第457話 エンリケの防衛戦①


 プラハ王国の東部に存在するエンリケという都市は、鉱石の採掘と加工が盛んな都市だ。採掘できるのは主に銅鉱石だが、他から採掘してきたスズと合わせて青銅の製錬も行っている。青銅は主に一般市民が使う金属だ。比較的安価で、尚且つ銅より腐食しにくい。

 つまり国を運営するうえで経済的に重要な都市の一つと言える。

 ここで生産された青銅、あるいは青銅器は街道を使って各地へと輸送される。しかし街道が整備されているとはいえ、日が出ている間に運びきることはできない。重量もかなりのものなので、どうしても移動に制限がかかってしまう。そこで必要とされるのが宿場町の存在だ。

 都市から都市へ輸送の中継地として街道の途中には幾つも街ができた。そこはほとんどが宿と倉庫なので街単体としての重要度はそれほど高くない。しかし戦略的な目的でこの地を押さえられた場合、この宿場町と繋がる全ての都市機能が麻痺しかねない重大事態へと陥ってしまう。



「流石ですオルディナス隊長。こうも容易く占領してしまうとは」

「しかもここは倉庫街です。軍師たちの言葉通り、備蓄も充分過ぎるほどでした。調べさせましたが籠城するとしても四十日は問題なく可能なほどです」

「プラハの連中はほとんど抵抗もしませんでしたな。いや、抵抗すらできなかったというべきですか。精鋭騎士の面目躍如といったところです」



 ベリア連合王国軍は機動力に優れた精鋭騎士団によって宿場町を強襲し、そのまま街道を完全封鎖した。その後、一部は反転してゆっくりと進む本隊と合流し、補給を行った。防衛戦力を弱体化させた宿場町はベリア軍の本隊によって容易く制圧され、拠点とされてしまったのだ。

 これによってベリア本国からプラハ王国までの補給路が完成した。機動力と攻撃力に優れた精鋭騎士団の力で防衛戦力を突破し、後から来る本隊でじっくりと制圧する。それが作戦の概要だ。シンプルながら実に有効で、その確かさは結果として現れている。

 ただ精鋭たちの隊長オルディナスは嬉々とする部下たちを諫めた。



「あまり浮かれてばかりもいられんがな。これは奇襲だからこそ成功したのだ。軍備を整え、待ち構えられたら我らではどうにもならない。平原で向かい合っての戦いならばともかく、騎馬は都市の攻略には向かない。私たちの役目は奇襲によってこの街の防衛戦力を削り、制圧し、補給拠点とすることだった。それを忘れて甘く見てはいかんぞ」



 騎兵三百は待機を命じられ、次の出撃に備えている。

 現在は街道制圧も本隊が担っており、ここから繋がる鉱山の都市を攻略するため準備を進めているところだった。



「エリ……エリコだったか……?」

「エンリケです隊長」

「ああ、すまんな。こちらの言葉は発音が難しい。エンリケの攻略はおそらく本隊がやってくれるだろう。時間はかかるかもしれないが、街道を塞いでいる限り敵が補給する手段はないのだから。しかし一方でプラハも街を取り戻すために軍を派遣してくるに違いない」

「間違いないでしょうね」

「そうなった時こそ我々騎兵の出番というわけだ。今の内に英気を養っておけ」

「ええ。皆、思い思いに楽しんでいるようです。ここは私たちが勝ち取った略奪地ですからね。食べる物も寝る所も、そして女も好き放題です。家畜や貴金属、そして使えそうなは軍で接収することになっていますが、それ以外の裁量は任されていますからね」



 占領地に権利などない。

 奪った側が全てを行使できる。ベリア連合王国からすれば、プラハ王国は宝の山だ。食料も土地も家畜も貴金属も、そして人間も奪い放題だ。特に末端労働力は幾らあっても良い。敵国から奪った人間ならば過酷な条件だろうと文句は言わせない。

 聖守の件を建前に国力を増大させるチャンスなのだ。

 しかもプラハ王国は完全に包囲されている。

 連合の勝利は間違いなく、この戦いが終われば報奨金も山ほど貰えるに違いない。油断するなと言いつつもオルディナスですら少し浮かれていた。









 ◆◆◆









「ど、どうなっている!? なぜあの街は落ちない!?」



 プラハ王国の工業都市エンリケは完全に包囲されていた。それを為したベリア連合王国軍の数は一万五千である。投石兵器や機械大弓まで持ち込んだ。特に後者は対魔族用に開発された鉄の槍を射出する攻撃性能の高い兵器である。人間など容易く吹き飛ばす威力を備えていた。

 これだけの兵力があり、エンリケは補給も援軍の目途もない。

 だが一向に落とすことができないままだった。



「アルヘリオス様! 化け物の軍勢に左翼が!」

「またか! 火を放て!」

「無理です。もう乾燥した薪が数少なく、このままでは夜の暖を取るためのものがなくなります!」

「使えと言っている! ここで抜かれれば今夜は訪れんのだぞ!」



 追い詰められているのは連合軍側だった。

 その理由はエンリケに駐留するプラハ王国軍が召喚する化け物たちであった。その化け物は止まることなくエンリケより現れ、死を恐れることなく進み続ける。更には剣で斬ろうが槍で突こうが簡単に死なない。化け物の身体を完全破壊するまで止まらない。

 これによってエンリケは一人の兵士も損耗することなく連合軍を撃退していた。エンリケは青銅の生産を行う工業の都市であると同時に、魔物を撃退する前線でもある。経済的に重要度も高いので都市には防壁が設けられており、籠城も問題なかった。



「くぅ……あのような化け物まで使役するとは」



 このエンリケを落とすため、軍団を任されたアルヘリオスは唇を噛む。

 本来ならば数日あれば奪取できるはずだった。そしてこの都市の人間を使って武具を整備させ、大規模な軍を駐留させる予定だった。先に陥落させた街は特に防備もなかったので制圧も楽な仕事だったので、すっかり侮っていたのだ。



「兵の士気は落ち込むばかりです。『死』より呼び出された化け物を恐れる声は止まりません。心を壊し、陣中で暴れる者まで現れる始末」

「ええい! 役に立たん兵は殺してしまえ!」

「承知しました……」

「忌々しい。昼も夜も絶え間なく化け物が襲ってくる。休む間もないではないか」

「あちらの兵糧が途切れるのを待つしかないのかもしれません」



 アルヘリオスは苛立ちのあまり近くの壺を蹴り飛ばす。それはランタンを灯すための油壷だったので、周囲に飛び散って独特の匂いが広がった。

 だが彼の怒りに触れるわけにはいかない。

 他の者たちは慎重に言葉を選んで諫める。



「どうか落ち着いてください。この都市に繋がる街道は我が軍が抑えています。それに略奪を行った例の街には英雄たちが駐留しているのです。奴らには援軍も兵糧もありません。今耐えることで必ず勝利は叶います」

「その通りです。あのような化け物を使役する国を放っておくわけにいかないでしょう。シュリット神聖王国に報告すれば術師を派遣くださるやもしれませんぞ。こちらは盤石なのですから、何も心配する必要はないのです」

「……まぁ、その通りか」



 多少落ち着きを取り戻した軍団長に皆がホッと胸をなでおろす。

 機嫌を損ねればこの場で切り捨てられかねない。現にこれまで機嫌の悪い彼を諫めた忠臣が何人も処刑されている。



「それで奴らの食糧はどれほど持つ見込みなのだ?」

「あのエンリケという都市は鉱山からぐるりと囲むように城壁があり、一見すると難攻不落に思えます。しかし間諜の調べによりますと、農地は鉱山の麓に存在する程度。報告された広さから計算したところ、都市の人間すべてに食料を賄える収穫はないでしょう。必ず他の都市から輸送しなければなりません。とはいえ備蓄もあるでしょうから、包囲して食料の運び込みを絶ったところで幾分かは持ち堪えるでしょう」

「具体的にはどのくらいだ。具体的な数字を言え」

「はっ、失礼しました。私の予測では三十日から五十日ほどかと」

「長いではないか!」

「しかし彼らも愚かではありません。補給が絶たれたと分かれば食糧配給に制限を敷き、持ち堪えられるように工夫するはずです」



 プラハ王国攻略の起点とするための作戦でしかないにもかかわらず、苦戦を強いられている。速攻を必要とする作戦に対して長期戦を仕掛けるしかないというのは歯痒いものだ。



(勝てる。勝てる戦いのはずだ。だがそれは完全な勝利ではない)



 戦争は各局面において敵を打ち破れば良いというわけではない。適切なタイミングで勝利して初めて戦略は完成する。

 たとえば勢いに任せて進軍し続ければ補給が間に合わなくなり、やがて孤立して大規模な損害を生み出しかねない。それは軍団長を任されるだけあってアルヘリオスも理解していた。



(ここを制圧できなければ後詰の軍が滞る……占領したあの街だけではとても収容しきれんぞ)



 ベリアからプラハまではそれなりの距離がある。大軍勢を移動させ、一度エンリケ付近で駐留させる必要があった。だから軍を三つに分け、三段階の作戦を立てたのだ。

 しかしその三段階目で躓こうとしている。

 他国を侵略するという行為は大変困難なのである。

 予想外の出来事一つで崩れかねないのだから。



「ともかくすぐにあの都市を落とせ!」

「努力いたします」



 時間をかければ勝てるはずなのに、時間をかけることが許されない。

 彼らはそんな歯痒さに表情を歪めていた。








 ◆◆◆







 突如として包囲され、攻撃されることになったエンリケだが余裕があるわけではなかった。魔物対策に駐留している黒魔術師団はクリフォトの精霊秘術を使い、地獄から不死属を呼び出した。《召屍アズラ》という術式であり、消費する魔力に応じた強さの不死属を呼び出して使役できる。

 不死属は破壊されようとこちらに痛みはなく、また黒魔術師団一人で数倍もの戦力を用意できる。しかしながら何も弱点がないという訳ではない。それは魔力消費というどうしようもないものだった。



「そうか。あと三日で限界か」



 エンリケの防衛を指揮する国防省役人が溜息を吐く。

 プラハ王国は各地の都市に省庁の役人を配置し、ある程度の自治を行わせている。王国の制定した法や方針に従い、各都市の特色に合わせた執政を行うのだ。そして魔物の襲来を含め、防衛時に指令を出すのは国防省役人の仕事だった。



「捕虜から情報を聞き出せないか?」

「言葉が通じないものでどうしようも……絵を描かせてコミュニケーションを図っているのですが、精度が低いですね。それに彼らは重要な情報を握っていないように思えます。末端の兵士なのでしょう。元より装備から明らかでしたが」

「やはりか。念のためにとやらせてみたが、もう無意味だろう。処刑して構わない」

「はっ」



 エンリケからすれば意味の分からない事態だった。

 始まりはこの街にやってくる者が現れなくなった事件だった。一日くらいならそういう日もあるだろうということで片付けられるが、三日も続けば不審に思う。そうして調査させようという話になった矢先に包囲されてしまった。

 訳も分からないまま防衛戦の火蓋が切られ、ずるずると状況が引き延ばされている。



「もう四日になります。異変に気付いた国防省が援軍を送ってくださると良いのですが……」

「食料供給は豊穣の祈りセフィラ・キエナもあって問題ありません。何日でも何年でも全ての民に充分な量を供給できると報告を受けています」

「その話は私も聞いている。だが問題は……」

「魔力の回復が追いつきません。《召屍アズラ》による不死属召喚は消耗が激しいですから」

「しかしあれだけの数を相手に直接戦うのは難しい。城壁に設置した対魔物兵器と精霊秘術で戦うしかないのだ。どうにか魔力を急速回復させる方法はないものか……」

「可能性としては《祝祷イース》があります」

「回復用のセフィロト術式か。ああ、なるほど」

「ええ。術式を通して魔力譲渡できないか検討中でした。まだ検討段階でしたから報告には上げていませんでした」



 精霊秘術は歴史が浅く、まだ研究も充分とは言い難い。

 こうして実戦を繰り返さなければ必要を発見できないこともある。しかしその発見が活かされるのは後の話であり、今はあるモノだけで戦わなければならない。それが可能なのが予測ではあと三日という訳だ。



「どうにか三日以内に援軍が到達してくれると良いのだが」

「万を超える敵軍を踏み越えて援軍ですか」

「期待できんのは分かっている。もはや女神様に祈ることしかできないのかもしれないな」



 二人は顔を見合わせ、同時に溜息を吐く。

 祈りが届くか、届かないか。不確定要素に頼るわけにもいかないため、その後も力を尽くして対策を練ることになった。






 ◆◆◆







 軍隊の移動において『道』というものは重要である。

 それは何も考えずとも辿るだけで目的地へと到達できる非常に便利な文明の品だ。道が整備されていれば移動も容易くなり、行軍速度は驚くほど速くなる。一方、どことも知れない野や山を移動するのは非常に危険で、下手をすれば遭難してしまいかねない。

 大金をかけて用意した軍隊がしょうもない理由で失われたとすれば、それは悲劇である。



「……本当に大丈夫なのか?」

「まだ心配しているの? 大丈夫だよ」

「いや、問題ないと思っている。とはいえ本来は無謀な行いだから心配はするさ。何せ、街道を使わず最短で東に向かわせたから」



 プラハの国王ローランは自国が攻撃を受けているという知らせを受けて中央から軍を派遣した。北は既に対応が済んでいたので、問題となったのは東方のエンリケである。しかしこちらは途中の宿場町が占領されているという知らせもあり、エンリケへ援軍を送るためにはまずそこを奪還しなければならない。

 そこで道なき道を進み、宿場町を経由することなく最短距離でエンリケへ到達しようと試みたのだ。

 本来ならば非常に危険な行為である。

 だがその問題は精霊秘術によって解決されていた。



「《導護ゾディア》はちゃんと機能しているよ。明日にはエンリケ周辺に到達すると思う」

「宿場町の方はどうだ?」

「わかんない。女神像がほとんど壊されているみたいだし、感知できないから」

「壊されている、か。やはり聖教会と関係の強いベリアという国なのか?」

「でもベリアの旗を掲げていたんでしょ?」

「それも含めてアルザードに確認中だ。黄金王ミダスイジャクトは我が国に友好的な人物だ。しかし距離的な問題もあるから状況の確認が終わるのはまだ先だろう。それにエンリケの戦局からして精霊秘術も大いに役立っているのだろう? 感謝するぞセフィラ」

「問題ないよ。私とローランの仲だから」



 今回の危機はプラハ王国において戦力増強のきっかけとなった。元から魔物や魔族の対策として軍備は整えていたが、少数精鋭を心掛けたものとなっていた。なぜなら軍備というものは消耗するだけで何一つ生産性がない。魔物や魔族もプラハ王国を囲む三国がクッションとなっているお蔭で出現数も少なく、数は必要なかった。

 しかしその流れは変わりつつある。

 人間という新しい敵を撃退するためには『軍勢』が必要となる。



「セフィラ、例のセフィロト術式は近い内に整備できるだろうか?」

「できればあと半年は欲しいかな。安全装置になる術式が完成しなくて……ママとかお父様だったら慣れているからすぐ完成させられると思うんだけど」

「あまりあの二人に頼るのは良くないことだ。プラハ王国は人の力で強くありたい。時間はかかっても魔力学術統括部と研究を続けてほしい」



 ローランの目指す王国は自ら強くなり、自ら発展するというものだ。

 確かにセフィラは豊穣の女神として崇められているが、実を言えば人との距離感はかなり近い。普段からローランの側を浮遊しているし、新しく加護を与えたフレーゼの所にも頻繁に顔を出している。隙を見て王都繁華街に降りたかと思えば住民から食べ物を貰ってきたり、研究所に出入りして手伝いをしたりと自由奔放な姿が見られるほどだ。

 かつてシュウが技術力を与え、スバロキア大帝国をコントロールしていたのと異なる在り方といえる。

 セフィラもようやく独り立ちして自身の在り方というものを見つけ出していた。




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