第442話 邪悪の足音
シュリット神聖王国は聖守の守りに頼り切っている。
聖石寮は国を越えて術師を集め、魔物や魔族から人々を守るべく奮戦している。しかしながらそれは聖守あってのことだ。魔族を聖守なしに倒すのは難しい。聖石を活かすためにも魔術は常に研究され、武術や戦術も追求されている。しかし聖守の力はそれを遥かに上回るのだ。
深淵渓谷へと向かった五代目聖守クィグィリナスは死んだ。
それは聖アズライール教会にて最高神官が預言を受け取り、判明したことだった。すぐに六代目聖守が示され、今は次代の聖守を育て上げるべく聖石寮と聖教会が協力している。だが成人となるまでの十五年間は聖守なしに人々を守らなければならない。これは非常に困難な道であった。
「ティア様の調子はどうですか?」
「まだ赤子です。母君と共に保護いたしましたが、まだ成長を見守るのみですよ。父親は今回の遠征で亡くなった術師でした。外国出身ながら実力と人格が認められた素晴らしい方だったのですが」
「まるでクィグィリナス様の遺志を継ぐかのような……良い運命です」
「ええ。新たな脅威さえなければ、ですが」
彼らの悩みは多岐にわたる。
だが最近は新たに出現した存在に苦しめられていた。
「
「ええ。普通の魔族より恐れられていると聞きます」
「特に被害が多いのはアルザードやルーインのあたりとか」
「遠いですね」
「しかし不幸中の幸いと言えましょう。特にアルザードには
残念ながらシュリット神聖王国に余裕はない。
魔神を討ち滅ぼすべく術師の精鋭たちを深淵渓谷に送り込み、全滅したのだ。渓谷の上で待機していた者たちもいたのだが、彼らは精神を壊していた。
一端とはいえ
故に彼らは赫魔のこともよく分かっていない。
血よりも深い赤に包まれたそれらが、聖守クィグィリナスの一端を引き継いでいるとは思いもよらなかった。そして知ることもなかった。
◆◆◆
アルザード王国は力ある者が王となる戦士の国だ。
初代王は不思議な武器を手に入れ、その力によって人々を導き国を作り上げた。それが英雄と呼ばれた黄金王アルザードである。それから時は流れ、初代王の武器は継承されてきた。国で最も強い男にそれは託され、
そんなアルザードだが、実は魔族や魔物以外にも苦しい要因がある。それは西方に位置する不浄大地であった。クィグィリナス死亡の知らせからほどなく、赫魔という新たな脅威に晒された。人間を喰らう狂暴な性質はアルザードを更に苦しめたが、時を同じくして不浄大地より流れてくる不死属系魔物も強化され始めたのである。
二重に訪れた脅威だが、実を言えばその二つは同じものが要因となっていた。
シュウの攻撃によって破片となった赫蝋の業魔は、力の欠片たる深紅の細胞を広域に散らしていた。その一つが不幸にも不浄大地へと落下したのである。
「ア、ェ」
不浄大地は呪われている。長年にわたって不死属が住みつき、その魔力的性質が染みついた結果である。今やこの土地に侵入した生物は呪いに侵され、体が腐肉へと転じていくことだろう。故に動物は勿論、人間とて近づかない。
そんな土地に落下した赤い欠片は、呪われた魔力に浸されることになる。
赫蝋の業魔より散った肉片は素晴らしい器だった。聖守クィグィリナスの肉体に
故に欠片は核となり、急激に新しい魔物を構築し始める。
細胞はあくまでも細胞なのだ。
そこに意思はない。
だが特性だけはそのままである。
「ァ……アア?」
それは魔物でもない。
魔族でもない。
また赫魔とも言えないだろう。
あえて説明するのであれば、魔族の欠片を核として魔物と似た成り立ちを有する、赫魔の性質が灯った『何か』である。
見た目は巨大な肉の塊だ。人型か獣型かという判断は難しい。とにかく上体が巨大で、手足を使いながら体を起こす。肉は腐敗し、常に腐って落ちている。だが赫魔の性質により肉を壊して魔力を生成しているため、その魔力から新しい腐肉を生み出すことができていた。
肉体を破壊して魔力を増大させ、更には不浄大地の呪いを吸収して濃度を増す。
不死属系魔物と赫蝋の業魔が残した欠片はあまりにも相性が良すぎた。破壊、魔力生成、再生、同時に呪い吸収、また破壊というサイクルによって急激に成長していく。
「ワレ、我……
理知を知らぬはずのソレは言葉を発する。
『■■■■■■』が目覚めたのだ。クィグィリナスが業魔にされる直前に吐いた呪いに呼び寄せられた。その悪意の意思にとって不浄大地は最高だった。無限を思わせる養分があるのだから。
やがて腐肉を滴らせる怪物は余剰魔力を使って新しい不死属を生み出す。それは赫蝋の業魔の細胞を持たない普通の不死属だが、それでも数と質が凄まじい。
複数の死骸が組み合わさった巨体、
凶悪な病原菌を撒き散らす
複雑な魔術すら使いこなす
頑丈な鎧により弱点が少ない
高い再生能力と身体能力を有する狡猾な怪物、
これら
「邪悪を、混迷を、怒りを」
そして最後にもう一つ、特別多く魔力を使って不死属を生み出した。
腐肉の怪物はこれだけの魔物を生成しても魔力は途絶える様子がない。そればかりかますます魔力を増大させている。
「邪な心を」
怪物は確かな理性によって命じる。
憎悪を巻き起こし、悪意を増幅させるようにと。つまり、最も強い感情を持つ人間を標的にするようにと命じたのだった。
◆◆◆
プラハ王国は国土を切り開き、広げることによって他国の存在を知った。それによって接触できたのがアルザードと呼ばれる国である。初めは言語の違いから意思疎通も困難であったが、それも少しずつ解消されつつある。希少ではあるが両国の言語を理解する通訳者もいる。
ローラン王は国交を開き、世界を広げる決意をした。
既に文官たちのやり取りによって既にアルザードも国交を開くことには前向きになっている。そもそもアルザード王国はシュリット神聖王国を中心とした聖教会や聖石寮といった組織を受け入れているのだ。外交という意味ではアルザードの方が先輩にあたる。
「アルザードが早急に条約を結びたいと?」
「はい。こちらにその旨を示した
「確かめよう」
ローランは困惑しつつ、外交官から受け取った書状に目を通す。特におかしな点はなく、条約もプラハ王国にとって明確に不利な点はない。
「関税はこちらの要求を呑んだか。あの街道は我が国が作って管理しているのだから当然だが」
「アルザードの外交官は妥協したようです。その代わりが国防に関する条約となります。魔物を含む外敵との戦いにおける互助が主要条項です。そして我々外交官は深く知ることができなかったのですが、護衛の方々がある情報を……」
「というと?」
「実はアルザード王国は不浄大地より溢れる魔物に手を焼いているとか。西部の街が壊滅的被害を受けており、
「ならばこの書状はどういうことだ?」
「書状の最後をご覧ください。サインは
「国の危機ということか。新しい
経済的な面ではプラハ王国の要望がほぼ通っている代わりに、国防の面においてはアルザード王国からの要望に融通を利かせた条約となっている。この書面にローランが自らの名を示し、印を押せば条約は有用となる。
だがこれはそう簡単に決定できることではない。
相手国の王が不在となれば面倒ごとが多くなる。そればかりかプラハ王国の戦力を期待しているということが見え見えの条約なのだ。まずは慎重な情報収集が必要となる。
「不浄大地と言ったな。我が国はどうなっている?」
「ここへ来る前に国防省に確認いたしました。昨年と比較して増加傾向にあるが、まだ問題になる状況ではないとのことです。ですので陛下の耳に入らなかったのかと」
「しかしアルザード王国を援護するとなれば、我が国を危険に晒すかもしれん……ということか」
しかしそれが分かっているからと言って条約を見送ることも難しい。プラハ王国にとってこれは初めての外交であり、上手くまとまりかけているところなのだ。ここで自国可愛さにアルザード王国を見捨てるような行動をとった場合、今後の付き合い方に支障が生じる。
慎重に今の安全を取るか、未来のために苦境を乗り越えるか。
王として難しい判断を強いられていた。
(セフィラ。私はどうすれば良いのだろうな)
こういった誰にも相談できない苦悩をセフィラは聞いてくれていた。
最近はシュウによって運ばれてくる手紙でも戻ってくることに意欲を見出しているような印象を受ける。しかし長く離れてしまったことで、距離感を掴みかねているようだ。その辺りは子供らしいと思ってしまう。
そんな思考を挟みつつ、悩んだ末にローランは一つの答えを出した。
◆◆◆
アルザード王国は魔物、魔族、そして赫魔という脅威に晒されていた。これらについては聖石寮が矢面に立って対処してくれている。
一方で王国軍は西側に展開し、不死属系魔物を食い止めるべく戦っている。というより、国軍の全てを投入してようやく食い止めることができている状況だった。
「はぁ……」
「
「いやいや。僕は確かに戦いが好きだよ。それに実力にも自信がある。でも部下を率いて戦うなんて専門外だよ。とてもじゃないができる気がしない。それに僕の両肩に民の命が乗っていると思うと……うぅ」
今代の
武こそが王の器であると考えられているアルザード王国の中では異端ともいえる性格だろう。それでいて彼、スリヤーの実力は王に相応しいものだ。そんなこともあって、『なぜあんな奴が』というやっかみを受けることも少なくなかった。
彼は口下手だ。
黙々と剣を振るうことこそ生き甲斐なのである。激しい戦いで
「しかしアレは王の宝剣でしか倒せませんよ」
「分かっている。分かっているさ。だから……いくよ。君は新しく見つけた国、えっと」
「プラハですね」
「そうそれ。プラハと話を付けて戦力を整えてくれないか。断られてもしつこく手紙を送ってくれ。もう聖石寮は頼りにならない。どう考えても戦力が足らない。あの聖守だって死んだそうじゃないか」
「新しい聖守を選定したようですけどね。ルーイン出身と聞いています」
「僕たちの国に負けず劣らずの戦闘民族か。なら、期待できるかもね。十五年後くらいに」
「ええ」
そんな台詞とは裏腹に、二人は全く期待している様子がない。
実際、聖教会や聖石寮の影響範囲からすればアルザードは端の田舎だ。本当に守るべき本部に最も大きな戦力を集める限り、この国が救われることはない。
「さて行こうか」
休憩を終えたスリヤーは立ち上がる。
先程までの気弱な態度から一変し、静かな戦意が滲み始めていた。軽く首を左右に動かし、パキパキと軽快な音を鳴らしながら呟く。
「首無しの鎧騎士。この戦いで討ち取ってやるさ。この剣を使ってでも」
アルザードの国宝、
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