第456話 魔神スレイの思惑
聖都シュリッタットは堅牢な石造りの建物が並び、更には都市を守る城壁も存在する。また現在も都市は拡張中でその外にも二重、三重と城壁を広げつつ発展してきた。
多くの術師が滞在し、一般兵も守護についている。
住民は平和を当然のものとして享受していた。
「そうか。ルーインとベリアが動いたか」
「はい。アルザードだけは返答がなく、再三の警告を続けております。また別方向からアルザードを動かす計画も進行中です。近い内にプラハの包囲網は完成するでしょう」
王城の最も格式高い応接間で対面する二人の老人。
二人ともシュリット神聖王国において最も大きな権威を有する人物であった。一人は執政と立法を司る王政府の代表にして国家代表でもある国王。もう一人は
秘密の話を余計な人物の耳に入れてしまう心配もない。
「しかし使者による布告もなく戦争を仕掛けて良いものか……」
「それは意味のない行為でしょう。新しい聖守様はプラハ王国の王族です。しかも次期国王と期待されているという話もあります。決してこちらに引き渡さないでしょう。であれば、奇襲してでも戦いに勝利し、奪い取るしかありません」
「アズローダのこともある。正しき世のため、これも仕方ない……か」
今のシュリット神聖王国は厳しい状況にある。
六代目聖守ティアが魔族に敗北し、失われてしまったからだ。魔族との戦いで常に最前線となっている以上、聖守の不在は危機的と言わざるを得ない。しかもアズローダの街を魔族によって占拠されてしまった。現在はそこから現れる魔族を撃退するのが精一杯であり、取り戻す余裕もない。
街を魔族に占拠された場合、そこの住民を魔族に変えられてしまう。
このままでは住民に大きな被害が生じるというだけに留まらず、シュリット神聖王国全体が魔族の脅威に晒されてしまうのだ。
「現在は聖石寮に依頼して街道を封鎖し、新しい砦を建築しております。これでしばらくは耐えられるでしょう……が、根本的な解決にはなりません。業魔族のような頭の良い魔族は、人間を繁殖させようとします。そうなれば……」
「うむ。アズローダを魔族共の巣にしてしまうということだな」
「だからこそ、何としてでも七代目聖守が必要なのです。もし叶わなければ、この国は闇に苛まれる時代に突入することでしょう。最悪の場合は魔族に滅ぼされてしまうかもしれないのです」
今、この国に手段を選んでいる余裕はない。
聖守を失ったことで魔族との戦いは劣勢を強いられることになるのだ。これまで広げていた領域の幾つかを捨て、守りを集中する必要があるかもしれないほどに。
「アズローダの件が安定すれば軍を編成させよう。プラハ王国は脅威的な大国だが、我ら四国で対抗すれば決して勝てぬ相手ではないはず」
「はい。アルザード王国を通した食料輸入が不可能となった今、手早く勝つ必要があります。念を入れて東方との取引も準備しておりますが、それは本当に最後の手段。最善はプラハ王国を落とし、聖教会の勢力圏にしてしまうことです。そうすれば全ての問題が解決します」
最高指導者同士、溜息を吐いた。
状況は悪くなるばかり。
もはや
◆◆◆
シュウは珍しく一人で行動していた。最近は虚無を警戒してアイリスと行動を共にすることが多かったので、本当に久しぶりとなる。
その場所は迷宮山水域。
魔族が闊歩するこの領域は人が立ち入るべきではないほど危険だ。しかしながらシュウは迫る魔族を片手間に追い払いつつ、ある場所を目指していた。
「記憶と比較すると随分立派になったな」
ここはかつてアバ・ローウェルと呼ばれていた。
しかし今は黒き宮殿を中心とした魔族の大都市に変貌している。魔族は人と魔物が混じった存在であり、狂暴な個体が多い。しかしながら全く理性や知性が存在しないわけではないのだ。実際、魔物ですら集落を作ることもある。
既に瓦礫は撤去され、木造や石造りの家屋が並んでいる。
未成熟ではあるものの確かな文明を感じた。
「この地に何のようでしょうか。冥王アークライト」
「お前は……確か」
「私はフェレクス。七仙業魔の一つにして廻炎魔仙の名を賜った魔神様の忠実なる配下。あなたは黒の宮を目指しているようですが、それを認めるわけにはいきませんね」
シュウは立ち塞がった青年を前に立ち止まる。
だが次の瞬間、フェレクスは衝撃波によって吹き飛ばされてしまった。マザーデバイスを介した魔術陣無しの発動である。回避も防御も不可能に近い。
そして再び、シュウは歩みを進める。
しかしフェレクスも衝撃波程度でダメージを受けたりしない。業魔族は魔神ほどではないが大抵の攻撃を無効化できるほど強い迷宮魔力を宿している。より正確には魂が迷宮魔法によって融合しているため、その余剰が防御力として現れている。
致命傷を与えるには防御を突破できるほど強い攻撃か、魔法を使うしかない。シュウはどちらの手段を取ることもできた。
「少し大人しくしておけ」
「ぐっ……」
表出していた灼熱の炎を死魔法で消し去り、加重魔術で地に押さえつける。魔術によって自重の増したフェレクスは立っていることができず、地面に押さえつけられてしまう。筋力に見合わぬ自重となってしまったことで自らの重さに潰されたのだ。
とはいえ相応の膂力を有する業魔族を行動不能にする加重だ。
地面が沈み、大地そのものがフェレクスに対する拘束具と化した。
「心配するな。少し確認するだけだ」
「何を根拠に……!」
「その気になればこの辺り一帯を綺麗に消し飛ばせる……お前たちごとな。それをしないということは、別に目的があるということだ」
「……」
フェレクスは言葉を返せない。
二代目魔神スレイから、冥王アークライトについて少し話を聞いている。スレイとて冥王という存在の全てを知っているわけではなかったが、その最も有名な能力については業魔族たちにも伝えていた。
「そのくらいにしてもらいたいものだ。何を確認したいのか、私も気になるところだからな」
「なんだ。出てきたのか。ならば話が早い」
「この地に冥王が何用か」
「言った通りだ。確認だよ。お前のな……スレイ・マリアス」
冥王の伝承において黒き滅びの魔術は恐怖の象徴である。暴威が過ぎ去った後には何一つ残らない。何かの間違いでここを潰されては敵わないとスレイ自身が出てきたのである。
「そうだな……まずこれは聞いておきたい。お前の目的は何だ?」
「人の世を終わらせることだ」
「へぇ」
シュウはその内容より、素直に返答したことに驚いた。
よほど冥王を恐れているということだろう。初代のアリエットと異なり、警戒心が強い。契約の鎖を使った呪いによりアリエットの感情と魔力を移植したはずだが、このあたりはスレイの精神が優先されているかもしれない。
(もう少し質問してみるか)
そのために今のスレイの答えを更に深堀する。
「人の世を終わらせるってのは、皆殺しにするってことか?」
「違う。その全てを魔族に転生させる。人は弱く儚い。『王』の魔物を前にすれば塵のような存在だ。私はその惨めな存在から脱却させ、繁栄させる。そのために生きている」
「あぁ、そうなったか」
何となく察していたが、スレイの精神にアリエットの精神が混じっている。おそらくはゆっくりと魔神の意識に侵食され、本来のスレイに混じった結果だろう。
スレイは人を魔物の脅威から救い出すべく活動していた。
アリエットはスレイへの復讐として彼の国を滅亡に追いやることを望んでいた。
スレイの思想がベースとなって魔神アリエットの意思が混じった。長く『魔神』の残滓に呪われ、声に晒されたことにより二代目魔神は構成されたのだ。
「ならばいずれ全ての人間を滅ぼし、魔族に変えると?」
「そう考えている。皆が魔族になれば魔物に怯える必要もない。私の役目は全てのヒトが安心して暮らせる世界を作ることにある」
「お前がその力で人間を絶滅させないのは後者の理由か」
「私の手が及ぶ範囲は広くない。業魔族たちが手助けしてくれるが、それでも不足は否めない。だから急激に領土を広げるのは得策ではないということだ。気に入らないか?」
得心のいく理由だ。
スレイ・マリアスがかつての力に加えて『魔神』の力まで獲得したのだ。更には宵闇の魔剣と常盤の鞘まで保持している。また配下には業魔族を始めとした強者が揃っている。今の時代なら人間相手に敗北する恐れはない。スレイ一人いれば人間を滅ぼし尽くすことができるだろう。
しかしそれを実行することはない。
あくまでスレイの目的は
少しばかり『魔神』の思念によって捻じ曲がっているが、根底には聖守時代のスレイ・マリアスが残っている。
「それとも私の存在は疎ましいか? 冥王アークライト」
そして魔神スレイの根底にあるのは無力な自分だ。
祖国で最強と謳われようと、彼は何一つ守ることができなかった。この未来の時代においても家族を奪われてしまった。だから絶大な能力と戦力を保有しつつも大胆に動くことができない。
彼の畏れる存在として最たるモノこそ『王』の魔物、そして常軌を逸した文明である。
「
問いかけるスレイに対し、シュウは何も返さない。
ただ振り返って告げた。
「定期的に観察に来る」
転移魔術が発動し、シュウの姿は掻き消えた。
同時にフェレクスを押さえつけていた加重魔術も消失し、彼も自由の身となる。
「魔神様、申し訳――」
「構わない。次にアレが来た時は私に伝えてほしい。冥王は厄災そのものだ。他の者にもこのことは知らせておいてくれ」
「……はっ」
まさに嵐が通り過ぎた後だ。
しかしだからこそ魔神スレイは決意を強める。冥王のような存在がいる限り、
「まだ足りない。私の力を高めるのは難しい。新しい、強大な魔族が必要かもしれない」
◆◆◆
赫魔、という存在がいる。
これは魔族から派生した存在であり、大きな欠陥を抱えた種族だ。五代目聖守クィグィリナスと
この生命体は動物細胞を自己破壊し、魔力へ変換する能力を持っている。能力とはいっても切り替えができるような便利な力ではない。寧ろ他の動物から細胞を取り込まなければ自己破壊によって自滅してしまう呪いのようなものでしかないのだ。
「タリ……ナイ……」
その赫魔は形の崩れた人型であった。
取り込んだ……つまり食べた細胞の遺伝子情報を読み解き、その形に近づくのが赫魔の生態である。人型に近いということはつまり、それだけ多くの人間を喰らったということである。
「アア、美シクナイ」
焼け爛れたような手足。
剥がれた爪。
腹にはかつて食した熊の顔が浮かび上がっており、それ以外にも鼠、猪、猿、蛇など様々な動物の痕跡が各所に見える。その姿はあまりにも……化け物であった。
「食ベタイ。モット美シク……知ニ優レタ肉ヲ」
食した存在を取り込み、己がモノとする。
肉体の性質も、そこに宿る魔力も、そして魂に蓄えられた知恵と知識も。多くの人間を喰らった赫魔は肉体の形質のみならず、心の性質も似通ってくる。それこそ、美的感覚のような経験と知識を必要とする要素まで赫魔に反映されるのだ。
「匂イガスル。美味シソウナ、匂イ」
何より赫魔へと影響を与えたのは『欲望』という心。
他を犠牲にしてでも良くなりたいという浅ましい渇望までも獲得してしまった。慈しみの心でもなく、忍耐や寛容の心でもなく、嫉妬と強欲を取り込んでしまった。食した人間が元からそのような人格だったのか、あるいは赫魔の性質なのか、それとも別の要因があるのか。ともかくこの化け物は自己愛によってのみ形作られていた。
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