第440話 赫蝋の業魔


 深淵渓谷は妖精郷大陸管理局によって監視されている。魔神スレイの動きを記録し、何かあれば緊急連絡としてシュウに直接通達する権利すら与えられている。

 その権限が行使されることは滅多にないが、今回は少しばかり間の悪い時に訪れた。



「なるほど。これはお前たちの手に余る」

「恐れ入ります」



 深淵渓谷で監視している精霊エレメンタルと合流し、詳しい話を聞こうと考えていた。だが話を聞くまでもなかったらしい。

 この世の終わりを思わせる大地の裂け目、深淵渓谷上空には真っ赤に染まる塊が浮いていたのだから。

 明確に表現できる形状は思い浮かばない。

 ただ赤い肉塊が空に浮かんでいると言葉にするしかない。

 感じ取れる魔力は絶望ディスピア級すら軽く超えていた。その魔力をコントロールできず、膨張することによって拮抗を保っているのだ。



「魔力を生成している、のか?」



 まもなく直径一キロメートルにはなるだろうか。

 ソレは無数の触手を伸ばし、周囲にある木々を溶かして取り込んでいる。また動物がいれば植物よりも優先して捕え、取り込み、喰らっているようであった。



「幾つか動きに法則を見出しております。有機物を糧に魔力を生成しているようでして、無機物は全く取り込みません。優先順位は植物よりも動物が上。魔物も積極的に捕えております。もしかすると魔族も餌にするのかもしれません」

「魔族を喰らうかどうかは未確認ということか」

「はい。適当に捕えて与えてみますか?」

「不要だ。それで他に分かっていることは?」

「おそらく自身の肉体を崩壊させ、魔力エネルギーに転換しているものかと。絶望ディスピア級と推定しても多すぎる魔力から考えて間違いありません。魔族ではありますが、魔物に近い存在へと傾きつつあります」

「核となった人間に対して魔物が強すぎたのか。絶望ディスピア級を数体取り込んだのか? だが有機物を喰らい続けて膨張するというのは厄介だな」

「自らの細胞を燃やし、魔力に転換する怪物。常に飢えた赤い化け物ということで、ひとまず赫蝋かくろうの業魔と呼んでいます」



 自らの身体を蝋燭のように燃やし、火を強くする。

 ただ細胞をくべて魔力にしているだけなので、それをコントロールする術は持っていないのだ。よって赫蝋の業魔は膨張し続け、自身の核となる細胞が消える前に他より取り込もうとする。まるで常に腹を空かせた獣のような、そんな業魔であった。



「もう少し大人しいなら見逃しても良かったが……流石に滅ぼすしかない」



 シュウは手元に反物質を生成した。長い年月をかけて術式は最適化され、かなり負担の軽い術になりつつある。反物質精製後は反応しないように大量の魔力で覆った後、反応促進、エネルギー熱変換といった術式を込め、更には死魔法も織り込む。

 完成した黒い宝珠は最後に加速魔術がかけられた。



「さて、これで倒せはしないと思うが」



 流星の如く飛び出した神呪級魔術《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》は宙に浮かぶ赫蝋の業魔へと吸い込まれていく。その大きさ比率故に《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》はすぐ見えなくなったが、効果は分かりやすく現れた。

 黒い球状結界が赫蝋の業魔を覆い、内部が完全に見えなくなる。

 そして反物質との対消滅反応によって内部が灼熱で満たされる。後に死魔法が熱エネルギーを回収し、焼き尽くした全てを喰らうのがこの魔術だ。



「……どういうことだ?」



 しかし黒き結界が消失した時、死魔法によるエネルギー回収が振るわないことに気付いた。また赫蝋の業魔もほとんどダメージを負った様子がない。



「対消滅反応が小さかった、ということは……そういうことか」



 赫蠟の業魔は粘体系の性質を取り込んでいる。しかも細胞分裂し、赤い霧となって有機物を喰らいつくす赫蝕喰バイオブレイクを取り込んだ業魔族だ。魔物の性質があまりにも強いので、物質的ではなく魔力的な存在に近い。

 物質と反応して暴力的な熱量を放射する《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》とは相性が悪い。本当の威力を発揮することはできなかったのだ。



「こちらに気付いたようです」

「そのようだな。お前たちは距離を取れ。余波の激しい魔術を発動する」

「はっ」



 《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》は神呪級魔術でありながら、結界内部を破壊し尽くすという性質によって余計な被害が出にくい。破壊規模をコントロールできるということである。反物質の質量と結界の大きさを調整すれば望む範囲だけを焼き尽くすことができるのだ。

 しかし赫蝋の業魔には相性が悪い。

 ならば別の魔術を使う必要がある。それらは効果が無差別であることも多いので、精霊たちを避難させる必要があった。深淵渓谷を監視していた精霊たちが続々と離れていく中、赫蝋の業魔が触手を操ってシュウや精霊を狙う。

 シュウはそれを阻むべく、死魔法や《斬空領域ディバイダー・ライン》で迎撃した。死魔法は赫蝋の業魔から魔力を奪い取り、防御不能の斬撃魔術が触手を切り落とす。



「浮遊の魔術……さらに上へ行く気か!」



 シュウを脅威と感じたのか、赫蝋の業魔は上へ上へと昇り始めた。元より深淵渓谷からは風の第四階梯《空翔フライ》と思しき魔術によって浮かび上がってきたのだ。なぜそのような魔術を扱えるのかといえば、それは業魔族の器となった人間が関係している。



「流石に聖守を核としているだけはある」



 続けて赫蠟の業魔は火球を浮かべた。全身から生える無数の触手の数だけ、炎の第一階梯を発動してみせたのだ。それは雨の如く降り注ぐということが容易に予想できる。

 下は森が広がっているので、大規模な火事になる可能性が高い。

 それでシュウは死魔法で火球を削除した。



「貫け」



 また軽く腕を振り下ろし、《暗黒塔》を発動させる。頭上に浮かべた結界内部に太陽光を集め、内部で反射させることで蓄積し続けている。《暗黒塔》は百年単位で集められた光を魔術で制御し、レーザーとして撃ち下ろす。

 影響下の光は完全にベクトル制御され、空気散乱すら許されずに天地を結ぶ。

 まるで地の底から天上にまで届く黒い塔のように。

 真っ赤な巨塊は貫かれ、その中心部に大穴が空く。苦しみのあまり赫蝋の業魔は逃れようとするが、そうするためには《暗黒塔》によって体を引き裂かなくてはならない。上空へ逃れたことにより有機物の供給源が絶たれ、今は自身の細胞を破壊して魔力に還元している。つまり時間と共に自己崩壊していく。赫蝋の業魔もそれは嫌がって可能な限り触手を伸ばし、どうにかして地上の有機物を喰らおうとし始めた。



「《光の雨》、そして《遊星》」



 球状結界に加速魔術と加重魔術をかけて雨のように撃ち下ろし、更には宇宙空間に存在する小惑星を加速させる。激しい熱によって尾を引く流星群が赫蝋の業魔を撃ち抜き、深紅の細胞片を撒き散らす。更には空気抵抗のない宇宙にて光速の数パーセントにまで加速させた小隕石を転移で呼び寄せ、同じくぶつけた。

 運動エネルギーという分かりやすい攻撃は赫蝋の業魔を爆散させる。元より結合の弱い赫蝋の業魔は空中で散ってしまい、流星群と隕石の熱量が大部分を焼き尽くす。

 だが流石に魔族というべきか、まだまだ墜落する様子もない。



「落ちれば地面と反応させて《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》を使えたんだが……」



 赫蠟の業魔は身体の一部を切り離して、それを地上へと放つ。それは赤い霧となるまで分裂し、地上にある木々を軒並み飲み干そうとした。

 そこでシュウは《神炎》を発動する。

 熱エネルギーによって原子を破壊し、その際に生じるエネルギーすら取り込んで熱量を増大させていく。エネルギーが高すぎる故に炎は可視光を超越し、透明な炎として揺らぐ。分裂によって生じた赤い霧は瞬時に蒸発し、地上で燃え上がった。木々は一瞬にして消滅し、地上も焼け焦げる。まだ宙に浮かんでいる赫蝋の業魔も熱を嫌がったのか、空へ空へと昇っていく。だが《暗黒塔》も止まっておらず、遥か上空からのレーザー攻撃が赫蝋の業魔を貫き続けていた。



「また分裂か? 『死ねデス』」



 その身を分裂させ、数百にも分かれて逃げようとする。本体はたった一つで他はフェイク。だが魔力を等分にしてしまったことで死魔法によるエネルギー吸収が即死攻撃に変わった。シュウが死魔法で一度に吸収できるエネルギーには限度がある。絶望ディスピア級ほどにもなれば一撃で喰らい尽くすことはできず、必ず耐えられる。

 だから自ら許容値以下に分裂した赫蝋の業魔は選択を誤ったという他ない。

 死魔法で各個撃破されていると気付いた赫蝋の業魔は再び集合し始める。細胞を燃料に魔力出力を得ている関係上、時間は赫蝋の業魔に味方しない。



「この魔力……まるで『王』だな」



 いわば寿命を削って力を得ているようなものだ。元より絶望ディスピア級数体分の魔力量を保有する業魔族だ。それが特性により魔力を増大させているのだから、『王』の魔物に匹敵するのも当然である。

 赫蝋の業魔は巨躯を蠢かせ、魔力を集中させる。

 それは魔力を圧縮し、砲撃として解き放つ無系統の魔術だ。魔力を操る技能さえあれば誰でも可能となる非常に簡単な魔術と言える。しかし魔力に物質的な破壊力が存在するわけではないので、必要な魔力量と比較して弱い。

 しかし一方で圧縮により魔力が黒く変色する領域に突入すれば話は変わる。

 漆黒の閃光がシュウに向かって放たれた。

 当然だが座して待つはずもない。



「《冥導》」



 死魔力により空間の一点を殺し、連続性の破綻によって特異点を発生させる。この穴は空間的に不安定であるため、周囲のエネルギーを吸収して穴を埋めようとする。まるでブラックホールのように周囲のエネルギーを取り込む。

 黒く染まった魔力砲すらも《冥導》は飲み干し、無効化してしまう。

 更には追撃の《冥導》を放ち、赫蝋の業魔は身体の一部を葬られてしまった。しかしながら巨大な赤い塊は健在である。そればかりか削られた分だけ膨張しているようにも思えた。



「このまま時間が経てば自滅する……と思いたいが」



 魔物に近しいこの業魔も、魔族という種には分類される。そのため巨体のどこかに魔石を保有しているのは間違いない。そして魔族は魔石が破壊されない限り不死といえる。つまり魔力だけを膨張させ、いずれはルシフェルの法則すらも超越する存在になるかもしれない。魔力増殖のために細胞を燃やし尽くしたとしても死にはしないだろう。自滅を期待するのは甘いというものである。

 魔力が集まり過ぎた時、『王』への覚醒確率は跳ね上がる。

 既に大陸を滅ぼせる怪物にまで成長している。なぜなら《光の雨》《遊星》といった禁呪級魔術ですら軽々と耐えてみせる。肉片を散らしたが、魔族の特性故に全く効いていない。



「《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》で効果が薄いなら、いっそ魔神術式か?」

「困っているみたいですねー」

「いや、問題ない……というかいつの間に来たアイリス」

「セフィラちゃんもいますよー」



 おそらくシュウが遅いのでマーカーを頼りにやってきたのだろう。ルシフェルとの話が長いと思ってマザーデバイスの位置情報を探ってみれば、なぜかスラダ大陸にいるのだ。驚いて慌ててやってくるのも理解できる。

 まして転移先に巨大な化け物がいたのだから。



「私がやりましょうか? 《虚孔アビス》を使えばすぐ終わりますよ」

「まだ研究中だろう? あの業魔を呑み込むほど虚数時空を開いたことはなかったはずだ」

「へぇ。あれって業魔なんですね。もしかして新しいのですか?」

「お蔭で禁呪級魔術でも効かない。で、《虚孔アビス》は研究中だったはずだが?」

「少し、気になることがあるんですよね」

「どういうことだ?」

「それも含めての実験なのですよ」



 虚数時空の研究はアイリスに任せていたものだ。その彼女が気にしていることがあるならば、確かめておきたい。



「何かあったのか?」

「場合によっては虚数時空の研究を一時中断する必要があるかもしれません。冥界門にも利用していますし、事実確認はしておきます」

「そういうことなら任せるが……セフィラ、こっちに」

「うん」



 シュウはセフィラを手招きで呼び寄せ、結界を張る。しかも黒い術式を張り巡らせた冥界を限定展開する結界である。そしてアイリスは《量子幽壁クオンタム・フラクト》を張り、万全の態勢を整えた。

 この間にも赫蝋の業魔は膨張し続け、再び黒い魔力砲撃を放つべくチャージしている。

 だが、アイリスは時間停滞により赫蝋の業魔の動きを遅くした。これにより、アイリスは後出しにもかかわらず先手を取ることができる。



(珍しいな。アイリスが魔術の試し打ちを望むなんて)



 妖精郷の技術開発局には幾つか秘匿級の研究室が存在する。虚数時空研究室もその一つだ。存在しないものを魔術で操るという難しさ故に扱える者も少ない。術式化も不完全なので、大規模な魔術となるとアイリスの才能に頼らざるを得ない。

 だからシュウはアイリスが新型魔術を使うのを認めた。

 どこか違和感を覚えながらも。



「いきます……見ていてくださいね!」



 アイリスが手元に立体魔術陣を浮かべ、更には魔装の補助も与える。

 時空を構成する魔力に干渉し、時を歪め、虚無を作り出す。本来、虚数時空とは量子レベルで存在する時空の隙間だ。量子時間と呼ばれる時間の最小単位は小さな粒のようなものだ。それらが寄せ集まることで時間を連続のように錯覚している。時間と時間の間にあるものが虚数時空だ。

 《虚孔アビス》は量子時間を操り、その隙間を広げる魔術だ。

 この世に顕現した虚空が赫蝋の業魔を呑み込んでいく。

 虚無には何もない。

 空気も重力も、生命が存在するために必要なものは何一つ存在しない。真っ黒な球体が赫蠟の業魔を飲み干し、あの巨体はその内側へと消えた。叫び声も呻きも悶えもない。

 同じく虚数時空を操れない限り、《虚孔アビス》から逃れることなどできないのだ。

 そう。

 絶対に虚数時空の内側から脱出することなどできないはずだったのだ。





―――Pw deLt





 声が聞こえた。

 シュウは思わず身構え、セフィラは顔を青ざめさせる。冥界の主にして世界最強の一角を担うシュウですら『畏れ』を抱いた。まるでルシフェルと初めて対面した時のような、理解できない未知を知ってしまった感触である。



「セフィラ! 俺の後ろに!」



 《魔神化》を全開にしたシュウは娘を守るために万全の結界を張る。またアイリスにもニブルヘイムの術式を伸ばして守ろうとした。黒い術式が空間を這いまわり、限定的な冥界を顕現させる。冥界はシュウのものなので、その内側にいる限りはシュウに敵う者などいない。

 この世界にいる限り、ルシフェルには勝てないように。



「術式を止めろアイリス! アイリス?」



 そう呼びかけたがアイリスは魔力を注ぎ続け、虚無を広げようとしている。いや、現在進行形で広がり続けている。

 よく見れば彼女は虚ろな目をしており、その魂へ何かが触れようとしていた。




―――AxZtH gRoLEr




 球状に広がっていた虚空が歪む。

 揺らめき、その内側から光を呑み込む触手のようなものが生え始めた。それは触手のように見えているだけで、決して触手ではない。アイリスが生み出した虚数空間が内側より広がっているのだ。それも魔術の法則を無視した不自然な広がり方によって。

 それはつまり、『何か』が顕現しようとしていることを意味していた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る