第455話 不意の開戦


 プラハ王国には国防省という機関が存在する。

 その仕事は外敵との戦闘に備えた防備を整えることであり、武装や戦闘魔術の研究もその仕事の一部となっている。また国防省は常備軍の管理も行う組織である。魔物や魔族といった外敵は絶えることがない。プラハ王国では魔族に襲撃されることなどほとんどないのだが、魔物による襲撃はよくあることだ。それらへの対策のため、各都市には軍が配備されていた。



「訓練の調子はどうだ?」

「はっ。クリフォト術式による兵力の具現化は形になったと言えるでしょう。また黒魔術師たちの一部は《獄滅ゲヘナ》も習得しております。魔族相手でも無傷で討伐することが可能でしょう」

「魔術師の形態も随分と変わったものだ。私が若い頃はあのような魔術はなかった。これもセフィラのお蔭ということか」



 馬上のローランは現在、軍の訓練を視察していた。

 セフィラも彼の側で浮遊しており、少しばかり自慢げに見える。首都アンブラの郊外で行われている訓練は外敵の強襲を想定したものだ。

 彼らが発動した魔術によって地面から塵が集まり、その中心に黒い炎が宿る。塵は鎧を纏った人型となって動きだした。鎧の隙間からは黒い炎が小さく溢れており、まるで不気味なオーラを放っているかのようだ。



「《憑霊フール》の発動が遅い! それでは奇襲に対応できんぞ!」



 兵団指揮官が唾を飛ばしながら怒鳴っている。

 術式により兵力を生み出すだけならば何も問題ない。しかし実戦においてあらゆる状況に対応できるほどは訓練されていない。まだ研究の浅い魔術ということも原因の一つではあった。



「クリフォト術式か……セフィラ、何度も聞くが安全なんだろうな?」

「地獄の接続は別に危険じゃないよ。それに地獄に封印した不死属本体を呼び出すわけじゃないし。魂だけを引っ張ってきているだけだから。仕組みはセフィロト術式と同じだよ。セフィロトの根を通じて生命力を割り振るみたいに、クリフォトの根は地獄に繋がっているの。危険って言うならゲヘナの鋲の方がよっぽどだよ」

「確かに。この槍は地獄を開く。扱いを間違えれば大きな災いとなるだろう」

「クリフォトは地獄を開くことなくその内側のモノを抽出しているからね」



 プラハ王国の魔術はセフィラによって独自の発展を遂げることになった。古くから存在するアポプリス式魔術とは別に、セフィラの力を利用した魔術が広まっている。豊穣の祈りセフィラ・キエナもその一種だ。

 女神像に祈り、回収された魔力によって土地を豊かにする。それを人体にまで及ばせるよう改良したものがセフィロト術式である。いわば魔力を捧げ、生命力として還元する魔術だ。

 もう一つ、地獄へと接続することでそこに封印されたモノを抽出して操る魔術も整備された。それこそがクリフォト術式である。クリフォトの経路を伝って不死属の魂を抽出したり、黒炎を召喚したりすることができる。アポプリス式魔術で言うところの魂魔術と召喚魔術を組み合わせたような性能となっている。



「もう少し使い勝手が良くならないのか?」

「えー……これでもかなり使いやすくしたんだよ。セフィロトやクリフォトの経路に術式を載せて、魔力を流すだけで発動できるようにしたんだから。正しい経路選択と組み合わせさえすれば結構複雑で高度な魔術も使えるよ」

「確かに元素魔術よりは遥かに簡単だが……」



 アポプリス式魔術はいわば魔神ルシフェルの神話に属する魔術だ。魔力の法則という大前提があり、魔術起源マギレコードに刻まれたアポプリス式魔術へと接続することによって定式化された魔術は発動している。

 セフィラの開発した魔術体系も同じ原理だ。

 彼女の場合は『接続』という魔導があるので、それを張り巡らせることで起源レコードを再現してみせた。アポプリス式ほど多彩ではないが、より簡単な手順によって発動できるようになっている。発動条件も単純だ。必要量の魔力と、セフィロトの樹から作られた魔術媒体、そして豊穣の女神セフィラへの信仰心である。



「折角この国のために用意したんだから、ちゃんと使いこなしてよね。私の精霊秘術を」

「国を守る力が不足することはない。精霊秘術をこの国の一部にしてみせるさ」

「私も頃合いを見て術式を整理したり追加したりしておくよ」

「ああ。可能ならあの子には安定した国を任せたいものだ」



 国家関係の不安定さは増すばかりだ。

 もはやいつ戦いを仕掛けられてもおかしくない段階にまで状況変化している。幾度となく内乱を経験してきたプラハ王国も、こうして外国と戦う状況は初めてとなる。ローラン自身も未来を案じ、そして冥界の王より託された槍に目を向けた。



(これを人の争いで解放することだけは……避けたいものだな)



 ローランにとって優先すべきはプラハ王国とその民だ。

 いざとなれば地獄を開き、敵軍を獄炎と不死属の世界に堕とすことすら躊躇わないだろう。しかしできることならばそのような非道を行いたくはなかった。故にこそ、セフィラが用意してくれた精霊秘術には期待している。

 精霊秘術を習得した魔術兵団だけで決着がつくなら、それに越したことはない。

 そんなことを願っていた。








 ◆◆◆









 プラハ王国の北部にはウルヘイスという丘陵地が存在する。かつてはセフィラがこの地に降り立ち、豊穣の祈りセフィラ・キエナの前身を生み出した。水場が少なく大規模な農耕には向かないものの、離れた場所を流れる河川から水を引き込むことで広大な畑を運用していた。

 それは用水路というよりも人工河川と表現した方が良いほど大規模なもので、ウルヘイスの丘陵地を大穀倉地帯として成り立たせるのに充分なものだった。

 この地で生産された食料は国内というよりもアルザード王国に輸出される場合が多い。北部という立地から、地元の人々が食べる分を除けば大部分――現在は政策により国内で消費、備蓄されている――が外国に輸出されている。それらを一時的に保管する倉庫が幾つも建てられており数万人を充分養うための食糧が収められていた。



「おお。ようやく人里を見つけた」

「見ろ! あれは畑だ。食べ物があるぞ」



 そんな会話をしつつウルヘイスに現れた一団があった。彼らは不揃いではあるが武装しており、二頭引きの戦車まで複数用意している。車輪に刃を仕込んだこの戦車の上には高品質な槍を持つ男が複数人乗り込んでおり、突撃による攻撃力は随一となる。

 この武装集団は当然ながらプラハ人ではない。彼らはルーインの民であった。

 プラハ王国からすれば北西部に位置するルーイン王国とは国交がなく、街道も繋がっていない。彼らは野を駆け、時に谷を通り、あるいは山を越えてここまでやってきた。地図もなく星や太陽の位置を頼りに移動してきた彼らだ。人里を発見したのは奇跡に近い。



「襲え。人、家畜、食料……価値あるものを奪い尽くすのだ」



 宣戦布告はない。

 勝つことだけが彼らの道だ。

 武器を掲げ、角笛を鳴らし、威圧の声を轟かせつつ進撃開始した。








 ◆◆◆








 数日前、プラハ王国の東部より三百の騎兵が進んでいた。

 それらはベリア連合王国にて結集された精鋭中の精鋭たちである。最高の戦士に最高の武具を与え、更には最高クラスの純度を有する聖石までも与えられている。しかも全員が調教された馬を操っている。

 攻撃能力、機動力に優れた彼らはひたすら海沿いに進んでいた。



「隊長」



 部隊の中央付近で騎兵の一人が隊長の馬の横に移動する。

 馬も全力疾走させているわけではないので、隊長と呼ばれた男は速度を緩めることなく耳を傾けた。



「少し早すぎます。どこかで休憩しましょう。別動隊との時間が合わなくなります」

「そうか。ならば今日は早めに宿営を張ろう」



 彼は手を使って斜め後ろの騎兵へと合図する。

 すると激しくラッパが吹き鳴らされ、騎兵の一団は速度を緩めた。騎兵団はただ戦いのエキスパートというわけではない。集団での行動における規律正しさという点でも優れている。ラッパの音一つで行軍と停止を実行し、太鼓の音色で即座に戦術を実行する。

 個としての戦力は勿論、集団における戦闘力があればこそ精鋭中の精鋭と評されるのだ。

 行軍を停止した騎兵たちは馬を降り、荷を降ろし、今日の宿営を建て始める。すぐにテントが設置され、一部の者は火の用意を始める。そして隊長は直属の配下たちを集め、今後の相談を始めた。



「制圧隊の集合日は明日。彼らが補給路を構築してくれているはずです。我々は予定通り、明後日にプラハの街へと襲撃を仕掛けます。離脱して制圧隊と合流し、補給拠点とする……ですね?」

「確認ご苦労。その予定に変わりない」

「随分と怖い任務ですね。上手く制圧隊と合流できなければ、我々は飢えることになります」

「軍師殿を信頼し、戦場を駆けることこそ我らの役目。機動力に優れる我ら精鋭騎兵隊の役目は剣となり、槍となって敵を討滅することである。それ以外を考える必要はない」



 ここにいるのはベリア連合から集結した英傑ばかりだ。

 ある者は魔族を討ち滅ぼし、ある者は魔物を撃退し、ある者は東方よりやってきた蛮族を討ち取った。そして各地で勇を轟かせる彼らを統率する者は、まさしく英雄中の英雄。



「この『百魔斬り』を信じよ。敵地を食い破り、転進して本隊と合流。その後は防備の崩れた街を奪って我らの拠点とする。作戦の成功は確実だ」



 かつて地下迷宮のイレギュラーゲートが開き、無数の魔物が地上に現れた。稀に発生するこの凶事は国をも滅ぼしかけない厄災となる。何の予兆もなく魔物が大量発生するのだ。地上に住む人々は準備もなくそれらと戦わなければならない。

 しかもゲートが開いたのはよりにもよって連合王国の中心都市、ベリアである。

 海沿いのこの街に逃げ場なく、迎撃するしか道はない。元から魔族の侵入に対処するべく、大規模な部隊は国境沿いに固められている。突如として現れた魔物に対応できるのはベリアを守護する少数精鋭だけであった。

 この戦いで誕生した最新の英雄こそ『百魔斬り』のオルディナス。

 三百の英傑を率いる彼の眼には一切の憂いもなかった。







 ◆◆◆







 プラハ王国は同時に二つ、戦線を抱えることになった。

 戦禍の知らせはすぐに王宮にも届き、ローランは省庁の長官を集めた緊急会合を開くことにした。



「まずは状況を教えてくれ」

「はっ! 北部のウルヘイス地方で大きな被害が確認されました。不揃いな装備の集団に襲撃され、倉庫に収められていた食料が大量に強奪されたとのことです。また一部の民が連れ去られたとの話もあります。常駐している我が軍の兵が撃退を試みたのですが、敵の数は多く、守り切れないと」

「当然ですが既に援軍は送っております。また独自に兵を動かし、敵の正体を探っている所です」

「そうか。民が連れ去られたか……」



 賊の仕業と判断するには敵の数が多く、統率もしっかりとしている印象だ。まだ第一報でしかないので確定情報は少ないが、軍のような統率も確認されている。

 場合によっては『敵国』の存在を認めなければならないだろう。



「陛下、北はまだ持ち堪えることも叶います。しかし東方は悲惨です。街の一つが既に占拠されてしまいました。その街はエンリケと王都の間にある中継地でもありますから、このままではエンリケが孤立してしまうでしょう。早急に奪還しなければなりません」

「こちらの敵勢力は正体を掴めているのか?」

「ベリアの旗を掲げておりました。彼らは戦を仕掛けてきたのです。街を奪還する準備を進めつつ、使者を送る必要があると考えます」

「何を悠長な! あちらは何の知らせもなく我々を襲撃したのだ! ならば奴らは全て撃滅しなければならない!」

「それこそ性急すぎます! 確かにベリアの旗を掲げていますが、欺瞞かもしれません。街を占拠した集団は間違いなく敵ですから撃退しなければなりません、同時にベリアへと事情を伺い、我々に何が起こっているのか知っておく必要もあります」



 状況は切迫している。

 だが一方で何の情報もない。

 北を攻撃した集団の特定を進めると共に、東よりやってきたベリア連合王国に真意を確認しなければならない。ローランは軽く手で合図して議論を進める家臣たちを止め、命令を告げた。



「黒魔術師団を東に送れ。まずは街の奪還を進める。エンリケの軍との合流を優先せよ。同時にベリアに話を付けたいところだが……こちらは時間がかかるだろう。一度アルザードを通す必要がある。あの国とは何の繋がりもない。北の事態に対処するためにもアルザードに使者を送ろう。私の手紙を持たせるので、アルザードにはベリアと渡りをつけてもらうこととする」



 もしも本当にベリア連合王国による侵略だった場合、直接使者を送れば皆殺しに遭う可能性も否めない。そうなってしまうと何の情報も得られないまま時間が過ぎてしまうだろう。ここは急がば回れの精神で、一度アルザード王国を挟むべきだ。

 そして北部ウルヘイス地方の問題も同様だ。



「ウルヘイス地方はアルザードに繋がる街道もある。賊の情報がないか伺うとしよう。もしも東の件がベリアの軍勢なのだとすれば、ルーインも疑わねばなるまい。まずは敵の正体を確定させる。しばらく防戦となってしまうが、国を守るために尽力してほしい。必ず反撃し、我が国に手を出したことを悔いさせるのだ」



 こうして直接的な発言こそ避けているが、薄々と気付いている。今回の件は次期国王フレーゼが聖守として預言されたことが発端となっているのだろう。まだ水面下での動きのみであり、シュリット神聖王国が何かを言ってきたわけではなかった。

 もしもフレーゼを巡っての事態であれば、小競り合いでは済まない戦いにまで発展しかねない。

 とにかく事態の解明と沈静化。

 それを最優先に王宮も動き始めていた。







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