第443話 魔晶回路


 虚数時空の中にいる存在を認知したシュウは、ひとまず研究を中止して安全確認を行った。虚数時空は冥界門の仕組みとして利用している。早急に確かめる必要があったのだ。

 ただそれはそれとして、手の余ったアイリスには別の仕事を任せることになった。

 封印予定の不浄大地を再び開く鍵である。ルシフェルとの契約により、封印した後も開くことができるよう鍵を残しておくことになった。アイリスが手掛けているのは封印器具と同時に、その鍵となるアイテムであった。



「ひとまず外装は完成としてよいでしょう。鍵の術式も完成しておりますので、封入するのみです」

「あまり私が手を加える必要もなかったですねー」

「いえ。やはり亜空間生成を最小限の要領で実現するという点において驚嘆するばかりですよ。仕上げとして冥界の加護を付与する必要はあります」

「そちらは問題ないとシュウさんが言っていました。常盤の鞘を作った実績もありますから」



 アイリスを含め、研究員たち数名で一つの槍を囲んでいた。

 見た目は美しい黄昏色の短槍である。華美ではないが最低限の装飾はあり、戦闘用というよりも美術品のような印象を受ける。素材は改良したオリハルコンである。また宵闇の剣を作製した時のノウハウも利用しており、内部には核が仕込まれていた。

 ただしその核となるものは魔晶ではなく人工賢者の石、つまり黒魔晶である。

 ブラックホールフェイズシフト現象を利用して人工的に作成できる最高峰の魔術媒体だ。この槍には宵闇の剣と同じく芯の部分に魔晶が仕込まれていた。



「魔晶を回路として組み込む技術は革新的です。遊びのようなものかと思っていましたが、宵闇の剣は良い実験でした。魔晶回路は機能を限定することで特定分野に特化しています。組み合わせ次第でどんな魔術道具も作成できるようになるでしょう」

「魔晶回路は本当に画期的ですよ。もう無意味と考えていた魔術道具の技術が活きてくるのですから」

「それにまだ発展の余地はありますよ」



 新しく開発された魔術回路はこれまでの発想とは少し異なる方式だ。

 魔晶に術式を封入する方式は、ソフトウェアたる術式とオペレーティングシステムが重要だ。つまり魔晶はストレージと演算装置を兼ねている。

 一方で魔晶回路は物理的な回路による演算装置だ。特にクロック制御回路やランダムアクセスメモリーは術式の高速化を手助けしてくれる。ある程度は術者による代入が必要なソーサラーデバイスと異なり、魔術道具はほとんどの場合で用途が固定化されている。そのため特定術式を回路によりストレージから読み出す方式の方が精密で速い。



「これまでは魔晶に頼りきりでしたからねー」

「アイリス様、そろそろ術式チェックをいたしましょう」

「ですね。回路動作は問題なさそうですし、一度実験しておきましょう」



 魔術は魔力による術式こそが重要だ。

 しかし術式展開時にはある程度決まった手順というものがある。火の玉を飛ばす魔術にしても、『断熱領域を生成する』『内部の空気を熱する』『圧縮してプラズマを発生させる』『プラズマを拡散させることなく制御する』『プラズマ球の運動量をマクロ制御して指定方向に射出』といった大まかな手順を踏まなければならない。これがアポプリス式魔術の炎属性第一階梯魔術なのだが、その最も簡単な魔術でさえ面倒なのである。魔術陣展開もこれらの手順に沿った組み立てを行わなければならない。

 魔晶内部の処理はこれらの手順制御も入っている。その制御を物理回路に任せてたのが今回のものだ。様々な魔術を展開するならば必要なシステムも格段に難しくなるが、特定魔術に特化した回路を付与するならば魔術道具に向いた仕組みなのである。

 この回路が発明されて具体化されたとき、シュウは『何でこんな簡単なこと思いつかなかったんだ』と呟いていたという。ノイマン型コンピュータの設計思想とほとんど同じなのだから。







 ◆◆◆






 シュウは冥界門について調べるため、妖精郷から離れた場所で実験を行っていた。そこで一通りを終えた後、休憩していたところに連絡が来る。

 疲れていたからか、マザーデバイスの通知音が鳴っても少しの間だけ動かなかった。およそ十回目のコールでようやく画面をタップし、通話に出る。



『ちょっとシュウさん!? 遅いのですよ!』

「……ようやく冥界門のメンテナンスが終わったところなんだ。俺はお前みたいに時空系が得意じゃないからな。特に虚数時空関係は複雑で――」

『それより例の鍵が完成しましたよ。後はシュウさんに仕上げしてもらうだけです』

「そっちもあったか。早いな。わかった。座標は分かるな? 転送してくれ」

『任せてください』



 それからすぐに黄金色の槍が転送されてきた。

 勿論、生身ではなく箱に封印されての転送である。シュウは封印術式を解除して中身を取り出した。軽く魔力を通してみたが、特に違和感もない。



「流石の技術だな。亜空間生成の術式も綺麗だ」

『当然なのですよ!』

「分かった。後は任せておけ」



 通話を切った後、シュウはまず槍を地面に突き立てる。

 そしてすぐに魔神術式を解放した。シュウの身体に黒い術式が浮かび上がり、それらは空間を侵食し始める。本来は別の位相に存在する冥界を具現化し、シュウ自身を別位相の存在に昇華させる。この瞬間、物質である黄昏色の槍はニブルヘイムによって分解される運命にある。

 しかしシュウはそうさせないよう慎重に術式を這わせ、槍に馴染ませ始めた。

 同時に槍へと魔力を流し、内部術式を起動する。仕込まれているのは亜空間生成術式だ。黒魔晶が内蔵されているので、スイッチとなる起動魔力だけで巨大な亜空間が生成される。



「かなり広いな。これだけ小さな魔力で起動できるなら、人間でも問題なく扱えるか」



 生成された亜空間は魔力発動時にのみ機能する。

 つまり槍を握り、起動魔力を注ぐことで固有時間を制御し、新しい空間を生成してくれる。言い換えれば発動するたびに別の空間になるのだ。不浄大地を封じる機能を与えるという関係上、毎度のように新しい亜空間を生成するのでは意味がない。

 しかし同じ亜空間を維持するということは、固有時間を維持し続けるということである。この世と切り離された時間を維持するためには相当な魔力を消費し続けなければならない。とてもそんなことはしていられないので、対策として冥界に封じた『あるモノ』を利用することにした。



「よし、解放」



 ニブルヘイムに封印している獄炎。

 それが生成された亜空間へと注がれていく。しかしながら獄炎はかつて獄王ベルオルグが生み出した獄炎魔法の一端だ。たとえ『王』が滅びたとしてもそれは残り続けている。

 獄炎は炎のような質感だが、色が黒く、特別な性質を備えている。その中で最も特徴的なのが、その場に留まるという性質である。炎には『燃えるモノ』『熱』『酸素』という要素が必要となる。しかしながら獄炎はそれらを必要とせず、『炎』としてそこに存在する。

 そこに留め、苦痛を与えるための炎が獄炎魔法だった。苦しめるためなので破壊力すらも調整できる。

 空間に留まり、さらにそこにあるモノを留めるという性質を利用しようというのが今回の試みだ。実際に生成された亜空間へと獄炎が注入され、広がる。元は旧スバロキア大帝国の帝都全てを燃やし続けていた規模の炎だ。質量は問題ない。



「これで空間の確保は完了。獄炎で境界線は確保した」



 そしてシュウは魔神術式を解除し、冥界は別位相に消える。また同時に槍の起動魔力を切断することで亜空間を閉じた。それからもう一度だけ起動魔力を流すと、固有時間レベルが同期されて生成した亜空間が現れる。その証拠に亜空間界面には獄炎が付着していた。

 亜空間そのものは無事に維持されているらしい。計画通りである。



「亜空間座標と準位も黒魔晶に記録済み。位相誤差は許容程度。魔晶回路も問題なく機能していると」



 黒魔晶はブラックホール相転移によって特異点化した魔力だ。高密度化によって情報形態となった魔力は根源量子の世界からエネルギーを引き込み、魔力化する。この性質によって亜空間を開くための膨大な時間魔術用魔力を確保し、誰でも扱えるようにしているのだ。

 術式も魔晶内の術式メモリと、制御用回路のお蔭で演算力を必要としない。

 必要なのは微小な起動魔力のみ。

 実を言えば他にも幾つか制御用術式が封入されているのだが、大まかにはこれで完成である。



「後は試してみるか……」



 シュウが数度振るい、起動魔力を流す。すると穂先に獄炎が纏わりつき始めた。そのまま近くにあった岩へと突き刺す。すると獄炎は岩を包み込み、激しく燃え上がった。しかし破壊力はないので岩には全く損傷が見られない。そして槍を岩から離すと、岩は獄炎と共に溶けて消えていく。

 更には穂先から大きめの獄炎を放出すると、その先にあったものは黒い炎によって呑み込まれた。ただしそちらは獄炎に包まれても消えることなく炎だけが消失する。

 一通りの術式を試した後、シュウは槍を元の箱に戻した。そして封印術式を施し、保管用の亜空間へと収納する。

 それからアイリスに向けて通話する。

 ずっと待っていたからか、二度目のコールでアイリスは出た。



『はいはい。もう終わったのですか?』

「要望通りに槍は機能していた。冥界に封印していた獄炎を注入して亜空間も固定している。何度か起動してみたが同じ亜空間に繋がっていた」

『では不浄大地を封印してローランさんに渡すのですよね? シュウさんが信頼する人間といえばあの方くらいですし』

「その予定だがな。セフィラに任せようと思う。ローランに会うきっかけにもなれば……」

『ですね。セフィラちゃんを呼んでおきます』

「俺も一度妖精郷に戻る」

『待っているのですよ!』

「転移だからすぐだ」



 封印の箱を抱えたシュウはマザーデバイスより転移術式を引きだし、発動させる。

 厄介だった不浄大地の問題が解決されようとしているのだから、気持ちは随分と軽い。また大きな問題の一つであったセフィラとローランのことも、これをきっかけとして元通りになって欲しいと願っている。

 しかし同時期、不浄大地に接するプラハとアルザードは大きな問題に直面していたのだった。








 ◆◆◆









 アルザード王国は突如として活性化した不浄大地に苦しめられ、危機的な状況に陥っていた。黄金王ミダスと言われる国で一番の戦士が宝剣を手にして戦い続けているが、終わりは見えない。そればかりかますます不死属系魔物は増えている。

 何より、強力な個体を倒しきれずに被害は拡大するばかりだった。



「首無しめ! いい加減! 死んでくれ!」



 今代のミダス・スリヤーは全身から血を流しつつ奮戦していた。急所を守る鉄の鎧などほとんど破壊されており、邪魔になるからとスリヤーも脱ぎ捨てているほどだ。

 彼と戦うのは無首黒騎士デュラハン

 鋼の鎧を有する首無しの騎士である。スリヤーたちはこの魔物を『首無し』と呼び、その他の不死属とは区別して扱っていた。



「はあああああああ!」



 スリヤーは金色の武器、蝕欲ファフニールを起動した。その瞬間に日差しを受けた剣が金色の粉を吐き出し始める。

 いや、それは正確ではない。

 この武器は現代の常識で測れない、超常の力が備わっているのだ。秘められた力を発動すれば、周囲を黄金に変えてしまうのだ。その力はまるでかつて存在した強欲王マモンの錬成魔法である。勿論、これは魔法の力ではない。ただの魔術である。触れた場所にオリハルコン化の術式を施しているのである。物質変換ではなく、魔術による変異。それが蝕欲ファフニールの能力であった。

 鋭い突きが無首黒騎士デュラハンの足元を抉る。即座に黄金が侵食し、無首黒騎士デュラハンは両足をオリハルコンによって固められてしまった。だが無首黒騎士デュラハンは大楯によってスリヤーを殴り、弾き飛ばす。オリハルコン化は表面のみに留まっており、無首黒騎士デュラハンは足元の鎧を自己破壊することによって抜け出した。

 当然、壊れた部分は魔力を使って再生する。



「……ったく。ずるいね、お前たち魔物は」



 今ので肋骨が折れた。

 呼吸するだけで強い痛みを感じる。だがスリヤーはそれを感じさせずに立ち上がり、蝕欲ファフニールを構えた。



「こっちは使う度に死にそうだってのに」



 鎧を捨てた彼の両腕はほぼ全て剥き出しになっている。しかしながら肌色ではなく、黄金色に染まっていた。表面のみではあるが、オリハルコン化している。

 蝕欲ファフニールは起動したとき、触れた全てを黄金に変える。

 それは使用者も同じことであった。

 歴代の黄金王ミダスたちは絶大な力を保有していた一方で、それを多用することはできなかった。理由は簡単なこと。使えば使うほど、自分自身を蝕むのだから。

 こう不満を零せば蝕欲ファフニールが僅かに震える。



「ああ、分かっているさ。この同化さえなければ素直でいい武器だというのに」



 悠長にしている暇はない。

 無首黒騎士デュラハンは待ってくれないのだ。圧し潰すような振り下ろしの一撃が迫る。スリヤーは仕方ないとばかりに力を注ぎ、蝕欲ファフニールで迎撃する。その刃は強く輝き、スリヤーはオリハルコンにより侵食された。

 両腕には金色の鱗が生じる。

 筋肉が膨れ上がり、侵食が一段階進んだ。だが同時に『力』という恩恵を与えてくれた。



「うおおおおおおおおおっ!」



 無首黒騎士デュラハンの攻撃を完璧に受け止め、そればかりか打ち返してみせた。この際に無首黒騎士デュラハンの大剣はオリハルコン侵蝕を受け、内部結晶構造が無茶苦茶に乱される。それは強い負荷として内部に亀裂を作り、大剣は破裂するように砕けてしまった。



「滅びてくれ。今度こそ!」



 同化現象はただ肉体が黄金オリハルコンに侵されるというだけではない。確かにそれは蝕欲ファフニールを使用するうえで最も注意するべきリスクである。だが、同時にその身を捧げることによって……蝕欲ファフニールと同化することによって大きな力を得ることができるのだ。

 代償は我が身。

 その力は数倍などというチャチな結果では済まない。十数倍、あるいは数十倍もの力を与える。

 スリヤーが振り下ろした剣は容易く無首黒騎士デュラハンを両断し、その背後にいた不死属たちをまとめて引き裂いた。大地に裂傷が残り、その傷口は黄金によって侵食される。



「はぁっ! はぁっ! ぐっ……」



 侵食された両腕に違和感が残る。身体から力が抜ける。

 しかしながら蝕欲ファフニールを杖替わりにして倒れることだけは避けた。



「スリヤー様の! ミダス・スリヤー様の勝利だ! 残る化け物共を滅せよ!」

「おおおおおおおお!」

「いい加減死ね! 死体が動くんじゃない!」

「俺たちの国から出ていけ化け物があああああああ!」



 王の勝利は兵士を極限まで奮い立たせた。

 アルザード軍劣勢だった戦況は一転し、途端に押し込み始める。腐肉を滴らせる死体、魔術を行使する骸骨、すっかり腐敗した獣など、弱い不死属系魔物はほぼ駆逐されつつあった。

 これで戦いが終わる。

 長く続いた苦境から脱出できる。

 そんな希望が彼らをさらに強くした。



「さて……僕も行かなくては」



 スリヤーは息を整え、軽く両腕を確かめる。

 すっかり侵食されてしまい、両腕どころか胸や背中にまで違和感がある。何度も同化は使えないと思われるが、それが必要な不死属は討伐した。不死属を率いる上位種、無首黒騎士デュラハンが倒れたのだから、残るは烏合の衆というわけである。

 残るを始末して温かい食事と布団の用意された家に帰る。

 その、はずだった。



「クカカカカ。《大爆発エクスプロージョン》」



 激しい衝撃。

 また気絶しそうなほどの熱が身体を焼く。一瞬のうちに全身の骨が砕け、喉は火傷した。片目は視力を失い、聴覚も役に立たない。スリヤーは残る片方の視覚によって、これを為した敵を目の当たりにした。



(骸骨の、魔術……使い……)



 無首黒騎士デュラハン高位グレーター級に属する強力な個体といえる。しかしながら無数の不死属が蠢く不浄大地においては部隊長程度の役割でしかない。

 討たれたならば代わりが派遣される。

 それだけのことだった。







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