より大量の不死属が現れました! もはや数え切れません!」

「―――なァッ!?」



 言葉も紡げない。

 よりにもよってこのタイミングで後方から魔物の出現である。本陣の守りとして配置していた兵士もエンリケ攻略の大詰めとして送り出しているのだ。つまりここを守ってくれる兵士はいないということである。それこそ本陣守護の二百ほどだけで数えきれない不死属と戦わなければならないということになる。



「そんな! オルディナスたちは何をしていたというのですか!」

「いや、にも例の街とここの間で魔物が大量発生したということも……」

「流石に無理があるぞ! しかも不死属だ。プラハの連中が使った闇の呪いに違いない!」

「ああ、その可能性が高い」

「問題は対処です! ここにいる二百の兵でどうやって不死属の群れを撃退するかです!」



 士官たちは慌てて陣形を示したテーブル上の駒を動かし、議論を開始する。既に前へ出してしまった兵士を戻すということが最善手なのだが、どうしても間に合わない。

 一度動かした兵士をもう一度動かすためには、まず伝令兵を動かさなければならない。既に不死属がここに迫っているという状況では一手遅くなってしまうのだ。



「どうしても間に合わない。ならばここにいる二百を殿軍としてアルヘリオス様を逃がし、前線と合流。そして離脱だ。撤退……いや、全てを捨てて敗走しなければだめだ!」

「な! そんなことをすれば私は!」

「決断してください軍団長閣下! ここで全滅するおつもりですか!」

「ぬぅ……撤退だ!」



 あと一歩のところで逃した勝利。

 それはアルヘリオスに苦い記憶を植え付けることになった。




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